ミミは生涯の番と別れられるか?

みづきかやの

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2話 理解できない生き物

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 夜遅くに、ベナスが家に帰ってきた。

 家の中は真っ暗で、何度もミミを呼んでいる。

 灯りがつく音。そして足音。暗くて心配したよ、と近くで声がする。毛布の中で丸くなるミミに、優しく触れる手。

「ただいま、ミミ。具合でも悪いの?」

 ミミは答えない。

「今日は何だか部屋が汚れているね。ミミ、大丈夫?」

 ベナスは部屋の中を見回し理解したのだろう。今日の番は調子が悪いのだと。

「ゆっくり休んでね」

 そう言うと、ベナスは浴室へと消えていった。ミミは腹の底からせり上がってくる何かを必死で耐える。耐えるしかなかったのだ。



 何も言えず、一日一日が過ぎていく。

 あの日からミミはベナスを避けるようになっていた。ほとんど喋らず、夜はひとりで別の部屋で休む。ベナスは困惑し、何度もミミに言葉を掛けた。周りもミミの変化に気づいている。

 あの艶やかな白毛はボサボサになり、目の下には隈ができていた。元気をなくし、弱々しい姿、食も細くなっている。愛を失った番はこんなにも惨めになるのかと、鏡に映る自分の姿にミミは愕然とした。命の炎が消えかけている、そう思った。

 仕事場のパン屋に行く道には小さな神殿が立っている。ミミがいつも祈りを捧げていた場所だ。何度も足を運んだ場所を一瞥して、ミミは歩き出した。

 あの日からミミは一度も祈っていない。

 パン屋の仕事を何とかこなし、ミミは家路についた。外はまだ明るいが、店主が早めに帰してくれたのだ。手には店主が持たせてくれたパンの詰まった袋が揺れている。最近は毎日持たせてくれるのだが、その優しさがミミには申し訳なかった。

 明日は定休日で、普段よりもたくさん入れてくれている。今日こそは、親友のもとへ行こうかと考えながら歩いていると――。ミミは気づいた。家の前に誰かがいる。目が合うと、その女はゆっくりと微笑んだ。

「あなた、ミミさんね?」

 ミミは唖然として動きを止めた。そこに立っていたのが、見覚えのある兎獣人の女だったからだ。

 こげ茶色の毛は短く、身体のラインが出た服は情欲的で艶やかだった。そばを通る男たちがみな振り返っている。声は甘ったるく、でも黄色い眼は鋭かった。長い耳の方片にはリングが三つ、金色だ。

 あの日、ベナスと一緒にいた女だった。

「ベナスがあんまり心配しているものだから、来ちゃった」

 女はうふふっと笑う。

「愛されているのね!」
「は?」

 嫌味に聞こえ、嫌悪感でミミの顔が歪んだ。

「大丈夫よ? 私、ベナスを取ったりしないわ!」

 女は抑揚に顎をあげ、耳のリングを揺らしている。

「彼とはただの大人の関係なの」
「は?」
「あなた、気づいているでしょ?」
「何を……」

 声が枯れてうまく喋れない。耳鳴りがして、これ以上聞くなと本能が警報を鳴らしている。

「大丈夫! みーんな同じ反応になるもの!」

 女は満面の笑顔でそう言った。

「ミミ! ロベニカ!!」

 遠くから聞こえた声の主はベナスだった。慌ててミミたちのもとに駆け寄り、ふたりのあいだに入る。

「ロベニカ! 何で君がここにいる!? ミミ、大丈夫? 家に入ろう!」

 ベナスはミミからロベニカを隠すように前に立ち、家の中へ促した。

「ベナス、ミミさんは私たちの関係に気づいているわ!」

 明るい声が聞こえてくる。

「ロベニカ! 君は黙っていてくれ!」

 慌てるベナスを他所に、ロベニカの口は止まらない。

「ミミさん、私たちは大人の遊びをしてただけなんだよ?」

 甘い声で紡ぐ言葉は、何処かミミを馬鹿にしたような響きがあった。

「……は? お、おとなの……」
「そ! おこちゃまとはできない遊びをしてただけ! うふふっ」

 ロベニカはベナスの後から顔を出し、なおもミミに話しかけた。

「ベナスはいつもミミさんの話をするのよ? 純粋でとっても可愛い子だって! 聞いていた通りね! とっても可愛い! 赤ちゃんみたい!」

 ミミの頭は混乱し思考力を失いだしていた。言い返したいのに言葉が出てこないのだ。

「やめろロベニカ! もう帰ってくれ!!」

 ベナスはミミを家へ入れるのを諦めて、今度はロベニカを押し出した。

「ただの浮気でなぜそんなに怒っているの? まるで他の種族たちみたい」

 ロベニカの声は段々大きくなり、周りの人たちが振り向きだしている。

「ロベニカ! 黙ってくれ!」
「私たちは運動してただけなの。愛なんてないわ! 大丈夫、みーんなやってる! うふふっ」

 理解できない言葉が紡がれ続け、ミミは腹の底からせり上がってくるものを必死で耐えた。

「きっ……」

 口から出そうになった言葉を、ミミは片手で塞いだ。

「き?」

 ミミの飲み込んだ言葉は、ベナスには届いていた。人には言ってはいけない言葉だと、ミミの混乱する頭の中でわずかに残っていた理性が止めたのだ。ミミは気分が悪くなり、その場に身を屈めたくなるのを二本の足で踏ん張り必死で堪えた。

「あなたの彼への愛はその程度のことで消えてしまうの? それって本当に彼を愛しているの?」

 ミミは地面を見ていた顔を上げ、ロベニカを見た。ロベニカもすました顔でミミを見ていた。ミミの目をじっと見て、口だけが弧を描いた。

 そのとき、ミミの頭の中で何かが大きく弾ける音が聞こえたのだ。血液が脳を巡り、同時に冷静な思考が戻ってくる。そして、唐突に理解した。これは悪意だ。

 その瞬間、ミミの身体が燃えるように熱くなった。それが怒りなのか、生存本能なのかミミにはわからない。両手の握った拳に力が満ち、体の震えもとまらない。

 一歩前に出した足に、パンの入った袋がぶつかった。袋を見たミミの頭の中に、店主の顔が飛びだしてくる。そして両親と親友の顔も。

『戦う? ミミはファイターだったの? 言葉の通じない相手に遭遇したら、逃げる一択よ!』

 いつのときの会話だろうか。本を持つ凜とした黒毛の親友が、優しくミミを見つめていた。

 今、理解できない生き物が目の前にいる。

 戦うべきか、逃げるべきか。

 ミミは走った。後ろからベナスの声が聞こえたが、ミミは全力で走った。けっしてふたりを振り返らなかった。



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