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第51話 甘やかしたいんです
しおりを挟む「お嬢様にはこちらのデザインがお似合いになりますわ」
「この布地だと彼女には重すぎるな。あ、外套も合わせて作ってください。予算は惜しみませんので」
「こちらはいかがでしょう?紺色のカシミアに銀糸の刺繍を入れて……」
目の前で、デザイナーとアルが楽しげに会話をしている。私は一体どうして自分がこの場所に座っているのか、全く分からない。
ここはロンドンにある、最高級ドレスメーカーのウォース。パリに本店を持つ、王侯貴族御用達のお店だ。
店内は重厚感のある内装で、大きな窓には厚手の赤いカーテンがかかっている。ペルシャ絨毯の上のベルベット張りの椅子に座った私は、完全に場違いだと思う。
「エヴェリーナ、この二つのデザインだとどちらがいいですか?」
アルに笑顔で手渡されたデザイン画は、どちらもとても洗練された素敵なもの。けれど私にはまず確認しなければいけないことがある。
「……アル。私、今日貴方へのお礼にロンドンに来たのよね?」
「はい、その通りです」
「じゃあなんで私のドレスを仕立てようとしてるのかしら!?」
「だからお礼ですよ。私へのお礼は、今日一日私が満足するまで貴女を甘やかすこと。では、採寸してもらって下さいね」
ものすごくいい笑顔だわ。私は店員にされるがままに採寸された。ウエストから手の長さから緻密に計測されていく。採寸中、店員がひそひそ声で囁いた。
「お嬢様は婚約者様から特別に愛されておいでですわね、羨ましいですわ」
「えっ……ど、どうしてそう思ったの?」
「見れば分かりますわ。このウォースで予算を惜しまずドレスを仕立てるのは寵愛が深い証。それに、お嬢様にお似合いのものに対する審美眼もお持ちです」
その言葉を聞いて、鏡に写った私の顔は真っ赤に染まっていた。
複雑な気持ちを抱えて試着室のカーテンを開けると、紅茶を片手にしたアルと視線が合った。
「一ヶ月後には仕上がるようですから、領地に送ってもらいましょう」
総額いくらかかったのだろう。恐ろしくて金額はとても聞けなかった。聞くところによれば、ウォースのドレスは他のメーカーの5倍はするらしい。
「……楽しい?」
「はい、とても」
アルは今にも鼻歌を歌いだしそうなくらいに上機嫌だ。
「ねえ、もうお買い物は終わりよね?」
「まさか。次はハロッズに行きますよ」
ウォースを出ると、次はハロッズへと連れて行かれる。今日一日だけで、一生分の私費を使ったのではないかと思うくらいだ。本や石鹸、ノートにリボン。私が使うものを選ぶアルは、生き生きとしていた。
――こんなに甘やかされていいのかしら。
もう、婚約者じゃないのに。
ただの、幼馴染なのに。
でも今だけは、喜んでもいいの?
お人形みたいに飾り立てられるのはあんなに嫌だったのに。
アルが、楽しそうに笑うから。
幸せそうな顔をするから。
それだけで、胸がいっぱいになってしまった。
屋敷に帰ってアルからの贈り物を見る度に、私は彼のことを考えてしまうのだろう。
♢♢♢
さすがに疲れてハロッズ内のティールームで休憩をとることにした。
メニューを見て迷っていると、アルは「全部頼みますか?」と言ってくる。私はメニュー表を勢いよくパタンと閉じた。
「ダージリンとアップルタルトにするわ」
迷っていたら本当に全部頼みそうだわ。アルは店員を呼んで、注文をした。
「そろそろ満足した?」
「うーん、まだ満足とはいきませんね」
「あれだけ買ったのに!?」
呆れた顔をしていると、彼は頬杖をついて私を見つめた。
「甘えて欲しいんですよ」
真正面からの視線に、胸が騒めく。甘える、とは具体的にどうすればいいのだろう。彼が求めていることが分からない。
「なんでもいいんです。貴女の我儘がききたい。行きたい場所でも、欲しいものでも。これは多分、エルフの欲求なんです。番の望みを叶えることは自らの喜になりますから」
