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北新地乱闘騒動
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文久三年、六月三日、野口健司は、壬生浪士と共に淀川を下っていた。当時、結成間もない壬生浪士組は、会津中将様お預かりになったばかりで、浅葱色に山形模様のだんだら羽織を新着していた。揃いの羽織を新調したのは、新撰組筆頭局長、芹沢鴨で、彼が大阪の豪商、鴻池から調達した金で、大文字屋呉服店で作らせた物だった。この羽織、なぜ浅葱色かと言うと、会津藩の下部組織を表す色だったからで、意匠は歌舞伎の忠臣蔵から来ている。芹沢が好きな演目だった。
ただ、この衣装は半分以上の隊士からは不評だった。半分以上とは、近藤勇を始めとする試衛館の面々だった。原田左之助や沖田総司などは、「街の巡視で歌舞伎の格好は無いでしょう。芝居の宣伝じゃないんだから」などと不満を漏らす。
当時、壬生浪士組は、二派で割れていた。一つは、芹沢鴨を中心にした水戸派で、新見錦、平山五郎、平間重助、野口健司、佐伯又三郎が居る。近藤勇が率いる試衛館派は、土方歳三、山南敬助、沖田総司、井上源三郎、永倉新八、斎藤一、原田左之助、藤堂平助が居る。彼等は、江戸で募集された将軍警護の役に応募した面々だった。
将軍上洛は、徳川家光以来、ニニ九年ぶりの事で、京での警護に人員が必要だった。そこで幕府は、草莽の士を募って組織化し、武装集団の管理をする事を考えた。もっとも、提案は清河八郎と言う郷士からの物で、幕府は案を採用した形だった。
さて、浪士組と言う隊名を与えられた一行は、京で不測の事態を迎えた。発起人の清河八郎が、将軍警護の役目を変節し、勤王攘夷の先駆けになると言い出した。慌てた幕府は、浪士組に江戸へ戻る様に命令する。ところが、京に残留した者が居た。それが、芹沢と近藤の一派だった。残留組は、芹沢の伝手で会津藩に嘆願書を提出し、京都守護職を務める、会津藩お預かりの組織として活動する。
さて、大阪での隊務を終え、一行は川で夕涼みと洒落込んだ。淀川を舟で下るのは、芹沢鴨、山南敬助、沖田総司、永倉新八、斎藤一、平山五郎、野口健司、島田魁の八人だった。近藤派の連中も、筆頭局長の前なので、浅葱色の羽織を着用している。
芹沢は、酒癖が悪いと言う欠点が有ったが、今夜はそれほど酔っていなかった。これから北新地に繰り出すので、まだほろ酔いで済んでいた。
野口は、芹沢と同じ水戸出身な上、剣も同じ神道無念流だった。更に、江戸から共に浪士組として旅した仲で、京の壬生浪士組でも行動を共にしている。因みに、芹沢派は壬生浪士組を精忠浪士組と呼んでいたが、ここでは壬生浪士組と記しておく。
野口は、芹沢を尊敬していたが、隊内の微妙な空気も察していた。一応、芹沢派は芹沢鴨、新見錦と言う二人の局長を置いていて、近藤派は近藤勇だけが局長なのだが、新たな隊士は近藤派が斡旋していて、組織の均衡は近藤派に傾いていた。雑務から組織運営まで、全てを近藤派が牛耳っている。特に副長の土方歳三は、会計や隊の割り振り全てを管理して、烏合の衆である壬生浪士組の中に規律を作ろうとしていた。この二派は衝突するかも知れない。野口は、不安を感じていた。いや、野口のみならず、芹沢自身も感じているのかも知れない。この所、酒の量が増えていた。
野口が川面を眺めながら物思いに耽っていると、舟内で事件が起きた。斎藤一が腹痛を訴えたのだ。鍋島河岸で舟を降り、茶店で休息する。芹沢は酒を頼み、団子を肴に呑み始める。これには一同が面白がり、芹沢は更に気を良くした。彼には、こんな気さくな面もあるが、巨漢で鉄扇を振り回す乱暴な面もある。
さて、茶店に斎藤を残し、一行は移動する。暫く行くと、しじみ橋に差し掛かった。向こうから、芹沢に劣らぬ巨漢が歩いて来た。髪を大銀杏に結って浴衣を引っ掛けている。どう見ても相撲取りだった。大阪相撲の力士だろう。上機嫌で橋の真ん中を歩いて居る。
