ミミは生涯の番と別れられるか?

みづきかやの

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5話 噂話

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 出勤のため、朝早くに家を出たミミが町の変化に気づいたのは、知り合いの婦人たちがあからさまに視線を逸らしていたからだった。ひとりやふたりではない。みんながミミを避けているようで、不安が押し寄せていた。誰かとすれ違うたびにミミは視線を感じたが、自意識過剰の思い込みだと自分に言い聞かせる。心臓の鼓動を誤魔化すために、早歩きで店へ急いだ。

 パン屋の仕込みは夜中から始まるが、ミミは店の看板娘として店前に立って接客するのが仕事だった。そんなミミを、女将さんは早々に裏の部屋に誘った。

「ミミ、今日は裏方の仕事を手伝っておくれよ」
「裏方?」

 そう言って案内されたのは、店主たちの生活空間だった。

「ミミは片づけが上手だろ? いつも店をピカピカに磨いてくれる。この部屋を頼みたいんだよ」

 仕事で忙しいのだろうか、ふたり暮らしの店主たちの部屋はかなり散らかっていた。部屋を見たミミの肌が毛羽立ったほどだ。

「まかせて! うんときれいにするから!!」

 ミミは一心不乱に片づけた。少しずつきれいになって行く部屋を見ていると気分がよくなってくる。ミミは掃除が好きだった。薬草で自分のオリジナル洗剤を作ってしまうほどに。掃除をすると不思議と心が整ってくるのだ。

「そういえば……自分の部屋の掃除、全然していなかったな」

 帰ったら久しぶりに掃除をしよう。両親の部屋も、台所も、久しぶりに大掃除をしよう。悩みを頭の隅に追いやって一生懸命に磨いていたら、店主たちの部屋はいつの間にかピカピカになっていた。

「……ミちゃん、いい子だと思って……に……浮気さ……ちゃう子だったな……ね。だいじょ……」

 片づけが終わったのでミミが店の表に向かうと、いつもの常連客が女将さんに何かを話している。

「大丈夫に決まっているだろ! ミミはいい子だ!」

 いつもは無口な店主がふたりの会話に声を荒げ、常連客を追い出していた。

「あの……」

 ミミの気のせいではなかった。自分のことを話されていたのだと知り、思わず声をかけてしまっていた。ふたりに声をかけたのはいいものの、何をどう言っていいのかがわからなくてその後の言葉が続かない。声に驚いたふたりは勢いよく振り向いて、表情を硬くしている。ふたりはミミに話を聞かれていたのだと理解して、おもむろに近寄ってきた。女将さんは気遣わしげにミミの肩に手を置くと優しくさすった。

「ミミと旦那さんの噂が広まっていてね……でも大丈夫だよ。ふたりが仲直りすればあっというまに消えるさ」

 女将さんの言葉にミミは驚いた。
 わずかな時間でミミとベナスの噂話が広がっているらしい。やはり向けられる視線には意味があったのだ。会話を周りに聞かれていたのだろうか、それとも――。

 悪いことを想像しそうになって、考えるのをやめた。

「やっぱり……私が悪く言われるんだ……」

 足元が暗くなるのを感じて、ミミは泣きたい気持ちを必死で堪えた。世間に知られてしまったのだ。これから自分は窮地に立たされるのかもしれない。兎獣人族の常識が、ミミを傷つけにくるのだ。

 私が悪いのか。

 浮気された私が悪いのか。

 この数日、ミミは自問自答を繰り返している。

 私は悪くない! そう叫びたいのに叫べない。

 叫んだところで笑われるだけなのだ。

 それがここでの常識なのだから。

 ベナスを怒りたい。

 罵りたい。

 愛していると言いながら、なぜ私を裏切ったのか。

 なぜ、その行動は許されるのか?

 兎獣人族の常識は、本当に正しいのか。

 私が悪いのか。

 浮気された私が悪いのか。

 浮気した方は悪くないのか。

 なぜ。

 なぜ。

(ベナス……なぜあなたは、番を窮地に立たせる行動をとったの? あなただって知っていたはずよ)

 本当は愛されていなかったのだろうか。番を愛していないから、浮気者は血を吸う魔虫のように番以外の肌にとまれたのだろうか。

(ベナス、あなたの行動は矛盾しているわ! 愛してないと言われたほうがどんなに楽か!!)

 兎獣人たちの考え方に疑問があってもどこか無関心で、自分には関係のないことだと思っていた。当事者になり、はじめてその不条理さを理解する。自分は悪くないと思っていても、周りからは悪いと言われるこの状態が辛くて怖い。

 常識という名の思い込みを、誰が解いてくれるのだろうか。

 ミミは兎獣人族の領地から出たことがないので外のことはあまりよく知らなかった。両親や、領地に暮らす同胞たちのほとんどがそうだろう。だからこの考え方が当たり前なのだと思い込んで生きてきた。

 しかし他の種族では、浮気した方が悪いとされることが多いのだとランエルが教えてくれたのだ。閉鎖的だった兎獣人族の領地にも、今は急速な発展の影響で各種族の商人や旅人との交流も多くなり、自分たちの考えが少数派だと認識する兎獣人たちがこれからもっと増えるはずだと。

『だからね、ミミ。あなたは少しも悪くないんだよ』

 優しい声が聞こえくる。

『私たち兎獣人族がもつ法や習慣、考え方には変えなければいけないものが含まれていて、これもその一つだと思うの』

 博識で、柔軟な考えを持っているランエルの言葉にミミは救われた。この言葉が無ければ、ミミは今日、奈落の底に落ちていたかもしれない。

「気をつけて帰るんだよ」

 帰りは女将さんから借りた帽子を目深にかぶり、向けられる視線を遮った。悪意も嘲笑も好奇心も、そのすべての視線がミミの柔らかい心に突き刺さっている。

「しんどいな」

 パン屋を訪れた客たちは、全員がミミの話を女将さんにしていったのだ。番の裏切り話は、彼女たちの大好物だったらしい。なかにはアドバイスだと言ってミミに手紙を書いてきた人までいた。中身はまだ読んでいない。

「どうして私の方が悪くなるんだろう」

 人目を避けるように家路についたミミは、実家の玄関の中に入ると呟いた。

 番に心を傷つけられて、さらに悪いのはお前の方だと言われてしまうのだ。自分の身に降りかからなければ、真剣に考えることなどなかっただろう。今日は足元ばかり見ている。

「どうして私たちの番制度はこんなに厳しく縛られているんだろう?」

 すぐに別れられればいいのに。

 それは息苦しくて窮屈で、見えないのに堂々と目の前に高くそびえ立っている障壁そのものだった。

「昔の誰かがそれを望んだんだろうね。そして今も」 
「ランエル!」

 玄関で出迎えてくれたのはミミの親友だった。


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