砂糖菓子みたいな甘さを含んだ声に、耳がそわそわする。これは彼へのお礼なのだから、彼の望みは叶えなくてはいけない。
甘える、甘える……私は膝の上で手を遊ばせながら、チラリと彼を見た。
「あの……本当はジンジャーブレッドケーキと迷ったの。でも二つは食べられないから……よかったら一緒に食べない?」
「っ!……はい、そうしましょう」
しばらくして紅茶とケーキがサーブされる。アルがケーキを切り分けてくれた。私はそのケーキを一口食べた。
しっとりとして、糖蜜のコクのある甘味と生姜の香りが舌に広がる。でも、このケーキよりも――。
「美味しいですか?」
「ええ、とても。でも、アルが作ってくれたケーキの方が美味しいかも」
何気なく、思ったままのことを口にした。するとアルは頬を緩ませ、ごく自然に口にした。
「エヴェリーナが望むなら、一生作りますよ」
彼があまりにも優しい顔で言うものだから、私はつい夢想してしまった。彼が作ったケーキと私が淹れた紅茶で、穏やかな時間を過ごせたらどんなに幸せなんだろう。
手元の紅茶に目を落とせば、そんな光景がティーカップの底に透けて見えるような気がした。
すると、斜め後ろに座っていたご婦人の会話が聞こえてくる。
「まあまあ、可愛らしいカップルだこと」
「紅茶にお砂糖はいらないわね」
さっきまで柔らかい表情だった彼が、ぱっと目を逸らした。耳がほんのりと赤く染まっている。
なんともいえない空気になり、私たちは紅茶とケーキをもくもくと黙って食べた。
ふいに、私の鞄がカタカタと小刻みに震えだす。何事かと思って鞄を開くと――「うぃー」と聞き覚えのある声。サリが鞄の中から私たちを見上げていた。
「やだ、サリったらいつの間に鞄に?」
「名前を付けたんですか?情を移すなと言ったのに……サリ?」
私はハッとして口元を手で隠した。サリは名前を呼ばれて嬉しそうに手を振っていた。
「うぃーうぃー!うぃー!」
「だめよ、しぃっ。大人しくしてて」
「サリって付けたんですか……私があげたコーンドールに」
「べ、別によくある名前でしょ?アルの名前から取ったわけじゃないから!!」
焦って言わなくてもいいことまで口にしてしまった。彼は「へえ」と言ってニヤニヤと笑っていた。
♢♢♢
ハロッズを出ると、街は薄暗くなり、ガス灯の光が揺らめいていた。空は灰色で、その色がより一層肌寒さを感じさせる。サリは鞄の隙間から顔を出して、物珍しそうに街を眺めていた。
「そろそろ帰りましょうか」
「そうね。あの、今日はありがとう。お礼になったか分からないけど……」
「充分お礼になりましたよ。ドレスが届いたら着て見せて下さいね」
歩き出そうとしたその瞬間、鞄が大きく揺れた。何か黒い物体がぶつかって、目の前をさっ、と横切る。
「きゃっ」
「大丈夫ですか?」
視線の先には、石畳の上に黒猫が一匹。その口元には、麦色の人形――サリが咥えられていた。
「え!?」
慌てて鞄を確認すると、中にサリはいない。あの黒猫に攫われてしまったのだ!黒猫は道を渡ってあっという間に細い路地に入ってしまった。
「待って!」
後を追って走るが追いつけるはずもなく、黒猫とサリは姿をくらましてしまった。
「アル、どうしよう!サリが……!」
「エヴェリーナ、残念ですが諦めましょう。この人混みの中を探すのは難しい。治安も悪いですし、街をうろつくのはよくありません」
(そんな……)
私は俯いて、震える口元をきゅっと引き結んだ。
「でも……見知らぬ場所に独りぼっちで置いていけないわ……」
私はサリとアルを重ねた。きっとサリは不安でいっぱいだわ。どうにかして迎えに行ってあげたい。
「お願い、アル。サリを探して」
すると、アルは細く息を吐きだし、私の肩を抱いて歩き出した。
「1時間探しても見つからなければ、諦めましょう。サリを探して貴女を危険な目に合わせる訳にはいきません」
タイムリミットは1時間。陽が沈む前に、サリを探して連れ帰る。私はアルの目を見て、しっかりと頷いた。
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