31 / 46
31話 熊男
しおりを挟む
掃除の仕事は順調に少しづつ増え、定期的に見てほしいと頼まれることもあった。
ミミは将来を見越して個人事業者として国都に書類を提出した。職業名はシンプルに掃除屋さんだ。
とはいえ臨時収入の域はまだ出れず、パン屋の仕事の合間に細々とやっている状況だった。
依頼主のもとへ行くときは必ずサージュがついてくるのが定番となり、依頼主たちも微笑ましく見てくれている。ミミが困ったのは、サージュが報酬の一部を頑なに受け取らないことだ。悩んだ末、サージュに黙ってミミが貯めておくことにした。将来このお金が必要になるときがきっとくるとそう思っている。
そしてもうひとつ、自分も含めて頑張ったご褒美を用意するこにしたのだ。
一年の終わりが近づいてくると、どこもかしこもせわしなく慌ただしくなってくる。掃除の依頼もいつもより多く入り、今日もミミたちは一件の依頼を無事に終えることができた。
「ふぁ、さっぱりしたわね。待たせちゃったかな?」
白い湯気をまといやってきたミミは、ひと足早く湯舟から出てきていたサージュに声をかけた。
「ついさっきあがったばかりだよ。はい、イチココミルク」
ミミはお礼を言い、渡されたイチココミルクを手に取った。ひんやり冷たくて気持ちがいい。ふたりは並んでイチココミルクを飲んだ。
この湯屋で飲むイチココミルクは、必ずサージュが買うようになっていた。ふだんの買い物はミミが出しているのだからここは自分が出すと、サージュが譲らなかったのだ。なかなかの頑固者だと思い、ミミは甘えることにした。
湯屋で仕事の汗を流したあとは、赤レンガ通りの中央広場へふたりで向かう。そこで夕方からおこなわれている夜市の屋台で夕食を買ってから帰るのだ。食後のデザートもこのときだけは自分たちへのご褒美だと奮発している。
何度か繰り返せばそれが当たり前になってゆく。新しくできた習慣を、ミミは楽しみにしていた。
今日のサージュは魔獣肉を揚げてパンに挟んだ豪快な一品を選び、ミミは野菜のサンドイッチとカリカリに揚げた野菜スティックのセットにした。テテへのお土産も忘れない。帰ってこなければ自分たちの朝食になるので選ぶときは真剣だ。今日は魔獣肉の串焼きと、野菜ペーストを練りこんだ蒸しパンにした。
デザートはどれも食べたいのだが、一種類と決めている。食べる楽しみをとっておくためだった。
「ミミ、これ季節限定だって」
「まあ! どうしましょう。今日は白いケーキを買おうと思っていたのに!」
目の前には茶褐色をした四角や丸い形をしたお菓子が小分けした袋に入っている。確かに以前はなかったものだ。
「これはチョコレートと言って、異国のお菓子だよ。口の中で溶けるんだ」
甘くて美味しいよ、と店主が誘惑してくる。ミミは隣にいるサージュの顔を見た。黒い瞳がきらきらと輝いている。
「今日は両方買っていこうか」
「いいの!?」
「今日は特別よ!」
こんな日があってもいいのだ。自分で決めたこととわかっているが、サージュの輝く瞳にはかなわないのだから。
サージュと手を繋げば、暗い夜道も怖くはない。不思議なことにミミはそう思うようになっていた。
買い物袋からはいい匂いが漂っている。早く食べたいねと言いながら家路を急いだ。
それは庭へと続く扉を開けて中に入ったときだった。
少し歩くと、サージュがミミの手を引いて先に進むのを止めたのだ。
「ミミ戻ろう!」
「えっ!?」
「早く!!」
あと少しで家に着くのに、サージュは戻ろうと言っている。
思わず長屋のほうを見ると、自宅の外灯に照らされて一瞬だけ黒い影が動いた。
空気が変わり、大きな黒い何かが勢いよく近づいでくる。ミミは胸騒ぎがしてサージュの言うとおり戻ろうと背を向けたのだが――。
「待て! テテか!?」
大きな影は素早くて、ミミの小さな肩を鷲づかみした。
「痛い!」
痛みが走り、ミミは叫んでいた。
「ミミ!?」
サージュが大きな影の前に出ようとしたが、ミミが寸前で抱きしめ止める。振り返らなくてもわかるほどの相手の威圧がミミの肌に刺さりだす。震えながらも相手を見た。
ミミの目の前には、種族の特徴を惜しげもなくさらし出した、大きな熊獣人の男が立っていた。
「……ん? テテじゃねーな」
熊男はミミの匂いを嗅ぎだした。ミミの全身に鳥肌がたつ。
「テテの匂いもしねーなぁ」
ミミをじろじろと見たあと、熊男はサージュを見た。
「このガキ、テテが連れてたガキじゃねーか?」
「違います!!」
即座にミミは大声で嘘をついた。サージュを守るためなら何百回でも嘘をつけるだろう。
ミミの本能がこの男は危険だと叫んでいる。
「この子は私の子です!」
火事場の馬鹿力とはまさにこのことだろうか。ミミは買い物袋を持ちながらもサージュを抱え上げた。
「それにあなた! 勝手に女性の匂いを嗅ぐなんて最低です! 失礼します!!」
異性の匂いを嗅いでいいのは番や親しい相手だけなのだ。
まだしゃべりかけようとする熊男を無視して、ミミは全力で自宅のドアまで走った。
鍵穴に鍵を入れる手が震えている。背には熊男の威圧がまだ刺さり続けていて、近づいてくる気配がしていた。鍵を回し終えると、威圧の気配が消えていることに気づく。ミミが振る返ると、暗くて顔は見えないが、なぜか熊男の足は止まっていた。
