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35 レモネード
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湯船に浸かる、とは、こんな感覚だったろうか。
ナツキの家の、ナツキの風呂という緊張は抜けないが、それでもセイは、染み入ってくる物理的な温かさを、心地良いと感じる。
その上、まだ、あるのだ。試練なのか褒美なのか、分からないものが。
『家で寝る時、どう寝てる? ……正直に言ってね?』
ナツキが復活させた鍋を食べていたら、そう聞かれて。
ごく稀に、意識を失いそうになるから、そうなっても平気な場所で気を失っている。気を失うのも、大抵、一時間ほど。と、本当にそのままを、伝えた。
『へーほーへー……布団とかベッド、使ってる?』
『……使える時には』
まさか、まさかなと、思いながら答える。
『具体的に』
『……外だったら、トイレとかの、個室に。仕事でホテルとかに泊まる時は、そこのベッドを、使います。……家は……』
『は?』
『……その、一応、布団は、あります。ですけど、家ではほとんど、その、道具や素材の部屋にいるので……そうなりそうになったら、それらの安全性を確保して、そこで……あの、昔は、ちゃんと布団で寝てましたよ?』
『昔ね、昔。うん、昔ねぇ?』
ナツキがまた、前に見せた、恐ろしく魅力的な笑顔で。
『ウチに、泊まれ。君に拒否権はない』
見惚れてしまって、動けずにいると。
『ウチにもちゃんと、お客さん用の布団あるし。ベッドが良いならベッドで良いし。昼みたいに、ソファのが気楽ならそこでもいいけど』
やっと、脳が動き出し。
『やっ?! やっ、それは、流石に……!』
『拒否権はないって言ったよね?』
そこに、守護霊たちからも追い打ちをかけられて。
結局、泊めて貰うことになった。なってしまった。
そのあとの卵雑炊も美味しかったけれど、頭は半分、そのことで占められて、ちゃんと味わえたか疑問が残る。ナツキが作ってくれたものなのに。
そして、追撃だ。
『私もさ、セイにこれ、貰ったし』
チャリ、と、ネックレスのチェーンを持って、
『私も何かさ、セイにプレゼントしたいんだけど、セイの好み、知らないなあって。なんか考えておいてもらって良い?』
あなたから貰えるなら、その全ては宝玉です。
口走りかけ、なんとか飲み込み、分かりました、と、それだけ伝えた。
「なんか、なんだ? なんだろう? あれ? 夢? これ夢? また寝た?」
顔の周りだけ防音を施しているセイは、天井を見上げ、ぼそぼそと言う。
『セイー? 大丈夫?』
ナツキの声に、バシャ! と水面を揺らしてしまった。声の位置や響き方から、浴室に繋がる洗面所の、ドアの前で声を張り上げていると分かる。
「は、はい。大丈夫、です」
慌てて防音を外し、答える。
けれど、大丈夫って、なんだ?
