318 / 354
第四部
二十八話 理想と愛を失くした氷の国に 中③
そんなに時間差もなく辿り着いて二人で扉を抜けると、急に冷たい風に横殴りにされて肩をすくめた。
眩しいほどの夕陽が目に入り、頬を刺すような冷気にハッと意識を打たれる。
周りを見回すと、扉から出た先は幅の狭いテラスのようになっていた。彫刻やステンドグラスを外から手入れするための足場なのかもしれない。屋根のないシンプルなテラスが壁の外周に沿って細く続いている。
「待て!」
神官は先に先に走っていくので、女性は迷いなく追いかけていく。
俺も慌てて後を追った。
やがてテラスの端に着き、神官は立ち止まった。そこには扉もないのでこれ以上先に逃げることはできない。女性が前に出る。
「止まれ。今ならまだ元に戻れるかもしれない。私と一緒に枢機卿のところに行こう」
「あなたがこの城にいるのは相応しくない。今すぐあの方のために身を捧げるべきだ」
「……あの方というのが誰なのか、教えてくれないか」
冷静な問いかけに、神官はギラついた目で俺達を睨みながら口を閉ざす。
「私はこの国の民のために身を捧げている。簡単には頷けない」
「王女殿下は何もわかっていない。ナミア教皇国をこの地で唯一の祝福された国にするには、皆が彼の方の教えに従うべきだ」
「あなたが何を言われたか知らないが、あなたも私も自分の命を他人に捧げる必要はない」
きっぱりと言った女性を見て、神官は顔に激情を浮かべた。
殴りかかってくる相手を前に結界を張った女性は、小さく息をついて俺をチラリと見た。
「いつも説得が上手くいかない。このまま無理やり拘束したら自害しようとするだろうし、どうしたらいいものか……」
神官が血走った目で結界を叩いている。
その内側で冷静な表情を崩さない女性を前に、俺は一連の流れについて行けずにぽかんとしている。
「えっと……王女様、とりあえず、なんか正気じゃなくなってるってことでいいですか?」
「そうだ。厄介な相手に洗脳されている。拘束して情報を聞き出そうとすると自害するように教育されているらしい」
「光魔法で浄化してもダメですか?」
「魔術ではないからな。頭の中への強い刷り込みなんだ。本人が我に返るしか、戻す術がない」
「なるほど……。えっと、とりあえず眠らせます? 物理で」
魔術で操られてるということではなく、洗脳されているらしい。また新しい現象が現れたな。
王女様、と呼びかけた俺の言葉に頷いたから、彼女はやはり王女殿下で間違いない。
「枢機卿にこの者達の話を聞かせたいと思っていた。いつも妙なタイミングで出てくるせいで上手くいかないが、今回は初めてのパターンだ。いけるかもしれないな……」
ぶつぶつと呟いた女性が俺を振り返った。
「すまないが、私は彼に対して風魔法程度しか使えない。二、三度殴ってもらい、昏倒させてもらっていいだろうか」
「えっ俺?」
急に振られて驚いたものの、俺の見た目は今ライネルだ。がたいがいいし、騎士っぽい見た目だから物理攻撃は得意そうに見えるだろう。
突然見ず知らずの神官を殴れ、と暫定王女様に頼まれるという謎の事態だが、拘束できない上に浄化も効かないなら、正気じゃない神官を大人しくさせるには昏倒させるしかないか。
「わ、わかりました」
できるかな、俺に。
と内心ビビりながらも前に出た。
大丈夫、俺は悪魔を殴ったことがあるし、昔オズのことだって平手打ちした。ライネルの腕力なら二、三回パンパンッてやったら多分ひ弱な神官ならノックアウトだろうし、いける!
