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第参章 拳銃と人形
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「このまま体を裂いてやろう。臓物を見た後に私でよければ縫い合わせてやるよ。得意だからな」
勝利を確信した笑みだった。三日月のように奇妙に口元は綻んでいる。
「その前に俺がお前の中を見てやろう。さてさてどんな因果があるか。付喪と成り果てた因果を覗いてやる」
眼前で目を丸める男に私は紫煙を吹きかける。白蛇のキセルは物に役割を与えることができる。与えられた役割を煙に巻き新しい役割を与える。しかしその本質は煙に巻かれた相手の想いを知ることに他ならない。
真の心を知らなければ、役割を与えるなどということはできないのだから。
男は紫煙に巻かれていった。左手で何度も紫煙を振り払おうとしても、中身を覗こうとする白蛇からは逃れられない。次第に私の視界もまぶたを開いたまま黒く染まる。
男の中へと私は潜る。因果を知るために一緒に煙へと巻かれてやるのだ。
世界が暗転する。
一瞬の暗転が終わり、まぶたを開くと赤い絨毯が見えた。窓にかかる赤黒い幕の前に装飾された椅子が見えた。西洋仕立ての赤い衣服に身を包んだ女性がいる。女性は目尻を和らげて私を見ていた。隣には淡い茶色の背広を着た男性が女性の肩に手を置いている。
私の視線は男のずっと下にあり、自分がまだ幼子だと気がついた。
「ねぇねぇ。お兄さま。今日はお人形を作らないの?」
凛と宙に浮かぶ花のような声が聞こえる。声は未熟で語尾は緩やかに間延びして消えていった。
「そうだよ。お父さま。今日も教えてくれるんでしょう?」
私の声もまだ未熟だ。少女のように可憐でありながらよく通る声をしている。私に視線を向けられた背広姿の男は高らかに笑い、私に近づく。膝を折って私の頭に手を置いた。
「さすがヤハズは夜桐家の跡取りだな。人形作家の家系である夜桐家の当主としてふさわしい。家を支えてきたのはそのような探究心なのだからな」
ヤハズと呼ばれたな。そして夜桐家だと。そこで私は人ではない燕尾服の男が、夜桐ヤハズだと知る。聞いたこともない家柄だが、少なくともそれゆえに夜桐ヤハズは人形であるのだろう。
消えかけた街灯のように、視界が点滅する。そして歪んで再び暗転した。
白蛇の煙に巻かれた人や物は、想いもまた煙に巻かれて私の脳裏に浮かび上がる。心の上澄みにある最も強い想いを私に浮かび上がらせる。
その時だけ私は、煙に巻かれた人や物の中に入り、因果を知るのだ。物に役割を与えるとは別の、神がかった力である。
場面が変わった。赤い絨毯の部屋であるのは変わらない。
ただ上流家庭の理想を体現した両親と、綺麗に着飾った妹は地に伏せていた。
血だまりの中に沈んだ家族をヤハズはじっと見ている。
「犬神憑きめ! 永劫呪われてしまえ! 財を独り占めした末路だ! 地獄で噛みしめろ」
家族を農具で襲い、高らかに笑いながら貫く同じ村の住人の声が脳裏に流れる。家族の亡骸を眺めるヤハズは何度も思い出していた。
犬神憑き・・・本当に犬神に憑かれた訳ではないだろう。ただ人より裕福であったために、的外れな恨みと嫉妬を一心に受け、ヤハズは家族を失ったのだ。ふるめかしい因襲。人の愚かな習性である。
「なぜ人はこうも形が崩れてしまうのだろうか。それはそこに命があるからだ。美しかった母さまも、あれほど愛した妹も・・・そして憧れた父も命を失えば醜く腐るだけなのだ」
ヤハズの心が壊れていくのがわかった。窓の外では煌々と松明が燃え盛る。いつの時代にも人の心は醜い。ヤハズの脳裏に屋敷に攻め入る複数の住人の姿が見えた。
まず妹は農具で貫かれ、両親は必死にヤハズを戸棚に隠し、かばって死んだ。
ヤハズは両親の亡骸をそのままにして、屋敷の奥へと歩き出す。廊下の端には鉄の扉があり、開くと地下に続く階段が見えた。冷たく暗い階下へとヤハズは足を進める。
「永遠の美とは何か。それは不滅であるということだ。いかに美しく仕立て上げられてもいつかは崩れる。腐って果てる。ならば不死で不滅であることが、美なのだ」
まぶたが閉じるように暗転する。
つまりはヤハズの家族は人に殺され、ヤハズはひとりになったのだ。壊れた心を繋ぎ止めているのは不死で不滅の美を模ること。
なんとも愚かだと思った。たとえ物だろうと、人形だろうといつかは朽ちる。
それこそ神にならない限りは・・・不滅とはならないのだ。
