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明里
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一触即発の危機感が両者にあった。それが不埒な武士の酔いを覚ます事になる。酔っ払いは、興醒めしたように真顔になると、声を改めて返事をした。
「女の事で刃傷沙汰は割に合わぬ。ここは詫びるとしよう。失礼つかまつった」
山南は大事にならずに安堵した。新撰組が大仕事に尽力している時に、刀を抜く様な事件に発展しては申し訳ない。留守番すら満足にできないと思われるだろう。山南は、丁寧に返す。
「女の事、などと御婦人を軽んずる発言は如何な物かと思いますが、酒のせいで魔がさしたと理解します。ここはお互いに水に流しておきましょう」
それぞれが会釈して別れる事で決着する。
「お武家様、ありがとうございます。ウチは輪違屋の明里と申します。今日はご贔屓さんに呼ばれて舞を披露した帰りなんですが、助かりましたえ」
明里は京の女らしくゆったり喋った。面長で、知性を感じさせる顔をしている。白粉が夜目でも白い。
「舞を披露したとなると、お付きの人はどうしたんです?」
山南が疑問を口にすると、明里は間延びした口調で返す。
「へぇ、男衆も女衆も逃げてしまいましたんどす。ほんに助かりました」
山南は、呆れて苦笑する。
「頼りにならない人たちですね」
「ほんまどすなぁ」
山南は、明里の屈託のない様子に惹かれていた。何か運命の様な物を感じていた。
切腹
年が明けた二月、山南は大津の宿に居た。その間、怒涛の如く時代が流れていた。池田屋事変の後、その月の下旬には御所を巡って長州藩と一会桑に薩摩が加わった連合軍の間で戦が起こった。これが禁門の変になる。新撰組も会津藩と共に参戦し、奮闘した。池田屋の時と同様に、その中に山南の姿は無かった。
そして、江戸から高名な士、伊東甲子太郎が多数の弟子を引き連れて入隊した。新撰組の参謀に就いた伊東は、山南の代わりに近藤勇の相談役になる。山南は、自分が新撰組に居る意味を見失った。
「山南先生、怖い顔しとりますなぁ」
明里が隣に来た。良い芳香がして、山南の心を和ませる。山南は、輪違屋から彼女を身請けして自由にした。これが、誰かにできる最後の事かも知れない。
「外が寒いからでしょう」
山南は明里に笑顔を見せた。女を抱き寄せ、接吻した。
二人で大津に来て二晩が過ぎていた。新撰組から追っ手が来る気配はない。山南は、自分が忘れ去られた無用な人間に思えた。その腹いせか、明里と深く愛し合う。剣に生きた男が刀を振れなくなり、女に溺れる。このまま腐ってしまう事に恐怖した。
「山南先生、通りから見られますえ」
山南は、明里の言葉で我に返る。すると、旅籠を見上げる者と目が合った。沖田総司が馬に乗り、山南と明里を見ていた。
「沖田くん、久しぶり」
「『久しぶり』じゃないですよ。お邪魔していいですか?」
「おお、上がって来なよ」
山南は、気分が良くなっていた。全く忘れられていた訳ではないらしい。此処に来たと言う事は、以前に話していた事を覚えていたのだろう。山南は、土方と沖田に大津の宿場町へ行く話をしていた。その時の事を思い出し、涙が出そうだった。
※
「山南さん、どうして黙って出て行ったんですか?」
総司が頬を膨らませる。山南と差し向かいで座っていた。
「いや、脱走したんだが?」
山南は、総司が追っ手の様な雰囲気では無かったので、驚いて聞き返した。
「脱走したんですか?」
「黙って隊を抜けるのは脱走でしょう。局中法度違反になる」
山南の言葉に、総司は少し考え込む。
「近藤先生や土方さんは、除隊だと思っていますよ。正式な除隊手続きをして、揚屋で一席設けて送り出したい。とか言っていました。私が来たのもその為ですよ」
山南は、総司との会話が噛み合わないのを感じた。
「いや、私は沖田くんが追っ手だと思っていましたが?」
「まさか、脱走者を一人で追う筈は無いでしょう。返り討ちにあったらどうします。探索が必要な場合もあるし」
総司の言う事はもっともだった。例え相手が一人でも、普通は複数人で追いかける。
ところで、新撰組にも除隊制度があった。病気や怪我などで戦えなくなった隊士を何時迄も置けないから、当然な制度だった。もちろん、除隊するには幹部の許可がいる。
山南は、池田屋事変の後に除隊を申請していたが、近藤と土方に引き留められていた。おそらく、山南の脱走を知った近藤は、今頃になって除隊を認める事で隊律違反を免れようとしているのだろう。山南は、その心遣いは嬉しかったが、武士として潔い最期を望んでいた。親しい人に見守られながら本懐を遂げたかった。
※