『いや、一時間くらい経ってるからさ。のぼせてたりしてないかなって』
のぼせる。……のぼせる。そうだった。そういう現象があるんだった。
『セイー? ヤバそうー?』
「あっ! いえ! そういう感じはないです。たぶん」
『たぶん?』
「あっ、や、えー……のぼせるという現象を、忘れていまして。ええと、その際の諸症状は起きていないので、大丈夫かと」
『そう? ……んー、あのさ、でもやっぱりちょっと心配だから、なんか飲んで貰ってもいい?』
「あ、はい」
『希望ある? なければこっちで、適当に用意するけど』
希望、希望……。
『思いつかないなら、こっちでやるよ?』
「あ、お、お願い、します……」
『分かった。ちょっと待っててね』
音を、拾う。足音が、遠ざかる。
セイはまた、防音を張り。
「はぁ~……」
浴槽の壁に凭れ掛かって、髪をかき混ぜた。
もう、これは、もう。自分はナツキがいなければ、生きていけないのではないか。いや、その通りなのだけども。
ノックの音が聞こえ、ナツキが呼びかけてくる声が聞こえ。
早くないだろうか。別の理由か。そう思いながら、けれど先程よりは冷静に、防音を外し、応える。
『飲み物ね、炭酸なしカンタンレモネードにしたんだけど、良いかな?』
「は、はい。ありがとうございます」
『じゃ、ドア開けて大丈夫? お風呂のドアの横の棚に、置きたいんだけども』
「はい、分かりました。大丈夫です」
『じゃ、開けるね』
ドアが開く音、半透明で曇りが施されている浴室のドアから、ナツキの姿がぼやけて見えること、コップらしい何かを置く音、『じゃあ出るね』とさっきより断然近い距離からの声。
ナツキが出て、ドアが閉まり、足音が遠ざかっていく。それを確認して。
「……」
セイは、潜めていた息を、吐き出した。吐き出してから気付き、慌てて防音をかける。
息を整え、ゆっくり浴槽から出て、そうっと、ドアを開ける。
「……レモネード……」
言葉の通りに、音の通りに、棚の上にはガラスのコップ。その中にイエローで透明な液体が、八割ほどまで入っている。
セイはそれを手に取り、口に含む。爽やかな酸味と甘味が、スルスルと喉を通っていく。
「……あ」
一気に飲んで、飲み終えてから、一気飲みしたことに気付いて。
自分は無自覚に、のぼせていたのだろうか。その疑問と同時に、もっと味わって飲みたいと、思っていると、自覚する。
「……」
コップを洗浄し、頭を冷やせと念じる。
体が欲している訳じゃない。心が欲しているのだ。
セイはコップを元の位置に戻し、少し考え。
「……」
あと十分。と自分にしか聞こえないタイマーを空中にセットしてから、また、湯船に浸かった。
*
髪と体を乾かし、着替え、はた、とセイは気付く──思い出す。
自分の次にナツキが入る。セイは浴室のドアを開け、湯を消し、隅々まで洗浄し、軽く乾かし、湯を──浴槽を傷めず、肌や髪に良い成分の湯を張り直し、確認して、ドアを閉めた。
ナツキの家の、ナツキの風呂という緊張は抜けないが、それでもセイは、染み入ってくる物理的な温かさを、心地良いと感じる。
その上、まだ、あるのだ。試練なのか褒美なのか、分からないものが。
『家で寝る時、どう寝てる? ……正直に言ってね?』
ナツキが復活させた鍋を食べていたら、そう聞かれて。
ごく稀に、意識を失いそうになるから、そうなっても平気な場所で気を失っている。気を失うのも、大抵、一時間ほど。と、本当にそのままを、伝えた。
『へーほーへー……布団とかベッド、使ってる?』
『……使える時には』
まさか、まさかなと、思いながら答える。
『具体的に』
『……外だったら、トイレとかの、個室に。仕事でホテルとかに泊まる時は、そこのベッドを、使います。……家は……』
『は?』
『……その、一応、布団は、あります。ですけど、家ではほとんど、その、道具や素材の部屋にいるので……そうなりそうになったら、それらの安全性を確保して、そこで……あの、昔は、ちゃんと布団で寝てましたよ?』
『昔ね、昔。うん、昔ねぇ?』
ナツキがまた、前に見せた、恐ろしく魅力的な笑顔で。
『ウチに、泊まれ。君に拒否権はない』
見惚れてしまって、動けずにいると。
『ウチにもちゃんと、お客さん用の布団あるし。ベッドが良いならベッドで良いし。昼みたいに、ソファのが気楽ならそこでもいいけど』
やっと、脳が動き出し。
『やっ?! やっ、それは、流石に……!』
『拒否権はないって言ったよね?』
そこに、守護霊たちからも追い打ちをかけられて。
結局、泊めて貰うことになった。なってしまった。
そのあとの卵雑炊も美味しかったけれど、頭は半分、そのことで占められて、ちゃんと味わえたか疑問が残る。ナツキが作ってくれたものなのに。
そして、追撃だ。
『私もさ、セイにこれ、貰ったし』
チャリ、と、ネックレスのチェーンを持って、
『私も何かさ、セイにプレゼントしたいんだけど、セイの好み、知らないなあって。なんか考えておいてもらって良い?』
あなたから貰えるなら、その全ては宝玉です。
口走りかけ、なんとか飲み込み、分かりました、と、それだけ伝えた。
「なんか、なんだ? なんだろう? あれ? 夢? これ夢? また寝た?」
顔の周りだけ防音を施しているセイは、天井を見上げ、ぼそぼそと言う。
『セイー? 大丈夫?』
ナツキの声に、バシャ! と水面を揺らしてしまった。声の位置や響き方から、浴室に繋がる洗面所の、ドアの前で声を張り上げていると分かる。
「は、はい。大丈夫、です」
慌てて防音を外し、答える。
けれど、大丈夫って、なんだ?
