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第二部
五十九話 奇怪な教王 後
しおりを挟む寝ている俺を、誰かが覗き込んでいる気配がする。
混濁した意識の中で、寝ている俺の身体を跨いで両側に足を置かれているようなベッドの沈みこみを感じた。
寝ている俺に覆いかぶさって顔を見てくるなんて、そんなことをする人間は限られている。
「……グウェン?」
半分寝ぼけながら目を閉じたままそう口に出すと、「誰だそれは」と予想外に若い男の声で返事が返ってきた。
え? 誰?
驚いてぱっと目を開けると、すぐ目の前に暴虐皇帝の顔があって眠気が吹き飛んだ。
「は?! あんた何して」
「目が覚めたか」
慌てて身体を起こして距離を取ろうとしたら、俺の上に乗り上げていた皇帝に片手で首を掴まれてベッドに沈められた。勢いが強くて背中からシーツに落ちて少し咽せる。
なんでこいつが俺が寝てるベッドの上にいるんだよ?!
ついさっき池の中に落とされたのはちゃんと覚えている。岸に戻ろうとして溺れかけたから、多分マスルール達が助けてくれたんだろう。天井は見慣れた鈴宮で間違いない。ベッドの横に見える大きな窓から覗く空はもう日が完全に沈んでいた。あれからどのくらい経ったんだろう。しばらく眠っていたのか。
だけど俺を池の中に吹っ飛ばして去って行ったクソ皇帝がなんで俺の鈴宮にいるんだ?
そんで目が覚めた瞬間そいつに首を絞められるってどういう状況だよこれ。
「オズワルドという間男はどこにいる」
アシュラフ皇帝の冷たい目が俺を見下ろす。
ぐっと首を掴んだ手に力を込められた。
「ぐっ……は?」
「鍵はどこだ」
そう言って奴は更に絞める力を強くしてくる。
急になんなんだ。
意味不明なことを言ってるけどこいつは一体どうしたんだ。
「……かぎ?」
鍵って、首輪の鍵のことか?
こいつに関係ないだろう。
無造作に首を締めてくる手をどけようと、俺は両手でアシュラフ皇帝の手首を掴んで抵抗した。昨日も部屋から連れ出された時に思ったが、こいつはまだ十代のくせに力が強すぎる。両手で首を掴んでいる手を引き剥がそうとしてもびくともしない。
「なに言ってんだ?」
手に力を込められると息苦しくて声が掠れる。俺の訝しげな声を聞いて皇帝は眉を顰めた。
「その間男が持っているのではないのか。そう言っていただろう」
そう言われてますます困惑する。
こいつは何を言ってるんだ?
俺の首を絞める力は緩まない。いい加減呼吸が苦しくなってきた。
「……めろ、くるし」
「なら鍵のありかを言え」
明かりが灯っていない部屋の中は窓から差し込む夜の月明かりでしか周りが見えない。俺を見下ろす皇帝の顔は何の表情も浮かんでいないが、一見綺麗な空色の瞳の奥には得体の知れない闇で覆われた何かが蠢いているようでぞくりとした。
「……なせ」
俺の首を絞めあげてくる皇帝の顔に拳を振り上げた。
パシッと難なく受け止められた手をベッドに縫い止められる。
「扉の鍵は、どこだ」
相変わらず何の表情も浮かべず淡々と俺を見下ろすアシュラフ皇帝の顔は、青白く不気味だった。
扉?
じわじわと首を絞めてくる力が強くなっていく。
片手で首を絞める手に爪を立てて抵抗するが、大した力が出せない。気道が圧迫されて細い呼吸しか出来ず、本当に苦しくなってきた。頭がぼんやりしてくる。
扉の鍵って、こいつは何を言っているんだ?
「ぴぃ!」
その時、金色の塊がぴょんと飛んで俺の首を掴むアシュラフ皇帝の腕に体当たりした。
跳ね返されてぽんと軽く弾んだ鳥の雛を見て皇帝が意外そうな声を出す。
「産まれていたのか」
「ぴぃ!」
「メル、やめろ」
皇帝の腕に噛みつこうとするメルを止めようと慌てて自由な方の手を伸ばした。
目を細めて不死鳥の雛を見下ろした皇帝は、口の端を持ち上げて痛快そうに嘲笑う。
「そのなりのお前に、何が出来る」
そう言って物騒な目でメルを見下ろしているから、俺は皇帝がメルを捕まえる前にその小さな身体を掴んで頭の上に投げた。
「ぴぃ!」
「にげろ」
メルは驚いた鳴き声を上げたが、皇帝の手が届かないところまで転がったのか、アシュラフ皇帝はふんと鼻を鳴らして再び俺を見下ろした。
「不死鳥はどうやって食べるのが美味いんだろうな」
「死ね」
怒りを込めて睨み上げると、奴は俺の視線を受け止めて笑った。
「この状況で死ぬのはお前の方だと思うが」
首を絞めてくる力がぐっと強くなる。
ヤバい。
本当に落ちる。
いつもならもう少しまともな対抗手段を考えられるのに、酸素が足りなくてそれもままならない。もうこのまま意識がブラックアウトしてしまいそうだった。
「……う」
手に力が入らない。目の前が黒く塗り潰されていく。
ダメだ。沈む。
その瞬間、突然部屋の窓ガラスが割れた。
ガシャン、と外からガラスを突き破って何かが部屋の中に飛び込んでくる。
「レイナルド様!」
同時に開いたままの部屋の扉からルシアが飛び込んできた。俺の有様を見て驚いた彼女は持っていた籠をアシュラフ皇帝にぶん投げる。
籠を避けて俺の上から素早く飛んで離れた皇帝は窓の外とルシアを見て舌打ちすると、窓を粉々に粉砕してからベランダに飛んだ。
「待ちなさい!」
