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第4話 君は可愛い僕の小鳥
しおりを挟む初めて降り立つロンドンは息が詰まる場所だった。テムズ川の近くではスモッグと工場の煙が立ちこめ、空は灰色だ。
なぜこんな狭くて美しくない場所に、こぞって人が訪れるのだろう。
僅かに眉を顰め、ランガムホテルの前で馬車から降り立つ。
「……ようやく、この日がきたか」
そうポツリと呟き、ホテル内に足を踏み入れる。ボールルームの扉を開いた先にいたのは、ずっと焦がれてやまなかった愛しい彼女。エヴェリーナを見た瞬間に息苦しさは薄れ、澱んだ空気は清浄される。
ああ、待ち望んでいた貴女との迎合――本当によく我慢したねアルサリオン。あと少しでもあの男が彼女に近付こうものなら、今頃その指を切り落としていただろうから――。
♢♢♢
精霊の国の泉で、ずっと彼女の成長を見守っていた。
十年待った。エルフにとっては瞬きするように一瞬だが、私にとって彼女に会えない十年は、永遠に続く牢獄だった。
もちろん、彼女の父親が騙され、望まない婚約を交わしたことも知っている。
もっと早い段階で介入することも考えた。だが、私はこれを好奇と捉えた。
もう後戻りできない所まで彼女を追い込んで、自分に助けを求めるように。婚約式まで進んだところに割って入り、男の悪事を露呈させるつもりだった。その上で借金を肩代わりすれば、彼女は泣いて喜びエルフの国について来るだろう。全ては予定通りに進んでいたはずだった。
「……嫌よ」
「え?今なんと……」
「だから!私は貴方とは絶対に結婚しないわ!」
返ってきたのは、明確な拒絶。予想外だが、ここで引き下がる私ではない。
「――一つ賭けをしませんか?」
持ち出した賭けの期間は、私に許された人間界への滞在期間。この一年間で、彼女を囲い込み、真綿で包み込むように大切に甘やかして、私がいなければ生きていけない体にしなくてはいけない。
自信はあった。彼女は私のもので、私は彼女のもの。それはそうなることが初めから決められている、確定事項なのだから。
♢♢♢
「なっなんで!どうして私の部屋にいるのよっ!」
「……魔法って便利ですよね」
魔法で部屋の鍵を開け、家人が起きぬように屋敷全体に眠りの祝福を授けた。エヴェリーナの叫び声を聞くのは私一人でいいのだ。
「大変失礼しました、何分エルフなもので、こちらの世界の常識を存じ上げず」
そう言って少し反省した素振りを見せれば、彼女は抗議の目を向けたものの、あっさりと許してくれた。寛容というか、お人好しというか。こういうところは父親譲りなのだろう。
『エルフなのでこちらの世界の常識がわかりません』
と言う台詞は大変使い勝手がいい、魔法のように便利な言葉だ。常套句としてこれからも使用させてもらおう。
♢♢♢
「エルフの方は我が家の手料理を無礼に扱いますのね。私、そんな方を到底好きになれそうにありませんわ」
真正面から私を見つめる、蜂蜜色の瞳。あの頃と変わらない、春の訪れを思わせる暖かさ。その視線が一心に自分に注がれている――私の心は湧き立ち踊った。
しかし、無礼だと思われて嫌われるのは私の意に反するところだ。素直に彼女の言葉に耳を傾けて、エイヴェリー家の朝食に口をつける。特段感情を動かす味ではないが、侍女の好感度を得るための言葉も忘れない。
これは静かなる攻防なのだ。味方は多いほど有利になる。父親と侍女は既に私をエヴェリーナの良き婚約者として扱うことだろう。
♢♢♢
「ミスターアヴァロン、どうしてずっとついてくるのですか!?」
「精霊の国では、恋人同士はいつも一緒なのですよ」
それはきっと変わり者だと言われる私の両親くらいだろうけど。嘘は吐いていない。身近なロールモデルなのだから仕方がないのだ。
エルフという種族は長命で、感情が平坦だ。激しく感情が突き動かされるだなんて、有り得ない。
番になることはごく稀で、子どもが産まれることはもっと稀だった。
「恋人じゃないし、恋人でも四六時中一緒だなんて、イングランドでは非常識よ!」
もちろん知っていますよエヴェリーナ。この国では、未婚の男女は品位の為、一定の距離を保たねばならない。しかしそう言われることも計算の内。
「名前で呼んで欲しいのです。ミスターアヴァロンではなく、アルサリオン。アル、と」
過大な要求から小さな願いを通すのは実に賢いやりかただ。君のことだから私の仕掛けた罠には気付かず、その可愛らしい無垢さごと籠の中に囚われるだろう。
「い、いいわよ、アル」
――計算通りだったが、その言葉を聞いた長い耳がふるり、と震える。私の胸は言い表せないほどの歓喜で満たされた。
ずっと彼女に本当の名前を呼んでもらいたかったのだ――。
「ああ、貴女の口から私の名前が呼ばれると、自分の名前がとても尊いもののように思えます……もう一度呼んで下さい」
そう囁けば、彼女の頬は桃色の花が咲いたように色付く。君は気付いているだろうか?今私は確実に、貴女の心の内側に入り込んだのですよ。
僕の可愛い小鳥は――どこまで逃げられるかな?
遠い昔に交わした約束。君の小指に、銀の糸は絡みついている。
それまでは、せいぜい君に従順で無害なエルフを演じなければ。君は必ず、僕のことを愛する運命なのだから。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
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