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第三部
六十九話 ゴーストナイトパレード アンコール 前
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◆
ボートはスピードを上げて、川の流れに乗ってぐんぐん進んでいく。
「元来た方に引き返さなくていいの?」
『はい。大丈夫です。このまま最初の場所まで戻れますから』
川の流れからは想像できないが、不思議な時空になっているのか元の場所にはちゃんと戻れるらしい。
神殿から離れて、人気もなく薄暗い川の上を船は疾走する。岸辺には相変わらずリコリスが咲き乱れているが、ボートの上の花はだんだん明るさを失っているように見えた。摘んでからしばらく経ったからだろうか。
「この花ってどうしたらいいんだろう」
船の上に積み上がる花を見下ろして俺がそう呟くと、ティティがグウェンの肩からふわっと飛び上がった。
「もう不要でしたら川に落としてください。精霊達の栄養になりますから」
そう言われて船の縁から川底を覗く。
試しに赤色のリコリスの花を一つを落とすと、不思議なことにそれは水に浮かばずに、ぷくぷくと小さな水泡を出しながら底に沈んでいった。船は速いからあっという間に目で追えなくなってしまうが、水の中で淡く光を放つ花はそのうち光を失って見えなくなる。
グウェンも座面に座ったまま、俺が花を川面に落とすのを眺めていた。
慌ただしく色々なことが過ぎたが、周りが静かになって船の上も暗くなると、いくぶん気持ちが落ち着いてきた。カブのランタンの中の炭も、もうだいぶ小さくなっている。
「黄泉の川って綺麗だったな、思ったよりも」
「ああ」
俺の呟きに頷いたグウェンに小さく微笑んだ。
霊達の気配もなくなったから、俺はボートの後方の座面に座り、花を落としながら岸辺の景色を眺める。
ティティは小さく翅を震わせて、船の上をくるくると飛んでいた。
『夜明けまでに間に合いそうでよかったです。私は川岸までしかお見送りできませんが、どうぞお気をつけて』
「ありがとう。最初に川原についたときはどうなることかと思ったけど、ティティのおかげでサリア様にも会えたし、助かったよ」
『お手伝いできて光栄でした』
金色の鱗粉を散らして、ティティは俺達の頭上からハキハキした声で答えてくれる。この女の子のような明るいトーンのおかげで気味の悪さも感じなかったし、迎えに来てくれたのがティティでよかったと思う。
『私もリコリスの花が咲くのを見るのは一年ぶりですから、楽しかったですよ』
「ティティは何色の花が好き? まだたくさんあるよ」
『色ですか? 青です』
そう答えた声を聞いて、俺は船に残っていた青色のリコリスを手に取った。長さが残っている茎の部分を丸く形作って輪にする。ティティを呼んで、目の前に飛んできた金色のオーブの上にその花輪をそっと乗せた。
一瞬乗るのか? と思ったが、リコリスの花はちゃんとティティの光る身体の上に被さる。
『ありがとうございます! 花輪を作ってもらうなんて久しぶりです』
嬉しそうな声を上げたティティは、花輪を落とさずにくるんと一回転した。
時間がないからと猛スピードで飛ばしたボートが最終的にジェットコースターみたいになってランタンが吹っ飛びかけるというアクシデントもあったが、船は最初に着いた岸辺に到着した。
白いイブニングドレスを着た女性はもういなくなっている。
グウェンが先に下りて、俺に手を貸してくれた。二人で岸に立つと、ティティがちらちら揺れながら俺達の目の前に飛んでくる。
『それではレイナルド様、グウェンドルフ様、地上では悪魔との戦いがあるようですから、どうぞお気をつけて』
「ありがとう。ティティも元気でね」
俺は笑顔でお礼を言って、川原に足を踏み出した。数歩歩いて、当然ついて来ると思ったグウェンの足音が聞こえないのに気づく。不思議に思って振り返ると、彼はまだ岸に立ったままだった。
「グウェン?」
彼はじっと前を見ていた。正確には、俺達を見送って船の上に浮かんでいるティティを。
どうかしたのかと尋ねようとした俺よりも先に、彼が口を開く。
「母上」
静かな声でそう言った彼の言葉にぽかんとした。
母上……?
