酔い潰れた青年を介抱したら、自分は魔法使いなんですと言ってきました。

山法師

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67 昔々の、そのまた昔

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 五百年以上前のこと。もう、どことも分からない下町の、その貧民街に、一人の孤児が居た。
 茶色の髪と水色の瞳、周りと違う、人の目を引く容姿を持った子供──その少年は、食い扶持を得るために、体を売っていた。それしか、生きる方法を、知らなかった。始まりの記憶すら、『そう』されている時のもので。不意に、気まぐれか何かで金品を放られて、その時、『これ』で食っていけるのだと、理解した。してしまった。
 毎日毎日、ぼろぼろにされて──自らそうなりに行って──死にそうになりながら、けれど、死にもせず。こうして一生を終えるのだと、思いながら生きていた。
 そんな、ある日のことだった。昼間、体を丸めて休んでいたら、

「やあ、君。ちょっといいかい?」

 声を、かけられた。生きた人間の声だ。もう、客かと、のそりと起き上がる。
 ……女か。しかも若くて身なりが良い。こんな場所で、珍しい。まあ別に、どうでもいい。

「金か、食いもん。前払いだ」

 声をかけてきた、奇妙な、けれど身なりの良いと分かる衣服を着ているその人物は、緑の目を瞬かせ、

「ほう。君はそうやって生きてきたのか。魂の摩耗が激しい訳だ」

 何言ってんだコイツ。少年は顔をしかめた。

「生憎オレは、そういうのを求めて、君に声をかけた訳じゃない。お仲間の君が倒れていたから、ちょいと気になったんだ」
「仲間? 何言ってんだ、お前」

 長く赤い髪を後ろで一括りにしているソイツは、また、不思議そうな顔になり、

「……分かっていないのか、君は。自分がどういう存在か」

 その言葉に、少年は苛立つ。

「見たまんまだろ。分かんねぇのか? 薄汚い孤児みなしごだ。それ以外に何があるって?」
「あー……孤児、か。自分の出自を知らないから、こうしている、と」
「何が言いてぇんだお前。客じゃねぇならどっか行けよ。それかなんだ、なんか恵んでくれんのか? ジヒってやつか?」
「恵む、ね。まあ、ここじゃ、袖振り合うも多生の縁、とか、言ったか? 君が良ければ、別の生きる道を示そうじゃないか」