『いや、一時間くらい経ってるからさ。のぼせてたりしてないかなって』
のぼせる。……のぼせる。そうだった。そういう現象があるんだった。
『セイー? ヤバそうー?』
「あっ! いえ! そういう感じはないです。たぶん」
『たぶん?』
「あっ、や、えー……のぼせるという現象を、忘れていまして。ええと、その際の諸症状は起きていないので、大丈夫かと」
『そう? ……んー、あのさ、でもやっぱりちょっと心配だから、なんか飲んで貰ってもいい?』
「あ、はい」
『希望ある? なければこっちで、適当に用意するけど』
希望、希望……。
『思いつかないなら、こっちでやるよ?』
「あ、お、お願い、します……」
『分かった。ちょっと待っててね』
音を、拾う。足音が、遠ざかる。
セイはまた、防音を張り。
「はぁ~……」
浴槽の壁に凭れ掛かって、髪をかき混ぜた。
もう、これは、もう。自分はナツキがいなければ、生きていけないのではないか。いや、その通りなのだけども。
ノックの音が聞こえ、ナツキが呼びかけてくる声が聞こえ。
早くないだろうか。別の理由か。そう思いながら、けれど先程よりは冷静に、防音を外し、応える。
『飲み物ね、炭酸なしカンタンレモネードにしたんだけど、良いかな?』
「は、はい。ありがとうございます」
『じゃ、ドア開けて大丈夫? お風呂のドアの横の棚に、置きたいんだけども』
「はい、分かりました。大丈夫です」
『じゃ、開けるね』
ドアが開く音、半透明で曇りが施されている浴室のドアから、ナツキの姿がぼやけて見えること、コップらしい何かを置く音、『じゃあ出るね』とさっきより断然近い距離からの声。
ナツキが出て、ドアが閉まり、足音が遠ざかっていく。それを確認して。
「……」
セイは、潜めていた息を、吐き出した。吐き出してから気付き、慌てて防音をかける。
息を整え、ゆっくり浴槽から出て、そうっと、ドアを開ける。
「……レモネード……」
言葉の通りに、音の通りに、棚の上にはガラスのコップ。その中にイエローで透明な液体が、八割ほどまで入っている。
セイはそれを手に取り、口に含む。爽やかな酸味と甘味が、スルスルと喉を通っていく。
「……あ」
一気に飲んで、飲み終えてから、一気飲みしたことに気付いて。
自分は無自覚に、のぼせていたのだろうか。その疑問と同時に、もっと味わって飲みたいと、思っていると、自覚する。
「……」
コップを洗浄し、頭を冷やせと念じる。
体が欲している訳じゃない。心が欲しているのだ。
セイはコップを元の位置に戻し、少し考え。
「……」
あと十分。と自分にしか聞こえないタイマーを空中にセットしてから、また、湯船に浸かった。
*
髪と体を乾かし、着替え、はた、とセイは気付く──思い出す。
自分の次にナツキが入る。セイは浴室のドアを開け、湯を消し、隅々まで洗浄し、軽く乾かし、湯を──浴槽を傷めず、肌や髪に良い成分の湯を張り直し、確認して、ドアを閉めた。
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