ティティを見据えながら、彼はごく冷静に、いつもの無表情で川原に立っている。冗談を言うような人間ではないのはわかっているから、俺は呆気に取られてティティに視線を動かした。
金色に光る彼女は翅を細かく震えさせ、しばし無言だった。
それからすっとグウェンの目の前に飛んでくると、何か迷うように小刻みに揺れる。
何も言わないティティにグウェンがなおも口を開いた。
「ティティというのは、母の幼少の頃の愛称だったと昔マーサに聞いたことがある。……それから、長く病床にあった祖母が、母をそう呼んで可愛がっていたとも」
呟くようにそう言ったグウェンのセリフを、俺は呆然としたまま頭の中で反芻した。
確か、グウェンのお母さんの名前はレティシアだった。ティティというのは、確かにその名前の愛称としてはあり得るだろう。だとしても、本当に……?
「先ほど船の上で私と彼を助けてくれた金髪の少女の腕輪に、フォンフリーゼ公爵家の家紋が彫られていた。少女の顔は、昔本邸にあった祖母の若い頃の絵に似ていたように思う」
「えっ」
思わず小さく声が出た。
金髪の少女って、サリエル伯爵から俺達を助けてくれた、あの子か。
確かに、あの子は櫂を持った手に腕輪をしていた気がするけど、あの大変な状況でよくそんなところまで気づいたな。俺はサリエル伯爵の方に気を取られていて全然頭が回ってなかった。
……待てよ。この話の流れだと、つまりあの女の子は、もしやグウェンのお婆ちゃんで総帥の奥さんってことになる?
ええ??! と俺は放心しているが、そんな俺をよそにティティは小さな翅を震わせて、すうっと船の上に戻った。
『やっぱり、この姿だと口が軽くなってしまってダメね』
そう呟いた金色の丸い身体から、空気にほどけるようにして光の粒子がさあっと広がった。
かと思うと、次の瞬間、白いドレスの裾がふわっと翻り、一人の女性が現れる。長く緩やかにカーブした艶のあるプラチナブロンドに、明るい紫の瞳を持つ、綺麗な女性が。
彼女の頭の上には、俺が作った青いリコリスの小さな花輪が乗っていた。
俺はぽけっと口を開けて彼女を凝視した。
本当に、ティティが人間の姿になった。
面影がある。女性の目元は、グウェンが優しい顔をするときの目とそっくりだ。
「母上」
グウェンが瞠目して、掠れた声を出した。姿が変わるとは思っていなかったようだ。驚愕と動揺と、微かな哀愁が彼の黒い瞳に浮かんだ。
「あの姿になるとダメね。頭の中が少し幼くなるから口が軽くなってしまって。最後まで見守っていようと思ったのに」
苦笑した彼女は船の上に立って、グウェンを見つめた。
「あなたは今記憶を失って心に負荷がかかっている。だから余計な刺激を与えてはいけないと思って黙っていたの。でも気づいていたのね、やっぱり賢い子だわ」
嬉しそうに笑った女性を食い入るように見つめるグウェンの顔は強張っていた。緊張するように拳に力が入ったのを見て、同じように立ち尽くしていた俺はそっと彼の様子をうかがう。
俺の方にも顔を向けた彼女は口を綻ばせて笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「よかったわ。あなたに大切な人ができた。見つけることができたなら、あなたはもう大丈夫」
安心したようにそう言った彼女を、グウェンは強張った顔のまま黙って見つめていた。何か言い出そうとして、言えずに唇を噛み、ただずっと目の前の女性を見続けている。
言いたくても声に出せない彼の心情を理解しているのか、彼女は目を細めてグウェンを見つめ返した。
「グウェンドルフ、私は何も後悔していないわ。あのときあなたを守ろうとしたことも、ライネルを庇ったことも。私ではあなたの魔力暴走を止められなかった。だからあれは、誰にもどうすることもできなかったのよ」
その言葉を聞いてグウェンは短く息を詰め、「ですが……」と小さく声を絞り出した。
船の上の女性は首を横に振る。
「あなたは悪くない。幼かったあなたが負うべき罪は何もないわ。自分を責めては駄目」
「……」
青い顔で立ち尽くすグウェンを眺めて、彼女の目元がふんわりと緩んだ。