芹沢も、当然の様に橋の真ん中を歩く。どちらかが避けなければ、衝突してしまう。野口のみならず、誰もが芹沢が避けるとは思わなかった。力士は、武士を恐れる気が無いのか? それとも判断力が鈍るほど酔っているのか? やはり避ける様子がない。
「おい、どけ、道を空けろ」
芹沢が力士に命令する。
「『どけ』とはなんだ。お前に命令などされんぞ」
力士は上機嫌で応える。
「『お前』とは、こいつに言っているのかい?」
芹沢は、力士の目の前に「尽忠報国の士 芹沢鴨」の文字が入った八寸の鉄扇を差し出した。
「おう、親切だのう。暑いから扇いでくれるかい」
力士は、赤い顔を綻ばせて言う。芹沢は、顔に暗い影が差した。
「そうさ、俺は親切なんだ。吹っ飛ぶくらい扇いでやるぞ」
芹沢は、力士に鉄扇を振り下ろしてぶっ倒した。芹沢の腕力の前に、力士は気絶した。
「修行が足りねぇなぁ、もっと四股でも踏め! 四股四股してろ」
芹沢は、反応を求めて野口を見る。
野口は、察して愛想を振り撒いた。芹沢とは道場でも師弟関係だったので、ここら辺は心得ている。
「ちと乱暴だったか?」
「いえ、当然の報いですよ」
芹沢は、仲間の反応に気を良くした。
ところが、騒動はそれで収まらなかった。倒れた力士には仲間が居て、芹沢に突っかかる。
「おい、兄弟子に何さらしとんじゃ!」
力士は、草履を脱いで駆け寄った。
芹沢は、力士の突進を躱して足を引っ掛け、転ばせた。力士を踏みつけ、言い聞かせる。
「武士に無礼を働くと許さんぞ。いいかよく聞け。相撲は、武士が戦場での組み打ちを修行する為に生まれたお遊戯だ。侍に感謝して精進しろ! まだ文句があるなら、俺は住吉楼で呑んでいる」
芹沢は、地面に伏した力士にそう言い捨てると、高笑いしながら立ち去る。
芹沢たちは、住吉楼に上がり、宴会を開いた。女を呼び、派手に騒ぐ。芸妓が賑やかに三味線を弾く。芹沢は、酌婦を引き寄せ、ご満悦だった。平山は立ち上がり、腹を見せて踊り出す。足元で御膳が倒れ、料理が散らばった。芹沢派の平山五郎は、隻眼の剣客だった。神道無念流免許皆伝の腕前で、左目に黒い眼帯をしていた。
「平山、お前の腹踊りではつまらぬ」
芹沢の言葉に、平山が言う。
「では、女にさせましょうか?」
すると、芹沢の酌婦が不満を漏らす。
「そんなん恥ずかしくて嫌やわぁ」
芹沢は、女の吐息の様な声を喜んだ。
「そうだな、お前の裸は宴会の後にしよう」
芹沢は、意味深な言葉を女に言ってから、平山に指示する。
「平山、どうせなら腹踊りは広い所でやれ。隣の山南くんが迷惑そうじゃないか」
ここまでの流れが、芹沢宴会のお約束だった。
一方、野口は、喧騒を他所に考え事をしていた。近藤派は芹沢派を邪魔だと思っているだろう。芹沢は人は良いのだが、自由奔放で縛られるのを嫌う。近藤や土方と意見が決裂する事がよく有った。しかも、最初は学のない田舎者だと侮っていた近藤たちが、近頃は実力を付け、組織運営にも長けて来た。芹沢派は、厄介者として追い出されてしまうかも知れない。いや、追い出されるだけで済むなら良い方かも知れない。
野口は、近藤一派とは付き合いが浅いので、疑心暗鬼になっていた。ただ、芹沢から、立場が逆転する秘策があるとも聞いていた。それは、大物隊士を引き入れる事で、その大物とは、斎藤塾の閻魔鬼神と言われた仏生寺弥助らしい。弥助は、江戸の三大道場の一つ、神道無念流の練兵館で最強と言われた男だった。通常は七、八年かかる免許皆伝を、二年で収めている。剣の腕前が重視される壬生浪士組に於いて、最強の剣士は尊敬の的だろう。その弥助が京に来ていて、芹沢と意気投合したとの事だった。
しかし、弥助が所属する練兵館は、長州藩と親しく、塾頭には桂小五郎がなった事もあった。尊皇の志しが強い塾生が多い。弥助が住む場所も、長州藩邸が在る木屋町だった。
