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飛竜と海竜は啀み合う

第一話 険悪な二人 前

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 靴底に白い石畳の硬質な張りを感じながら、リアンは定例会議の議場となるアマーリア宮殿に向かっていた。快晴。雲は多いが吹き抜ける風はほどよく涼やかで心地いい。
 久しぶりに地上に下りたが、王宮の真っ白な石畳は見ていると安心する。やはり自分は土の色よりも雲の色の方が好きだ。

「グラディウス少将!!」

 背後から大声で呼びかけられた。
 振り返ると、空軍の軍服を着た青年がかなり遠くから走ってくる。眼を眇めて彼の階級章を確認すると、どうやら中尉であるらしい。あまり顔に見覚えがないと思ったら、そこまでの階級ではない。よく後ろ姿で自分だとわかったなと一瞬思うが、この目立つ銀色の長い髪を見れば遠目からでもリアンだとわかるだろう。
 普通なら少将である自分に話しかけることなどまずない相手だが、にも拘わらず呼び止めてくるということは、間違いなく何か問題が発生した。

 嫌な予感を覚えながら立ち止まり中尉を待つと、彼は息を切らせながら駆け寄ってきてリアンの前で敬礼した。

「何事だ」
「申し訳ありません。今、中庭で大変なことが」

 自分を呼び止めたということで、すでに予想はついているが、黙って中尉の言葉を待つ。

「海軍のオーベル少将が、乱闘を」

 その名前を聞いた瞬間、心からの嫌悪で眉間に皺が寄った。
 目の前の中尉がひっと青ざめる。普段から冷ややかなリアンの顔つきが更に鋭くなり、黄色の瞳の瞳孔が縦に開いたのを目の当たりにしたのだろう。

 またあの男か。毎度毎度、懲りもせず。

「奴の相手は誰だ。空軍の者か」
「いえ、陸軍の中尉達で」

 それを聞いて少し意外に思った。今回の相手は陸軍か。珍しいが、面倒なことが起きているという事実に変わりはない。しかも中尉程度では奴の相手にならないだろう。体よくサンドバックにされているのが容易に想像できる。

「陸軍は何をしている。ヒースレイは」
「皆様すでにアマーリア宮殿に入られているようで、少将を止められるほどの竜印りゅういんをお持ちの方がおりません」
「なるほど」

 乱闘相手が陸軍の者であれば自分に直接関係はないが、王宮の中庭を破壊されれば陛下と文官達が迷惑を被る。それに竜印を持つ者が皆奴と同じ理性を持たない野蛮な人間だと一介の兵士達に陰で揶揄されるのは、我慢ならない。
 リアンは苛立ちと共に短く息を吐くと、自分を呼びに来た中尉にもういいと手を振った。

「会議の時間に遅れて来られるのも迷惑だ。私が行く。君はアマーリア宮の者に事情を説明しておきなさい」
「はい」

 怯えながらもほっとした顔で頭を下げた中尉を一瞥してから、リアンは軽く地面を蹴って飛び上がった。眼には見えない翼を広げてバサリと空気を掻く。風を受けて真っ白な外套と一つにまとめた長い髪が舞い上がってはためいた。一度羽ばたいただけで空高く飛び上がると、中庭の方へ矢のような速さで滑空した。

 美しい緑の芝生が広がる中庭は、大混乱に陥っていた。
 恐らくサンドバックにされたのであろう陸軍の軍服を着た若者達がそこかしこに倒れており、騒ぎの真ん中には陸軍と海軍の軍服が入り交じり一人の男を止めようとしているのが見て取れる。数で押しとどめようとしているが、全く歯が立っていない。

 次々に投げ飛ばされていく兵士達を見下ろして舌打ちした。行儀良く全員素手で向かっているが、陸軍であれば剣と銃器は携帯しているだろう。銃程度ではどうせ撃っても死なないのだから、全員で取り囲んで蜂の巣にしてやればいいものを。

 大声を出して場所を開けさせるのも面倒なので、リアンは見えない翼を羽ばたかせ、上空から突風を起こして邪魔な者達を吹き飛ばした。集まっているのは武官ばかりだから多少手荒くとも問題はない。突然の暴風に横殴りにされた軍人達が悲鳴を上げて芝生の上を転がっていく。芝生の緑が広く見渡せるようになったところで、リアンは腕を組んで音もなく降下し、騒ぎの中心にいた男の頭上に停止した。

「ヴァルハルト・オーベル。貴様何をしている」

 苛立ちを隠さずに低い声で吐き捨てると、唯一強風に負けずその場で泰然と仁王立ちしていた男がリアンを見上げて口端を上げた。

 ヴァルハルト・オーベル。飛竜の血を引くグラディウス家のリアンと違い、この男は海竜の血を引くオーベル家の野蛮な竜だ。竜といってもリアンと同じで見た目は人間であり、角もなければ尾も翼もない。竜印という竜の力を持って生まれた者をこの国では竜と呼ぶ。

 海の底のような黒に近い短い蒼髪に、明るい月長石のような青い眼。海竜は皆同じ色の髪と瞳の色をしているが、この男の場合はどちらの色も濃く鮮やかな印象を受ける。海軍の男にふさわしい体躯で大柄で肩幅が広い。顔立ちは野性的で、兵卒からは神話に出てくる英雄のように精悍で男前、と羨望の眼差しを向けられているらしいが、リアンにはその感性が全くわからない。どこが? と思う。この見るからに野蛮な雰囲気の荒っぽい眼をした男に憧れる気持ちは微塵もわからない。ヴァルハルトは身長も体格もリアンより勝っているため、見下ろされるのはしゃくに障る。リアンは男を見下ろす位置で空中に止まった。

 リアンを見上げる眼が獲物を捉えたように細まる。肉感的な唇が弧を描いた。

「空軍少将のお出ましか。何の用だ? 今回はあんたのところは関係ねぇんだが」

 少し掠れたような低い声が揶揄うような響きをもって投げかけられる。
 王宮の中庭で乱闘していることを全く悪びれない態度にますます眉間に皺が寄った。
 同じ少将という階級だからか、この男は昔からリアンに遠慮がない。歳ももうすぐ三十になるリアンとそう変わらないはずだ。ヴァルハルトの方が一歳か二歳年下だったと思う。年齢も階級も近いため何かと比べられることも多く、この男の粗暴な振るまいはいつもリアンの鼻についた。

「王宮内で決闘まがいのことをするなと何度言ったらわかる。定例会議の度に騒ぎを起こすな」

 冷たくそう告げると、ヴァルハルトはリアンの冷めた顔を見ても顔色を変えずに肩をすくめた。

「騒いでるつもりはねぇよ。陸のガキどもが生意気でムカついたからちょっと黙らせただけだ」

 やはり悪びれない。この男は気に入らないことがあるとすぐに暴れて乱闘騒ぎを起こす。月に一回の軍部の定例会議のたびに問題を起こすのだから、そろそろクビにしろと思う。普段なら空にいるリアンとは会うことがないにも関わらず、その偶に地上に来るタイミングで毎回士官から助けを求められる身としては我慢にも限度というものがある。
 竜印を持つおかげで一般の軍人よりも身体能力も力も強いことをいいことに、好き勝手振る舞うこの男のことがリアンは心の底から気に入らない。軍部の規律を守ろうとしない奴の横柄な態度に嫌悪しているといってもいい。

「暴れたいなら蛸壺に戻ってからにしろ。お前は陸に来る度に竜の力を周囲に誇示しなければ気が済まないのか。乱闘するほど欲求不満ならわざわざ王宮に来るな。王都の娼館にでも行け」

 リアンの吐き捨てた言葉を聞いて、男は器用に片眉を上げた。

「あんたみたいなお堅い竜から娼館なんて俗な単語が出てくるなんて意外だな。なんだ、飛竜にも一応性欲はあるのか」
「口を慎め。ここは王宮だ。お前には以前から竜としての品位が足りない。貴様のような野蛮な海竜が海軍少将とは、オーベル家の神経を疑う」
「あんたの見解なんて知らねぇよ。お上品な海兵なんているわけねぇだろ。うちはみんな俺と似たり寄ったりだ。あんたのところもそうだろう。生意気言う奴がいたら叩き潰したくなるのが竜だ」
「一緒にするな。飛竜が海竜と同じだと思われるのは我慢ならない」

 話せば話すほど気に入らない。
 すでに眉間には皺どころか青筋が立っていることを自覚しながら舌打ちした。
 リアンを見上げてヴァルハルトは青い眼を強く光らせる。

「俺もあんたらお堅い竜の仲間だと思われるのは御免だな。あんたもいちいち突っかかってくんなよ、グラディウス。関係ねぇ奴が首突っ込んでくんな。相変わらずくそ真面目な野郎、王様の犬が。いや、犬じゃなくて蝙蝠か。泳げねぇもんな」

 鼻で笑われるように揶揄されて、リアンの眼光も鋭くなった。
 頭の中でふつふつと苛立ちが湧いてくる。常に冷静であろうとする自分をここまで苛立たせるのは、多分この男だけだ。沸点は高い方なのに、ヴァルハルトと話しているといけすかなすぎて感情の方が先に立つ。

「これ以上軍部の規律を乱すなら、軍をやめて海賊にでもなれ。その方が私も貴様の顔を見なくてすむ。お前が騒ぎを起こす前に確実に船ごと海に沈めてやる」

 そう言うとヴァルハルトははっと短く息を吐いて挑発するように笑った。

「できんのか、飛ぶしか能のないもやしの竜に。その翼へし折って渦潮に落としてやるよ。飛竜のお嬢様」

 ブツリと堪忍袋の緒が切れた。リアンは男としては平均的な体躯をしている。お嬢様と冷やかされるのは今飛竜には雌がいないからだが、一族への侮りを黙って聞き流すほど自分は寛容ではない。

「そこまで死にたいなら、殺してやろう」

 瞳孔が縦に開くのがわかる。
 リアンの顔を見てヴァルハルトは口角を上げた。
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