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25 前髪で顔を隠してるキャラってさ

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「……うわあ……!」

 一度家に帰って、私服に着替えてから鏡夜の部屋に向かった結華は、先に部屋に招かれていた湊にドアを開けてもらい、鏡夜の住む一◯三号室を訪ねた。
 そこは、沢山のキャンバス、マスキングテープで壁に貼られたデッサン画、水彩画、棚の上には粘土細工や彫刻などが置かれており、その、結華にとって珍しく映るそれらは、ここを特別な空間のように思わせた。

「すまない。ゴチャついてて。引っ越し用に、最低限のものだけ持ってきたんだが……」
「いえ、芸術家の部屋って感じで、なんかカッコイイです」
「すごいよな。これとかも、鏡夜が自分で作ったんだってさ」

 と、湊が手に持っているのは、

(……あの狐のお面だ……)

 やっぱりか、と思うような、こういうことになんだかもう驚かなくなってきた結華は、普通に見えるように、「あれ、そのお面……」と口にした。

「唐沢さんってもしかして、去年の大学の文化祭、コレ被って絵を売ってました?」
「え? ……もしかして、覚えてる、のか?」
「はい、覚えてます、描いてもらったこと。その絵、今も部屋に飾ってあるんです。お気に入りの絵です」

 結華が笑顔で言えば、

「……そうか。いや、実を言うと、こちらは引っ越し当日に気づいてはいたんだが、言うに言いあぐねて……君は忘れている可能性のほうが高いと思っていたし……」

 言いながら、俯き加減で顎に手を当て、前髪の奥の目を彷徨わせる鏡夜。

「まあ、普通そう思いますよね。唐沢さん、お面で顔隠してたし、声も出さないでやり取りしましたし」
「なあ、どんなの描いてもらったの?」

 湊が聞いてくる。

「ああ、えっとね……これ」

 結華は写真のフォルダから、一枚を選び出す。それは、結華がその絵を持って、笑っている場面。

「美紀に撮ってもらったの。三人で一枚ずつ撮って、最後は全員で撮って。あの時の記念」
「へえ。涼やかな絵だな」
「あの……二人とも……」

 結華と湊がスマホから顔を上げれば、鏡夜が右手で顔を隠すようにして、「その辺で……終えてくれないか……」と言った。

「え?」
「あ、照れてる」
(え)

 湊の言う通り、鏡夜の頬と耳は薄赤くなっていた。

「……講評は……普通に受け取れるんだが……受け手からの感想は慣れないんだ……気に入ってくれたなら、嬉しく思う……」

 鏡夜は言いながら、リュックからクロッキー帳とペンケースを取り出す。

「で……その、始めたいんだが……良いだろうか……?」
「あ、はい。どうすればいいですか?」
「じゃあ、そこに楽な姿勢で座ってくれ。話に聞いた通り、佐々木くんと手を握っていたりしていてくれて構わない」

 鏡夜はクロッキー帳とペンケースを床に置くと、折り畳み式のローテーブルを畳んで、壁に立てかける。

「あ、で、ディアラの紹介もするんだったよな」

 湊がそう言った途端、「クルゥ」と、湊の胸からスゥ、とディアラが出てきた。

「……君が……ディアラ、か……」
「クルルゥ?」

 鏡夜の周りを飛ぶディアラに、鏡夜は釘付けになる。

「ディアラ。この人は新しい仲間の唐沢鏡夜さんだ。仲良くな」
「……佐々木くん……如月さん……少し、内容を変更してもいいだろうか……」
「変更?」

 湊に、「ああ」と鏡夜が頷く。

「ディアラも描かせてほしい」
「ディアラ、どうだ?」
「ク?」
「お前を描きたいってさ。鏡夜さんが」
「クルル」
「良いって」
「ありがとう……!」
(描きたくなるよねぇ。クリエイティブ魂? みたいなのが揺さぶられたんだろうな)

 鏡夜の足元に降りてきたディアラに、鏡夜は、

「あ、それじゃあ、えぇと……」
「ディアラから描きます?」

 結華が言えば、

「……では、そうさせてもらう」

 と、鏡夜は言って、ジーンズのポケットから、ヘアピンを出した。

(……まさか)

 そして、前髪を上げ、留める。初めて見るその顔は、目を奪われるほどに綺麗な顔をしていた。

(お約束ぅ!)