野口には、この話が上手く行くとは思えなかった。
「諸君、余興の相手が来たようだぞ」
芹沢が、低い声で警告した。
皆が外の物音に注目する。三味線も止めさせた。
往来で喧騒が広がっている。障子を開け、二階から見下ろすと、力士の集団が道を埋め尽くしていた。
「浪人ども、挨拶に来たぞ! お遊戯の相手をしてくれ!」
力士たちが豪快に笑う。多人数で気が大きくなっていた。
「調子に乗った馬鹿どもだな。ふん、二、三人斬って名を上げるか」
芹沢は、羽織を脱ぐと、両刀を差して準備する。
野口は、これは大事になると思っていた。力士の数は二十人を超えているし、手には角棒を持っている。おそらく、攘夷実行に備えて用意した武器だろう。各町屋でも、外国人打ち払い令を実行する気概がある時代だった。
芹沢は、いち早く階下へ飛び降りる。他の隊士も続いた。力士たちは、突然の事に驚き騒ぐが、芹沢は容赦しなかった。問答無用で斬りつける。鮮血が舞い、力士の体を線が一筋走る。気がつくと、芹沢の大刀は血を吸っていた。脂肪が捲れ、肉も骨も断つ斬撃だった。芹沢は、天狗党と言う水戸の過激派に所属していたので、修羅場に慣れている。すぐに二人目に掛かり、力士の腹を突き通す。
これには、力士たちも青ざめる。完全に度肝を抜かれた。何人かが角棒を振り回すが、既に及び腰だった。負傷した仲間を庇い、撤退しようとしている。何人かの力士と隊士が乱闘になり、双方に負傷者が出た。
壬生浪士組は、大阪相撲、小野川部屋所属の力士を撃退した。
「諸君、勝利の祝いと行こう」
芹沢の掛け声で、呑み直す事になる。
座敷に戻ると、先に誰かが居た。腹痛で残して来た斎藤一だった。御膳の上の料理を食べている。これには、一同が呆れた。
「皆さん、ご苦労様です。腹拵えしてから駆けつけようと思ったのですが、もう終わったようですね」
斎藤は、悪びれずに言う。
芹沢は、斎藤の態度が気に入った。
「斎藤くんの快気祝いと、我々の勝利祝いだな」
住吉楼での宴が続いた。
後日談として、芹沢鴨と仏生寺弥助の暗殺がある。奇しくも、どちらも酒を飲まされ、仲間に葬られた。すなわち、芹沢鴨は、壬生浪士組の近藤派に斬られ、仏生寺弥助は、練兵館の尊王攘夷派に斬られた。そしてどちらも、裏切りを警戒されたとする説がある。
終
ただ、この衣装は半分以上の隊士からは不評だった。半分以上とは、近藤勇を始めとする試衛館の面々だった。原田左之助や沖田総司などは、「街の巡視で歌舞伎の格好は無いでしょう。芝居の宣伝じゃないんだから」などと不満を漏らす。
当時、壬生浪士組は、二派で割れていた。一つは、芹沢鴨を中心にした水戸派で、新見錦、平山五郎、平間重助、野口健司、佐伯又三郎が居る。近藤勇が率いる試衛館派は、土方歳三、山南敬助、沖田総司、井上源三郎、永倉新八、斎藤一、原田左之助、藤堂平助が居る。彼等は、江戸で募集された将軍警護の役に応募した面々だった。
将軍上洛は、徳川家光以来、ニニ九年ぶりの事で、京での警護に人員が必要だった。そこで幕府は、草莽の士を募って組織化し、武装集団の管理をする事を考えた。もっとも、提案は清河八郎と言う郷士からの物で、幕府は案を採用した形だった。
さて、浪士組と言う隊名を与えられた一行は、京で不測の事態を迎えた。発起人の清河八郎が、将軍警護の役目を変節し、勤王攘夷の先駆けになると言い出した。慌てた幕府は、浪士組に江戸へ戻る様に命令する。ところが、京に残留した者が居た。それが、芹沢と近藤の一派だった。残留組は、芹沢の伝手で会津藩に嘆願書を提出し、京都守護職を務める、会津藩お預かりの組織として活動する。
さて、大阪での隊務を終え、一行は川で夕涼みと洒落込んだ。淀川を舟で下るのは、芹沢鴨、山南敬助、沖田総司、永倉新八、斎藤一、平山五郎、野口健司、島田魁の八人だった。近藤派の連中も、筆頭局長の前なので、浅葱色の羽織を着用している。