長い時間が経ったように感じた。眼前で人形を模る私の両手には筋が浮かび、長く伸びた色を失った顎ヒゲが眼前で揺れる。ヤハズは長い時間をかけて、己の命を削りながら人形を模る。
丸く大きな瞳と丸く柔らかな頬。整った顎先と細く伸びる手足は西洋仕立ての洋装に包まれていた。黒い洋装の袖には白く柔らかな布で装飾がされ、黒く長い髪はまるで人のように艶やかだった。ヤハズの母に似た髪だ。
誰の目から見ても、人からかけ離れた美しい人形に、ヤハズは文字通り魂を、想いを注いでいく。
あぁ。こうやって人形は付喪になったのだ。悲劇の人形作家から妄執を一身に受けて、人の形を得ずとも人形の形のままで付喪と、いや・・・付喪之人となったのだ。
本来、付喪が付喪之人になるには人の体が必要である。
そのために付喪は人の体を奪い、成り代わる。もしそれが人形であるならば、成り代わる工程はいらない。ヤハズはおそらく知らなかったのだろう。そして人形がまばたきをした。ゆっくりと、命が生まれていた。
代わりにヤハズの視線はズルズルと床へと向かう。
「ああ。紛れもなくあなたは私の姫だ。私は紛れもなく命を、不死なる命を、美を生んだのだ。この手で」
朦朧とした意識と、たどたどしく紡がれる言葉はやがて消える。視界に見えるすべてが白い煙に溶けていく。
これが夜桐ヤハズという人形作家の因果だ。私と同じように人へ見切りをつけて、人形の中に永遠を見た。失われた命への否定。妄執で付喪之人を生んだ。
しかしなぜ・・・夜桐ヤハズもまた人形となったのだ?
それに出刃包丁の男はまるで心の中には浮かんでいない。
姫と呼ばれた人形に命を与えた瞬間に、ヤハズの命は失われたのにもかかわらず、ヤハズは人形となっている。
視界が開けるとヤハズは、まとわりついていた白蛇の紫煙を振り払ったところだった。
人の一生よりも長く、まばたきよりも短い一瞬で、少なくとも私は夜桐ヤハズの因果を見た。
仕方がないとはいえ、人や物の想いを踏みにじる醜い力だ。恐ろしく残酷な力は私が物を使役する、使役していると信じている人であるからに違いない。
醜い力だ。滑稽でもある。
私は夜桐ヤハズへと顎先を向ける。煙をすっかり振り払ったヤハズは右手を引いて、キリキリと私の体を銀の糸が締め上げた。
「貴様・・・何をした!?」
ふん。と私は鼻を鳴らす。不完全ではあるものの、因果はとうに知れている。
「なになに。夜桐ヤハズ殿。それで永遠の命は、不滅なる美は得られたのかい?」
勝利を確信した笑みだった。三日月のように奇妙に口元は綻んでいる。
「その前に俺がお前の中を見てやろう。さてさてどんな因果があるか。付喪と成り果てた因果を覗いてやる」
眼前で目を丸める男に私は紫煙を吹きかける。白蛇のキセルは物に役割を与えることができる。与えられた役割を煙に巻き新しい役割を与える。しかしその本質は煙に巻かれた相手の想いを知ることに他ならない。
真の心を知らなければ、役割を与えるなどということはできないのだから。
男は紫煙に巻かれていった。左手で何度も紫煙を振り払おうとしても、中身を覗こうとする白蛇からは逃れられない。次第に私の視界もまぶたを開いたまま黒く染まる。
男の中へと私は潜る。因果を知るために一緒に煙へと巻かれてやるのだ。
世界が暗転する。
一瞬の暗転が終わり、まぶたを開くと赤い絨毯が見えた。窓にかかる赤黒い幕の前に装飾された椅子が見えた。西洋仕立ての赤い衣服に身を包んだ女性がいる。女性は目尻を和らげて私を見ていた。隣には淡い茶色の背広を着た男性が女性の肩に手を置いている。
私の視線は男のずっと下にあり、自分がまだ幼子だと気がついた。
「ねぇねぇ。お兄さま。今日はお人形を作らないの?」
凛と宙に浮かぶ花のような声が聞こえる。声は未熟で語尾は緩やかに間延びして消えていった。
「そうだよ。お父さま。今日も教えてくれるんでしょう?」
私の声もまだ未熟だ。少女のように可憐でありながらよく通る声をしている。私に視線を向けられた背広姿の男は高らかに笑い、私に近づく。膝を折って私の頭に手を置いた。
「さすがヤハズは夜桐家の跡取りだな。人形作家の家系である夜桐家の当主としてふさわしい。家を支えてきたのはそのような探究心なのだからな」
ヤハズと呼ばれたな。そして夜桐家だと。そこで私は人ではない燕尾服の男が、夜桐ヤハズだと知る。聞いたこともない家柄だが、少なくともそれゆえに夜桐ヤハズは人形であるのだろう。
消えかけた街灯のように、視界が点滅する。そして歪んで再び暗転した。
白蛇の煙に巻かれた人や物は、想いもまた煙に巻かれて私の脳裏に浮かび上がる。心の上澄みにある最も強い想いを私に浮かび上がらせる。