自分を奮い立たせて神官の前に立ち、結界を解除してもらって相手の胸ぐらを掴んだ。
「すみません!」
あなたに恨みはない。
そう思いながら一度パンッと頬を叩いてみた。日和ってしまい軽く張り手したら、神官はぐらりと体勢を崩したが気絶することはなく、むしろ激昂して俺に掴み掛かってきた。
「うわわわ」
爪を立てられた腕が痛い。ものすごい力で掴まれるので思わず相手の身体を強く突き飛ばした。
たたらを踏んだ神官は、何故か通路に沿わず手すりに覆い被さるように倒れ込む。
「えっ」
そのままずるりとテラスの外に落ちたから、全身の血の気が引いた。
「うわっうわあああ!!!」
慌てて両手を伸ばして落ちていく足を掴む。
がくんと、腹に手すりがめり込んだが、痛みどころじゃなく無我夢中で神官の足にしがみついた。下を見たら、当然ながら地面はとんでもなく遠い。城の前に立っている門番が米粒くらいに見える。下から吹きつけてくる風が冷たくて身がすくんだ。
「大丈夫か?!」
「た、助けて! ちょっ、痛い、こら、痛いって!!」
動転した王女様の声がして、助けを求めたが神官が暴れて足で蹴ってくる。
「大人しくしろ!! 死ぬぞ、バカ野郎!!」
怒鳴ったが神官は言うことを聞かない。必死に突っ張っている足が滑りそうで怖かった。
「あっ、ダメだ。拘束されていると思って舌を噛む」
「そんなこと知るか! とにかく引き上げて! 早く!!」
見当違いなことを言い始めた王女様に怒鳴ったら、俺の隣から彼女も身を乗り出した。
風魔法を使って神官を浮かせてもらい、なんとか通路に戻そうとしたとき、神官が突然くっと身体を曲げて手を王女様に向かって伸ばした。
光の矢だ。
そう思ったときには王女様の肩にそれが刺さっていた。まるで矢に意思があるかのようにそれはぐんと下方向に揺れて、引きずられた王女様の身体が手すりの外に投げ出される。
「マジかよ?!!」
俺は片手を伸ばして王女様の腕を掴んだ。
がくん、と体重がかかって突っ張った足が浮く。
「あっ」
と思ったときには空中に投げ出されていた。
一瞬後に浮遊感と、全身の血流が止まったように身体が凍った。
高く聳え立つ城の外壁から真っ逆さまに落ちていく。
「────ッ」
声も出なかった。
魔法が使えない。
ヤバい、どうする。
「ミラ!!」
王女様が叫んだ。
落下する俺達の横に、次の瞬間ものすごい勢いで何かが駆け抜けてきた。
バサッの翼の音が聞こえたと思ったときには、自分の身体が重力に逆らってふわりと浮いた。
「え?」
「ミラ、ありがとう」
パチパチと瞬きすると、俺は何かに後ろ襟を摘み上げられて飛んでいた。少し苦しい。振り向くと、まろい鼻先とアーモンド形のつぶらな瞳と目が合う。
ベル? と一瞬思ったが、その目の色は銀色だ。
しかもバサバサと翼で羽ばたいている。ぽかんとして見つめた。
ベルによく似た、翼のある銀色の天馬だ。額には角がない。その背中に王女様が乗っていた。
ミラ、と呼んで彼女がその頭を撫でると、「キュウ」とこれまたチーリンとよく似た声で鳴いた。
俺はその天馬に襟を咥えられ、おそらく王女様の風魔法で補助されて浮いている。まだ地面からはだいぶ距離がある空中で、落下の難を逃れていた。神官は先にもっと下に落ちているが、王女様が魔法を使っているのかやはり緩やかに下降している。
「無茶をするな」
天馬の上から王女様にそう言われて、俺はお礼を言うタイミングを損ねつつ首を捻った。
「え?」
「私まで助けようとするとは、無茶をする。あのままではあなたまで落ちるところだっただろう」
嗜められるように言われたが、さっきはそれ以外の選択肢なんてなかった。天馬が現れるなんて知らなかったし。
「助けられるなんて、初めてだった。驚いて一瞬対処に出遅れてしまった」
「はぁ、ありがとうございました。助かりました」
「やり直すにはもったいないと思っていたんだ。こちらこそ助かった」
王女様は不思議なことを呟いて、どこか嬉しそうな表情をしている。
まだ肩に矢が刺さったままだが、そんなことは気にならないというような笑みだ。
「ミラのことは皆には黙っておきたかったが、仕方がない」
そう独りごちて、王女様は天馬をなでる。
俺を咥えながらキュウと喉で鳴いた天馬が可愛い。猛烈にベルに対する郷愁を抱いた俺だった。
無事に地上が近づいてきて、ほっとした。
王女様が翼のある馬に乗って空から下りてくるんだから、そりゃみんな何事かと思うよな。門番から騎士から集まって、城の入り口に固まっている。
その中には神官の服を着た人達もいて、先に地上に下された神官を見て狼狽えていた。落下の衝撃でちょうどよく気を失ったのか、神官は暴れ出したりしていない。
今のうちに枢機卿に引き渡すのかな、なんて考えていた俺は、城の入り口に集まった大勢の中の一点に目が吸い寄せられた。それが紫色の騎士服だとわかった途端、それ以外のことを全て忘れる。
「グウェン!!」
こちらを見上げているグウェンと目が合った。騎士団の団服で、人一倍背が高くて均整の取れた体躯。たくさんの人に紛れていても、俺にはすぐにグウェンだとわかる。
彼の黒い瞳が俺にフォーカスするようにぐっと黒味を増したように見えた。
そういえば俺、今見た目はライネルなんだった。
俺だって知らせるようなもの持ってないよな、とグウェンを見返しながら自分の身体をごそごそする。