芹沢は、酒癖が悪いと言う欠点が有ったが、今夜はそれほど酔っていなかった。これから北新地に繰り出すので、まだほろ酔いで済んでいた。
野口は、芹沢と同じ水戸出身な上、剣も同じ神道無念流だった。更に、江戸から共に浪士組として旅した仲で、京の壬生浪士組でも行動を共にしている。因みに、芹沢派は壬生浪士組を精忠浪士組と呼んでいたが、ここでは壬生浪士組と記しておく。
野口は、芹沢を尊敬していたが、隊内の微妙な空気も察していた。一応、芹沢派は芹沢鴨、新見錦と言う二人の局長を置いていて、近藤派は近藤勇だけが局長なのだが、新たな隊士は近藤派が斡旋していて、組織の均衡は近藤派に傾いていた。雑務から組織運営まで、全てを近藤派が牛耳っている。特に副長の土方歳三は、会計や隊の割り振り全てを管理して、烏合の衆である壬生浪士組の中に規律を作ろうとしていた。この二派は衝突するかも知れない。野口は、不安を感じていた。いや、野口のみならず、芹沢自身も感じているのかも知れない。この所、酒の量が増えていた。
野口が川面を眺めながら物思いに耽っていると、舟内で事件が起きた。斎藤一が腹痛を訴えたのだ。鍋島河岸で舟を降り、茶店で休息する。芹沢は酒を頼み、団子を肴に呑み始める。これには一同が面白がり、芹沢は更に気を良くした。彼には、こんな気さくな面もあるが、巨漢で鉄扇を振り回す乱暴な面もある。
さて、茶店に斎藤を残し、一行は移動する。暫く行くと、しじみ橋に差し掛かった。向こうから、芹沢に劣らぬ巨漢が歩いて来た。髪を大銀杏に結って浴衣を引っ掛けている。どう見ても相撲取りだった。大阪相撲の力士だろう。上機嫌で橋の真ん中を歩いて居る。
芹沢も、当然の様に橋の真ん中を歩く。どちらかが避けなければ、衝突してしまう。野口のみならず、誰もが芹沢が避けるとは思わなかった。力士は、武士を恐れる気が無いのか? それとも判断力が鈍るほど酔っているのか? やはり避ける様子がない。
「おい、どけ、道を空けろ」
芹沢が力士に命令する。
「『どけ』とはなんだ。お前に命令などされんぞ」
力士は上機嫌で応える。
「『お前』とは、こいつに言っているのかい?」
芹沢は、力士の目の前に「尽忠報国の士 芹沢鴨」の文字が入った八寸の鉄扇を差し出した。
「おう、親切だのう。暑いから扇いでくれるかい」
力士は、赤い顔を綻ばせて言う。芹沢は、顔に暗い影が差した。
「そうさ、俺は親切なんだ。吹っ飛ぶくらい扇いでやるぞ」
芹沢は、力士に鉄扇を振り下ろしてぶっ倒した。芹沢の腕力の前に、力士は気絶した。
「修行が足りねぇなぁ、もっと四股でも踏め! 四股四股してろ」
芹沢は、反応を求めて野口を見る。
野口は、察して愛想を振り撒いた。芹沢とは道場でも師弟関係だったので、ここら辺は心得ている。
「ちと乱暴だったか?」
「いえ、当然の報いですよ」
芹沢は、仲間の反応に気を良くした。
ところが、騒動はそれで収まらなかった。倒れた力士には仲間が居て、芹沢に突っかかる。
「おい、兄弟子に何さらしとんじゃ!」
力士は、草履を脱いで駆け寄った。
芹沢は、力士の突進を躱して足を引っ掛け、転ばせた。力士を踏みつけ、言い聞かせる。
「武士に無礼を働くと許さんぞ。いいかよく聞け。相撲は、武士が戦場での組み打ちを修行する為に生まれたお遊戯だ。侍に感謝して精進しろ! まだ文句があるなら、俺は住吉楼で呑んでいる」
芹沢は、地面に伏した力士にそう言い捨てると、高笑いしながら立ち去る。
芹沢たちは、住吉楼に上がり、宴会を開いた。女を呼び、派手に騒ぐ。芸妓が賑やかに三味線を弾く。芹沢は、酌婦を引き寄せ、ご満悦だった。平山は立ち上がり、腹を見せて踊り出す。足元で御膳が倒れ、料理が散らばった。芹沢派の平山五郎は、隻眼の剣客だった。神道無念流免許皆伝の腕前で、左目に黒い眼帯をしていた。
「平山、お前の腹踊りではつまらぬ」
芹沢の言葉に、平山が言う。
「では、女にさせましょうか?」
すると、芹沢の酌婦が不満を漏らす。
「そんなん恥ずかしくて嫌やわぁ」
