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第一部
番外編 グウェンドルフ・フォンフリーゼの鍾愛 前
しおりを挟むさて、どうしてくれよう。
私は自分の屋敷の寝室のソファに足を組んで座り、向かいの長椅子で彼が膝に乗せたチーリンを無言で抱きしめているのを眺めた。
後ろ暗いところでもあるのか、レイナルドはこちらを見ない。チーリンの首を抱きしめて沈黙に耐えるように明後日の方向に視線を投げている。
今日の夜、彼が何をしているのか私は知らなかった。私も騎士団の仕事で普段は携わらないような案件があり、とある貴族の屋敷で開かれた交流会に偶々足を向けていた。
バレンダール公爵が使用した転移石の出所が掴めず、本来なら調査を請け負うはずの特殊警備隊も現在逃走した公爵の行方を追うのに出払っている。魔石に関することなら近衛騎士団が適任だろうと、陛下直々に魔石の闇取引の調査を依頼されたため、貴族間で共有されている情報を入手するために今夜は偶々その会場に訪れていた。
フォンドレイク卿と会場に足を踏み入れた時、急いで走ってきた一人の女性の帽子が私の肩にぶつかった。
その顔に視線を向けた瞬間我が目を疑ったが、しかし私が彼の顔を見間違えるはずがないので咄嗟にその腕を掴んだ。彼も私に気がつくと半分悲鳴のような呻き声を上げていた。
何故あの場にいて、何故女性の姿になっていたのかは帰りの馬車の中で聞いた。いくらボードレール商会の新商品を社交界で流行らせるためとはいえ、ここまで念入りに彼を女装させる必要はあったのだろうかと私は呆れた。レイナルドが今まで社交の場にほとんど顔を出していなかったから良かったものの、叡智の塔の知り合いにでも遭遇したらどうするつもりだったのか。確かに私でも目を疑ったほどであったから、彼の顔を知っている者もまさか帽子の下の令嬢が彼だったとは思わなかったとは思うが。
本当は私の時計ですぐに公爵邸の敷地内に連れて帰りたかったが、ああいった場で館の主人の許可なく無断で転移魔法を使用するのはマナーに反する。仕方なく騎士団の詰所までは馬車で移動した。本来なら行きと帰りで馬車に乗る人数が変わるのも良くない。彼はマルス子爵家の馬車が迎えに来る予定だったらしいが、そこはあえて無視した。私に無断で勝手なことをした子爵令嬢への腹いせに。私の屋敷に着いてから彼は手紙蝶を飛ばしていたから問題はないだろう。
馬車に同乗していたフォンドレイク卿は終始口元に手を当てて笑いを噛み殺していたが、レイナルドは館での経緯を私に説明しながら、ずっと目が泳いでいた。
私は気まずそうな顔で目を合わせようとしない彼を眺めていた。
屋敷に戻ってから冷え切った彼の身体を温めるべく最初に浴室に押し込み、出てきたのと入れ替わって私が浴室を使っている間、彼は自分の家からベルを連れてきていた。
彼は何を勘違いしているのか、この聖獣がいれば私が彼に無体なことをしないと思っているらしい。
全くおかしな話で、私は部屋の中にベルがいて彼を押し倒しているのを見られようが、抱いているのを観察されようが別に構わない。気にしているのは彼の方だと思うのだが、レイナルドは自分で自分の首を絞めていることに気付いているのだろうか。
「レイナルド」
私が呼ぶと彼はぴくっと肩を震わせて恐る恐るこちらを見た。
何故こんなに怯えているのかわからないが、私の顔が怖いのだろうか。しかし表情を変えているつもりはない。
「なに?」
「こっちに来なさい」
私は自分の膝を指差すと、彼は眉尻を下げてベルの首を抱き警戒したような顔をした。
「なんで」
「その髪を解くから、こっちに」
そう言うと彼は瞬きして、肩にかかった自分の長い髪を見下ろした。
頭の後ろで編み込まれている付け毛が自分では上手く解けなかったようで、まだ彼の金色の髪は長いままになっている。
今夜の首尾の報告を兼ねてボードレール商会に戻ってからマルス子爵令嬢に取ってもらうつもりだったらしいが、私はみすみすそんな機会を与えるつもりなどない。