そのとき、無表情でじっと俺を見つめていたグウェンの口が動いた。
──君は何をやっているんだ。
はっきりとそう動いた彼の口元を見て、俺は満面の笑みを浮かべた。
やっぱり俺のグウェン。
一目で俺だってわかってくれるんだな。
「さて、私はミラを隠さなければならないので、一旦失礼する。また後で会おう」
後ろから王女様の声が聞こえたと思ったら、咥えられていた襟元をぱかっと離された。
「えっ」
大した高さはなかったが、空中に放り出されて一瞬ぽかんとする。不意に訪れる浮遊感。
上手く着地できるか焦ったとき、あっという間に駆け寄ってきたグウェンが俺を受け止めてくれた。
「グウェン!」
胸いっぱいに込み上げる安堵とときめきで、目の前の逞しい身体にしがみついた。
しっかり背中に回ってくる腕の感触にほっとする。
「君は……目を離すと何故いつもわけのわからない状況に陥っているんだ」
ため息混じりの声が聞こえて、俺だと確信している様子のグウェンの肩口に擦り寄る。
ライネルの身体はゴツいからちょっと重そうだなと思ったが、地面に足をついてからもう一度ぎゅっと抱きついた。
「ナミア教皇国に着いた途端、どうして君が城の上から降ってくるんだ? それも見知らぬ天馬と共に、ライネルの姿で?」
「ごめんな……ちょっとアクシデントでみんな入れ替わっちゃってて」
硬く抱きしめられながら、いつもの小言が始まったので俺は口元を綻ばせる。
さすがにキスはできないが、もう少し甘えても許されるかな、と思ってぐりぐり額を擦り付けながら隙を窺っていると、横から聞き覚えのある声が聞こえた。
「入れ替わったって、どういうことですか?」
その声で横を見ると、ノア(おそらくルシア)と、いつもながらにこやかなシスト司教、それから意外なことにリビエール上級神官の姿があった。
これは皆さんお揃いで。ナミア教皇国にようこそ。
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放
大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。
嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。
だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。
嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。
混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。
琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う――
「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」
知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。
耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
悪役令息(Ω)に転生した俺、破滅回避のためΩ隠してαを装ってたら、冷徹α第一王子に婚約者にされて溺愛されてます!?
水凪しおん
BL
前世の記憶を持つ俺、リオネルは、BL小説の悪役令息に転生していた。
断罪される運命を回避するため、本来希少なΩである性を隠し、出来損ないのαとして目立たず生きてきた。
しかし、突然、原作のヒーローである冷徹な第一王子アシュレイの婚約者にされてしまう。
これは破滅フラグに違いないと絶望する俺だが、アシュレイの態度は原作とどこか違っていて……?
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります。
※(2025/4/20)第一章終わりました。少しお休みして、プロットが出来上がりましたらまた再開しますね。お付き合い頂き、本当にありがとうございました!
えちち話(セルフ二次創作)も反応ありがとうございます。少しお休みするのもあるので、このまま読めるようにしておきますね。
※♡、ブクマ、エールありがとうございます!すごく嬉しいです!
※表紙作りました!絵は描いた。ロゴをスコシプラス様に作って頂きました。可愛すぎてにこにこです♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
表紙は自作です(笑)
もっちもっちとセゥスです!(笑)
ミリしら作品の悪役令息に転生した。BL作品なんて聞いてない!
宵のうさぎ
BL
転生したけど、オタク御用達の青い店でポスターか店頭販促動画か何かで見たことがあるだけのミリしら作品の世界だった。
記憶が確かならば、ポスターの立ち位置からしてたぶん自分は悪役キャラっぽい。
内容は全然知らないけど、死んだりするのも嫌なので目立たないように生きていたのに、パーティーでなぜか断罪が始まった。
え、ここBL作品の世界なの!?
もしかしたら続けるかも
続いたら、原作受け(スパダリ/ソフトヤンデレ)×原作悪役(主人公)です
BL習作なのであたたかい目で見てください