サージュを抱きかかえ、急いで部屋の中へ入る。ミミが防犯のためにあとからつけた内鍵も一緒にかけて、床にしゃがみこんだ。
ミミは将来を見越して個人事業者として国都に書類を提出した。職業名はシンプルに掃除屋さんだ。
とはいえ臨時収入の域はまだ出れず、パン屋の仕事の合間に細々とやっている状況だった。
依頼主のもとへ行くときは必ずサージュがついてくるのが定番となり、依頼主たちも微笑ましく見てくれている。ミミが困ったのは、サージュが報酬の一部を頑なに受け取らないことだ。悩んだ末、サージュに黙ってミミが貯めておくことにした。将来このお金が必要になるときがきっとくるとそう思っている。
そしてもうひとつ、自分も含めて頑張ったご褒美を用意するこにしたのだ。
一年の終わりが近づいてくると、どこもかしこもせわしなく慌ただしくなってくる。掃除の依頼もいつもより多く入り、今日もミミたちは一件の依頼を無事に終えることができた。
「ふぁ、さっぱりしたわね。待たせちゃったかな?」
白い湯気をまといやってきたミミは、ひと足早く湯舟から出てきていたサージュに声をかけた。
「ついさっきあがったばかりだよ。はい、イチココミルク」
ミミはお礼を言い、渡されたイチココミルクを手に取った。ひんやり冷たくて気持ちがいい。ふたりは並んでイチココミルクを飲んだ。
この湯屋で飲むイチココミルクは、必ずサージュが買うようになっていた。ふだんの買い物はミミが出しているのだからここは自分が出すと、サージュが譲らなかったのだ。なかなかの頑固者だと思い、ミミは甘えることにした。
湯屋で仕事の汗を流したあとは、赤レンガ通りの中央広場へふたりで向かう。そこで夕方からおこなわれている夜市の屋台で夕食を買ってから帰るのだ。食後のデザートもこのときだけは自分たちへのご褒美だと奮発している。
何度か繰り返せばそれが当たり前になってゆく。新しくできた習慣を、ミミは楽しみにしていた。
今日のサージュは魔獣肉を揚げてパンに挟んだ豪快な一品を選び、ミミは野菜のサンドイッチとカリカリに揚げた野菜スティックのセットにした。テテへのお土産も忘れない。帰ってこなければ自分たちの朝食になるので選ぶときは真剣だ。今日は魔獣肉の串焼きと、野菜ペーストを練りこんだ蒸しパンにした。
デザートはどれも食べたいのだが、一種類と決めている。食べる楽しみをとっておくためだった。
「ミミ、これ季節限定だって」
「まあ! どうしましょう。今日は白いケーキを買おうと思っていたのに!」
目の前には茶褐色をした四角や丸い形をしたお菓子が小分けした袋に入っている。確かに以前はなかったものだ。
「これはチョコレートと言って、異国のお菓子だよ。口の中で溶けるんだ」
甘くて美味しいよ、と店主が誘惑してくる。ミミは隣にいるサージュの顔を見た。黒い瞳がきらきらと輝いている。
「今日は両方買っていこうか」
「いいの!?」
「今日は特別よ!」
こんな日があってもいいのだ。自分で決めたこととわかっているが、サージュの輝く瞳にはかなわないのだから。
サージュと手を繋げば、暗い夜道も怖くはない。不思議なことにミミはそう思うようになっていた。
買い物袋からはいい匂いが漂っている。早く食べたいねと言いながら家路を急いだ。
それは庭へと続く扉を開けて中に入ったときだった。
少し歩くと、サージュがミミの手を引いて先に進むのを止めたのだ。
「ミミ戻ろう!」
「えっ!?」
「早く!!」
あと少しで家に着くのに、サージュは戻ろうと言っている。
思わず長屋のほうを見ると、自宅の外灯に照らされて一瞬だけ黒い影が動いた。
空気が変わり、大きな黒い何かが勢いよく近づいでくる。ミミは胸騒ぎがしてサージュの言うとおり戻ろうと背を向けたのだが――。
「待て! テテか!?」
大きな影は素早くて、ミミの小さな肩を鷲づかみした。
「痛い!」
痛みが走り、ミミは叫んでいた。
「ミミ!?」
サージュが大きな影の前に出ようとしたが、ミミが寸前で抱きしめ止める。振り返らなくてもわかるほどの相手の威圧がミミの肌に刺さりだす。震えながらも相手を見た。
ミミの目の前には、種族の特徴を惜しげもなくさらし出した、大きな熊獣人の男が立っていた。
「……ん? テテじゃねーな」
熊男はミミの匂いを嗅ぎだした。ミミの全身に鳥肌がたつ。
「テテの匂いもしねーなぁ」
ミミをじろじろと見たあと、熊男はサージュを見た。
「このガキ、テテが連れてたガキじゃねーか?」
「違います!!」
即座にミミは大声で嘘をついた。サージュを守るためなら何百回でも嘘をつけるだろう。
ミミの本能がこの男は危険だと叫んでいる。
「この子は私の子です!」
火事場の馬鹿力とはまさにこのことだろうか。ミミは買い物袋を持ちながらもサージュを抱え上げた。
「それにあなた! 勝手に女性の匂いを嗅ぐなんて最低です! 失礼します!!」
異性の匂いを嗅いでいいのは番や親しい相手だけなのだ。
まだしゃべりかけようとする熊男を無視して、ミミは全力で自宅のドアまで走った。
鍵穴に鍵を入れる手が震えている。背には熊男の威圧がまだ刺さり続けていて、近づいてくる気配がしていた。鍵を回し終えると、威圧の気配が消えていることに気づく。ミミが振る返ると、暗くて顔は見えないが、なぜか熊男の足は止まっていた。
サージュを抱きかかえ、急いで部屋の中へ入る。ミミが防犯のためにあとからつけた内鍵も一緒にかけて、床にしゃがみこんだ。