「やってくれるの?」
彼の言葉に頷くと、レイナルドはベルを自分が座っていた長椅子に寝そべらせてからそろそろとテーブルを回って私の方へ近寄ってきた。
開いた膝の間に前向きに座らせて、彼の頭の後ろで細かく結ばれている髪を解いていく。引っ張らないようにゆっくり丁寧に付け毛を外していくと、レイナルドはほっとしたのか肩の力を抜いた。
オルタンシア・マルスという名前は彼と深く付き合うようになってからよく耳にするようになった。
顔も見たことがない令嬢だが、調べてみると彼の友人のルウェイン・プリムローズの弟の婚約者だった。マルス子爵家自体は大した力もない中堅の貴族だが、その娘は強い精霊力を持って生まれたため、プリムローズ家の婚約者に選ばれた。にも関わらず叡智の塔には進学しなかったが、宰相家からは変わらず気に入られているらしい。私には特に関心がないのでそれ以上の情報は調べなかった。
恐らくマルス子爵令嬢は、レイナルドにちょっかいをかけることで私を思う通りに操縦しようとしている。話を聞く端々からその魂胆が透けて見える。
しかし私も私でその安い挑発に乗ってしまうのだから、気が狂っている。以前彼の首に口紅をつけられているのを見つけた時は、つい頭に血が上って彼を長椅子に押し倒し、他に異常がないか服を脱がせて上から下まで確認してしまった。彼が関わると冷静になれない自分には偶に自分でもおかしいと思っている。
今回ばかりは、私も彼女に腹が立った。レイナルドが風邪を引いていたかもしれないし、よからぬ輩に目をつけられていたかもしれない。見過ごすには彼が被ったリスクが大きすぎる。ボードレール商会に恨みはないが、何かしらの報復を考えておこう。
順番に髪を解いていくと、彼の長い金髪は元のように首にかかるくらいの長さに戻った。
髪の長いレイナルドは在学時代を想起されて憧憬を誘うが、短いとうなじがより綺麗に映えて良い。
「何か、怒ってたよな?」
レイナルドが恐る恐る聞いてきたので、私は手を止めずに口を開いた。
「私が何に腹を立てていたかわかるか」
「えっと……オルタンシアに丸め込まれて女装させられたこと?」
確かに、私の知らないところで勝手をされていたことに苛立ちはあったが、それはレイナルドを丸め込んだ子爵令嬢への苛立ちであって彼に対するものとは違う。
「違う。君は普段から十分可愛らしいのだから、女装をしていようがいなかろうが、そんな瑣末なことにいちいち腹など立てない」
「いや、それはお前、それはそれでどうかと思うよ」
「問題ない」
そう言い切ると、彼は私に背を向けたまま少し呆れたようなため息を吐いた。
「じゃあ、噴水の中に入ったことか? それはさっき説明した通り事情があったんだって」
「違う。君がそのような状況に陥ったにも関わらず、すぐに私を呼ばなかったことだ」
「……」
小さく息を飲んだ彼に、今度は私が息を吐いて解き終わった髪を梳くようにして後頭部を撫でた。
「私があの場にいたことを知っていながら、何故呼ばない。君は庭から戻って来た時私を見て嫌そうな顔をしていただろう」
「……嫌そうっていうか、あれは色々きまり悪くて。ごめん。俺も変な格好してるの極力見られたくなくて避けてた。傷つけたならごめんな」
そう言って彼は私を振り返った。
最初に女装を見られた時にかなり動揺していたから、彼の気持ちは察しがついていたが、真摯に謝ってくれる彼の心根が嬉しくて私は髪に触っていた手で彼の頭を引き寄せて額に口付けた。
「もう怒っていない。あとは水に浸かった君が心配だっただけだ」
「うん」
彼は私の言葉を聞いてほっとしたように息をついた。
目の前にある白皙のうなじが綺麗で、私は後ろから彼を抱きしめるとそのうなじに唇を寄せていた。
「んっ?!」
彼が驚いて身動きしたが、もう遅い。
口付けたうなじに吸い付くとそこをなぞるように舐めた。
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