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『彼女』
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『おや、何してるんだい? エリス』
三歳か、四歳か。
その日も家の裏でうずくまっていたエリスへ、彼女はいつものように声をかけてくれた。
明るく、何気なく、溌剌としているけれど優しい雰囲気で。
声をかけてくれた彼女はまた、ごく自然にエリスの隣へ腰を下ろしてくれた。
そして、何も言わないエリスをそのままに、話し始める。
『私はついさっき、父にも母にも小言を言われてね。その小言へちょっと反論してみたんだ。結果はいつもの通り』
怒鳴るように叱責された上、両親の怒りが収まらないもんだから、家から避難してきたんだよ。
『騎士を目指すのは、そんなにいけないことなのかね?』
彼女は呆れた声で言う。
彼女の話を聞いて──話というより、彼女の声を聴いて、存在を感じて──いると、落ち込んでいたエリスの心は、いつの間にか癒されていた。
エリスが家の裏でうずくまるのは、決まって落ち込んでいる時だった。
男なのにへらへら笑う。
男なのになよっちい。
男なのに弱っちい。
男なのに女みたいだよな、お前。
同い年や年上の、自分と同じ『男』の連中に、そうやって馬鹿にされて落ち込んでいる時だった。
女の子たちや両親にも、同じように言われたりしたけれど。
彼女だけは。
エリスを馬鹿にしなかった。
エリスにそんなことを一度も言わなかった。
近所に住んでいて、エリスより十歳以上年上で、『昔に色々あってね、憧れなんだ』と騎士を目指していた彼女だけは。
彼女だけは、エリスの味方だった。
救いだった。憧れだった。
今思えば、初恋だった。
だからエリスも、彼女の味方をした。
騎士を目指す彼女を応援した。
両親が王立騎士団の入団試験を受けていいと言ってくれたんだ。彼女が喜んだ時、一緒に喜んだ。
落ちてしまったよ。珍しく落ち込んでいる彼女へ、今こそ自分がと励ましの言葉をかけた。
そのすぐあと、どういう訳か入団が認められ、彼女は不思議そうに首を傾げながらもやっぱり喜んだので、エリスも一緒に喜んだ。
そうして、騎士となった彼女は。
──彼女は、死んだ。
訓練中の事故。
遺体は事故の関係で回収が不可能だった。
そう聞いた。
彼女が入団して、半年も経っていなかった。
どんな訓練をしていて、どんな事故だったのか。彼女はなぜ、どのように亡くなったのか。
当時も今も、エリスは分からないままでいる。
彼女の両親にも、それらは知らされていない。
ただ。
騎士団の寮住まいだった彼女の、驚くほど少ない遺品たち。
家に送られてきたそれらを、見ておくかい? と、彼女の両親が言ってくれて、見せてもらったうちの、一つ。
彼女が愛読していた詩集。その中へ小さく折り畳んで隠すように挟まれていた、紙。
そこに。
『これが読めるのは私と君だけだ。だから、遺しておこう』
詩集にある聖古代語をもとに彼女と二人で作った創作文字で、そんな始まりの文章が綴られていた。
『私は騎士になってはいけなかった。騎士を目指してはいけなかった。私は騎士に向いていなかった。
私が憧れていたものは幻だった。騎士がどんな存在かを理解できていなかったんだ。
愚かな、女の、私は。
今さらそれを痛感している』
文字はどれも、震える手で書いたように、少し歪んでいた。
『君は優しいから、騎士になるのはやめておいたほうがいい。私みたいになりたいと言っていた記憶があるから書いてみたが、騎士になる気がないなら気にしなくていいよ。
これを君に見つけてもらうべきか、正直、迷っている。けど、君がこれを見つけたとしたら、恐らく私は酷い有り様になったということだ。
君は優しいから、私の有り様を知ったら心を痛めてしまう気がしてならないな。
やっぱり、遺しておくよ』
ところどころ文字を滲ませている水滴の跡は、彼女がこぼした涙に思えてならなかった。
『君が心を痛める必要はない。私が酷い有り様になったとして、それは私が招いたことだ。
騎士の適性なんてない、愚かな女の私が、愚かなままに騎士を目指し、騎士となり、上を目指そうとした結果だ。
女のお前が騎士などと、なんて言っていた両親に申し訳が立たないね。
君は男だから、なろうと思えば騎士になれるだろう。だが、君は優しいから、騎士には向いていない。ならないほうがいい。私のことを気に病む必要もない。
これを読んで理解してほしいのは』
愚かな女の私は騎士としての適性が無かった。だから死んだ。
『それだけだ。
私の小さなミルビィ。どうか君は、私のようにならないでくれ。
それと、ここまで書いておいてなんだが、これが君にも両親にも友人にも、誰の目にも触れずに朽ちることを願っているよ』
最後に彼女の名前が殴り書かれた、紙。
エリスが五歳になる年、彼女は王立騎士団に入団し、この手紙を書く状況に陥り、死んだ。
なんで?