12
あなたにおすすめの小説
愛する人は、貴方だけ
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
下町で暮らすケイトは母と二人暮らし。ところが母は病に倒れ、ついに亡くなってしまう。亡くなる直前に母はケイトの父親がアークライト公爵だと告白した。
天涯孤独になったケイトの元にアークライト公爵家から使者がやって来て、ケイトは公爵家に引き取られた。
公爵家には三歳年上のブライアンがいた。跡継ぎがいないため遠縁から引き取られたというブライアン。彼はケイトに冷たい態度を取る。
平民上がりゆえに令嬢たちからは無視されているがケイトは気にしない。最初は冷たかったブライアン、第二王子アーサー、公爵令嬢ミレーヌ、幼馴染カイルとの交友を深めていく。
やがて戦争の足音が聞こえ、若者の青春を奪っていく。ケイトも無関係ではいられなかった……。
一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む
浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。
「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」
一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。
傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語
前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!
ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。
前世では犬の獣人だった私。
私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。
そんな時、とある出来事で命を落とした私。
彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。
盲目王子の策略から逃げ切るのは、至難の業かもしれない
当麻月菜
恋愛
生まれた時から雪花の紋章を持つノアは、王族と結婚しなければいけない運命だった。
だがしかし、攫われるようにお城の一室で向き合った王太子は、ノアに向けてこう言った。
「はっ、誰がこんな醜女を妻にするか」
こっちだって、初対面でいきなり自分を醜女呼ばわりする男なんて願い下げだ!!
───ということで、この茶番は終わりにな……らなかった。
「ならば、私がこのお嬢さんと結婚したいです」
そう言ってノアを求めたのは、盲目の為に王位継承権を剥奪されたもう一人の王子様だった。
ただ、この王子の見た目の美しさと薄幸さと善人キャラに騙されてはいけない。
彼は相当な策士で、ノアに無自覚ながらぞっこん惚れていた。
一目惚れした少女を絶対に逃さないと決めた盲目王子と、キノコをこよなく愛する魔力ゼロ少女の恋の攻防戦。
※但し、他人から見たら無自覚にイチャイチャしているだけ。
【完結】王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく
たまこ
恋愛
10年の間、王子妃教育を受けてきた公爵令嬢シャーロットは、政治的な背景から王子妃候補をクビになってしまう。
多額の慰謝料を貰ったものの、婚約者を見つけることは絶望的な状況であり、シャーロットは結婚は諦めて公爵家の仕事に打ち込む。
もう会えないであろう初恋の相手のことだけを想って、生涯を終えるのだと覚悟していたのだが…。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
私たちの離婚幸福論
桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません
鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。
「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」
そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。
——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。
「最近、おまえが気になるんだ」
「もっと夫婦としての時間を持たないか?」
今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。
愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。
わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。
政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ
“白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる