ロロファ

山法師

文字の大きさ
4 / 5

『彼女』

しおりを挟む
『おや、何してるんだい? エリス』

 三歳か、四歳か。
 その日も家の裏でうずくまっていたエリスへ、彼女はいつものように声をかけてくれた。

 明るく、何気なく、溌剌としているけれど優しい雰囲気で。

 声をかけてくれた彼女はまた、ごく自然にエリスの隣へ腰を下ろしてくれた。
 そして、何も言わないエリスをそのままに、話し始める。

『私はついさっき、父にも母にも小言を言われてね。その小言へちょっと反論してみたんだ。結果はいつもの通り』

 怒鳴るように叱責された上、両親の怒りが収まらないもんだから、家から避難してきたんだよ。

『騎士を目指すのは、そんなにいけないことなのかね?』

 彼女は呆れた声で言う。

 彼女の話を聞いて──話というより、彼女の声を聴いて、存在を感じて──いると、落ち込んでいたエリスの心は、いつの間にか癒されていた。
 エリスが家の裏でうずくまるのは、決まって落ち込んでいる時だった。

 男なのにへらへら笑う。
 男なのになよっちい。
 男なのに弱っちい。
 男なのに女みたいだよな、お前。

 同い年や年上の、自分と同じ『男』の連中に、そうやって馬鹿にされて落ち込んでいる時だった。
 女の子たちや両親にも、同じように言われたりしたけれど。

 彼女だけは。
 エリスを馬鹿にしなかった。
 エリスにそんなことを一度も言わなかった。
 近所に住んでいて、エリスより十歳以上年上で、『昔に色々あってね、憧れなんだ』と騎士を目指していた彼女だけは。

 彼女だけは、エリスの味方だった。

 救いだった。憧れだった。

 今思えば、初恋だった。

 だからエリスも、彼女の味方をした。
 騎士を目指す彼女を応援した。

 両親が王立騎士団の入団試験を受けていいと言ってくれたんだ。彼女が喜んだ時、一緒に喜んだ。

 落ちてしまったよ。珍しく落ち込んでいる彼女へ、今こそ自分がと励ましの言葉をかけた。

 そのすぐあと、どういう訳か入団が認められ、彼女は不思議そうに首を傾げながらもやっぱり喜んだので、エリスも一緒に喜んだ。

 そうして、騎士となった彼女は。

 ──彼女は、死んだ。

 訓練中の事故。
 遺体は事故の関係で回収が不可能だった。

 そう聞いた。
 彼女が入団して、半年も経っていなかった。
 どんな訓練をしていて、どんな事故だったのか。彼女はなぜ、どのように亡くなったのか。
 当時も今も、エリスは分からないままでいる。
 彼女の両親にも、それらは知らされていない。
 ただ。
 騎士団の寮住まいだった彼女の、驚くほど少ない遺品たち。
 家に送られてきたそれらを、見ておくかい? と、彼女の両親が言ってくれて、見せてもらったうちの、一つ。
 彼女が愛読していた詩集。その中へ小さく折り畳んで隠すように挟まれていた、紙。
 そこに。

『これが読めるのは私と君だけだ。だから、遺しておこう』

 詩集にある聖古代語をもとに彼女と二人で作った創作文字で、そんな始まりの文章が綴られていた。

『私は騎士になってはいけなかった。騎士を目指してはいけなかった。私は騎士に向いていなかった。
 私が憧れていたものは幻だった。騎士がどんな存在かを理解できていなかったんだ。
 愚かな、女の、私は。
 今さらそれを痛感している』

 文字はどれも、震える手で書いたように、少し歪んでいた。

『君は優しいから、騎士になるのはやめておいたほうがいい。私みたいになりたいと言っていた記憶があるから書いてみたが、騎士になる気がないなら気にしなくていいよ。
 これを君に見つけてもらうべきか、正直、迷っている。けど、君がこれを見つけたとしたら、恐らく私は酷い有り様になったということだ。
 君は優しいから、私の有り様を知ったら心を痛めてしまう気がしてならないな。
 やっぱり、遺しておくよ』