なんで彼女は死んだ?
なんで彼女はこんな手紙を書かなきゃいけなかった?
なんで? なんで?
エリスの問いに答えてくれる人はいない。
訓練中の事故死。遺体は回収不可能だった。
騎士団がそれ以上の情報を寄越さないと、エリスよりも、彼女の両親のほうが痛感しているようだった。
『騎士がどんな存在かを理解できていなかった』
それはどういう意味?
『愚かな女の私は騎士としての適性が無かった。だから死んだ』
なんでそんなふうに書いたの?
『君は男だから、なろうと思えば騎士になれるだろう』
じゃあ。
『だが、君は優しいから、騎士には向いていない』
それなら。
ぼくは。
(──俺は、あなたが言う、騎士に向いている男になろう)
優しさが邪魔になるのなら、捨ててやる。
あなたが目にした『騎士』が、どういうものだったのか。
この目で確かめてやる。
あなたが憧れ目指した『騎士』が幻でないと、証明してみせる。
見つけた紙は、誰にも知らせなかった。誰に伝えても、余計に悲しませるだけだと思った。
伝えるとしたら、全てが明らかになってから。
彼女の剣を譲ってもらい、エリスは王立騎士団への入団を目指した。
三歳か、四歳か。
その日も家の裏でうずくまっていたエリスへ、彼女はいつものように声をかけてくれた。
明るく、何気なく、溌剌としているけれど優しい雰囲気で。
声をかけてくれた彼女はまた、ごく自然にエリスの隣へ腰を下ろしてくれた。
そして、何も言わないエリスをそのままに、話し始める。
『私はついさっき、父にも母にも小言を言われてね。その小言へちょっと反論してみたんだ。結果はいつもの通り』
怒鳴るように叱責された上、両親の怒りが収まらないもんだから、家から避難してきたんだよ。
『騎士を目指すのは、そんなにいけないことなのかね?』
彼女は呆れた声で言う。
彼女の話を聞いて──話というより、彼女の声を聴いて、存在を感じて──いると、落ち込んでいたエリスの心は、いつの間にか癒されていた。
エリスが家の裏でうずくまるのは、決まって落ち込んでいる時だった。
男なのにへらへら笑う。
男なのになよっちい。
男なのに弱っちい。
男なのに女みたいだよな、お前。
同い年や年上の、自分と同じ『男』の連中に、そうやって馬鹿にされて落ち込んでいる時だった。
女の子たちや両親にも、同じように言われたりしたけれど。
彼女だけは。
エリスを馬鹿にしなかった。
エリスにそんなことを一度も言わなかった。
近所に住んでいて、エリスより十歳以上年上で、『昔に色々あってね、憧れなんだ』と騎士を目指していた彼女だけは。
彼女だけは、エリスの味方だった。
救いだった。憧れだった。
今思えば、初恋だった。
だからエリスも、彼女の味方をした。
騎士を目指す彼女を応援した。
両親が王立騎士団の入団試験を受けていいと言ってくれたんだ。彼女が喜んだ時、一緒に喜んだ。
落ちてしまったよ。珍しく落ち込んでいる彼女へ、今こそ自分がと励ましの言葉をかけた。
そのすぐあと、どういう訳か入団が認められ、彼女は不思議そうに首を傾げながらもやっぱり喜んだので、エリスも一緒に喜んだ。
そうして、騎士となった彼女は。
──彼女は、死んだ。
訓練中の事故。
遺体は事故の関係で回収が不可能だった。
そう聞いた。
彼女が入団して、半年も経っていなかった。
どんな訓練をしていて、どんな事故だったのか。彼女はなぜ、どのように亡くなったのか。
当時も今も、エリスは分からないままでいる。
彼女の両親にも、それらは知らされていない。
ただ。
