悪役令息レイナルド・リモナの華麗なる退場

遠間千早

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第二部

百十八話 蕾の薔薇と世の喜び《終演》 前②

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 右の手首に回った枷を左手で掴み、手のひらの方へ引っ張って外れないかどうか試してみた。
 いつの間にサイズ測ったの? と言いたくなるほど枷は俺の手首にフィットしており、ぐらぐらに隙間が空いたりもしていない。引っ張っただけでは取れそうもなかった。

「手首が痛いか」

 俺が枷を触っていたら、グウェンが聞いてきた。

「いや、それが意外にも大丈夫で驚いてんだよ」

 滑らかな当たりの金属は、予想外にも肌に吸い付くように馴染んで擦れる痛みは全くない。角も丸く取れてるし、太い腕輪に鎖が付いてるだけってかんじだ。変なところで優秀な手枷だな。

「うちの用意する品物に半端なものはないの。この前の広場の件では団長にも助けていただいたから、ちょうど良かったわ。うちの職人の一点ものなのよ。大事に扱ってください」
「ああ。すぐに用意してくれて助かった」
「団長のご依頼でしたら、喜んでお受けします。北部の方に懇意にさせていただけるとうちにもメリットがあるので」

 にっこり笑ったオルタンシアは、口を開けて呆然としている俺に哀れみのような表情を向けた。

「あんなに無茶苦茶なことはやるなってお姉さま達から常日頃言われているのに、攫われてトラブルに巻き込まれるなんて、本当に人騒がせな人」

 どういう訳か俺がラムルに連れ去られていたことを少し知っているのか、これ見よがしにため息を吐いたオルタンシアがまた商売人の顔になってグウェンを見上げた。

「鎖は最長で今の五十倍まで長く出来ますから、必要でしたら追加発注でご依頼ください」
「……さすがにその長さには実用性がないと思うが」
「そんなことありませんわ。様々な状況下でもご利用いただけるように準備させていただいているんです。とりあえず、中に入っているものはサービスなのでお好きに使ってください」

 そう言ってオルタンシアが持っていた重そうな包みをグウェンに渡した。
 ジャラって音がした。

 鎖か。鎖なのか? 付け替える用の?
 鎖の長さがどうのこうのって言ってたのは、マジな話だったの? 
 というかこれ、遊びじゃなくて本気か?
 本気のやつ?

 枷を見ながら唖然として固まり、ぺらぺらと注意事項を説明しているオルタンシアの声が右から左に抜けていく。
 ちらりとグウェンを見上げたら、彼はオルタンシアの説明なんて聞いていなくて俺を見ていた。

 おいグウェン、危ない目で俺を見てないでなんとか言えよ。ちょっと驚かせたかっただけなんだって早く言え。

 心の中で頭を抱えてツッコミの嵐を起こしていたら、話が終わったのかオルタンシアはあっさりと手を振って屋上から去っていった。
 側を通りかかった人は残された俺とグウェンを二度見してくるし、周りからの視線が痛い。手枷で繋がれてる奴らの知り合いだと思われたくないだろうから、オルタンシアがさっさと消えたのも頷ける。

「お前ね……付けるにしても何も外でやらなくても……」

 それを言ったらオルタンシアもオルタンシアだが、俺はグウェンが自分で自らの手首に枷を嵌め、俺と繋がってるのを見て満足気にしていたことに気づいてるからな。

「もう駄目だ……帰ろう。帰ろ帰ろ」

 注目され始めた視線が痛すぎる。
 逃げ出す勢いで屋上から出ようと足を踏み出した時、また横から「あの!」と声をかけられた。

「え?」

 声の方を見ると、知らないご令嬢が俺を見ていた。
 心なしか緊張したような顔をしたその貴族らしい容姿の令嬢は、綺麗な金髪の巻き毛とオレンジの夏用のドレスがよく似合った可愛らしい少女だった。でもどこかで見たことがあるような。
 
「あの、あなたですよね。この前馬車の中から私を助けてくださったのは」

 そう言われて改めて彼女の顔を見て、そういえば一週間ほど前に暴走した馬車の中から俺が助けたご令嬢だと思い出した。

「ああ、あの時の」
「この間はありがとうございました。お礼も十分にお伝え出来ずに行ってしまわれたので、もう一度お会いしたいと……あの、もしよろしければ、今度お礼にお茶でも」
「え? いやそんな、うわっ」

 話を聞いていたら右手が引っ張られた。

「ちょっと、グウェン」

 グウェンを見ると、彼は早速枷に繋がった鎖を引き寄せて俺を自分の側まで後退させていた。

「え?」

 ご令嬢はグウェンに気づき、その後初めて俺たちの腕に嵌まった金属の輪に気づいたという顔をした。

「え?」

 手枷を見て顔を引き攣らせた彼女を、前に出たグウェンが威圧感のある体格で威嚇するように見下ろした。

「あいにく、彼は私とこういう関係なので、諦めてほしい」
「こういう、関係……?」

 枷とグウェンの顔を交互に見ている令嬢に、グウェンは堂々とした態度で言い放つ。

「見ての通り、手枷を掛け合う仲だ」

 令嬢が凍りついた。

 やめろ。

 社交界で噂になったらどうする気だ。

 手枷を掛け合う仲なんてパワーワードを純真そうなお嬢さんに覚えさせるんじゃない。
 
「あの、私……」
「グウェン、ちょっと言い方考えろお前は! お嬢さんびっくりしてるから!」
「しかし事実だ」
「だとしてもな! もうお前は何も言うな」

 腑に落ちないという顔をしているグウェンを今度は俺が鎖を引っ張って引き戻した。

「すいません驚かせて。ご無事でよかったですね。お礼なんて大丈夫ですから、お怪我されたところをお大事にしてください」
「え、ええ……はい。あ、それでは、私はこれで……。お邪魔して申し訳ありませんでした」

 俺が誤魔化すように笑って言うと、ご令嬢も調子を合わせてくれ、そしてすうっと後ろに下がっていった。
 目が泳いでいたから、多分完全に引かせてしまった。周りにいた人も何事、というように俺とグウェンと鎖をじろじろ見てくる。恥ずかしい。なんだこれは。この上なく恥ずかしいぞ。とんだ羞恥プレイじゃないか。

 恨みがましくグウェンを振り返ると、彼は慌てて逃げ去っていったご令嬢の背中を見送りながら感心したように頷いていた。

「便利だな、これは。もっと早く購入すればよかった」

 恥ずかしげもなく一人だけ満足そうな顔をするのに腹が立って、俺はグウェンの手を引いて屋上から逃げ出しながら彼の手の甲をぎゅっとつねった。




 散々な目に遭った。
 あれからすぐに人気のない路地で転移して、ほうほうの体でグウェンの屋敷に逃げ帰った。
 さっきのレストランの屋上はそこそこ暗かったから俺たちの顔はあまり見えなかったはずだ。社交界でおかしな噂が立たないことを祈るしかない。

「……大変なことをしでかしてくれたな、お前は」

 もう一度恨みがましい目で彼を見て言うと、ベッドの上でタオルや軟膏を揃えていたグウェンが軽く首を傾げた。

 ちなみに俺とグウェンの腕はまだ鎖で繋がったままだ。
 返ってきてから、風呂に入ったりするために一度外してもらったが、部屋に戻ってきたらまたガチャンとされた。どんな仕組みなのか分からないが、グウェンは鍵を使わなくても触っただけで枷を外すことができるらしい。本当に無駄な高性能。

 ベッドに腰掛けながら、もしかしてこれはこのままなのか? と右手首に嵌まったままの手枷を半目で見ていたら、あれこれ準備するのが終わったらしくグウェンが屈んで俺の頭に口付けてきた。

 昨日はベルが甘えたモードで俺も実家で過ごしてしまったから、グウェンに我慢させたというのは分かっている。今日から一週間休みだし、兄さんも母さんもグウェンと楽しくね、なんて送り出してくれたから本当に一週間グウェンの屋敷で過ごすことになってしまった。
 ウィルとベルはとりあえず今日は実家にいるが、そのうち自分達でこっちに来るだろう。グウェンの屋敷から出られなくなることを見越して、帰ってきて早々に俺の家の庭にある転移魔法陣はウィルも使えるように修正しておいた。

 とにかく、一週間グウェンの屋敷で過ごすことは構わないんだが、気になる問題が一つある。
 グウェンがどこまで本気なのかということだ。もちろん、ベッドの上での話で。

「あのさ、一応聞いておきたいんだけど、当然冗談だよな? 一週間毎日やるなんて」

 なるべく軽い口調になるように笑いながら言うと、グウェンは目を細めて優しい顔で俺を見下ろした。

「当然冗談ではない」

 おかしいな、俺が言って欲しかったことと違う。

 笑顔のまま固まり、早くも背中に冷たい汗が流れ始めた。
 
「いや、待ってでも、そんなまさか。そんな不健全な」
「これは良い機会だから」
「……良い機会?」
「今後のためにも、君の限界を知っておこうと思う」
「……いやいつも限界だけど?! なんでお前は何日いけるかな、みたいな顔してんの?! 何日もいけねーよ! 夜だけにしろ!」

 彼は既にエンジンがかかっている。
 思わず大声でツッコミを入れたら、待てをされた大型犬のようにグウェンは少し悲しげな顔をした。

「君は、なんでも言うことを聞くと言った。私は今回とても君を心配した。君を目の前で失うかと思い、二度と思い出したくない絶望した気持ちを味わった。もう一日中君を離したくない」
「う……それは、悪かったとは思ってる……。あのな、確かに言うこと聞くって言ったけど、言ったけどな……」

 一週間は無理だぞ。死ぬだろう。

 しかし大型犬のような顔をして俺を見下ろしてくる潤んだ瞳を見ると、まるで俺が酷いことをしているような気分になってつい頷いてしまいそうになる。

「百歩譲って毎日やるのは俺の体力が続くならまぁ、いいけど……そのうちウィル達が来るんだから、昼間は空気を読めよ」
「わかった」

 譲歩するつもりでそう言うと、少し不満そうだったがグウェンは頷いた。明日の昼にはベルとウィルが来るだろうし、とりあえず昼も夜も無し崩しということは避けられそうで少しだけ安心する。

「この手枷はまさかこのままやる気? さすがにちょっと怖いんだけど」

 眉を顰めながら次の懸念事項を確認すると、そちらは譲らない、というようにグウェンははっきり答えた。

「君の両手が拘束されている訳ではないのだから、怖くないだろう。私の腕と繋がっているだけだ」
「いやそうだけど、やりづらくないの?」
「全く」
「……」

 もうここまで来たら付き合う他ないのか。
 確かに俺の両手が繋がれている訳ではないし、多少動きづらいだけといえばそうだが、だけど、いいのか、これは?

 逡巡していると、グウェンは「確認は終わりか」と聞きながら俺の頭や耳にキスを落としてくる。
 焦れたように耳を甘噛みしてくるから、俺もだんだん細かいことはどうでも良くなってきて、もういいかと思った。

 散々待たせたし、俺だってずっといちゃいちゃしたいと思ってたんだから、少しくらいグウェンの好きにさせてやろう。

 そう思って、首筋に吸い付いていた彼の頭を両手で挟むと自分から唇を合わせてキスをした。

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