 ところどころ文字を滲ませている水滴の跡は、彼女がこぼした涙に思えてならなかった。

『君が心を痛める必要はない。私が酷い有り様になったとして、それは私が招いたことだ。
 騎士の適性なんてない、愚かな女の私が、愚かなままに騎士を目指し、騎士となり、上を目指そうとした結果だ。
 女のお前が騎士などと、なんて言っていた両親に申し訳が立たないね。
 君は男だから、なろうと思えば騎士になれるだろう。だが、君は優しいから、騎士には向いていない。ならないほうがいい。私のことを気に病む必要もない。
 これを読んで理解してほしいのは』

 愚かな女の私は騎士としての適性が無かった。だから死んだ。

『それだけだ。
 私の小さなミルビィ。どうか君は、私のようにならないでくれ。
 それと、ここまで書いておいてなんだが、これが君にも両親にも友人にも、誰の目にも触れずに朽ちることを願っているよ』

 最後に彼女の名前が殴り書かれた、紙。
 エリスが五歳になる年、彼女は王立騎士団に入団し、この手紙を書く状況に陥り、死んだ。

 なんで?
 なんで彼女は死んだ?
 なんで彼女はこんな手紙を書かなきゃいけなかった?
 なんで? なんで?

 エリスの問いに答えてくれる人はいない。
 訓練中の事故死。遺体は回収不可能だった。
 騎士団がそれ以上の情報を寄越さないと、エリスよりも、彼女の両親のほうが痛感しているようだった。

『騎士がどんな存在かを理解できていなかった』

 それはどういう意味?

『愚かな女の私は騎士としての適性が無かった。だから死んだ』

 なんでそんなふうに書いたの?

『君は男だから、なろうと思えば騎士になれるだろう』

 じゃあ。

『だが、君は優しいから、騎士には向いていない』

 それなら。
 ぼくは。

(──俺は、あなたが言う、騎士に向いている男になろう)

 優しさが邪魔になるのなら、捨ててやる。
 あなたが目にした『騎士』が、どういうものだったのか。
 この目で確かめてやる。
 あなたが憧れ目指した『騎士』が幻でないと、証明してみせる。

 見つけた紙は、誰にも知らせなかった。誰に伝えても、余計に悲しませるだけだと思った。
 伝えるとしたら、全てが明らかになってから。
 彼女の剣を譲ってもらい、エリスは王立騎士団への入団を目指した。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

【完結】おしどり夫婦と呼ばれる二人

通木遼平
恋愛
 アルディモア王国国王の孫娘、隣国の王女でもあるアルティナはアルディモアの騎士で公爵子息であるギディオンと結婚した。政略結婚の多いアルディモアで、二人は仲睦まじく、おしどり夫婦と呼ばれている。  が、二人の心の内はそうでもなく……。 ※他サイトでも掲載しています

すべてはあなたの為だった~狂愛~

矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。 愛しているのは君だけ…。 大切なのも君だけ…。 『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』 ※設定はゆるいです。 ※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。

記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛

三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。 ​「……ここは?」 ​か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。 ​顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。 ​私は一体、誰なのだろう?

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

貴方の側にずっと

麻実
恋愛
夫の不倫をきっかけに、妻は自分の気持ちと向き合うことになる。 本当に好きな人に逢えた時・・・

噂の聖女と国王陛下 ―婚約破棄を願った令嬢は、溺愛される

柴田はつみ
恋愛
幼い頃から共に育った国王アランは、私にとって憧れであり、唯一の婚約者だった。 だが、最近になって「陛下は聖女殿と親しいらしい」という噂が宮廷中に広まる。 聖女は誰もが認める美しい女性で、陛下の隣に立つ姿は絵のようにお似合い――私など必要ないのではないか。 胸を締め付ける不安に耐えかねた私は、ついにアランへ婚約破棄を申し出る。 「……私では、陛下の隣に立つ資格がありません」 けれど、返ってきたのは予想外の言葉だった。 「お前は俺の妻になる。誰が何と言おうと、それは変わらない」 噂の裏に隠された真実、幼馴染が密かに抱き続けていた深い愛情―― 一度手放そうとした運命の絆は、より強く絡み合い、私を逃がさなくなる。

処理中です...