その後、山南は総司と一緒に屯所へ戻り、隊を脱走した事を主張した。こうなっては、近藤勇でも庇えない。
元治二年二月二十三日、山南敬助は立派に切腹した。享年三十三歳
「女の事で刃傷沙汰は割に合わぬ。ここは詫びるとしよう。失礼つかまつった」
山南は大事にならずに安堵した。新撰組が大仕事に尽力している時に、刀を抜く様な事件に発展しては申し訳ない。留守番すら満足にできないと思われるだろう。山南は、丁寧に返す。
「女の事、などと御婦人を軽んずる発言は如何な物かと思いますが、酒のせいで魔がさしたと理解します。ここはお互いに水に流しておきましょう」
それぞれが会釈して別れる事で決着する。
「お武家様、ありがとうございます。ウチは輪違屋の明里と申します。今日はご贔屓さんに呼ばれて舞を披露した帰りなんですが、助かりましたえ」
明里は京の女らしくゆったり喋った。面長で、知性を感じさせる顔をしている。白粉が夜目でも白い。
「舞を披露したとなると、お付きの人はどうしたんです?」
山南が疑問を口にすると、明里は間延びした口調で返す。
「へぇ、男衆も女衆も逃げてしまいましたんどす。ほんに助かりました」
山南は、呆れて苦笑する。
「頼りにならない人たちですね」
「ほんまどすなぁ」
山南は、明里の屈託のない様子に惹かれていた。何か運命の様な物を感じていた。
切腹
年が明けた二月、山南は大津の宿に居た。その間、怒涛の如く時代が流れていた。池田屋事変の後、その月の下旬には御所を巡って長州藩と一会桑に薩摩が加わった連合軍の間で戦が起こった。これが禁門の変になる。新撰組も会津藩と共に参戦し、奮闘した。池田屋の時と同様に、その中に山南の姿は無かった。
そして、江戸から高名な士、伊東甲子太郎が多数の弟子を引き連れて入隊した。新撰組の参謀に就いた伊東は、山南の代わりに近藤勇の相談役になる。山南は、自分が新撰組に居る意味を見失った。
「山南先生、怖い顔しとりますなぁ」
明里が隣に来た。良い芳香がして、山南の心を和ませる。山南は、輪違屋から彼女を身請けして自由にした。これが、誰かにできる最後の事かも知れない。
「外が寒いからでしょう」
山南は明里に笑顔を見せた。女を抱き寄せ、接吻した。
二人で大津に来て二晩が過ぎていた。新撰組から追っ手が来る気配はない。山南は、自分が忘れ去られた無用な人間に思えた。その腹いせか、明里と深く愛し合う。剣に生きた男が刀を振れなくなり、女に溺れる。このまま腐ってしまう事に恐怖した。
「山南先生、通りから見られますえ」
山南は、明里の言葉で我に返る。すると、旅籠を見上げる者と目が合った。沖田総司が馬に乗り、山南と明里を見ていた。
「沖田くん、久しぶり」
「『久しぶり』じゃないですよ。お邪魔していいですか?」
「おお、上がって来なよ」
山南は、気分が良くなっていた。全く忘れられていた訳ではないらしい。此処に来たと言う事は、以前に話していた事を覚えていたのだろう。山南は、土方と沖田に大津の宿場町へ行く話をしていた。その時の事を思い出し、涙が出そうだった。
※
「山南さん、どうして黙って出て行ったんですか?」
総司が頬を膨らませる。山南と差し向かいで座っていた。
「いや、脱走したんだが?」
山南は、総司が追っ手の様な雰囲気では無かったので、驚いて聞き返した。
「脱走したんですか?」
「黙って隊を抜けるのは脱走でしょう。局中法度違反になる」
山南の言葉に、総司は少し考え込む。
「近藤先生や土方さんは、除隊だと思っていますよ。正式な除隊手続きをして、揚屋で一席設けて送り出したい。とか言っていました。私が来たのもその為ですよ」
山南は、総司との会話が噛み合わないのを感じた。
「いや、私は沖田くんが追っ手だと思っていましたが?」
「まさか、脱走者を一人で追う筈は無いでしょう。返り討ちにあったらどうします。探索が必要な場合もあるし」
総司の言う事はもっともだった。例え相手が一人でも、普通は複数人で追いかける。
ところで、新撰組にも除隊制度があった。病気や怪我などで戦えなくなった隊士を何時迄も置けないから、当然な制度だった。もちろん、除隊するには幹部の許可がいる。
山南は、池田屋事変の後に除隊を申請していたが、近藤と土方に引き留められていた。おそらく、山南の脱走を知った近藤は、今頃になって除隊を認める事で隊律違反を免れようとしているのだろう。山南は、その心遣いは嬉しかったが、武士として潔い最期を望んでいた。親しい人に見守られながら本懐を遂げたかった。
※
その後、山南は総司と一緒に屯所へ戻り、隊を脱走した事を主張した。こうなっては、近藤勇でも庇えない。
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