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第壱章 出刃包丁と夜の街

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 私は開けた交差点へと足を進める。中央に開襟かいきんシャツの男がいて、裂かれて飛ばされた材木がまばらにあたりへ落ちていた。

 男は腕をダラリと垂らしたまま私をじぃっと見る。わずかに口角を上げて笑みを浮かべているはずなのに、笑顔に見えない。

「おうおう。こんな夜更けに賑やかだねぇ。痴情のもつれにゃ、ちと派手すぎるな」

 もちろん違うと私は知っている。砂利を踏み鳴らしながら、キセルの吸い口を放さぬままに散らばる大小の材木へと紫煙を吹きかける。
 私の身の丈を超える材木もあれば、破片となって散らばる小片もある。開襟シャツの男は私をじぃっと見たまま視線を放さない。

「お前に関係はない。去れ!」

 耳に響く音の歪んだ声だった。悲鳴にも聞こえ男はずいぶん病んでいる。そう思えた。

「話くらいは聞かせてくれねぇかな? お前の名は?」

「語ることなどない」

 せっかちだねぇ。と言いつつ私はキセルの煙管を撫でる。手っ取り早く男を煙に巻きたいが、そう簡単にはいかないらしい。男は包丁を振り上げ地面に刺した。

「・・・秋桜あきざくら

 男の口元が言葉を音にする。男から離れているのにもかかわらず地面が揺れ、私は宙へと跳ねた。
 見ると今まで私がいたはずの地面からは土煙を纏う円形の刃がせり上がる。

 つぼみにも似ている刃は、風と共に舞がある私の足元へと到達し、四方に刃を振り下ろした。花弁が開くように地面を裂いた刃の向こうに男がいた。
 
 宙に浮かんだまま私は右手を地面へ向けた。そこには紫煙と土煙に巻かれた大小の材木がある。

「焼かれてちりじりに裂かれちゃぁ。大黒柱の名が泣くねぇ。主人を守るお役目だけはまさか忘れていないよな? 今宵はワシがお主らの主人だ。再び存分に尽くしてはくれねぇかい?」
 
 紫煙は広がり散らばった木材へと降り注ぐ。まとわりついて煙に巻かれた材木が意志を抱いて私の四方へと浮かび上がった。
 風に乗ってゆっくりと裂かれた地面に舞い降りる。私の周囲に漂って、今か今かと鼓動を速めているのはわかる。

「そろそろ幕だよ。包丁の旦那。あんたの因果を覗いてやろう」

 私は足を踏み出して、男の頭上へと飛ぶ。身をそらしながら反転し、頭を男に向ける。
 宙を蹴りつつ煙に巻かれた木材を開襟シャツの男に放った。降り注ぐ木材は底の見えない瞳で私を見上げる男の周囲に降り注ぎ、組まれ男を囲っていく。
 人によって奪われた柱としての役割を再び果たそうとしているのだ。木材の合間から男が変わらずこちらを睨みつけていた。開襟シャツの男は身じろぎし、まとわりつく木材を払うように包丁を何度も振るう。

 役目を終えた木材たちは切り裂かれ、地に落ちていく。

 私は草履で空を蹴り、左右に身を回転させつつ刃を避ける。眼前に開襟シャツの男が迫った。男は笑う。諦めにも似た表情の意図はわからない。

 私は紫煙をくゆらせる。かつて物であった付喪の思いを組んで、煙に巻いてやろう。いつもと同じように。人と物の因果を夜と煙で払ってやろう。

 男の足元に黒い影が伸びた。

 黒い雨が降り注いだ後の水たまりのように、ねっとりと粘度を増した影が円形に広がる。

 まだ何かやるつもりかい。両手を伸ばして組んで身構える。影は中心から波紋が広がり、反響し波紋の高さを増していく。開襟シャツの男は困惑していた。身じろぎし足元の影に何度も包丁を振るう。

 しかし影は斬り裂けない。

 波紋を反響させる影は一度凪ぐ。凪いだ後に中央が窪みを作って激しく膨張し、いく筋の細長いイバラが影から伸びて男を包んでいく。
 
 おいおい・・・私は男に向けるはずだった紫煙をイバラに向ける。しかしイバラは紫煙さえも切り裂いた。私は身をかがめてイバラから離れるように宙を蹴る。

 私の後を追うようにイバラは地面から見上げるほどに伸び続け、ようやくイバラが収まるころには開襟シャツの男が遠く離れた場所にいた。

 私を追っていたイバラは切っ先を今度は開襟シャツの男へ向ける。しかし今度はイバラが切り裂かれ、影のイバラが消えることには男の姿が見えなくなっていた。
 
 消えた男の代わりに人影が見えた。

 月の光を逆光に立つ長身の男。隣には男の腰ほどしか背丈がない子供だろうか。見たこともない派手な洋装に身を包んでいる。左手に持つキセルがほどけて、白蛇が姿を現した。

「おいてめぇ。付喪つくもが増えているじゃねぇか。数を数えらんねえのか? 」

 奇妙なふたりから視線を外さずに私は白蛇へと口を尖らす。避難の言葉を避けるように白蛇は左右へ体を歪め、小さな口を開く。

「知らんがな! あんな? 神さんといえど万能とちゃうんや。付喪と違って、人の形を得た付喪之人つくものひとの匂いはほとんど人なんやさかい。隠されたらわからへん」

「神でもか?」

「神でもや。あんなぁ。十人十色っていうやろ? 神さんだってたくさんおんねん。そこらへんは優しくしてもらわんといかん」

「人でもか?」

「人でもや!」

 口の減らない付喪神だ。という間もなく白蛇は逃げるように銀色のキセルへと姿を変えた。
 遠くに見える細身の男が隣の子供に手を伸ばす。子供は細身な男の手を取ってふたりは雲の合間から伸びる、月の光へと向かって歩き始めた。そして影の中へ呑まれて消えていく。

 まったく面倒になったものだと、私は女給仕を隠したレンガ造りの建物へと目を向ける。地面にへたりこみ気を失う女の姿がそこにはあった。
 
 まったく面倒になったものだ。私はキセルの吸い、紫煙を口元から吐き出す。
 
 紫煙が眼前を染めて夜の中に漂って消えていった。
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