神殺しのご令嬢、殺した神に取り憑かれる。

山法師

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「シェリー! これをエイベル大隊長の所まで持って行ってくれ!」
「了解です!」

 シェリーは、大隊の副隊長、チェスター・クレイトンから書類を受け取ると、炎の大隊長室を出て、廊下を足早に歩いていく。

「エイベルとは、誰だ」

 胸元からの問いかけに、シェリーは少し顔をしかめながら答える。

「エイベル・オールポート大隊長よ。水の大隊長を務めてる。……私、ちょっと、あの人苦手なのよね」

 シェリーは炎の大隊の塔を降り、水の大隊の塔へ向かう。

「ふむ、大隊は四つあるんだったな。炎と、風と、水と、土、だったか」
「ええ。土の大隊長室に前に行ったのは、覚えてる?」
「ああ。緑の髪の男が、大隊長だったな。名前、は、クリストファー・カニンガム、だったか」
「その通り。一回会っただけなのに、よく覚えてるわね」
「あの、体全てが筋肉で構成されてそうな姿形は、そうそう忘れられるものではない」

 ユルロのそんな感想に、シェリーは「ふはっ」と笑った。

「で、風の大隊長はブラッドリー・ヘインズって名前で、私よりちょっと濃い金髪と茶色の瞳の男性。……それで」

 水の大隊の塔の前に来たシェリーは、一つ、溜め息を落とし。

「今から会うのが、さっき言った、エイベル・オールポート大隊長よ」

 ◆

「──おい。アレって……」
「シェリー・アルルドだ。悪魔に呪われた……」
「なんでここにいるんだよ?」
「仕事だろ。もしくは隊長に媚を売りに来たか」

 ヒソヒソと、すれ違うたびに聞こえる言葉。シェリーはそれら全てを無視しながら、しかし微笑みを顔に貼り付け、進んでいく。
 そして、水の大隊長室に着くと、扉を叩き、「失礼します」と声をかけた。

「誰だ? ……。……アルルド補佐か」

 扉を開けたのは、紫の髪の青年。彼はシェリーを嫌悪の眼差しで見つめた後、

「炎の補佐が、何用だ?」

 と、冷たい声で問いかけてきた。

「こちらを。クレイトン副隊長からオールポート大隊長にお渡しするようにと」

 シェリーは書類を見せる。紫の髪の青年はそれを無言で受け取ると、

「用件は、これだけか?」
「はい」
「では、早々に戻るように」

 そう言って、扉を閉めかけ──

「シェリーが来てるのかい?」

 その声に、青年の手が止まった。
 青年は室内へ顔を向け、

「もう帰るところです」
「そうかい? 顔を見たいんだけど」
「その必要はないかと」
「堅いなぁ。少しくらい良いじゃないか」

 奥からの声は、足音とともに近付いてきて、

「やあ、シェリー」

 と、青年の後ろから、顔立ちの整った黒髪の青年が、柔らかく微笑みながら顔を出した。

「……お久しぶりです。オールポート大隊長」

 それに、シェリーは敬礼を返す。

「久しぶりだね。この前の合同訓練以来かな?」

 黒髪の青年──エイベル・オールポートが前へ進むと、紫の髪の青年は諦めたような顔をして彼に場所を空け、扉の横に立つ。
 エイベルは、その淡い琥珀色の目を細め、

「休暇から帰ってきたとは聞いてたけど、顔を見て安心したよ。元気そうで良かった」

 シェリーの頬に手を添えた。

「お気遣いいただき、ありがとうございます」

 シェリーは笑顔でそれに応える。エイベルは、シェリーの頬に当てた手をそのまま顎へと滑らせようとして、

「──おや?」

 と、その手を止めた。

「そのブローチはどうしたんだい?」
「旅の思い出にと、雑貨屋で買い求めました」
「そう……綺麗な水色だ。僕の隊の色だね」
「そうですね」

 微笑みながらのシェリーの答えに、エイベルもそれに応えるように微笑む。そして、剣士だというのに美しいその手をシェリーの顎へ添わせ、シェリーを自分へと上向かせると、

「ところで、今、時間はあるかな?」
「申し訳ありませんが、まだ仕事が残っておりますので」

 笑顔のままきっぱりと言うシェリーに、

「そう。それなら、しょうがないか」

 エイベルは肩をすくめると、シェリーに顔を近付け、

「また、いつでもおいで。待っているから」

 甘い声で囁やいた。

「隊長」
「分かってるさ、デューク」

 紫の髪の青年──デュークにエイベルは振り返り、シェリーの顎から手を離す。

「じゃあね、シェリー。会えて嬉しかったよ」

 エイベルは微笑みながらシェリーの手を取り、恭しくキスを落とす。

「……では、失礼いたします」

 エイベルに握られた手を引き抜くと、シェリーは敬礼し、彼らからくるりと背を向け、もと来た道を戻っていった。

 ◆

「なんなんだ、あの、総じて不愉快な連中は」

 シェリーが水の大隊の塔を出ると、ユルロが低い声で言った。

「……水の人達はね、私のことを毛嫌いしてる人が多いの」

 シェリーは炎の塔に向かいながらそう答える。

「しかしお前は、最上位の悪魔を斃した英雄なのだろう?」

 ユルロの問いに、シェリーは苦笑する。

「でも、呪われてる。ま、さっきのはいつものことよ。こっちから何も言わなければ、あっちも手を出してこないわ。大抵」
「だが、あの黒髪の男……あれが水の大隊長なのだろう? アレは、お前に手を出してきたが」
「そうね、だから苦手なのよ。あの人、私で遊んで楽しむのが好きみたいなの」

