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第73話 ティルナノーグへ
しおりを挟むくすくすと、鈴の転がるような笑い声が響く。毛先をつんっと誰かに引っ張られる感触……痛いわ。
ぱっと目を開けると、私の眼前にはたくさんの妖精が密集していた。
「きゃぁっ!?」
驚いて飛び起きると、私は木の枝のハンモックから後ろ向きに落ちてしまった。
「い、いたぁい……」
情けない声を出しながらお尻をさする。妖精たちは面白そうに「驚いた!」「きゃはは!」と笑いながら散り散りになって飛び立った。
「こらっ!悪戯するんじゃない!ったく、ごめんね。人間が物珍しいのよ……っ!」
ブライアに助け起こされ立ち上がると、彼は瞬きを繰り返して息を呑んだ。
「ありがとうブライア。……どうしたの?」
「……ここ、真っすぐに行けば、泉があるから、そこで顔でも洗ってきなさい」
「ええ、分かったわ」
サリも私の後を追ってきたので、一緒に泉へと向かった。先ほどのブライアの様子が気になり、自分の頬を触ってみる。
「よだれでも垂れていたのかしら……」
しばらく道なりに歩けば、泉に到着した。私は膝をつき、顔を洗おうと手を泉につけようとした。その水面に、不鮮明に映り込む自分の姿。
「えっ……?」
お父様に似た私のアーモンド色の髪の毛は、雪のように白く染まっていた。
「やっ……どうして……!?」
髪の毛を結んでいたリボンを解き、自分の手で髪を掬い取ってみると、やはり泉に映るのと同じ白い毛先だ。
精霊の国に来たから?昨日はこうではなかったはず。それとも、7年という月日が経ったから?
正解なんか分からない。けれど、乙女としては、豊かな髪から色が失われたことには、ショックを隠しきれなかった。
「こんなおばあちゃんみたいな髪の毛でも、アルは好きって言ってくれるかしら……」
何度見ても白い毛先に目を落とし、唇を引き結ぶ。じわりと滲む涙を手の甲で拭った。
もう一度泉の中に映る自分の姿を覗きこんでみると、白髪の令嬢が、今にも泣き出しそうな顔をしている。
その横には――。
「――アル?」
白髪の令嬢の髪の毛を、愛おしそうに撫でるエルフの青年。
泉の中には幻影のようにアルの姿が映り込んでいた。
後ろを振り返ったが、そこには誰もいない。
もう一度泉を覗き込むと、水面に映るのは自分だけだった。
(こんな幻覚まで見るだなんて、私ったらよっぽどアルに会いたいのね……)
泉の水は、冷たくも暖かくもない。手のひらに掬い取り、顔を2回ほど洗った。
私の膝にサリの左手がぽん、と触れ、撫でるように手がぎこちなく動かされる。
慰めてくれているようで、その姿に少し気持ちが晴れやかになった。
「ありがとうサリ、アルならきっと白い髪の毛でもいいって言ってくれるはずよね」
返事は相変わらず返ってこなかった。
こちらの世界に用があるのかと思ったけど、私の側から離れようとはしない。
理由は分からないけど、この小さなコーンドールはもうしばらくの間一緒にいてくれるらしい。
(サリがいてくれてよかったわ)
♢♢♢
「遅かったわね」
泉から戻ってくると、ブライアは心配そうな表情をしていた。
「うん……髪の毛、びっくりしちゃった」
「人間がこちらの世界に来るとき、容姿が変わることは珍しいことじゃないのよ」
「髪の色だけで済んだのは幸いだ」というブライアの言葉に、幾分か慰められた。確かに、顔の造形まで変わってしまえば、本当にアルに見つけてもらえないかもしれない。
ブライアは、いくつか果実を用意してくれた。薄桃色の拳大くらいの果実は齧るとじゅわっと甘い汁が出てくる。そういえばここに着いてから飲まず食わずだったことに、今更気が付いた。
「妖精のなわばりの入り口まで送るわ。貴女の足なら、日の跨がない内にはたどり着けると思う。ティルナノーグについたら、まずはエアリエルを訪ねて。アルサリオンの名前を口にしちゃだめよ」
ぴん、と空気が張り詰めた気がした。
(どうして、こんなにも緊張しているのかしら)
もしかして、歓迎されてない――?
「ブライア、これだけは教えて。アルは、元気よね?」
胸元を握りしめ、縋るような視線をブライアに送った。少し声が上擦る。彼は眉を少し下げて、私の頭に軽く手を乗せた。
「大丈夫よ、元気に生きてるわ」
私はほっと胸を撫でおろした。
「よかった、それならいいの」
身支度を整えてトランクを携える。サリは私の右肩に飛び乗った。
「さあ、行きましょう。ティルナノーグへ」
♢♢♢
森の出口を抜けると、ただひたすらに広がる荒野だった。見上げれば澄んだ青空で、森から一歩踏み出せば、赤黒くひび割れた固い大地だ。
草木一本生えていない景色は、そこに生きた全ての命が潰えてしまったようだ。生ぬるい風が白い髪の毛をなびかせる。
西側には黒く塗り固めたような山がそびえ、山頂からは赤く煮えたぎったマグマがほとばしっている。あちら側が、魔物の国だとすぐに分かった。
「この荒野を抜けた先がティルナノーグよ。マロルンの木を目指してずっと真っすぐに進めばいいから、迷うことはないわ」
彼の指さす方角は、黄金の葉が生い茂る巨大な大木だ。マロルン――それはこの世界を維持する、生命の樹。マロルンの根が届く場所は祝福をもたらし、大地の繁栄を約束する。
エアリエルから、確かにそう習ったはずだ。
けれど、この荒野からはとても祝福を感じることはできなかった。目の前の果てしない景色に飲み込まれそうだ。
すると、ふいにブライアが私をぎゅっと抱きしめた。
「ブライア?」
「……もし、辛いことがあったらいつでも頼ってね」
切実に込められた腕の力からは、すぐに解放された。彼の言動から伝わるのは、私を待ち受けているのはおとぎ話のようなハッピーエンドではない、ということだけだ。
それでも、私は約束した。
必ず行くから、待っていてと。
「ありがとう。私、頑張るわ」
そうお礼を言えば、ブライアは泣き出しそうな顔で微笑んだ。
「いい?本当の名前は名乗らないこと。女王と謁見したら、できるだけ目立たないこと。興味を持たれないようにしなさい。それから、その指輪」
私の左手に咲くエレンヌーレの婚約指輪を指さすと、麻紐を渡してくれた。
「それは、隠しておきなさい。紐に通して、首にでもかけておけばいいわ」
理由を聞きたかったけど、黙ってブライアの言われた通りにした。
「ありがとう。着いたら、連絡するわね」
赤い大地に足を降ろす。何度か振り返ると、ブライアは姿が見えなくなるまでずっと見送ってくれていた。
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