芹沢は、女の吐息の様な声を喜んだ。
「そうだな、お前の裸は宴会の後にしよう」
芹沢は、意味深な言葉を女に言ってから、平山に指示する。
「平山、どうせなら腹踊りは広い所でやれ。隣の山南くんが迷惑そうじゃないか」
ここまでの流れが、芹沢宴会のお約束だった。
一方、野口は、喧騒を他所に考え事をしていた。近藤派は芹沢派を邪魔だと思っているだろう。芹沢は人は良いのだが、自由奔放で縛られるのを嫌う。近藤や土方と意見が決裂する事がよく有った。しかも、最初は学のない田舎者だと侮っていた近藤たちが、近頃は実力を付け、組織運営にも長けて来た。芹沢派は、厄介者として追い出されてしまうかも知れない。いや、追い出されるだけで済むなら良い方かも知れない。
野口は、近藤一派とは付き合いが浅いので、疑心暗鬼になっていた。ただ、芹沢から、立場が逆転する秘策があるとも聞いていた。それは、大物隊士を引き入れる事で、その大物とは、斎藤塾の閻魔鬼神と言われた仏生寺弥助らしい。弥助は、江戸の三大道場の一つ、神道無念流の練兵館で最強と言われた男だった。通常は七、八年かかる免許皆伝を、二年で収めている。剣の腕前が重視される壬生浪士組に於いて、最強の剣士は尊敬の的だろう。その弥助が京に来ていて、芹沢と意気投合したとの事だった。
しかし、弥助が所属する練兵館は、長州藩と親しく、塾頭には桂小五郎がなった事もあった。尊皇の志しが強い塾生が多い。弥助が住む場所も、長州藩邸が在る木屋町だった。
野口には、この話が上手く行くとは思えなかった。
「諸君、余興の相手が来たようだぞ」
芹沢が、低い声で警告した。
皆が外の物音に注目する。三味線も止めさせた。
往来で喧騒が広がっている。障子を開け、二階から見下ろすと、力士の集団が道を埋め尽くしていた。
「浪人ども、挨拶に来たぞ! お遊戯の相手をしてくれ!」
力士たちが豪快に笑う。多人数で気が大きくなっていた。
「調子に乗った馬鹿どもだな。ふん、二、三人斬って名を上げるか」
芹沢は、羽織を脱ぐと、両刀を差して準備する。
野口は、これは大事になると思っていた。力士の数は二十人を超えているし、手には角棒を持っている。おそらく、攘夷実行に備えて用意した武器だろう。各町屋でも、外国人打ち払い令を実行する気概がある時代だった。
芹沢は、いち早く階下へ飛び降りる。他の隊士も続いた。力士たちは、突然の事に驚き騒ぐが、芹沢は容赦しなかった。問答無用で斬りつける。鮮血が舞い、力士の体を線が一筋走る。気がつくと、芹沢の大刀は血を吸っていた。脂肪が捲れ、肉も骨も断つ斬撃だった。芹沢は、天狗党と言う水戸の過激派に所属していたので、修羅場に慣れている。すぐに二人目に掛かり、力士の腹を突き通す。
これには、力士たちも青ざめる。完全に度肝を抜かれた。何人かが角棒を振り回すが、既に及び腰だった。負傷した仲間を庇い、撤退しようとしている。何人かの力士と隊士が乱闘になり、双方に負傷者が出た。
壬生浪士組は、大阪相撲、小野川部屋所属の力士を撃退した。
「諸君、勝利の祝いと行こう」
芹沢の掛け声で、呑み直す事になる。
座敷に戻ると、先に誰かが居た。腹痛で残して来た斎藤一だった。御膳の上の料理を食べている。これには、一同が呆れた。
「皆さん、ご苦労様です。腹拵えしてから駆けつけようと思ったのですが、もう終わったようですね」
斎藤は、悪びれずに言う。
芹沢は、斎藤の態度が気に入った。
「斎藤くんの快気祝いと、我々の勝利祝いだな」
住吉楼での宴が続いた。
後日談として、芹沢鴨と仏生寺弥助の暗殺がある。奇しくも、どちらも酒を飲まされ、仲間に葬られた。すなわち、芹沢鴨は、壬生浪士組の近藤派に斬られ、仏生寺弥助は、練兵館の尊王攘夷派に斬られた。そしてどちらも、裏切りを警戒されたとする説がある。
終
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