 結華は心の中でツッコむ。鏡夜はスマホでタイマーをセットすると、

「あの、佐々木くん。ディアラには、ものを傷つけなければ自由に動いてもらって構わないと、伝えてもらっていいだろうか」
「ディアラは俺たちの言葉が理解できるからな。伝わったと思うよ」
「そ、そうか。では、ディアラ。自由に動いていてくれ」

 鏡夜はクロッキー帳を開き、ペンケースから鉛筆を取り出すと、タイマーをタップし、羽繕いを始めたディアラを描き出した。

「……私たちどうしてよっか?」

 結華は小声になって湊に言うと、

「自由にしてくれてて構わない。拘束しているわけじゃないからな」

 と、鏡夜は言う。

「じゃ、描いてるとこ見ててもいい?」

 という湊の言葉に、

「ああ」

 鏡夜は簡潔に応える。
 と、羽繕いを終えたらしく、ディアラはキョロキョロと辺りを見回し、自分を見てくる鏡夜を見て、

「クルゥ」

 バサリ、と飛び立つと、空中で一回転した。

「っ?!」

 鏡夜の手が一瞬止まり、また素早く動き出す。ディアラは様々に動き、止まり──というか、ポーズを取る。

「ディアラ、ノリノリじゃない?」
「ノッてるなぁ」

 床に座っている結華は湊と、そんな感想を言い合う。そして十五分経ったらしく、タイマーが鳴った。鏡夜はタイマーを素早く止めると、

「ありがとう、ディアラ。……ディアラ、佐々木くん。ディアラも一週間、デッサンさせてもらっても良いだろうか?」
「クルゥ」
「良いって。それと鏡夜。俺のことは名前で、湊って呼んでほしい」
「分かった。湊くん」
「くんはいらないよ」
「分かった。で、……如月さんを描かせてもらいたいんだが……このまま続けてで、いいか?」
「あ、はい。問題ありません。この姿勢でもいいですか?」
「ああ。途中で変えたりしても構わない。十五分同じ姿勢というのは、慣れないとつらいからな」
「分かりました。湊はどうする?」
「じゃ、このまま横にいよっかな」

 そして鏡夜がタイマーをセットし直し、

「では、始めさせてもらう」

 と、タイマーをタップした。

「なあ、話してもいいんだよな」

 湊の問いかけに、「ああ」と鏡夜は応える。

「鏡夜って、専攻はなに?」
「油彩画をやってる」
「あ、そうなんですか? 水彩なのかと思ってました」

 少し驚いた声の結華に、

「水彩は趣味だな。油彩も半分趣味で描いたりしているが……ああ、文化祭の時はな、丁度水彩に凝ってたんだ。色鉛筆でも描くし、アナログじゃなくデジタルもやる。一つに絞れと言われたりもするんだが、どれも奥が深くて、面白くて……」
「じゃ、将来は画家? つーか、イラストレーター?」
「そういうふうに食っていきたいが、まずは社会経験を積んだほうがいいと言われてな。ゲーム会社のキャラクターを描くイラストレーターを目指してる」
「へえー」
「すごいですね。私なんかまだ、将来どうするかふわふわしてます」
「え? そうなの? ここ継ぐんじゃないんだ?」

 結華は湊に、苦情気味に言う。

「私、兄がいるから。柏木荘を継ぐのは兄になると思う。そういう話、したことないけど」
「え? 兄?」
「あ、うん。兄。大学二年。あ、紅蘭じゃないよ。あと、一人暮らししてる」
「ああ。だから会ったことないのか」
「そうそう」

 その時丁度、タイマーが鳴った。

「ありがとう如月さん。疲れただろ」
「いえ。ただ座って喋ってるだけだったので、負担はありません。ていうか、むしろ、こんな形でいいんですか?」
「ああ。問題ない。また明日から、こういうふうにしていって構わないか?」
「私は全然」
「おれも。ディアラは……寝てるな」

 湊の視線の先を結華と鏡夜が追えば、棚の上の造形物の間でディアラが丸くなっていた。

「……こう見ると、唐沢さんの作品の一つみたい」
「言えてる」

 そんなディアラをじっと見つめていた鏡夜は、

「あ、そうだ。モデル代の話をしていなかった。十五分が七日間。つまり七回。百五分。相場の金額はこれくらいなんだが」

 鏡夜がスマホで計算した額を、見せてくる。それは、さっきまでの自分からすると、結構良いお値段をしているように結華には見えた。

「……大丈夫ですか? こんなに……」
「相応の対価だ。幸いにも、今、俺は金に困っていないからな。払える額だ。もちろんディアラにも払う。この場合は、ディアラの契約主の湊に払うことになるが」
「有り難く頂戴しよう、結華。こういう契約は、対等であってこそ成り立つからな」
「そ、そう……? では、分かりました。その金額でお願いします」
「前払いと後払いと分割、どれがいい? それと、振込と手渡しはどちらがいい?」
「おれは後払いの手渡しで」
「あー、じゃあ、私も後払いの手渡しで……」
「分かった。では、これからよろしく頼む」
「よろしく」
「よ、よろしくお願いします」


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