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切腹
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仙台藩の城下では、慌ただしい動きがあった。とはいえ、街を揺るがす大事件とまでは行かず、城下の武家屋敷内での騒ぎだった。
「旦那様が左腕を斬られなさった」
小物が悲痛な叫びを上げる。
山南家では、夜中に医者を呼ぶ騒ぎだった。
そんな中、まだ幼い敬助は、何をしていいか解らずに茫然としていた。
暫くして、落ち着くと敬助は父に呼ばれた。母は泣いていた。家中の者が集う中、父が病床から声をかける。
「敬助、父は藩の剣術指南役でありながら、不覚にも賊の不意打ちに遭って負傷した。役目柄、非常に不名誉な事である。だから、切腹せねばならない。お前は父の跡を継いで、立派な名誉ある武士になって欲しい」
敬助は、父の真剣な眼差しに心を打たれた。
※
時が経ち、成長した山南敬助は、新選組総長として大阪に居た。宿屋、京屋であの日の父の様に左腕を負傷して布団で寝かされていた。事の経緯としては、任務での負傷だった。山南は、土方歳三と四人の平隊士と共に大阪を訪れていた。懇意の豪商、鴻池の見廻りの後、呉服商の岩城桝屋にも立ち寄る。そこで不逞浪士と遭遇し、激闘になった。
山南は、刀が折れる程の活躍をしたが、自身も左腕を斬られてしまった。
「山南さん、大丈夫かい?」
色白だが目つきの鋭い男が居た。髷は豊かな総髪を後ろで結わえている。整った顔が心配そうな表情を作っていた。新選組副長の土方歳三だった。
「ええ、なんとか、左腕の感覚が無いのが不安ですが」
「左腕は付いているぜ。怪我を負ったばかりだから違和感があるのさ」
土方は請け負うが、山南は父の事もあって不安だった。要領を得ない笑顔を浮かべる。
「山南さん、心配するなよ。命があっただけ幸運だよ」
土方が笑う。
そんな時、階段を駆け上がる音がして、若い隊士が襖を開ける。月代の剃り跡も青い好男子だった。
「山南さん、大丈夫ですか?」
「ええ、なんとか」
新たに入って来たのは沖田総司で、新選組の副長助勤を務めている。山南とは古い付き合いで、実の兄弟の様に仲が良い。
「もう、土方さんが付いていながら、なんて失態ですか?」
総司が口を尖らせる。何時もの土方なら反論する所だが、今回は何も言い返せない。項垂れてしまう。実は、山南の負傷は土方を庇ったからだった。
「沖田くん、土方さんを責めないでください。私が未熟だっただけですよ」
総司も、それ以上は土方を虐めない。度が過ぎれば嫌味になる。
「でも、山南さんが思ったより元気そうで安心しました。近藤先生も心配なさっていましたよ」
「それはありがたいですね」
山南が穏やかに言う。
三人の間に安堵の輪が広がった。
「ところで近藤先生といえば、土方さんに伝言があります。不逞浪士に新たな動きが有ったようで、副長には屯所に戻って欲しいそうです」
山南は、総司の報告に同意する。
「土方さん、屯所に戻ってください。病人に必要なのは医者ですが、新撰組に必要なのはしっかり者の副長です」
土方は、総司と山南の勧めに従う事にする。実際、此処に居てもする事がない。
「よし、総司、山南さんを頼むぞ」
山南は、土方が去ると総司に話しかけた。
「これからの新撰組には土方さんの実務能力が必要です。沖田くんは彼を支えてあげてください」
総司は、山南に改まって言われると照れてしまう。
「近藤先生を支えて土方さんを監視するのは山南さんの務めですよ。僕では無理です」
「いえいえ、実を言うと、私は新撰組から除隊する事を考えています。もう刀が持てない気がするのです」
「またまた、そんな弱気な事を言います? 傷が痛むのですか?」
山南は、総司の茶化しに応えずに言う。
「今はただの予感です。でも、本当に剣客として駄目になったら、隊を去るべきだと思います。そして、武士らしく切腹しようと思います」
総司は、山南の不吉な発言に言葉を失った。
※
それから数日後、山南は屯所に戻る。すると、何かと慌ただしい。どうやら、大きな事件が起きているようだった。
「おう、山南さん、久しぶりだのう」