ベランダまで追いかけたルシアがその背中に叫んだが、皇帝は既に鈴宮の屋根を越えて姿を消していた。
突然喉を解放されて、俺は肺に溜まっていた空気を勢いよく吐き出した。絞められた首がじんじんして喉からひゅーひゅー音が鳴る。乾いた空気がいっぱいに肺に入りこんできて大きくむせた。
「ごほっ、ごほっ、ぐっ、は、う……」
ごろんと横に転がってうつ伏せになると、身体を丸めて軽く嘔吐いた。浅い呼吸を繰り返していると、顔の横にふわりとした温もりが触れる。
「ぴっ、ぴっ」
「……メル?」
「ぴっ、ぴぃ!」
顔を横に向けると金色の翼を羽ばたかせたメルが俺の顔にすり寄ってきた。
無事で良かった。あのままアシュラフ皇帝に捕まえられていたら大変なことになるところだった。
「ぴぃ! ぴぃ!」
必死で鳴いているメルに手を動かしてふわふわの羽毛で覆われた背中をそっと撫でた。
「大丈夫だ。さっきはありがとな」
「ぴぃ」
心なしかメルの綺麗な緑の目がうるうるしている。俺は口元を緩めてメルの頭を指で撫でた。
ベランダから戻ったルシアが俺の側に駆け寄ってくる。
「レイナルド様大丈夫ですか?! ごめんなさい、夕食を取りに行っている間にまさかこんなことになるなんて。すぐにマスルールさんを呼びましょう」
慌てた彼女はベッドサイドに置いてある銀色の鈴を手に取った。強く揺らして鳴らすと、鈴はリリリンと澄んだ音を響かせる。本当に普通の鈴のような音だが、これで本当に親の鈴が鳴っているんだろうか。
呼吸を落ちつかせながら俺はベッドの上にゆっくり上体を起こした。まだ喉に違和感はあるが、頭はだいぶはっきりしてきた。
メルが膝にぴょんぴょん跳んできたので手のひらで掬って抱え上げる。
「……ありがとう、ルシア」
「いいえ、ごめんなさい。レイナルド様の目が覚めるまで離れるべきではありませんでした」
しゃがれた声でお礼を言うと、ルシアは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「俺は、今まで寝てたんだよな」
「はい。池でレイナルド様が溺れたのをマスルールさんが助けてくれて、部屋まで運んでくれました。それからずっと休まれてました」
「ライルはどうなった?」
「大丈夫です。水を飲んだのは少しだけだったみたいで、鈴宮の部屋で休んでいましたが、さっき夕食を届けに行ったらもう心配ないってライラちゃんが言ってました」
それを聞いてほっと息をついた。
メルの背中を撫でながら、ルシアの側にサラがいないことに気がついた。
「サラさんは?」
「ちょうどお兄ちゃんのところに手紙を届けに行ってもらってて。だからレイナルド様を一人にしてしまいました。すみません」
「いや、それは大丈夫。むしろずっとついててくれたの? ありがとう」
心配そうな顔をしているルシアにお礼を言ってから、割られた窓を振り返った。
最初にガラスが割れた時、何かが部屋の中に落ちてきたような気がした。床を見るとガラスの破片と一緒に小さな水溜まりができていた。水の中に細長い氷の塊が溶けかかって残っている。
氷?
外から誰かが投げ込んだのか。
一体誰が……?
「夕飯ダメになっちゃいましたね。どうしましょう。下に行って、もう一度もらって来ましょうか」
その声に思考を中断してルシアの方を見た。
彼女は床にぶちまけられた籠の中身を拾い集めながら、申し訳なさそうな顔になって聞いてくる。
「いや、いいよ。台所にも食べるものあるし、お腹すいてないから」
「そうですか? ……というより、マスルールさん来ないですね」
ルシアが訝しげな顔で首を傾げた。
そういえばそうだな。
緊急用の鈴だったはずなのに、全然来ないとはどういう了見だ。
「確かに。皇帝に強行突破されたら鳴らせって言ってた割に来ないな」
「夕方会ってサラさんを地上に下ろしてもらってから、私も姿を見てないんですよね。サラさんを鈴園に戻してもらわないといけないのに……」
ルシアが眉を寄せて首を傾げる。
「ルシア、皇帝のことどう思う?」
おもむろに話を変えてそう聞くと、彼女は籠を持ってベッドの側に立ったまま迷うような顔で俺を見下ろした。
「呪いのことですか? 確かに、今日私たちがやらされたことも、さっきレイナルド様を襲ってたことも、普通に考えたら、まともな神経じゃないと思いますけど」
「そもそも人間だと思うか」
そう言うと、ルシアは黙った。
それからしばらく考えるような間があった後、彼女は皇帝が逃げたベランダの外を眺めた。
「……人間にしか見えませんし、身体は生身の人間だと思います。でも中身が悪魔かと言われると、そうかもしれません。人間についた悪魔なんて、見たことがないのではっきりとは言えませんが」
「ルシア、明日は第三の試験があるんだよな」
「はい。アシュラフ皇帝が池からいなくなる間際に次は明日の午前だと言っていました」
俺はメルを撫でながら頷いて、ルシアと目を合わせるとあることを提案しようと口を開いた。
「試してみよう。明日」
そう言うと、ルシアは金色の虹彩が散った瞳を大きく見開いて、真剣な表情で頷いた。
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