 赤毛のソイツはしゃがみ込むと、右の人差し指を、少年の鼻先に突きつけ、

「こういう道を」

 そう言った。その瞬間、少年の、体の痛みや怠さ、目眩、吐き気、その他全ての不調が、消え去る。

「……何した、テメェ」

 少年は驚き、けれどすぐ、警戒心を露わにして顔をしかめる。

「魔法さ。君も練習したら出来るようになる。こういう食い扶持の稼ぎ方は、どうだい?」

 魔法という言葉と、さも当然と言いたげなソイツの様子に、少年は更に顔をしかめた。

「イカれてんのかお前」
「うーん。えー、暖簾に腕押し、という使い方で、合ってるかな」

 ソイツは首を傾げ、戻し、

「まあ、まずは話し合おう。オレの名前はウートゥルメール。ウートゥルメール・ラウルス・コンコルディア。君は?」
「……んなもんあるか」

 苦々しく言った少年に、

「なら、それも話し合おう。ここで話すのもなんだしな。オレの家に行こうか」

 頭に、手を乗せられる。やっぱり客か。少年が、そう思った瞬間に。

「……は?」

 貧民街の裏通りにいた少年は、周りの景色が変わったことに、目を見開いた。

「ここがオレの家だ。まあ、仮住まいみたいなもんだが」

 ウートゥルメールと名乗ったソイツは立ち上がり、板張りの部屋で腕を軽く、横に振る。

「は、あ?」

 胡座をかいていた少年の足の間に、果物が盛られた浅い籠が現れた。

「まずは食べろ。君にかけた回復は、魔力の反発を防ぐために、ほぼ君のエネルギーを使ったからな。栄養失調状態が、より悪化してるだろう」

 食えるなら、もうなんでもいい。少年は、瑞々しい果物にかぶりつき、一つも残してなるものかと、鬼気迫る勢いで食べていく。

「良い食いっぷりだな。それはこの前の礼にと貰ったものだか、残っていて良かった」

 ウートゥルメールはしゃがみ込み、

「あまり一気に食べると、吐き戻す可能性があるぞ。一旦、そのあたりで止めたらどうだ?」
「食える時に食うんだよ」

 少年はそれだけ言って、食べるのを再開する。

「まー、一理、無くはないが。……まあ、今はいいか。徐々に慣らしていこう。少なくとも、君が健康になるまでは、オレと共に行動したほうが良いようだしな」

 その言葉に、少年はウートゥルメールをギロリと睨んだ。

「ははは、怖いな。取って食いやしないさ。君は仲間だしな」

 少年は、最後の一口を飲み込むように食べると、

「……仲間仲間って、なんなんだ。テメェも俺みたいなことしてんのか?」

 皮肉を込めて、睨みつける。ウートゥルメールは軽く笑い、

「さっき言っただろう? 魔法だと。オレは魔法使いで、君も魔法使いなんだ。ま、君の場合、その素質がある、という現状だかな」
「ワケ分かんねぇな」
「では、証拠を見せようか」

 ウートゥルメールは、どこからか二枚の紙を取り出した。その二枚の紙を、少年の目の前の床に横並びに置いて、

「こっちにな、オレが、ごく簡単な魔法陣……そうだな……弱いつむじ風を起こす魔法陣を書く」

 少年から見て左の紙に、またどこから出したのか、ウートゥルメールは万年筆を持ち、サラサラと模様を──『弱いつむじ風を起こす魔法陣』を書いた。

「君も真似して書いてみろ。歪になっても構わない」

 また、どこから出したのか、別の万年筆を少年に渡し、ウートゥルメールは右の紙を指でトントンと叩く。

「……」

 果物という対価を得てしまった少年は、ここは言いなりになるかと、左の紙に書かれた模様を、右の紙に書いた。

「おお、初めてにしては上手いな。手先が器用だな、君」

 ウートゥルメールはそう言い、

「それでだ。これから魔法を発動させる。体内の魔力を流し込むんだが……君はまだ、その感覚が分からないだろうからな。代わりにこうしよう」

 ウートゥルメールは小刀のような刃物を出し、自身の手のひらに滑らせた。躊躇いのないその行動に少年が驚くのも構わず、紙の上にポタポタと、赤い液体を落としていく。

「血液をな、魔法陣に触れさせる。すると、魔力たっぷりなこれに反応して──」

 紙の上に、キラキラと煌めくつむじ風が起こった。

「さて、こんなもんだ。君もやってみると良い」

 さっきのと似た、けれど別の刃物を、少年が書いた紙の上に置く。

「怪我はまた治すぞ。ほら、オレのも、もう無いだろう?」

 見せられた手のひらは、血も、傷も、どこにも無く。

「痛みは一瞬だが……嫌なら……そうだな……別の……どうするか……」

 ウートゥルメールが顎に手を当て、考え込んでいるような顔になる。

「……馬鹿にすんな。こんくらいなんでもないんだよ」

 少年は、ひったくるように刃物を取ると、手のひらに深く傷を付け、紙の上で手を握り込んだ。

「おいおい。威勢がいいな。血を流しすぎると死ぬぞ?」

 少年はそれに答えず、ぼたぼたと紙に赤を落とし、

「──?!」

 発生した、ギラギラと輝き逆巻く、先ほど見たものより大きな、竜巻のようなそれに、思わずのけぞった。

「許容量を超えたな。だというのに、崩れない。君、中々才能あるじゃないか」

 室内に風が吹き荒れる中、ウートゥルメールは言って、また、腕を軽く横に振る。竜巻のようなつむじ風が、ほどけるようにして消えた。それをぽかんと眺めていた少年の、血だらけになった手を取り、ぽん、と軽く叩く。血も、付けたばかりの切り傷も、痛みも、少年の手から消え去った。

「な……」

 いよいよ、目を丸くする少年に、

「さて、どうかな。初めての魔法は」

 ウートゥルメールは笑顔で問いかけた。


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