異世界で演技スキルを駆使して運命を切り開く

第五章

恐怖と安堵の狭間で

昼食が終わり、レイチェル夫人は片付けを始めた。
私は手伝おうと立ち上がったが、彼女は優しく制止した。

「顔色が悪いですよ。ゆっくり休んでください。あなたの体はまだ回復途中ですから。」

少し戸惑いながらも、彼女の言葉に従って再びベッドに戻った。
柔らかなベッドに横たわると、体の緊張が少しずつ解けていくのを感じた。
リックさんはどうしているのだろうか。
彼の冷静で頼もしい姿が頭をよぎり、無事でいてほしいと祈る気持ちが湧き上がった。
それに祖父のことも心配だ。
あの優しい笑顔が見られなくなるのは耐えられない。

二人ともどうか無事で居て……。

二人とも強いから心配ないはずだと自分に言い聞かせた。
それよりもきっと私が無事かどうかを心配しているだろう。
そう思うと胸が締め付けられた。
どうすれば二人に再会できるのか、これからの事を考えずにはいられなかった。

窓の外を見ると、午後の陽光が柔らかく差し込み、部屋を温かい光で満たしていた。
外の鳥のさえずりがかすかに聞こえ、平和な時間が流れていることを実感した。
しかし心の中には、まだ不安と恐怖が渦巻いていた。

記憶喪失の演技を続けることが最善の策だと思っていたが、心に違和感を感じていた。
盗賊に襲われたときの恐怖がまだ鮮明に残っていた。
目を閉じると、あの夜の冷たい風の感触や盗賊たちの荒々しい声が耳元で再生されるようだった。
心臓が早鐘のように鳴り、全身に冷や汗が浮かんだ。
生き残るためとはいえ、こんな善良な夫人を騙そうとしている罪悪感が心を蝕んでいた。
この症状が明らかになれば、彼女にさらに迷惑をかけてしまうかもしれないという不安があった。

その時、突然ドアがノックされ、若い男性が入ってきた。
彼は短髪で整った顔立ちをしており、淡い緑色のローブをまとっていた。
微笑みながら近づいてきたが、私は無意識に体を硬直させた。
彼の一歩一歩が私にとって巨大な脅威のように感じられた。

あの夜、冷たい風が吹きすさび、彼らの笑い声が耳元でこだました。
「この女、高く売れそうだ」という言葉が再び頭の中で響き渡った。
無理やり引きずられるときに感じた絶望感、草木が肌を刺す痛み、恐怖に震える体。
私は無力だった。
ただ無力だった。

「こんにちは、お加減はいかがですか？」

彼の声は優しかったが、その声が私の恐怖を和らげることはなかった。
ベッドの端に寄り、彼との距離を少しでも広げようとした。

「……ええ、なんとか。」

声が震えていた。
彼がさらに一歩近づくと、思わず体を後ろに引いた。
あの暗い森の中で冷たい風が頬を切るように吹き、無力感と恐怖に包まれた瞬間が頭をよぎった。
引きずられる中で感じた恐怖と絶望が再び全身を覆った。

「こ、来ないでください。近寄らないで……。」

パニックになりそうだった。
男性が、とても怖い……。

「大丈夫ですよ、怖がらないでください。レイチェル夫人からお話を伺いました。記憶がないのですよね？私はここであなたの状態を診させてもらうために来ました。」

彼の言葉が頭の中でこだました。
どうしてこんなに怖いの？ 
彼は私を助けようとしているだけなのに。
心の中の恐怖と戦いながら、必死に冷静を保とうとする。

その時、レイチェル夫人が部屋に入ってきた。

「お嬢様、大丈夫ですか？」

彼女の優しい声が耳に届き、少しだけ安心した。
目を開けると、彼女が心配そうにこちらを見ていた。

「すみません、少し驚いてしまって。」

嘘をつき続けることに罪悪感を感じながらも、彼女の優しさに救われる気持ちだった。

レイチェル夫人は微笑んで私の肩に手を置いた。

「わかりました。彼は私の信頼する治癒師見習いなんです。無理をしないで、少しずつ慣れていけばいいのですよ。」

彼女の言葉に、少しずつ気持ちを落ち着けた。
彼女がそばにいてくれることで、少しだけ安心できた。

「ありがとうございます。少し休ませてください。」

再びベッドに横たわり、目を閉じた。
これはPTSDなのかもしれない。

頭の中で必死にリックさんのことを思い出そうとした。

それだけが今、心の拠り所だった。


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＊PTSD（心的外傷後ストレス障害）