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53 自分の役目
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こめかみの血管が実際に切れてしまったのではと思う音がした。
「おっさんに使ったのは栄養剤」
見せられた注射器に目をやる。
「信じこみやすい体質なんだね。面白かった」
「ああ?」
騙されたと知っても急に正気が戻るわけじゃない。全身が鎮まるまで時間が必要だった。冬次は脈打ってうるさい額をゆっくり指圧し、気分を入れ換えるべく息を全部吐いて深く吸う。洩れた低い声に南雲がビクッと身構えた。
「悪いね、これでも怖がらせないよう必死なんだ」
南雲が不愉快そうに肩をいからせる。
「余裕ぶるなよ、おっさん。怒りたいなら怒れよ」
「そうだね。やっちゃいけないことだよ」
冬次は静かに言う。
「でもね、やっちゃいけないってわかってるならいい。もうやるな」
南雲の両目が見開かれる。それとも侮辱されたと思ってキレてるのか?
「涼くんを傷つけないで済んでよかった」
冬次は続けて言った。ついでに言わなければならなかったお説教をつけ加える。
「自分の体をもっと大切にしないと。抑制剤の過剰摂取のことも聞いたよ。涼くんに何かあったら処分を受けるのは周りの大人たちだけど、心や体に傷を負うのは涼くん自身だよ。使い方はよく考えて」
すると南雲の目がサッと揺れた。
「・・・・・・どうでもいい」
「よくない。たとえバース性を消せても傷は一生残るよ」
彼の研究を引用して諭したのが失敗だった。
「加害者が偉そうなんだよ。いつもいつも上から物を言いやがって!」
火が灯ったように南雲が怒りだす。
あまりの剣幕に冬次は素直に謝るべきだと思った。そして今日はこの話を終わらせる。が、南雲の目尻にわずかに涙が光ったのを目撃して、確かめずにはいられなかった。
人の泣き顔を暴くのは褒められた行為じゃないけど、手首を掴んで顔がよく見えるようにする。
「離せ・・・・・・」
偏食のせいで細い腕は逃れようとするたびポキッと折れてしまいそう。不健康そうで、体温も低い。
「冷たい手だな」
「っ?」
どうか警報よ鳴らないでくれ。手首から手のひらをなぞって指先を握る。
青ざめた顔の中で負けじとふてぶてしい瞳を、冬次はずっと昔から知っていた。自分に劣らず恋愛の機微に疎くて、愛あるスキンシップの経験に乏しかったあの時の南雲さんと同じ目だ。
南雲さんと同じ瞳に見つめられると、冬次のアルファの部分は疼いた。出逢った年齢が違ってもやっぱり彼が好きで触りたいと思うのが一番の欲求。心と体を征服して、自分自身の熱を覚えさせ、それからどうする?
答えは、どうにでもできる。
なぜなら運命の番を求めてない今ならまだあの時のような障害はないのだ。藤井ではなく冬次が南雲にとってのアルファになれる。怒りや悲しみや関心の対象になれる。
・・・・・・そう思った自分に眩暈がした。クソ野郎になりたければ今すぐに実行すればいい。
できないよな?
それに冬次の心はしたいと思ってなかった。疼く部分と別の部分が冷静に冬次を押しとどめた。
「冷たい手だな」
冬次はゴシゴシと南雲の手をこすった。乱暴にそっけなく、色気のカケラもなく。ああもう頭が痛い。これだから運命ってやつは厄介だ。決まりきったことをぶち壊すっていうのは勇気がいる。
「あれこれ言われたくないならもっと健康的になれ。体を大事にしないとおっさんになった時ガタがくるのも早いんだぞ」
「うるせぇ、離せよ! 痛いんだよ! 僕はあんたみたいなジジイにはならないね」
「あっそ。だといいね」
ついにはジジイ呼び。グサっとくる。冬次は苦笑して手を離した。
南雲は摩擦され赤らんだ手の甲を敵から隠すみたいに袖に引っ込める。
「僕は」
ふと話しはじめた。
「長生きしたいと思ってない」
その言葉に冬次は眉をひそめる。
「今やってる研究は死んだらできなくなるぞ」
「いずれ完成する。研究が終わればもう未練なんかないから」
「それは、その・・・・・・なんて言うか」
肝心なところでしどろもどろになった冬次は黙り込んだ。
言葉が見つからない。止めなくちゃという気持ちはあるけれど、自分に心を動かすだけの影響力はない。
「死ぬ予定ならその前に、君が会うべき人を知ってる」
ようやく思いきって言った。冬次が切れる最高に重要なカードを。
「へぇ不思議だな、僕に会いたい人はいないね。だいたい他人が僕に何をしてくれるの。ご高説ならもう聞き飽きた」
「涼くんの考えてる感じの人じゃないよ。多分ね」
「・・・・・・研究に興味があるなら社員に話を通してよ」
「それも違うね」
南雲の口角がムッと下がった。謎かけをしたかったわけじゃないが、流れがそちらに向かってしまって不機嫌を悪化させた。答えられないことに苛々する南雲は年相応に可愛げがある。
冬次は眉尻を下げ、南雲を幸せにしたいと考えてしまう。藤井よりも自分の方が先に出逢えた奇跡を意味のあることにしたかった。
少しだけ遊んでもいいかな南雲さん?
涼くんを運命の番に出逢わせるまで、少しだけ回り道をさせてください。
「おっさんに使ったのは栄養剤」
見せられた注射器に目をやる。
「信じこみやすい体質なんだね。面白かった」
「ああ?」
騙されたと知っても急に正気が戻るわけじゃない。全身が鎮まるまで時間が必要だった。冬次は脈打ってうるさい額をゆっくり指圧し、気分を入れ換えるべく息を全部吐いて深く吸う。洩れた低い声に南雲がビクッと身構えた。
「悪いね、これでも怖がらせないよう必死なんだ」
南雲が不愉快そうに肩をいからせる。
「余裕ぶるなよ、おっさん。怒りたいなら怒れよ」
「そうだね。やっちゃいけないことだよ」
冬次は静かに言う。
「でもね、やっちゃいけないってわかってるならいい。もうやるな」
南雲の両目が見開かれる。それとも侮辱されたと思ってキレてるのか?
「涼くんを傷つけないで済んでよかった」
冬次は続けて言った。ついでに言わなければならなかったお説教をつけ加える。
「自分の体をもっと大切にしないと。抑制剤の過剰摂取のことも聞いたよ。涼くんに何かあったら処分を受けるのは周りの大人たちだけど、心や体に傷を負うのは涼くん自身だよ。使い方はよく考えて」
すると南雲の目がサッと揺れた。
「・・・・・・どうでもいい」
「よくない。たとえバース性を消せても傷は一生残るよ」
彼の研究を引用して諭したのが失敗だった。
「加害者が偉そうなんだよ。いつもいつも上から物を言いやがって!」
火が灯ったように南雲が怒りだす。
あまりの剣幕に冬次は素直に謝るべきだと思った。そして今日はこの話を終わらせる。が、南雲の目尻にわずかに涙が光ったのを目撃して、確かめずにはいられなかった。
人の泣き顔を暴くのは褒められた行為じゃないけど、手首を掴んで顔がよく見えるようにする。
「離せ・・・・・・」
偏食のせいで細い腕は逃れようとするたびポキッと折れてしまいそう。不健康そうで、体温も低い。
「冷たい手だな」
「っ?」
どうか警報よ鳴らないでくれ。手首から手のひらをなぞって指先を握る。
青ざめた顔の中で負けじとふてぶてしい瞳を、冬次はずっと昔から知っていた。自分に劣らず恋愛の機微に疎くて、愛あるスキンシップの経験に乏しかったあの時の南雲さんと同じ目だ。
南雲さんと同じ瞳に見つめられると、冬次のアルファの部分は疼いた。出逢った年齢が違ってもやっぱり彼が好きで触りたいと思うのが一番の欲求。心と体を征服して、自分自身の熱を覚えさせ、それからどうする?
答えは、どうにでもできる。
なぜなら運命の番を求めてない今ならまだあの時のような障害はないのだ。藤井ではなく冬次が南雲にとってのアルファになれる。怒りや悲しみや関心の対象になれる。
・・・・・・そう思った自分に眩暈がした。クソ野郎になりたければ今すぐに実行すればいい。
できないよな?
それに冬次の心はしたいと思ってなかった。疼く部分と別の部分が冷静に冬次を押しとどめた。
「冷たい手だな」
冬次はゴシゴシと南雲の手をこすった。乱暴にそっけなく、色気のカケラもなく。ああもう頭が痛い。これだから運命ってやつは厄介だ。決まりきったことをぶち壊すっていうのは勇気がいる。
「あれこれ言われたくないならもっと健康的になれ。体を大事にしないとおっさんになった時ガタがくるのも早いんだぞ」
「うるせぇ、離せよ! 痛いんだよ! 僕はあんたみたいなジジイにはならないね」
「あっそ。だといいね」
ついにはジジイ呼び。グサっとくる。冬次は苦笑して手を離した。
南雲は摩擦され赤らんだ手の甲を敵から隠すみたいに袖に引っ込める。
「僕は」
ふと話しはじめた。
「長生きしたいと思ってない」
その言葉に冬次は眉をひそめる。
「今やってる研究は死んだらできなくなるぞ」
「いずれ完成する。研究が終わればもう未練なんかないから」
「それは、その・・・・・・なんて言うか」
肝心なところでしどろもどろになった冬次は黙り込んだ。
言葉が見つからない。止めなくちゃという気持ちはあるけれど、自分に心を動かすだけの影響力はない。
「死ぬ予定ならその前に、君が会うべき人を知ってる」
ようやく思いきって言った。冬次が切れる最高に重要なカードを。
「へぇ不思議だな、僕に会いたい人はいないね。だいたい他人が僕に何をしてくれるの。ご高説ならもう聞き飽きた」
「涼くんの考えてる感じの人じゃないよ。多分ね」
「・・・・・・研究に興味があるなら社員に話を通してよ」
「それも違うね」
南雲の口角がムッと下がった。謎かけをしたかったわけじゃないが、流れがそちらに向かってしまって不機嫌を悪化させた。答えられないことに苛々する南雲は年相応に可愛げがある。
冬次は眉尻を下げ、南雲を幸せにしたいと考えてしまう。藤井よりも自分の方が先に出逢えた奇跡を意味のあることにしたかった。
少しだけ遊んでもいいかな南雲さん?
涼くんを運命の番に出逢わせるまで、少しだけ回り道をさせてください。
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