騎士団の寮住まいだった彼女の、驚くほど少ない遺品たち。
家に送られてきたそれらを、見ておくかい? と、彼女の両親が言ってくれて、見せてもらったうちの、一つ。
彼女が愛読していた詩集。その中へ小さく折り畳んで隠すように挟まれていた、紙。
そこに。
『これが読めるのは私と君だけだ。だから、遺しておこう』
詩集にある聖古代語をもとに彼女と二人で作った創作文字で、そんな始まりの文章が綴られていた。
『私は騎士になってはいけなかった。騎士を目指してはいけなかった。私は騎士に向いていなかった。
私が憧れていたものは幻だった。騎士がどんな存在かを理解できていなかったんだ。
愚かな、女の、私は。
今さらそれを痛感している』
文字はどれも、震える手で書いたように、少し歪んでいた。
『君は優しいから、騎士になるのはやめておいたほうがいい。私みたいになりたいと言っていた記憶があるから書いてみたが、騎士になる気がないなら気にしなくていいよ。
これを君に見つけてもらうべきか、正直、迷っている。けど、君がこれを見つけたとしたら、恐らく私は酷い有り様になったということだ。
君は優しいから、私の有り様を知ったら心を痛めてしまう気がしてならないな。
やっぱり、遺しておくよ』
ところどころ文字を滲ませている水滴の跡は、彼女がこぼした涙に思えてならなかった。
『君が心を痛める必要はない。私が酷い有り様になったとして、それは私が招いたことだ。
騎士の適性なんてない、愚かな女の私が、愚かなままに騎士を目指し、騎士となり、上を目指そうとした結果だ。
女のお前が騎士などと、なんて言っていた両親に申し訳が立たないね。
君は男だから、なろうと思えば騎士になれるだろう。だが、君は優しいから、騎士には向いていない。ならないほうがいい。私のことを気に病む必要もない。
これを読んで理解してほしいのは』
愚かな女の私は騎士としての適性が無かった。だから死んだ。
『それだけだ。
私の小さなミルビィ。どうか君は、私のようにならないでくれ。
それと、ここまで書いておいてなんだが、これが君にも両親にも友人にも、誰の目にも触れずに朽ちることを願っているよ』
最後に彼女の名前が殴り書かれた、紙。
エリスが五歳になる年、彼女は王立騎士団に入団し、この手紙を書く状況に陥り、死んだ。
なんで?
なんで彼女は死んだ?
なんで彼女はこんな手紙を書かなきゃいけなかった?
なんで? なんで?
エリスの問いに答えてくれる人はいない。
訓練中の事故死。遺体は回収不可能だった。
騎士団がそれ以上の情報を寄越さないと、エリスよりも、彼女の両親のほうが痛感しているようだった。
『騎士がどんな存在かを理解できていなかった』
それはどういう意味?
『愚かな女の私は騎士としての適性が無かった。だから死んだ』
なんでそんなふうに書いたの?
『君は男だから、なろうと思えば騎士になれるだろう』
じゃあ。
『だが、君は優しいから、騎士には向いていない』
それなら。
ぼくは。
(──俺は、あなたが言う、騎士に向いている男になろう)
優しさが邪魔になるのなら、捨ててやる。
あなたが目にした『騎士』が、どういうものだったのか。
この目で確かめてやる。
あなたが憧れ目指した『騎士』が幻でないと、証明してみせる。
見つけた紙は、誰にも知らせなかった。誰に伝えても、余計に悲しませるだけだと思った。
伝えるとしたら、全てが明らかになってから。
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