「母様は、誰も恨んでいないの。あなたがいつまでも悲しい顔をしているのを見る方が、母様はずっと辛いわ」
優しく言い聞かせるような声を聞いたグウェンは唇を震わせて、何かを堪えるような顔で拳を握る。
目を伏せた彼に、船の上から彼女が両手を伸ばした。
「あなたはちゃんと幸せになっていいのよ、グウェン」
そう名前を呼んだ彼女は、両手でグウェンの頬に触れた。指先の感触に驚いたのか彼は顔を上げ、しばらくその微笑みを見つめていたが、そのうちまた躊躇うように目を伏せた。
「けれど、父上は……私を許さない」
絞り出すようなその声を聞いて、今度は彼女が小さく息を飲んだ。切なそうに眉尻を下げ、彼女はグウェンの強張った顔を覗き込む。
「いいえ。聞いて、グウェン。あの人が許せないのは、私を救えなかった自分自身。でも心が弱いから、それをまだ認められないでいる。本当は、グウェンのせいではないことを父様ももうわかっているはず」
強い煌めきを宿す紫色の瞳が真っ直ぐに彼を見つめた。
「だからあなたは幸せになりなさい。あなたが幸せになった姿を見れば、あの人はいつか自分を許せる」
黙って自分を見るグウェンに向かって、彼女は微笑んだ。
「お父様があなたを愛せるようにすると言ったのに、辛い思いをさせてしまってごめんなさい。愛してるわ、私の可愛いグウェン。幸せになって。自由になりなさい。もう自分を許すの」
彼の瞳が、やがて大きく揺らいだ。
眉間に力が入り、泣くのを堪えるように口元が強張るのを、俺は黙って見守る。グウェンの顔を見ていたら、俺も胸の奥がぎゅっと切なくなった。
俺ではどうやっても埋めることができない場所が彼の中にもある。グウェンの奥深くにあるその穴を、お母さん自身が埋めてくれる。そんな奇跡みたいなことが起こるなんて、夢にも思っていなかった。
彼女はまた穏やかに微笑んで、両手でグウェンの頭を引き寄せると、彼の額にそっと口付けた。
「あなたは幸せになれる。自分を信じて」
「……はい」
ようやく頷いたグウェンを見て彼女は嬉しそうに笑った。
「ライネルをよろしくね。あの子も大事な人を見つけたみたいだから、母様はもう何も心配していないわ。グウェンも、今大変な最中だと思うけれど、あなたの運命の人はレイナルド様よ。離れてはダメ」
「はい」
「あなたは控えめな性格だから、やりすぎなくらいでちょうどいいの。絶対に離さないようにね」
そう言われてグウェンは素直に頷いている。
俺は彼女の最後のセリフを聞いて何やら引っかかるものを感じないでもなかったが、次に彼女が俺を見たので居住まいを正した。
グウェンから手を離した彼女はボートの上から俺に微笑む。
「レイナルド様、私が途中で手放してしまったものを、あなたはグウェンに与えてくれた。ありがとうございます。あなたがいれば、この子は大丈夫」
柔らかな口調で信頼の篭もった言葉を告げられて、俺は心からほっとした。目の前の女性がグウェンのお母さんだと思うと、俺達の関係を認めてもらえることが素直に嬉しいと思う。
「地上のことには口を出せないから、頑張ってとしか言えないけれど、応援しているわ。大丈夫。あなた達は一緒にいれば、全て上手くいく」
俺とグウェンを励ますようにそう言った彼女は、川原の奥を指差した。
「もう夜が明けるわ。急いで」
その声に時計を取り出して見ると、確かに夜明けまでもう時間がない。
もっと話したいが、地上に戻らなければならない。グウェンには悪いと思ったが、彼に歩み寄ってその手を取った。
「行こう、グウェン」
「ああ」
俺の顔を見下ろして頷いたグウェンの目はもうしっかりしていた。いつもの通り真っ直ぐな力強さを感じさせる彼の瞳に安心して、俺は船の上に立つグウェンのお母さんに頭を下げた。
「ありがとうございました。グウェンのことは俺に任せてください。必ず幸せにします」
「よろしくお願いします。花輪をありがとう、レイナルド様。幸運を」
優しい笑みで答えた彼女は手を振る。
俺はグウェンの手を引いて川に背を向けた。
グウェンは今度は立ち止まることなくついて来る。
黙ったままの彼にすぐにかける言葉も見つからなくて、グウェンの手を握る指先に力を込めた。砂利で覆われた川原を歩きながら、グウェンも手をしっかりと握り返してくれる。
