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第二章 竜の文化、人の文化

二十話

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「長だとしても友でありたいと。前に言ったのは覚えているか?」

 不満そうに、それでいて真剣な眼差しを向けられて、

(…………覚えてる、けど。けど、でも!)

 今度はアイリスの口が曲がる。

「…………ぅけだなんて」

 思考が整理出来ていない。

「……ん?」

 思った事がその通り、口から飛び出してゆく。

「王家だなんて! 思わないじゃないですか!!」

 アイリスの全力の叫びに、ヘイルだけでなく全員が目を丸くした。

「こんなに皆さんと近い距離で! 私にも同じ様にしてくれるのが! 領主様だというのも驚きなのに!」

 何がどうなっているのか。目の前のひとが、それより尚遠くにいるはずの存在だった。

「今は違うにしろ何にしろ! 聞いてないです! 聞かされてないです! その話とても重要だと思うんです私!!」
「は、アイリス?」
「文字が! 簡単な文章が! やっと! それなりの速度で!」

 木々が騒めく。

「読めるようになった状態なんです! だからまだ全然書物とかに手が出せていないんです!」

 その声に合わせるように揺れる。

「なので! そんな大切な話! これっぽっちも知りませんでした! 知りようがありません!! 私にどうしろって言うんですか!!!」

 一気に言い終え、アイリスは肩で息をする。
 庭に響き渡ったその叫びは、緑の奥へ吸い込まれていった。

「……そ、そうか……」
「っあ……も、申し訳ありません……」

 そしてヘイルの声で我に返り、か細い声で謝罪を口にした。

(私の、馬鹿……)

 ここまで声を荒げた事は初めてだ。そもそも荒げた事すら初めてかも知れない。
 しかもそれを、王の血を継ぐ方に向けた。

(自国ならば死刑……)
「先生、知らなかったんだ」

 そこに、明るい声が一つ。

「まあそっか、言われてみれば。でも誰も気にしてないし」
「気にするのも面倒」
「一応、覚えておくくらいは……」
「坊ちゃまは、仰々しいのはお嫌いですからねえ」
「あぁ……」

 皆それぞれに、納得したように頷いたり、若干呆れたようにヘイルを見たり。

「え……ええ??」

 それを見回し、アイリスの思考が更にごちゃつく。
 誰も自分を咎めない。いや、それが当たり前? 何が、何をどうするべきなのか?

「え、えぁ、な……んん?」
「アイリス」
「ぅぁっはい!」

 反射的にそちらを向いて、アイリスの口がぱかりと開いた。

「その、すまない。配慮が足りなかった」
「……?!」

 顔すら拝めないはずの方が、目の前で、自分に謝罪をした。

(いやっ違、友……のように、だから謝っ……どう……?? な、あ、……?)
「……アイリス?」
(もう…………何が、何で…………なに……ぁ)

 そうだ、そもそも。いやそもそもかどうかも分からないが、気になる点がある。
 限界を迎え、どこか遠くなる意識の中、アイリスはふと思う。

(……どうして私は、抱えられてるんだろう…………?)
「アイリス、どうし……っ?!」
「せんせい?!」

 そして疑問は解けぬまま、視界は完全に暗転した。


   ◆


「……私が、ちょっと戻ってる間に……」

 状況を把握したブランゼンは頭を抱え、呻くように呟いた。


 自宅に物を取りに行くと、アイリスの家を後にした。戻ってきたら、珍しく慌てるヘイルと、凭れるように抱かれたアイリスが目に入り。

『せ、せん?!』
『気絶……?』

 子供達も不安そうにそれを見上げていて。

『大丈夫ですよ。驚きが少し、許容量を越えただけでしょう』

 ファスティがいつも通りのゆったり加減でそれに近付き、

『あら、ブランゼンお嬢様。お帰りなさいませ』
『……ただいま? 何があったの?』

 生命の危機では無さそうだと、おっとりしたそれから読み取った。


「目を離せない……今度離すと何が起こるか……」
「…………すまん」

 額に手を当てたまま、ブランゼンはその声を見上げる。手元から離れた少女を見やるヘイルの顔は、珍しく気落ちしていた。

「……まあ、この話は。私にも責任があるわ」

 〈ルーンツェナルグ〉は長であり、長とは竜の頂にいる。それは、常識とも呼ぶ必要がないほどの当たり前の事で、だからこそ思考の外側にあった。

「呼吸も脈も正常ですから、少しすれば目を覚ますかと」

 穏やかに言い、ファスティが顔を上げる。

「……そうか?」
「はい、ご安心下さいませ」

 庭に構築されたベッドの上のアイリスは、静かに寝息を立てている。その顔とファスティの言葉に、ヘイルは幽かな安堵の息を吐いた。

「良かった……それにしても」

 ブランゼンもほっと胸をなで下ろし、その後首を傾けた。

「大きいわね。これ」

 ヘイルが構築したそれは、言葉の通りに大きく高く。庭の入り口を半分ほど塞いでいた。

「思ってた」
「お城のってこのくらいなワケ?」

 その寝台に乗り出すように、周りにくっ付く子供達も声を上げる。ベッドはアイリスと子供達、全員を乗せても余りそうなほどだった。

「…………こう、まあ」

 ヘイルは僅かに視線を逸らし、くぐもったように釈明する。

「あまり考えずにやった、からな。……寝かせる場所を出せと言ったのはお前だろ」
「そうね。要するに慌てたのね」

 小柄なアイリスを乗せているせいか、本来より更に巨大に見える。そう考えながら出たブランゼンの呟きに、ヘイルの目が見開かれた。

「……人間……弱いって……」
「あっ! すぐ死んじゃっ……だ、大丈夫、ですか?!」
「大丈夫ですよ。今は寝ているだけですから」
「皆、ファスティがこう言ってるから安心して……ヘイル?」

 いつの間にか離れていた背を目で追う。ヘイルはどこか気に入らないような表情で、光を返す髪をかき混ぜていた。

「何? 今度はどうしたの?」
「……別に。何でも」

 首を振るヘイルの視線は彷徨い、何かを追い出すように辺りを見回す。そして、アイリスが出したままになっていた人形達を捉えた。

「……」

 頭から手を離し、そこへ近寄る。興味がそこに移ったと見たブランゼンの気も、ヘイルからアイリスへ戻された。

「……」

 ヘイルはしゃがみ、目を細め、細部を辿るように人形を眺める。

「……また良く出来てるな」

 精緻なそれから読み取れる情報は膨大で、次から次へと疑問が湧く。高位貴族以上、特に、

「あちらの肖像画でも見たのか……?」

 王族と示されたそれらは長い髪を編み込んで、魔物からの加工品と思しきものを纏っている。逃げられながら聞いた説明の通りだ。

(……この形はハルピュイの羽根か。炎蛇の鱗、棘兎……)

 こちらではペガサスの羽根、バジリスクと月下狼を。

「杓は露薔薇か……?」

 どれも彷彿とさせる。

「人は……」

 何千年か昔の、王達が重なる。


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