大きな声で呼び止めたのは、原田左之助だった。彼は、山南が江戸の試衛館で修行していた頃からの付き合いで、お互いに道場の食客だった。
「山南さん、お元気になられたのですね」
続いて駆け寄って来たのは、常に元気な藤堂平助だった。小柄だが、俊敏な動きで敵を翻弄する北辰一刀流の使い手だった。
「ええ、ご心配をかけました。具合はだいぶ良いです」
「そりゃ良かった。おいは心配でお百度参りした位だぞ」
左之助が調子の良い事を言うが、平助が否定する。
「原田さんは普通に呑んだくれてましたよね」
「平助、要らん事を言うな。おいは心の中ではお百度どころか千度も参ったぞ」
山南は、左之助がムキになって言うので笑ってしまう。昔から陽気な人だった。
さて、彼らは、今でこそ京の新撰組として知られているが、元々は試衛館と言う江戸の道場に集まる仲間だった。それは、道場主の近藤勇を始めとして、土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助、原田左之助、永倉新八、斎藤一、藤堂平助の九人だった。なぜ、彼らが洛中の治安を守る役目に就いたかと言うと、全ては幕末の動乱が招いた事だった。
黒船の来航に始まり、江戸幕府は未曾有の難題を抱えていた。それは、二百年以上に渡り天皇より政権を任されていた徳川家を揺るがす事態となる。十四代将軍の徳川家茂は、政権の足固めをすべく公武合体運動を進めて行く。宮様の妹の和宮を妻に迎え、宮様に拝謁すべく御所への訪問も実行する。将軍が動くとなれば、護衛にもかなりの人手が居る。幕府は、広く志しある者を求めて、将軍警護の浪士組志願者を募集する。試衛館の連中は、その応募で選ばれて此処に来ていた。
「原田さん、随分と騒がしいですね。何かあったんですか?」
山南の疑問に、左之助は答えた。
「たぶん、古高俊太郎を捕まえたからじゃねぇか?」
古高俊太郎の名は、山南も知っていた。長州系の不逞浪士の取りまとめ役として名が上がるが、実態は把握していない。名前から男だと推測できる程度だった。
「へぇ、お手柄ですね。どんな経緯で捕まえたのですか?」
「なんでも、古高俊太郎と繋がりのある不審者を捕まえて、そこから辿ったらしい。不審者は、火事現場で避難する人々を通せんぼしていた男で、酔っていたのだろう。そいつが京には二百五十人の仲間が居て、大規模な事件を起こす事を白状した。古高俊太郎もその線から捕縛したのさ」
山南は、左之助の説明に頷いた。運が良かったという事だろう。新撰組の幸運を喜びつつも、自分の不運と比べてしまう。しかし、それも一瞬で、すぐに気持ちを切り替えた。
「新撰組が京に来て以来、最大の手柄ですね」
「そうだ、近藤さんと土方さんはその事で話し合っている。山南さんも行った方がいい」
山南は、左之助に促されて局長室へ移動する。
※
「近藤局長、山南です」
障子越に声を掛けた。すると、途端に返事が来た。
「おお、山南さん、良い所に来た。入って入って」
近藤が山南を招き入れた。抱きついて再会を喜ぶ。近藤勇は直情型で、喜怒哀楽がはっきりしていた。
山南と近藤の出会いは、他流試合が始まりだった。山南敬助は、小野派一刀流を極め、北辰一刀流も学ぶ正統派の剣士で、方や近藤勇は、道場主とはいえ、江戸より多摩郡の方に門下生が多い田舎剣士だった。格が違う二人だが、試合の結果は近藤が勝った。しかも、山南は足払いで倒され、面を打たれる。正統派の剣術からすれば完全に邪道で、理不尽な負けだろう。江戸の有名道場で修行した者なら、怒って当然な勝負だった。だが、山南は怒りを鎮めた。剣術とは、命の取り合いを目的にしている事を悟ったからだった。ここで、父の無念を思い出す。藩の剣術指南役だった山南の父は、名もなき暴漢に深手を負わされた。おそらく、正式な試合ならそうはならなかっただろう。そう考えると、自分に必要なのは実戦に強い喧嘩剣術だと思えた。山南は、その場で試衛館の食客になった。
さて、山南の回想はさておき、話は古高俊太郎の捕縛に移る。その後の不逞浪士の動きが問題だった。
「不逞浪士たちの動きは三つ考えられる。一つは、そのまま息を潜めて様子を見る。二つ目は、古高俊太郎を奪回する為に新撰組の屯所を襲う。三つ目は、古高を諦めて計画を進める。いずれにしろ、必ず行うのが今後の方針を決める会合だろう」
