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第74話 通りすがりの人間です
しおりを挟む太陽がもうあんなに高く昇っている。ずっと歩き続けてきたので、喉がからからだ。そろそろ休憩がしたい。
いくら私が貧乏男爵令嬢といえど、何時間も歩き続けられる体ではない。もう足が棒のようだ。
木陰の一つも見当たらないので、行儀が悪いのは承知で、足を投げ出してその場に座り込んだ。
「はあ、疲れたわ……まだマロルンの木はあんなに小さいわね」
ブライアに持たせてもらった水を飲む。木の実をくりぬいて作られた水筒からは、ほんのりと香ばしい匂いがした。
小指1本ほどの大きさだった木は、歩き続けて親指1本くらいにはなった。まだまだ道のりは遠い。
サリは私の右肩にのって、足で何度もとんとん、と急かすように足踏みをしている。
「もう少し休ませてよ……あなたはいいわよね、肩に乗るだけで。私、馬車じゃないんだから」
口を尖らせたその時、地面についていた手から振動を感じた。足元の石が、小刻みに震えている。
たくさんの足音。何かが近付いてきている。
――馬の蹄だ。
地面を蹴り、大地を震わせているのだ。
はっと気が付くと、西側から銀の鎧を纏った白い馬が、何頭もこちらを目掛けて走ってきた。その馬には、銀色の甲冑を着た騎士が乗っている。
(このままここにいたら、踏みつぶされちゃう!)
サリはこのことを教えようとしていたのだ。
私は慌てて立ち上がり、疲れた体に鞭打って走り出した。
「《逃げたぞ!追え!》」
ところが、騎士たちは私を追いかけてくる。蹄の音が荒野に響き渡り、砂埃を巻き上げて突進してきた。まるで狩場に放り込まれて逃げ回る獲物だ。
(あの人たち、どうして私を追ってくるの!?)
サリを振り落とさないよう、ポケットに放り込む。トランクを投げ出し、息を切らして荒野を走り抜けた。隠れる場所なんてどこにも見当たらない。
肺が今にも破裂しそうな勢いで悲鳴を上げた。
苦しい――もう走れない……!
ついに足はもつれ、私は転んだ。
喉がひゅうっと鳴り、苦しさから咳き込む。手のひらと膝に鈍い痛みを感じた。
あっという間に白い馬に取り囲まれる。倒れ込んだ私は肩で息をして起き上がった。
その中の一人の騎士が馬から降り、私の目の前に立ちはだかる。ブレスを被っていて、どんな表情なのかは分からない。
「《殿下、おやめください。魔物かもしれません》」
「《魔物なら剣が反応するだろう。問題ない》」
――これは、エルフの言葉だ。
騎士がブレスをとった。すると、腰まで届くであろう長い銀糸がさらりと空に広がった。
白い肌に浮かぶ、セレストブルーの瞳。
私がずっと会いたかった人。
「ア……!」
喜びのあまり、愛しい人の名前を呼ぼうとしたその瞬間。
彼は氷のように冷たい視線を投げ、抑揚のない声を上げた。
「《――なぜ人間がここに?》」
記憶の中の、優しく微笑んでくれる彼の面影はどこにもない。目の前の男の瞳は、空虚だった。
周囲にいた騎士たちもブレスを取る。
騎士は皆エルフの青年だった。どのエルフも肌は白く、銀色の長髪だ。
「《恐らく、"妖精の渡り"に紛れて来たのでしょう》」
「《本当に人間なのか?このような白髪の娘など見たことがないぞ》」
早口で全ては聞き取れなかったが、人間の私がなぜここにいるのか、怪しんでいるような雰囲気を醸し出している。
殿下と呼ばれたエルフの青年は、間違いようもなくアルだ。髪の毛は伸びて、少し痩せたように見える。
それでも、別人だとは思えない。
なのに、なぜ彼は私のことが分からないの?髪の毛が白くなったから?
それとも、私のことなんか忘れちゃった――?