その時だけ私は、煙に巻かれた人や物の中に入り、因果を知るのだ。物に役割を与えるとは別の、神がかった力である。
場面が変わった。赤い絨毯の部屋であるのは変わらない。
ただ上流家庭の理想を体現した両親と、綺麗に着飾った妹は地に伏せていた。
血だまりの中に沈んだ家族をヤハズはじっと見ている。
「犬神憑きめ! 永劫呪われてしまえ! 財を独り占めした末路だ! 地獄で噛みしめろ」
家族を農具で襲い、高らかに笑いながら貫く同じ村の住人の声が脳裏に流れる。家族の亡骸を眺めるヤハズは何度も思い出していた。
犬神憑き・・・本当に犬神に憑かれた訳ではないだろう。ただ人より裕福であったために、的外れな恨みと嫉妬を一心に受け、ヤハズは家族を失ったのだ。ふるめかしい因襲。人の愚かな習性である。
「なぜ人はこうも形が崩れてしまうのだろうか。それはそこに命があるからだ。美しかった母さまも、あれほど愛した妹も・・・そして憧れた父も命を失えば醜く腐るだけなのだ」
ヤハズの心が壊れていくのがわかった。窓の外では煌々と松明が燃え盛る。いつの時代にも人の心は醜い。ヤハズの脳裏に屋敷に攻め入る複数の住人の姿が見えた。
まず妹は農具で貫かれ、両親は必死にヤハズを戸棚に隠し、かばって死んだ。
ヤハズは両親の亡骸をそのままにして、屋敷の奥へと歩き出す。廊下の端には鉄の扉があり、開くと地下に続く階段が見えた。冷たく暗い階下へとヤハズは足を進める。
「永遠の美とは何か。それは不滅であるということだ。いかに美しく仕立て上げられてもいつかは崩れる。腐って果てる。ならば不死で不滅であることが、美なのだ」
まぶたが閉じるように暗転する。
つまりはヤハズの家族は人に殺され、ヤハズはひとりになったのだ。壊れた心を繋ぎ止めているのは不死で不滅の美を模ること。
なんとも愚かだと思った。たとえ物だろうと、人形だろうといつかは朽ちる。
それこそ神にならない限りは・・・不滅とはならないのだ。
長い時間が経ったように感じた。眼前で人形を模る私の両手には筋が浮かび、長く伸びた色を失った顎ヒゲが眼前で揺れる。ヤハズは長い時間をかけて、己の命を削りながら人形を模る。
丸く大きな瞳と丸く柔らかな頬。整った顎先と細く伸びる手足は西洋仕立ての洋装に包まれていた。黒い洋装の袖には白く柔らかな布で装飾がされ、黒く長い髪はまるで人のように艶やかだった。ヤハズの母に似た髪だ。
誰の目から見ても、人からかけ離れた美しい人形に、ヤハズは文字通り魂を、想いを注いでいく。
あぁ。こうやって人形は付喪になったのだ。悲劇の人形作家から妄執を一身に受けて、人の形を得ずとも人形の形のままで付喪と、いや・・・付喪之人となったのだ。
本来、付喪が付喪之人になるには人の体が必要である。
そのために付喪は人の体を奪い、成り代わる。もしそれが人形であるならば、成り代わる工程はいらない。ヤハズはおそらく知らなかったのだろう。そして人形がまばたきをした。ゆっくりと、命が生まれていた。
代わりにヤハズの視線はズルズルと床へと向かう。
「ああ。紛れもなくあなたは私の姫だ。私は紛れもなく命を、不死なる命を、美を生んだのだ。この手で」
朦朧とした意識と、たどたどしく紡がれる言葉はやがて消える。視界に見えるすべてが白い煙に溶けていく。
これが夜桐ヤハズという人形作家の因果だ。私と同じように人へ見切りをつけて、人形の中に永遠を見た。失われた命への否定。妄執で付喪之人を生んだ。
しかしなぜ・・・夜桐ヤハズもまた人形となったのだ?
それに出刃包丁の男はまるで心の中には浮かんでいない。
姫と呼ばれた人形に命を与えた瞬間に、ヤハズの命は失われたのにもかかわらず、ヤハズは人形となっている。
視界が開けるとヤハズは、まとわりついていた白蛇の紫煙を振り払ったところだった。
人の一生よりも長く、まばたきよりも短い一瞬で、少なくとも私は夜桐ヤハズの因果を見た。
仕方がないとはいえ、人や物の想いを踏みにじる醜い力だ。恐ろしく残酷な力は私が物を使役する、使役していると信じている人であるからに違いない。
醜い力だ。滑稽でもある。
私は夜桐ヤハズへと顎先を向ける。煙をすっかり振り払ったヤハズは右手を引いて、キリキリと私の体を銀の糸が締め上げた。
「貴様・・・何をした!?」
ふん。と私は鼻を鳴らす。不完全ではあるものの、因果はとうに知れている。
「なになに。夜桐ヤハズ殿。それで永遠の命は、不滅なる美は得られたのかい?」
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