土方が予想を言う。確かに、理にかなった考えだった。
「で、どうする歳」
「もう会合場所を探索する時間はない。虱潰しに当たるしかないな。とはいえ、四条から三条の料亭や旅籠などだろう。三百人も居れば見廻れる。今は祇園祭の時期で人出が多い。それに紛れて集まるに違いない」
ここで、山南が口を挟む。
「現在、隊では何人が動けるのですか?」
「悪事が発覚したり他藩の間者だった隊士を処罰して、人数が減ってしまった。それと病気の者も居て、四十名ほどだろう」
当時の新撰組では、あまり平隊士の面倒を見る事がなかったので、不健康な者が多かった。平隊士は、屯所で共同生活をしていたので、隊で栄養面と衛生面を管理しなければ、健康は保てない。後に改善策が取られる事になる。
さて、大規模な見廻りをするには新撰組だけでは人数が足りない事がはっきりした。他に頼れるのは限られる。
「会津中将様に頼むしかないな」
近藤が口を開く。新撰組の後ろ楯になっている会津藩は、京都守護職として洛中の治安を任されていた。
「私も、それしかないと思います」
山南が同意し、土方も頷く。近藤はすぐに行動を起こした。守護職本陣へ書状を出す。その間、土方は新撰組を取り纏める。
山南は、屯所の留守を任される事になった。
※
その日の夜、新撰組は屯所を出発した。山南と数名が留守を預かる。蒸し暑い晩で、妙に嫌な予感がした。山南は、屯所を出て歩き始め、四条通りを進む。新撰組は、鴨川沿いに探索する予定だった。会津藩の応援は集まっているだろうか? 山南は、捕物が上手く行くか心配だった。
「山南さん、屯所で控えていましょう」
声を掛けて来たのは、諸士調役兼監察の山崎烝だった。大阪出身の隊士で、その割に無口な性格だった。お喋りを嫌う近藤勇からは好かれていて、土方からの信頼も厚い。
「そうですね、私たち留守番隊は屯所を守るのが任務ですから」
山南は納得する。だが、本心では実行部隊として活躍できないのが悔しかった。山南は、剣で新撰組に貢献したい気持ちが強い。腕さえ負傷してなければ、留守番ではなく戦闘部隊に居ただろう。
その時、女の悲鳴が聞こえた。山南と山崎が走る。
山南と山崎が駆けつけると、数人の武士が芸妓らしき女を取り囲んでいた。折しも、祇園祭の宵々山でお祭り気分の者が多く、武士は酔っているようだった。
「やめなさい。女は嫌がっているようです」
山南は女と武士の間に割って入る。山崎も臨戦態勢を取った。
「なんだお主ら、邪魔するな」
武士が酒臭い息を吐き掛けて来る。酔っ払いは語彙が少ない。
「旦那様が左腕を斬られなさった」
小物が悲痛な叫びを上げる。
山南家では、夜中に医者を呼ぶ騒ぎだった。
そんな中、まだ幼い敬助は、何をしていいか解らずに茫然としていた。
暫くして、落ち着くと敬助は父に呼ばれた。母は泣いていた。家中の者が集う中、父が病床から声をかける。
「敬助、父は藩の剣術指南役でありながら、不覚にも賊の不意打ちに遭って負傷した。役目柄、非常に不名誉な事である。だから、切腹せねばならない。お前は父の跡を継いで、立派な名誉ある武士になって欲しい」
敬助は、父の真剣な眼差しに心を打たれた。
※
時が経ち、成長した山南敬助は、新選組総長として大阪に居た。宿屋、京屋であの日の父の様に左腕を負傷して布団で寝かされていた。事の経緯としては、任務での負傷だった。山南は、土方歳三と四人の平隊士と共に大阪を訪れていた。懇意の豪商、鴻池の見廻りの後、呉服商の岩城桝屋にも立ち寄る。そこで不逞浪士と遭遇し、激闘になった。
山南は、刀が折れる程の活躍をしたが、自身も左腕を斬られてしまった。
「山南さん、大丈夫かい?」
色白だが目つきの鋭い男が居た。髷は豊かな総髪を後ろで結わえている。整った顔が心配そうな表情を作っていた。新選組副長の土方歳三だった。
「ええ、なんとか、左腕の感覚が無いのが不安ですが」
「左腕は付いているぜ。怪我を負ったばかりだから違和感があるのさ」
土方は請け負うが、山南は父の事もあって不安だった。要領を得ない笑顔を浮かべる。
「山南さん、心配するなよ。命があっただけ幸運だよ」
土方が笑う。
そんな時、階段を駆け上がる音がして、若い隊士が襖を開ける。月代の剃り跡も青い好男子だった。
「山南さん、大丈夫ですか?」
