ミミは生涯の番と別れられるか?

みづきかやの

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3話 番制度

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 辺りは日が沈みかけていた。

 春の風は今はもう冷たくなってしまったが、走り続けたミミの身体には心地よかった。

 謎の女から向けられた悪意、理由はわからない。ベナスを愛してる? 違う気がする。今まで生きてきた二十年間は、自分を傷つけようとするものに出会うことのない、幸せな日々だったのだとミミは思った。

 ふと急に、いま聞いたロベニカの言葉が蘇る。ミミはその言葉を振りはらうかのように、何度も頭を強く振った。彼女のことを頭から追い出し、ミミはベナスとの今後を考えた。この先もずっと一緒に暮らしていけるのか? 自分にはどんな選択肢があるのか。

 空を見ると、星が顔を出し始めていた。



「ミミ、百パーセント負けるよ」

 親友のランエルはミミの話を聞いてそう言った。

 肩で揃えた黒髪を揺らし、分厚い法律の本をミミの前に積み上げていく。交友関係が狭いミミが訪ねることのできる場所は限られている。ミミが向かったのは親友ランエルの家だった。

 夜の突然の訪問でも、ランエルは快く家の中に入れてくれた。部屋の中にはいたる所に本が置いてあり、読書家の彼女らしい部屋なのだが、ミミは毎回掃除をしたくなってしまうのだ。残念なことに、今はその気力すら出てこない。

 出された温かいお茶で喉を潤せば、気持ちが少しづつ落ち着いていく。

 心にしまっておくには限界を感じていたミミは、恥を忍んで今まであったことをランエルに話した。話を聞いたランエルは、ミミが番解消を選んだ場合のことを詳しく話してくれたのだった。

 兎獣人族が番を解消するために唯一できる方法が番解消請求だ。

 自分の持つすべての権利を放棄する代わりに、番を解消することができる。申請者には発言の機会もあり、内容によっては恩恵を受けることができるかもしれない。そう思っていたミミの考えは甘かったのだと思い知らされた。

 ランエルは弁護士事務所に勤務し、自身も法律家を目指している。いずれはアーニルマ国内のどこにでも通用する国家資格を取ることが目標で、日々勉強に明け暮れていた。頭が良くて強くて優しい、ミミの自慢の唯一無二の親友なのだ。

「再び同族の誰かと番うことも許されないし、子どもの親権は放棄が絶対、全財産没収、そして領地永久追放!」

 本来、病気などの理由で番を亡くした兎獣人族は、同じ境遇の兎獣人族となら仮番を結ぶことが許されている。残された番の救済処置で、番関係としては認められないがパートナーとして認知されるのだ。しかし、番解消請求をした兎獣人は二度と領地内の同族とは仮番はできない。国になら誰とでも番申請することは可能だが、兎獣人族で独自に行っている行政の恩恵は受けられないことになる。

「そもそも領地永久追放なんだから、領地内の人と仮番になる意味があるの!?」
「ふふふ、そうよね。でも骨だけでも領地で眠りたいって人が大昔にいてね。新しい制度ができる前はしばしば問題になっていたんだって」
「逃げ道をとことん塞いでいったということね……」

 兎獣人族は火葬が一般的だが、他の種族はそうではないところが多い。最後は骨になって眠りたい場合は領地へ帰るのが一番だろう。だが、その願いすら叶わないのだ。

「自分で貯めたお金も、私財もすべて自分の番へ渡るわ。これは慰謝料の意味合いが強いの」

 そして二度と兎獣人族の領地へは戻れない。戻れば死ぬまで強制労働か牢獄行きだ。

 この番解消請求は申請した側にとって不利どころの話ではない。持ち出しできるのは身に着けた衣類と決められた額の路銀だけ。番を解消させないために建国とともに作られた、兎獣人族独自の法なのだ。

 唯一の救いは、ミミに子どもがいなかったことぐらいだろう。

 ぎゅっと目を閉じ、自分の選択肢が減っていくのを自覚する。ミミは無知だった。でも知っていたとしても、きっと過去は同じだっただろう。きっとベナスと番になっていた。

「前例は三件、最近の審議会は三十五年前で、番である夫の暴力が原因よ」

 審議会の記録は詳細にまとめられていて、手続きを取れば誰でも読めるように管理されている。

 夫の暴力は、ふたりの子どもたちにまで及んでいた。妻は子どもたちを連れて領地から逃げようとしたのだが、途中で見つかってしまう。わずかな望みをかけて番解消請求をしたものの、恩情は受けられなかった。子どもたちは夫のもとに引き取られ、妻は全財産没収、領地を永久追放されたのだった。

 これには続きがある。夫に引き取られたふたりの子のうち下の子は、その父親の暴力で死んでしまうのだ。これには当時の兎獣人族の領主も動かざるをえなかった。番の暴力から身を守るためのシェルターや法の整備に尽力した。

「借金や薬物依存症、中にはこの前例のように暴力を振るわれて耐えている子もいるわ。その子たちに比べたら……」
「比べたら?」
「……まだましよ! 御曹司のお坊ちゃんをお財布として見ることはできないの?」
「……ましじゃないよ、全然ましじゃない」

 借金なら一緒に返す。依存症なら一緒に治療を考える。殴られたら殴り返す。でも浮気されたら――。

 ミミも浮気するなんてことはできない。そんなことはしたくない。

「許してあげなよ、自分のために!」
「ランエル……」

 ランエルは、ミミの感情に気づいているのかもしれない。

「もうしないって、約束させるの。それで――」
「ランエル、やめて!」

 許してしまいたい。その方がずっと楽だ。知れば知るほど、ミミに逃げ場はない。でもそれができない。時間が経ってもあのときの映像が消えてくれないのだ。沈黙の日々は、ミミを疲弊させていった。そして今はロベニカの言葉がミミにまとわりついているのだ。ミミは胸が苦しくなって下を向いた。

「じゃあ毒殺しよう!」

 ランエルの言葉にミミは驚き顔を上げる。

 凝視した彼女の目には、涙がいっぱい溜まっていた。

「ランエル……」

 ベナスと番になると決めたとき、ランエルは慎重にするべきだと何度もミミに伝えていた。険悪になっても会話をし続けられたのは、ひとえにランエルの懐の深さと彼女がミミの性格をよく知っていたからだろう。ランエルはミミの気持ちに気づいている。でもそれ以上に現実もわかっていた。ミミの決断次第では、更なる地獄への道かもしれない。

「それは……ダメだよ」

 法に携わる親友に、言わせてはいけない言葉を言わせてしまった。

 ベナスの命を奪うことなどミミにはできない。たとえどんなに憎くてもだ。

 もちろんランエルもわかったうえでの発言だろう。

 ランエルの言葉は冷泉と同じだった。

 今までミミにまとわりついていた黒い何かが落ちていく。お互いの目が合い、苦笑いをした。

「……そうだね」

 ランエルの涙は頬を伝っていた。

 夜中になってもふたりは喋り続けた。暗い部屋の中に灯るランタンの小さな光が、心を静かにしてくれるのだ。

「そのロベニカって女も調べなきゃだね」

 ランエルは一緒のベッドの中でそう呟いた。隣で休んでいたミミは、驚いてランエルを見る。

「どうやって?」
「蛇の道は蛇ってね……その女の言葉からするに、前科ありまくりだよ」

 頼もしい親友の言葉に、重く沈んでいたミミの心がほんの少しだけ軽くなっていた。


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