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第48話 酔っ払いのうわごと
しおりを挟む涼しい風が、頬を撫でていく。それがとても心地いい。森林と百合の香りに包まれて微睡んでいると、ふっと瞼が開いた。
「おはようございます、酔っ払いさん」
聞き慣れた優しい声。
数秒経過して、ようやく頭が働いた。慌てて飛び起きた私の体の上には、彼のグレーのジャケットがかかっていた。
「よ、酔っ払いさんって……」
「度数の強いりんご酒を飲んでしまったんですよ。気分は悪くありませんか?」
数分前のふわふわした楽しい気分は、風船が萎んだように消えてしまった。自分が何を口走ったのか、記憶が曖昧なのが恐ろしい。
「大丈夫よ。失礼したわ」
自分の馬鹿さ加減に呆れて身だしなみを整えていると、隣に座っていた彼は広場にいる農民をじっと見つめていた。
「今年、豊作で良かったですね。……良かったです」
噛みしめるような、静かな一言だった。その横顔が、なぜか儚く消えてしまいそうで。私は彼のシャツの袖を握りしめて、早口で捲し立てた。
「今年の豊作は領民たちのおかげなのよ!昨年から土を改良して、土壌の質を上げたの。だから、これからもきっと大丈夫よ!」
シャツを握る指先にも力が籠る。もう、アルが自分を責めるような顔をするのは見たくなかったから。
一瞬呆けた表情を浮かべた彼は、眩しいものでも見るように目を細めて、ふわっと微笑んだ。
「エヴェリーナは優しいですね」
「何のことかしら」
取り繕っても意味のないことは分かっているけど、そ知らぬふりをしてみせた。彼の袖口から手を離し、目線を逸らす。
夕暮れが影を長く伸ばす。広場に戻ると、お父様に紅茶二杯分きっちりお説教をくらった。もう絶対にお酒なんか飲んだりしないと、心に固く誓った。
♢♢♢
「お嬢様、どうぞ」
「わたしもあげる!」
村の子どもたちが私にコーンドールをプレゼントしてくれた。
「ありがとう、みんなとっても上手にできてるわ。屋敷の暖炉に飾るわね」
手のひらにいくつものコーンドールが収まっていく。そういえば、結局アルはコーンドールを作れたのかしら。別に、欲しい訳ではないのだけど。
広場では夜の宴会の準備が始まっていた。ランタンの明かりが灯りはじめ、蜂蜜色の石造りの家を温かく照らしていく。
陽が落ちるにつれて、村全体は黄金色に輝いていった。
長机には秋の恵みを感謝するごちそうがところ狭しと並ぶ。
数種類のパイや、大鍋のシチューからは湯気が立ち上る。ローストしたソーセージに、ハニーフラップジャック。領地民の陽気な歌声やフィドルの音が高らかに響いた。
村の男性陣はりんご酒を回し飲みし、肩を組んで祝福の歌を歌っている。
「大地の恵みに感謝を!」
「領主さまに敬意を!」
拍手を送っているお父様も、顔を赤らめて笑っていた。
私は大人しくりんごのジュースを(今度はお父様にちゃんと確認してもらって)ちびちびと飲んでいた。アルもお酒を飲んでいるけど、普段通り肌は雪のように真っ白だ。
「貴方はお酒を飲んでも変わらないのね。みんなあんなに顔を真っ赤にしているのに」
「エルフは分解速度が速いから飲んでも酔えないんですよ。皆さん楽しそうで羨ましいです」
「ほお、アルサリオン君はお酒に強いのだね!領地民たちと飲み比べをしてみてはどうだ?」
陽気に笑うお父様は、いつもよりも気さくに声をかけた。広場の中心では、酒瓶を持った村人たちが手招きをしている。
彼はちら、とそちらに目を向けると、ジャケットを脱いで立ち上がった。
「そうですね、やってみましょうか」
「えっやるの?」
今日のアルはどうしたんだろう。やたらと領地民の前に出たがるわ。郷愁、とでもいうのかしら。記憶は薄れていても、この領地も彼の故郷だものね。
「よし、最後まで立ってたやつが勝ちだぜ!」
10人ほどの村の酒豪が、りんご酒を片手に一気に煽る。村の若者も中年も、みんなうわばみみたいにお酒を飲み干していった。
瓶が一つ、また一つ空いていくたびに、誰かが膝を折って倒れていく。
「いいぞ、ジョン!」
「まだ飲めるだろうウィリアム!」