「ええ、なんとか」
新たに入って来たのは沖田総司で、新選組の副長助勤を務めている。山南とは古い付き合いで、実の兄弟の様に仲が良い。
「もう、土方さんが付いていながら、なんて失態ですか?」
総司が口を尖らせる。何時もの土方なら反論する所だが、今回は何も言い返せない。項垂れてしまう。実は、山南の負傷は土方を庇ったからだった。
「沖田くん、土方さんを責めないでください。私が未熟だっただけですよ」
総司も、それ以上は土方を虐めない。度が過ぎれば嫌味になる。
「でも、山南さんが思ったより元気そうで安心しました。近藤先生も心配なさっていましたよ」
「それはありがたいですね」
山南が穏やかに言う。
三人の間に安堵の輪が広がった。
「ところで近藤先生といえば、土方さんに伝言があります。不逞浪士に新たな動きが有ったようで、副長には屯所に戻って欲しいそうです」
山南は、総司の報告に同意する。
「土方さん、屯所に戻ってください。病人に必要なのは医者ですが、新撰組に必要なのはしっかり者の副長です」
土方は、総司と山南の勧めに従う事にする。実際、此処に居てもする事がない。
「よし、総司、山南さんを頼むぞ」
山南は、土方が去ると総司に話しかけた。
「これからの新撰組には土方さんの実務能力が必要です。沖田くんは彼を支えてあげてください」
総司は、山南に改まって言われると照れてしまう。
「近藤先生を支えて土方さんを監視するのは山南さんの務めですよ。僕では無理です」
「いえいえ、実を言うと、私は新撰組から除隊する事を考えています。もう刀が持てない気がするのです」
「またまた、そんな弱気な事を言います? 傷が痛むのですか?」
山南は、総司の茶化しに応えずに言う。
「今はただの予感です。でも、本当に剣客として駄目になったら、隊を去るべきだと思います。そして、武士らしく切腹しようと思います」
総司は、山南の不吉な発言に言葉を失った。
※
それから数日後、山南は屯所に戻る。すると、何かと慌ただしい。どうやら、大きな事件が起きているようだった。
「おう、山南さん、久しぶりだのう」
大きな声で呼び止めたのは、原田左之助だった。彼は、山南が江戸の試衛館で修行していた頃からの付き合いで、お互いに道場の食客だった。
「山南さん、お元気になられたのですね」
続いて駆け寄って来たのは、常に元気な藤堂平助だった。小柄だが、俊敏な動きで敵を翻弄する北辰一刀流の使い手だった。
「ええ、ご心配をかけました。具合はだいぶ良いです」
「そりゃ良かった。おいは心配でお百度参りした位だぞ」
左之助が調子の良い事を言うが、平助が否定する。
「原田さんは普通に呑んだくれてましたよね」
「平助、要らん事を言うな。おいは心の中ではお百度どころか千度も参ったぞ」
山南は、左之助がムキになって言うので笑ってしまう。昔から陽気な人だった。
さて、彼らは、今でこそ京の新撰組として知られているが、元々は試衛館と言う江戸の道場に集まる仲間だった。それは、道場主の近藤勇を始めとして、土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助、原田左之助、永倉新八、斎藤一、藤堂平助の九人だった。なぜ、彼らが洛中の治安を守る役目に就いたかと言うと、全ては幕末の動乱が招いた事だった。
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「原田さん、随分と騒がしいですね。何かあったんですか?」
山南の疑問に、左之助は答えた。
「たぶん、古高俊太郎を捕まえたからじゃねぇか?」
古高俊太郎の名は、山南も知っていた。長州系の不逞浪士の取りまとめ役として名が上がるが、実態は把握していない。名前から男だと推測できる程度だった。
「へぇ、お手柄ですね。どんな経緯で捕まえたのですか?」
「なんでも、古高俊太郎と繋がりのある不審者を捕まえて、そこから辿ったらしい。不審者は、火事現場で避難する人々を通せんぼしていた男で、酔っていたのだろう。そいつが京には二百五十人の仲間が居て、大規模な事件を起こす事を白状した。古高俊太郎もその線から捕縛したのさ」
山南は、左之助の説明に頷いた。運が良かったという事だろう。新撰組の幸運を喜びつつも、自分の不運と比べてしまう。しかし、それも一瞬で、すぐに気持ちを切り替えた。