 シェリーは、溜め息を一つ。

「あの人、史上最年少の二十歳で大隊長になった天才として有名だけど、女誑しでも有名なの。辺境伯の次男で、恋多き水の貴公子だとか呼ばれてるわ。で、私もターゲットの一人になっちゃってるの」
「……」
「気分の悪いもの見せちゃってごめんなさいね。……あ、これからは水の塔に行く時は、あなたをポケットに仕舞ってから行くわ。それならまだマシでしょ?」
「……いや、いい。このまま付けていろ」
「そう?」
「何かあった時に対応がしやすい」
「あら、心配してくれてるの?」
「……そのようなものだ」
「そう、ありがとう。……神かけのユルロに心配してもらえるなんて、心強いわね」
「神かけとはなんだ」
「神様になりかけの略称よ。今私が作った」
「お前……」

 ◆

「そういえば、昨日ちらっと聞いたけど、あなた達の家族構成ってどうなってるの? 聖典通りじゃないのよね?」

 仕事も風呂も終え、自室に戻ってきたシェリーは、ユルロに髪を乾かしてもらいながら、彼に疑問を投げかける。

「家族構成、か……。今は兄が家族を取りまとめていて、兄には伴侶が二十四人。兄の次は俺だが、俺には伴侶も子もいない。弟や妹達は……弟が二十八人で、妹が三十五人。皆伴侶を得ていて、……あー……すぐ下の弟は伴侶が十三人、その下が二十二人、その下が──」
「待った待った。すでに聖典の人数を超えてるんだけど。っていうか、みんなそんなに奥さんが多いの?」
「多いな。それと、伴侶は異性だけではない。同性もいる」
「へぇ。神様って多様なのね」
「人間は、異性しか伴侶にしないのだったか」
「そうねぇ……同性のも居ないわけじゃないはずだけど、大っぴらにはしないわね。あ、でも、愛人として囲ってる場合、逆に堂々としてることもあるわ」
「愛人、か」
「ええ。神様には愛人……愛神? っていないの?」

 シェリーの髪が半分ほど輝いてきたのを眺めながら、

「居ないな。伴侶は全て、正式なものだ」

 と、ユルロは言った。

「へぇ……神様って、案外誠実なのね」
「案外とはなんだ」
「だって、聖典だと、すぐ誰かを見初めて連れて行こうしたり、人間を惑わせて楽しんだり、遊び半分で災害を起こしたりしてるんだもの」
「……。そこは、否定出来ない。皆、自我が強く、自分を一番に考えがちだからな」
「一番、ねぇ……なら、ユルロは珍しい方なのかしら」
「珍しい?」
「だって、自分のこと殺しかけた張本人なのに、その私のことを考えて行動してくれてるし、今まで一度も迷惑なことを起こしてないし。今だって私の髪乾かしてくれてるし。良い神様よね」

 ユルロは一瞬、シェリーの髪を梳いていた手を止め、

「……なるほどな。家族にはもっと楽しんで生きろと言われていたが、お前はそう思うか」

 微笑んで、そう言うが、ユルロに背を向けているシェリーには、その顔は見えない。

「思うわよ。それこそ私の方が、自分のことだけ考えて行動してた。だからあなたを殺そうとした。なんの躊躇いもなく」

 また手を動かし始めたユルロへと、シェリーは静かにそう言って。

「私は、自分のことばかり考えて生きてきたわ。周りに嫌われたくなくて愛想を振りまいて、復讐のために悪魔を殺して、呪いを解くためにあなたを殺そうとして。……自分のことばっかり」
「……」

 完全に乾いたシェリーの髪は、部屋の灯りに煌めいて、まるで黄金の河のように見え、彼女が俯いたその動きで、瞬く。

「だから、悪魔も私を呪ったのかしらね。こんなにも醜い、私を」

 その細い肩は、僅かに震えていた。

「シェリー」
「……なに?」
「こちらを向け」

 少し間を置いて、ユルロへと振り向いた彼女は、

「ここに座れ」
「……は?」

 示された場所を見て、片眉を上げた。
 そこは、足を組んで座っている、ユルロの膝の上。

「どういう意図があって、そこに座らせようとしてるワケ?」
「子供らを泣き止ませる時には、いつもこうしていた」
「……私、子供じゃないんだけど」
「だが、泣いているだろう」
「……泣いてないわよ」
「涙を流さずとも、心は泣いているだろう」

 その言葉に、シェリーは目を瞬かせ、

「……なら、お言葉に甘えようかしら」

 なんだか楽しそうな顔をしながら、ベッドの上を移動して、ユルロに背を向け、その膝の上に座る。

「で? ここからどうする気?」
「どうもこうもないが……しいて言うなら」

 ユルロは、シェリーの肩を抱き、

「子供らが泣きつかれて眠るまで、こうしていた」

 シェリーの頭を優しく撫でた。

「……」

 シェリーはユルロの胸に凭れかかり、目を細める。

「……その、子供らって、ごきょうだいの子供達?」
「も、あるし、友の子供の場合もある。彼らの子供、孫、ひ孫、玄孫……」

 シェリーの頭を撫でながら言うユルロの言葉に、シェリーは「ふふっ」と笑いを零す。

「なら、ここは特等席ね。沢山の神様が座ってきた、特等席」
「……そんな風に言われたのは、初めてだな」
「……そう……、……あなたって、……温かいのね……幽霊もどきなのに…………」
「失礼な。俺はお前のせいで受肉しかけたから──……シェリー?」

 ユルロが上から覗き込むと、シェリーはすぅすぅと寝息を立てていた。

「……」

 ユルロはシェリーを抱き上げると、ベッドに寝かせ、掛布をかける。

「……。……少しは、近付けているか? シェリー」

 シェリーの頭を撫でながらそう呟き、部屋の灯りを消したユルロは、浅く溜め息を吐いて、椅子に腰掛けた。


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