「エルフのお方、凄いぞ!今夜は最高記録がでるんじゃないか!?」
残ったのは、アルとウィリアムの二人だけだ。アルは涼しい顔で次の瓶を手にしていた。
「まだまだ飲めますよ」
「くそっ……」
同時にもう何本目か分からない瓶を煽る。けれど、その途中で大きくウィリアムの体が揺れ、ついに彼は地面に膝をついてしまった。
「勝者、エルフの貴公子アルサリオン様!最高記録がでたぞ!」
村人はアルを取り囲み、惜しみない拍手を送っていた。
彼がゆっくりとした足取りでこちらに戻ってくる。頬はほんのり色づいているかしら?でも、暗いし間近で見ないと分からない程度だ。
私の隣に腰を降ろすと、彼はネクタイを緩め、俯いて細く息を吐きだした。やっぱり酔いが回ったのかもしれない。
「アル、お水飲む?」
私はグラスに水を注いでアルに手渡した。見た目では酔っているか判断できないが、動作はいつもよりも遅い気がする。
(エアリエルを呼んだ方がいいかしら)
心配になってそう思い始めた時、彼が私の手を掴んだ。触れられた手が、じゅっと音がしそうなほどに熱い。
「ねえ、すごく熱いんだけど本当に大丈夫!?」
慌てて彼の顔を覗き込むと、彼の目尻は朱色に染まり、はあ、と息を荒くさせていた。
「……大丈夫だから、ここにいて」
左手は彼に捕まったままだ。なすすべもない私は彼の隣に座っている他になかった。どうにかこの間をやり過ごそうとりんごジュースを飲んでいると、左から穴が空きそうなほどの視線を感じる。
アルがぼんやりと私を見つめていた。
「……何かしら?」
「……かわいい」
「へ?」
「かわいい……世界でいちばん、かわいい」
アルはオウムみたいに、私を見つめて「かわいい」と何度も繰り返した。暴力的なまでの甘さを煮含めた言葉は、容赦なく私の耳に降り注ぐ。
単語の意味が遅れて脳に届いた瞬間、指先は火が灯ったように熱くなった。
「よ、酔っているのね!?」
「……」
見た目には酔った顔色ではない。しかしあれだけ大量に飲酒したのだから、エルフだって酔っ払うのかもしれない。
私はとにかく水を飲ませようとグラスを渡すが、彼は断固として受け取らない。いやいやをする子どもみたいに、黙って首を横に降った。
「ほら、お水を飲んだ方がいいわ」
「けっこんしたい」
(けっ……!?)
なんの脈絡もなく出た言葉。その破壊力たるや、私は一瞬意識を失いかけた。グラスを落とさなかったのが幸いだ。
(ハッ!アルは、酔っているのよ。酔っ払いの言うことに耳を貸してはいけないとヒューゴは言っていたわ)
気をしっかり保つのよエヴェリーナ。今のアルは酔っ払い。聞こえないフリ、見ないフリ!
自分に必死に言い聞かせるも、アルはとろけるバターのように絡みつくような目線でずっと私を見つめてくる。そして、小さな声でぽそりと囁いた。
「けっこんしたい、だいすきだから」
ああ、神よ、これは何の罰ですか?好きな人にそんな瞳で求婚されて、嬉しくない淑女はおりますか?
私は心臓が雑巾を絞るみたいにねじれていくのを感じた。今すぐ大きな声で叫び出したい。行き場のないこの感情を、丸めて小さくして、引き出しの奥底にしまわなければいけないというのに。
握られた左手に、微かに力が込められた。
「……およめさんに、なって」
アルの表情といったら――蜂蜜よりも甘ったるくて、見ているだけで喉が渇く。
もうりんご酒は飲んでいないのに、雲の上まで飛んでいきそうな多幸感が心を支配した。
さっき私が飲んだのも、お酒だったのかしら。だって心臓はばくばく音を立てているし、体も熱くて呼吸することすら忘れそう。
これはきっとお酒のせい。アルの言葉が嬉しいからじゃない。必死になって自分を宥めようとするけど、もう私は彼に自分の全てを差し出しそうになっていた。
拝啓、天国のお母様。一度好きだと気付いてしまえば、その気持ちを隠すことはできないのでしょうか?
こんなにも彼のことを好きな気持ちをどうやって仕舞い込めばいいのでしょう。
だって、彼はそっとしておいてはくれないし、どこまでも追いかけてくるのですもの。
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