「新撰組が京に来て以来、最大の手柄ですね」
「そうだ、近藤さんと土方さんはその事で話し合っている。山南さんも行った方がいい」
山南は、左之助に促されて局長室へ移動する。
※
「近藤局長、山南です」
障子越に声を掛けた。すると、途端に返事が来た。
「おお、山南さん、良い所に来た。入って入って」
近藤が山南を招き入れた。抱きついて再会を喜ぶ。近藤勇は直情型で、喜怒哀楽がはっきりしていた。
山南と近藤の出会いは、他流試合が始まりだった。山南敬助は、小野派一刀流を極め、北辰一刀流も学ぶ正統派の剣士で、方や近藤勇は、道場主とはいえ、江戸より多摩郡の方に門下生が多い田舎剣士だった。格が違う二人だが、試合の結果は近藤が勝った。しかも、山南は足払いで倒され、面を打たれる。正統派の剣術からすれば完全に邪道で、理不尽な負けだろう。江戸の有名道場で修行した者なら、怒って当然な勝負だった。だが、山南は怒りを鎮めた。剣術とは、命の取り合いを目的にしている事を悟ったからだった。ここで、父の無念を思い出す。藩の剣術指南役だった山南の父は、名もなき暴漢に深手を負わされた。おそらく、正式な試合ならそうはならなかっただろう。そう考えると、自分に必要なのは実戦に強い喧嘩剣術だと思えた。山南は、その場で試衛館の食客になった。
さて、山南の回想はさておき、話は古高俊太郎の捕縛に移る。その後の不逞浪士の動きが問題だった。
「不逞浪士たちの動きは三つ考えられる。一つは、そのまま息を潜めて様子を見る。二つ目は、古高俊太郎を奪回する為に新撰組の屯所を襲う。三つ目は、古高を諦めて計画を進める。いずれにしろ、必ず行うのが今後の方針を決める会合だろう」
土方が予想を言う。確かに、理にかなった考えだった。
「で、どうする歳」
「もう会合場所を探索する時間はない。虱潰しに当たるしかないな。とはいえ、四条から三条の料亭や旅籠などだろう。三百人も居れば見廻れる。今は祇園祭の時期で人出が多い。それに紛れて集まるに違いない」
ここで、山南が口を挟む。
「現在、隊では何人が動けるのですか?」
「悪事が発覚したり他藩の間者だった隊士を処罰して、人数が減ってしまった。それと病気の者も居て、四十名ほどだろう」
当時の新撰組では、あまり平隊士の面倒を見る事がなかったので、不健康な者が多かった。平隊士は、屯所で共同生活をしていたので、隊で栄養面と衛生面を管理しなければ、健康は保てない。後に改善策が取られる事になる。
さて、大規模な見廻りをするには新撰組だけでは人数が足りない事がはっきりした。他に頼れるのは限られる。
「会津中将様に頼むしかないな」
近藤が口を開く。新撰組の後ろ楯になっている会津藩は、京都守護職として洛中の治安を任されていた。
「私も、それしかないと思います」
山南が同意し、土方も頷く。近藤はすぐに行動を起こした。守護職本陣へ書状を出す。その間、土方は新撰組を取り纏める。
山南は、屯所の留守を任される事になった。
※
その日の夜、新撰組は屯所を出発した。山南と数名が留守を預かる。蒸し暑い晩で、妙に嫌な予感がした。山南は、屯所を出て歩き始め、四条通りを進む。新撰組は、鴨川沿いに探索する予定だった。会津藩の応援は集まっているだろうか? 山南は、捕物が上手く行くか心配だった。
「山南さん、屯所で控えていましょう」
声を掛けて来たのは、諸士調役兼監察の山崎烝だった。大阪出身の隊士で、その割に無口な性格だった。お喋りを嫌う近藤勇からは好かれていて、土方からの信頼も厚い。
「そうですね、私たち留守番隊は屯所を守るのが任務ですから」
山南は納得する。だが、本心では実行部隊として活躍できないのが悔しかった。山南は、剣で新撰組に貢献したい気持ちが強い。腕さえ負傷してなければ、留守番ではなく戦闘部隊に居ただろう。
その時、女の悲鳴が聞こえた。山南と山崎が走る。
山南と山崎が駆けつけると、数人の武士が芸妓らしき女を取り囲んでいた。折しも、祇園祭の宵々山でお祭り気分の者が多く、武士は酔っているようだった。
「やめなさい。女は嫌がっているようです」
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