悪役令息レイナルド・リモナの華麗なる退場

遠間千早

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第三部

三十八話 モンスタークルーズは大騒ぎ 中②

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 考え込んでしまったとき、後ろから聞き覚えのある明るい声が響いた。

「やぁ、皆さん。一階の様子はどうでしたか」

 振り向いたら片手を上げたラケイン卿が、通路の先からこっちに歩いてくるところだった。

「ラケイン卿」
「あれから気になってたんですよ。サリエル伯爵には会えましたか」
「ええ……。ラケイン卿は今からホールに?」
「そのつもりです。そろそろアマデウスのコンサートも始まりますから」

 ラケイン卿の顔を見ながら、俺は待てよと考えた。彼は今をときめく社交界の寵児だし、顔が広い。この広い船の中で召喚陣を探すなら、俺達だけでは多分無理だ。複数の人の手を借りるしかない。そうなると、彼ほど頼れる者はいないのでは……?
 時間もないし、慎重に作戦を練られるような状況じゃない。
 思い切って、ラケイン卿に今操舵室で聞いた話を伝えた。一階で何があったかはさすがに言えないので、海の魔物が船を追ってきているという話だけをする。

「それは本当ですか」

 と、ラケイン卿は俺達を見回して顔を強張らせたが、大袈裟に取り乱すようなことはなかった。彼が冷静に状況を呑み込んだのを確認して、次に俺はおそらくこの船の中に怪しい魔道具があるという話をした。魔物を呼び寄せる術がかかった魔法陣が隠されていて、その術のかかった羊皮紙はおそらく文字が赤く光っている。それを探したいと相談する。一階に来られるのは困るので、探すのは二階と三階だけだと付け加えるのも忘れない。
 俺の話を真剣に聞いていたラケイン卿は、少し思案してから頷いた。

「それなら、いい考えがありますよ。私に任せてください」

 そう言って、彼は俺たちを連れて三階のホールに歩いていった。そしてざわめく人々の波を抜けて、まっすぐにホールの前の方に置かれたピアノに向かっていく。そこには先ほどバーにいたアマデウス卿が座っていた。
 俺達が少し離れた場所で立ち止まると、ラケイン卿はアマデウス卿に何やら耳打ちした。ピアニストの彼は、心得たというように軽く頷くと、すぐに軽やかな曲を弾き始める。陽気でリズミカルな曲が流れると、ホールにいた人々は歓談をやめ、視線をピアノに向けた。
 十分に注目が集まったところでラケイン卿が合図し、ピアノの演奏が止まる。ラケイン卿が片手を上げて、息を吸った。
 
「お集まりの紳士淑女の皆様、ご歓談中にすみません、どうぞこちらにご注目ください。私ケリー・ラケインからお知らせがございます」

 ラケイン卿が大きな声で呼びかける。
 コンサートもできる広いホールは、彼の張りのある声がよく通った。ラケイン卿の発言は人々の関心を集め、乗客達は何が始まるのだろうという顔をして彼の方に集まり始める。

「今夜お集まりの皆様のために、楽しい催しを用意しました。今から皆さんで宝探しゲームをしましょう」

 宝探し、と聞いて人々は興味を引かれた様子でラケイン卿の話に集中した。今夜の参加者は若者が多いから、ゲームという言葉の感触もよさそうだった。
 ラケイン卿は人好きのする爽やかな笑顔を振りまいて、説明を続ける。

「招魂祭が近いということで、この船のどこかに、不思議な古文書を隠しました。とある幽霊が描いたといわれる、魔法の古文書です。それを探してください。その古文書には魔法がかかっていて、文字が赤く光っています。見つけられた方には、私が素敵なプレゼントをご用意いたします」

 プレゼントがある、と言って人々の関心が一層集まったことを確認したラケイン卿は、そこでパチリとウインクした。

「発見した方には、幽霊の遺品を探し出してくれたお礼ということで、私の経営するレストラン、煉瓦亭のディナーにご招待させていただきます」

 煉瓦亭という名前を聞いた瞬間、乗客たち、特に若い女性達が色めき立った。
 さっきのルネもそうだったが、煉瓦亭というキーワードがよほど若者達の心を掴んでいるらしい。目の色が変わった令嬢達を見て、俺はラケイン卿に対して抱いていた残念なイケメンという評価を改めた。社交界のインフルエンサーとしての彼の手腕に素直に感心する。
 わっと歓声を上げた参加者たちを見回し、ラケイン卿が笑みを浮かべながらもう一度片手を上げた。

「古文書を探す場所は三階と二階です。一階にはありませんので、立ち入らないように。それから、操舵室にももちろんありません。見つけた方は、私のところに持ってきてください。制限時間は今から十五分です」

 さっき通路で説明したときに、一階は除くという話をしたのもちゃんと覚えていてくれたらしい。時間制限という配慮まで完璧だ。彼の頭の回転の良さに、俺は心の中で拍手を送る。

「それでは始めましょう! 皆さん存分にお楽しみください!」

 パン、と手を打ったラケイン卿の合図で、ホールに集まっていたパーティーの参加者達はきゃあきゃあ歓声を上げながら一斉に散って行った。

「すごいな……」

 正直、こんなに沢山の人を一度に動かせるなんて思っていなかった。これならもしかしたら、本当に見つかるかもしれない。

 ある種感動すらして、ラケイン卿に賞賛の眼差しを送ってしまった。
 彼はホールや通路に向かってバラバラに散って行った人々を見送って満足そうに頷くと、隅の方で見守っていた俺達の方に歩いてきた。

「皆さん、ざっとこんな感じでいいでしょうか。うまくいけば見つかるかもしれませんね」
「すごいわ、ラケイン様。さすがとしかいいようがないもの。誰にもできないわよ、こんなこと」

 ルネの感嘆した声に同意して頷いた。
 俺たち四人の中では、こんな芸当は誰にもできなかっただろう。
 
「感謝します。ラケイン卿。あなたに相談してよかった」
「アルノルト君にそう言ってもらえるなら嬉しいな。でもまだ見つかるかはわかりませんからね、君にご褒美をもらうのは無事羊皮紙を発見してからにしましょう」

 悪戯っぽく笑ったラケイン卿に若干顔が引き攣った。

 ご褒美ってなんだ。ご褒美って。
 何もやらんぞ。
 何度も言うが俺にはあんたに紹介できる親戚の令嬢はいないんだよ。諦めろ。

「アルノルト君……?」

 隣でグウェンが呟いた。
 そういえばその偽名について詳しく打ち合わせしてなかった。後でちゃんと説明しないと。

 訝しんでいるのか、若干目つきが鋭くなったグウェンに必死で目配せして、俺はラケイン卿に向き直った。

「本当にありがとうございます。俺たちは一階の通路を見張りながら手前のところだけ探してみるので、もし見つかったら二階の階段にいるルネさんに知らせてください。ルネさん、誰かが一階に降りて来ないように立っててもらっていい?」
「ええ。わかったわ」
「それでは、私は二階の休憩室とバーにいる人にも宝探しのお知らせをしておきます。その後はこのホールで誰かが見つけ出すのを待っていますよ」
「ありがとうございます。助かります」
「魔物に狙われる船に乗り合わせている以上は、私たちは皆一連托生ですからね。まぁ、きっと上手くいきますよ。君のお姉様がリコリスの咲く川から私に手を貸してくれるでしょうから」
「あ……はい」

 最後のセリフには生暖かい相槌しかできなかったが、時間もないのでそれぞれの持ち場に移動することにした。





「ラケイン卿というさっきの男性は、あなたの知り合いなのか」

 一階のスイートルームに戻り、中をもう一度探し始めたとき、グウェンが聞いてきた。
 打ち合わせの通りシスト司教とグウェンと俺で一階を調べることにし、司教が張ってくれていた結界を解いて中に入った。亡くなっている売人達やサリエル伯爵をそのままにしておくのは気が咎めるから、奥のベッドルームを開けて一旦そこに彼らを安置した。そういえば、船内にいたはずの取引の客はどこに行ったんだろう。誰かが倒れているとか、不審な死体があると騒ぎにはなっていなかった。逃げたのかもしれないが、カリュブディスの件が落ち着いたらもう一度船内を調べなければならない。

 吹き飛ばされていたソファや家具の下や棚を開けて召喚陣を探しながらそう考えていたところで、隣にいたグウェンがラケイン卿について聞いてきた。俺は言葉を濁しながら頷く。

「あ、うん。そう、実は前に一度会ってるんだけど、ラケイン卿が会ったのは俺であって俺ではないというか」

 あのときはグウェンも同じ場所にいたことにはいたが、当然今は記憶がないからな。
 大人グウェンには女装していた様を見られて俺は死ぬほど気まずかったから、この十五歳グウェンにはできることならその事実は伏せておきたい。いらぬ誤解を与える気がする。

 俺の曖昧な答えに要領を得ないという目をしたグウェンの視線を感じ、俺は更に言葉を濁しながら補足した。

「なんというか……俺はそのとき、理由があってちょっとした変装をしていたわけ。だからエリス公爵家のレイナルドとしてはラケイン卿に会ってないんだよ。さっき偽名を使ってたのはそのせい。彼の前では俺はアルノルトってことにしてほしい」
「……以前会ったのが変装だったと告げればよいのでは」

 ますますわからない、という目になるグウェンを見て、お前の言いたいことはわかるよ、と思う。
 そんなまわりくどいことしなくても、立場を明かせよと思うよな。そしたら公爵家の令息なんだから向こうも気軽にお誘いなんてかけて来ないだろうし。そもそも俺が男だったとわかったらラケイン卿も目が覚めるだろう。でももうそのタイミングは失した。こんな訳の分からない状況で、今更あれは俺ですなんて言えない。あなたが惚れてたのは女装した俺ですなんて。

「うん、そうだよな。そうなんだけど、ちょっと問題があって。どうやらラケイン卿は、変装してた俺にちょっと気があったみたいなんだよね」
「……それであのような態度だったということか」
「いや、違う。待って。勘違いしてるだろ、そうじゃない。なんか違う。ラケイン卿はアルノルトに気がある訳じゃないから。あの人はアルノルトの姉に気があるの」
「……?」

 グウェンの顔が怪訝を通り越してうろんになった。
 余計に混乱をきたした。
 しまった、と思いながらも、口から出た言葉は回収できない。

「あなたには、姉はいないと」
「いないよ。想像上の姉だから。概念的なやつ。しかももう死んでる」
「……は?」

 理解不能という顔になったグウェンを横目で見ながら、俺は説明の仕方を誤ったのだということを痛感した。女装の話を回避しようとするあまり、話が混迷化している。
 グウェンの何を言っているんだ、という冷たい視線に耐えられなくなった俺はやむを得ないと判断して、十五歳の彼に恥しかない俺の黒歴史を明かすことにした。

「あのな、その……引かないで聞いてほしいんだけど、変装っていうのは、知り合いに頼まれてちょっとした女性っぽい衣装を……つまり女装してたわけ、俺が。誓ってやりたくてやったわけじゃない。嫌々やったの。そしたら何故かラケイン卿がその姿を気に入っちゃったらしくて。女装した俺を今でも探してるって言われたから、それは死んだ俺の姉だったってことにしたんだ。だからラケイン卿は死んだ姉の弟である俺には親しげなんだよ。……意味不明だな」

 自分で言っていて意味不明だ。
 なんだそれは。
 なんでこんなややこしいことになってしまったんだ。

 絶対にまた固まってるだろうと思って横目でグウェンを見たら、予想外にも彼は納得したという目で俺を見ていた。

「わかった」
「え? わかったの?」

 意外な返事に驚いて瞬きすると、彼はこくりと頷いた。

「女装だったと言われて腑に落ちた。私の部屋で見た」
「え?」
「緑色の婦人服を。あなたのものだろう」
「ごふっ」

 吐血するかと思った。

 盛大に咽せて動揺しまくり、「大丈夫か」と冷静な声をかけてくるグウェンに両手を上げて全力で首を横に振る。

 グウェンの奴、コスプレさせられた後目が覚めてから衣装がないなと思ったら、ちゃっかり自分の手元に隠してたのかよ!!
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