最初にこの場所を歩いたときよりも、彼の足取りは幾分しっかりしているような気がした。
ボートはスピードを上げて、川の流れに乗ってぐんぐん進んでいく。
「元来た方に引き返さなくていいの?」
『はい。大丈夫です。このまま最初の場所まで戻れますから』
川の流れからは想像できないが、不思議な時空になっているのか元の場所にはちゃんと戻れるらしい。
神殿から離れて、人気もなく薄暗い川の上を船は疾走する。岸辺には相変わらずリコリスが咲き乱れているが、ボートの上の花はだんだん明るさを失っているように見えた。摘んでからしばらく経ったからだろうか。
「この花ってどうしたらいいんだろう」
船の上に積み上がる花を見下ろして俺がそう呟くと、ティティがグウェンの肩からふわっと飛び上がった。
「もう不要でしたら川に落としてください。精霊達の栄養になりますから」
そう言われて船の縁から川底を覗く。
試しに赤色のリコリスの花を一つを落とすと、不思議なことにそれは水に浮かばずに、ぷくぷくと小さな水泡を出しながら底に沈んでいった。船は速いからあっという間に目で追えなくなってしまうが、水の中で淡く光を放つ花はそのうち光を失って見えなくなる。
グウェンも座面に座ったまま、俺が花を川面に落とすのを眺めていた。
慌ただしく色々なことが過ぎたが、周りが静かになって船の上も暗くなると、いくぶん気持ちが落ち着いてきた。カブのランタンの中の炭も、もうだいぶ小さくなっている。
「黄泉の川って綺麗だったな、思ったよりも」
「ああ」
俺の呟きに頷いたグウェンに小さく微笑んだ。
霊達の気配もなくなったから、俺はボートの後方の座面に座り、花を落としながら岸辺の景色を眺める。
ティティは小さく翅を震わせて、船の上をくるくると飛んでいた。
『夜明けまでに間に合いそうでよかったです。私は川岸までしかお見送りできませんが、どうぞお気をつけて』
「ありがとう。最初に川原についたときはどうなることかと思ったけど、ティティのおかげでサリア様にも会えたし、助かったよ」
『お手伝いできて光栄でした』
金色の鱗粉を散らして、ティティは俺達の頭上からハキハキした声で答えてくれる。この女の子のような明るいトーンのおかげで気味の悪さも感じなかったし、迎えに来てくれたのがティティでよかったと思う。
『私もリコリスの花が咲くのを見るのは一年ぶりですから、楽しかったですよ』
「ティティは何色の花が好き? まだたくさんあるよ」
『色ですか? 青です』
そう答えた声を聞いて、俺は船に残っていた青色のリコリスを手に取った。長さが残っている茎の部分を丸く形作って輪にする。ティティを呼んで、目の前に飛んできた金色のオーブの上にその花輪をそっと乗せた。
一瞬乗るのか? と思ったが、リコリスの花はちゃんとティティの光る身体の上に被さる。
『ありがとうございます! 花輪を作ってもらうなんて久しぶりです』
嬉しそうな声を上げたティティは、花輪を落とさずにくるんと一回転した。
時間がないからと猛スピードで飛ばしたボートが最終的にジェットコースターみたいになってランタンが吹っ飛びかけるというアクシデントもあったが、船は最初に着いた岸辺に到着した。
白いイブニングドレスを着た女性はもういなくなっている。
グウェンが先に下りて、俺に手を貸してくれた。二人で岸に立つと、ティティがちらちら揺れながら俺達の目の前に飛んでくる。
『それではレイナルド様、グウェンドルフ様、地上では悪魔との戦いがあるようですから、どうぞお気をつけて』
「ありがとう。ティティも元気でね」
俺は笑顔でお礼を言って、川原に足を踏み出した。数歩歩いて、当然ついて来ると思ったグウェンの足音が聞こえないのに気づく。不思議に思って振り返ると、彼はまだ岸に立ったままだった。
「グウェン?」
彼はじっと前を見ていた。正確には、俺達を見送って船の上に浮かんでいるティティを。
どうかしたのかと尋ねようとした俺よりも先に、彼が口を開く。
「母上」
静かな声でそう言った彼の言葉にぽかんとした。
母上……?