鼻の奥にツンとした痛みを感じる。
涙が浮かび、視界が揺らいだ。
すると突如お腹を抱えられ、体が宙に浮く。
「きゃっ……!」
「《小さくて可愛いじゃないか、俺が持ち帰ってもいいだろう?》」
私は髪を一つに結えた別の騎士に、荷物のように体を担がれる。咄嗟にアルに手を伸ばし、救いを求める表情を向けた。
それでも、彼はピクリとも動かない。
(嫌……怖いっ……!)
瞳から大粒の涙がこぼれ落ちたその瞬間、アルが口を開いた。
「《ゼファーレン、人間を保護した場合はまずは王宮に届ける決まりだ》」
するとゼファーレンと呼ばれた男は、「殿下はお堅い方だ」とでも言いたげな顔で渋々私を降ろした。茫然とアルを見つめて立ち尽くしていると、アルは無表情のまま近付いて、私を横抱きに抱えた。
「っ!」
身を強張らせていると、先ほどまで彼が乗っていた白馬に座らされる。
一瞬視線が合い、彼の瞳に私が映り込む。けれどすぐに視線は逸れ、彼も馬に乗り込んだ。
「《王宮へ帰還する》」
一言だけ声を発し、エルフたちは馬を走らせた。
♢♢♢
荒野に蹄の規則正しい足音が絶え間なく響いている。私は彼の前に、横向きに座らされていた。
胸元で深呼吸をすれば、嗅ぎなれた森林と、百合の香り。
忘れることなんかできない、アルの匂いだ。
おずおずと見上げれば、アルは遠くを見つめていた。
私の視線に気づいたのか、一瞥した彼はエルフの言葉ではなく、英語で話しかけてくれた。
「今から王宮に向かいます。女王に謁見してから貴女の処遇は決まりますが、危害を加えられることは稀ですのでご安心を」
(……危害を加えられることはない、じゃなくて、稀にあるの!?ちっとも安心できませんけど!?)
思わずはくはくと口を動かすと、彼は私の顔を覗き込んで続けた。
「言葉、分かります?イングランドから来たのでしょう?」
「あ、分かるわ。あの、ここは……」
「ここは精霊の国。人間だとは思わず失礼しました。近年魔物の国からの不法入国が絶えないもので」
無機質な声と、淡々とした話し方。
アルの声はもっと優しかった。
たまにからかうような意地悪さがあって、それでも私の名を呼ぶときは甘かった。
同じ顔をして、同じ香りを身に纏っているのに、声だけが別人のようだ。一縷の望みをかけて、尋ねてみた。
「あの……イングランドに来たことはある?」
「幼い頃に滞在していたようです。ほとんど記憶はありませんが」
「親しい人はいなかった?」
「さあ。それも覚えていませんね」
覚えていない――彼は、私のことを覚えていないのだ。
どうして?離れている間に何があったの?
口を噤んでいると、訝しんだ彼はこう言った。
「《なぜそんなことを?》」
「《いいえ、なんでもないわ》」
ハッ、として思わず口を手でふさいだ。
今私は、エルフの言葉で会話してしまった。
人間の私がなぜエルフの言葉を喋れるのか、怪しまれても仕方がない。
案の定、アルは眉根を寄せ、不信感をあらわにしていた。
「なぜ人間がエルフの言葉を知っている?君は――何者だ?」
流れる空気がひりつき、肌を刺す。この危機を脱出するための嘘なんか持ち合わせていない。
何を思ったのか、咄嗟に出たのは次の言葉だった。
「あ、あの……通りすがりの、人間です……?」
「……は?」
彼は口を半開きにしてぽかんとした顔をしている。
(なんとか誤魔化さなきゃ、危険人物だと思われて牢屋に入れられちゃうかもしれないわ!)
「私、本が好きなの!今までたくさん読んだのだけど、その中にエルフの言語について詳しく書かれた本もあったような気がするわ!!」
苦し紛れにあることないことを並べ立てる。彼の表情は動かない。私を映す薄青の瞳はガラス玉のように透き通っていて、少しも温度を感じられなかった。
「……まあいいでしょう。処遇は女王が決めますから」
先ほどまで見つめられていた視線が途切れると、安心するのと同時に心が軋む音が聞こえた。
今の彼は、私を知らない。
私たちは愛を誓い合った夫婦ではなく、通りすがりの他人になってしまったのだ。
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