ティティを見据えながら、彼はごく冷静に、いつもの無表情で川原に立っている。冗談を言うような人間ではないのはわかっているから、俺は呆気に取られてティティに視線を動かした。
金色に光る彼女は翅を細かく震えさせ、しばし無言だった。
それからすっとグウェンの目の前に飛んでくると、何か迷うように小刻みに揺れる。
何も言わないティティにグウェンがなおも口を開いた。
「ティティというのは、母の幼少の頃の愛称だったと昔マーサに聞いたことがある。……それから、長く病床にあった祖母が、母をそう呼んで可愛がっていたとも」
呟くようにそう言ったグウェンのセリフを、俺は呆然としたまま頭の中で反芻した。
確か、グウェンのお母さんの名前はレティシアだった。ティティというのは、確かにその名前の愛称としてはあり得るだろう。だとしても、本当に……?
「先ほど船の上で私と彼を助けてくれた金髪の少女の腕輪に、フォンフリーゼ公爵家の家紋が彫られていた。少女の顔は、昔本邸にあった祖母の若い頃の絵に似ていたように思う」
「えっ」
思わず小さく声が出た。
金髪の少女って、サリエル伯爵から俺達を助けてくれた、あの子か。
確かに、あの子は櫂を持った手に腕輪をしていた気がするけど、あの大変な状況でよくそんなところまで気づいたな。俺はサリエル伯爵の方に気を取られていて全然頭が回ってなかった。
……待てよ。この話の流れだと、つまりあの女の子は、もしやグウェンのお婆ちゃんで総帥の奥さんってことになる?
ええ??! と俺は放心しているが、そんな俺をよそにティティは小さな翅を震わせて、すうっと船の上に戻った。
『やっぱり、この姿だと口が軽くなってしまってダメね』
そう呟いた金色の丸い身体から、空気にほどけるようにして光の粒子がさあっと広がった。
かと思うと、次の瞬間、白いドレスの裾がふわっと翻り、一人の女性が現れる。長く緩やかにカーブした艶のあるプラチナブロンドに、明るい紫の瞳を持つ、綺麗な女性が。
彼女の頭の上には、俺が作った青いリコリスの小さな花輪が乗っていた。
俺はぽけっと口を開けて彼女を凝視した。
本当に、ティティが人間の姿になった。
面影がある。女性の目元は、グウェンが優しい顔をするときの目とそっくりだ。
「母上」
グウェンが瞠目して、掠れた声を出した。姿が変わるとは思っていなかったようだ。驚愕と動揺と、微かな哀愁が彼の黒い瞳に浮かんだ。
「あの姿になるとダメね。頭の中が少し幼くなるから口が軽くなってしまって。最後まで見守っていようと思ったのに」
苦笑した彼女は船の上に立って、グウェンを見つめた。
「あなたは今記憶を失って心に負荷がかかっている。だから余計な刺激を与えてはいけないと思って黙っていたの。でも気づいていたのね、やっぱり賢い子だわ」
嬉しそうに笑った女性を食い入るように見つめるグウェンの顔は強張っていた。緊張するように拳に力が入ったのを見て、同じように立ち尽くしていた俺はそっと彼の様子をうかがう。
俺の方にも顔を向けた彼女は口を綻ばせて笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「よかったわ。あなたに大切な人ができた。見つけることができたなら、あなたはもう大丈夫」
安心したようにそう言った彼女を、グウェンは強張った顔のまま黙って見つめていた。何か言い出そうとして、言えずに唇を噛み、ただずっと目の前の女性を見続けている。
言いたくても声に出せない彼の心情を理解しているのか、彼女は目を細めてグウェンを見つめ返した。
「グウェンドルフ、私は何も後悔していないわ。あのときあなたを守ろうとしたことも、ライネルを庇ったことも。私ではあなたの魔力暴走を止められなかった。だからあれは、誰にもどうすることもできなかったのよ」
その言葉を聞いてグウェンは短く息を詰め、「ですが……」と小さく声を絞り出した。
船の上の女性は首を横に振る。
「あなたは悪くない。幼かったあなたが負うべき罪は何もないわ。自分を責めては駄目」
「……」
青い顔で立ち尽くすグウェンを眺めて、彼女の目元がふんわりと緩んだ。
「母様は、誰も恨んでいないの。あなたがいつまでも悲しい顔をしているのを見る方が、母様はずっと辛いわ」
優しく言い聞かせるような声を聞いたグウェンは唇を震わせて、何かを堪えるような顔で拳を握る。
目を伏せた彼に、船の上から彼女が両手を伸ばした。
「あなたはちゃんと幸せになっていいのよ、グウェン」
そう名前を呼んだ彼女は、両手でグウェンの頬に触れた。指先の感触に驚いたのか彼は顔を上げ、しばらくその微笑みを見つめていたが、そのうちまた躊躇うように目を伏せた。
「けれど、父上は……私を許さない」
絞り出すようなその声を聞いて、今度は彼女が小さく息を飲んだ。切なそうに眉尻を下げ、彼女はグウェンの強張った顔を覗き込む。
「いいえ。聞いて、グウェン。あの人が許せないのは、私を救えなかった自分自身。でも心が弱いから、それをまだ認められないでいる。本当は、グウェンのせいではないことを父様ももうわかっているはず」
強い煌めきを宿す紫色の瞳が真っ直ぐに彼を見つめた。
「だからあなたは幸せになりなさい。あなたが幸せになった姿を見れば、あの人はいつか自分を許せる」
黙って自分を見るグウェンに向かって、彼女は微笑んだ。
「お父様があなたを愛せるようにすると言ったのに、辛い思いをさせてしまってごめんなさい。愛してるわ、私の可愛いグウェン。幸せになって。自由になりなさい。もう自分を許すの」
彼の瞳が、やがて大きく揺らいだ。
眉間に力が入り、泣くのを堪えるように口元が強張るのを、俺は黙って見守る。グウェンの顔を見ていたら、俺も胸の奥がぎゅっと切なくなった。
俺ではどうやっても埋めることができない場所が彼の中にもある。グウェンの奥深くにあるその穴を、お母さん自身が埋めてくれる。そんな奇跡みたいなことが起こるなんて、夢にも思っていなかった。
彼女はまた穏やかに微笑んで、両手でグウェンの頭を引き寄せると、彼の額にそっと口付けた。
「あなたは幸せになれる。自分を信じて」
「……はい」
ようやく頷いたグウェンを見て彼女は嬉しそうに笑った。
「ライネルをよろしくね。あの子も大事な人を見つけたみたいだから、母様はもう何も心配していないわ。グウェンも、今大変な最中だと思うけれど、あなたの運命の人はレイナルド様よ。離れてはダメ」
「はい」
「あなたは控えめな性格だから、やりすぎなくらいでちょうどいいの。絶対に離さないようにね」
そう言われてグウェンは素直に頷いている。
俺は彼女の最後のセリフを聞いて何やら引っかかるものを感じないでもなかったが、次に彼女が俺を見たので居住まいを正した。
グウェンから手を離した彼女はボートの上から俺に微笑む。
「レイナルド様、私が途中で手放してしまったものを、あなたはグウェンに与えてくれた。ありがとうございます。あなたがいれば、この子は大丈夫」
柔らかな口調で信頼の篭もった言葉を告げられて、俺は心からほっとした。目の前の女性がグウェンのお母さんだと思うと、俺達の関係を認めてもらえることが素直に嬉しいと思う。
「地上のことには口を出せないから、頑張ってとしか言えないけれど、応援しているわ。大丈夫。あなた達は一緒にいれば、全て上手くいく」
俺とグウェンを励ますようにそう言った彼女は、川原の奥を指差した。
「もう夜が明けるわ。急いで」
その声に時計を取り出して見ると、確かに夜明けまでもう時間がない。
もっと話したいが、地上に戻らなければならない。グウェンには悪いと思ったが、彼に歩み寄ってその手を取った。
「行こう、グウェン」
「ああ」
俺の顔を見下ろして頷いたグウェンの目はもうしっかりしていた。いつもの通り真っ直ぐな力強さを感じさせる彼の瞳に安心して、俺は船の上に立つグウェンのお母さんに頭を下げた。
「ありがとうございました。グウェンのことは俺に任せてください。必ず幸せにします」
「よろしくお願いします。花輪をありがとう、レイナルド様。幸運を」
優しい笑みで答えた彼女は手を振る。
俺はグウェンの手を引いて川に背を向けた。
グウェンは今度は立ち止まることなくついて来る。
黙ったままの彼にすぐにかける言葉も見つからなくて、グウェンの手を握る指先に力を込めた。砂利で覆われた川原を歩きながら、グウェンも手をしっかりと握り返してくれる。
最初にこの場所を歩いたときよりも、彼の足取りは幾分しっかりしているような気がした。
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