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第72話 過ぎ去った時間
しおりを挟むあたたかい日差しが降り注ぐ。でも、体は濡れて重たいし、服がべったり纏わりついて気持ちが悪い。
「ん……」
目を開けると、黄色い小花が風に揺られて鼻先をくすぐる。顔に冷たく張りついた髪を耳にかけて、ゆっくりと立ち上がった。
周りを見渡せば、そこはどこまでも果てしなく続く蒼穹と、黄色い絨毯のようなカウスリップの花畑だった。
人影一つ見当たらない。静かで、怖いくらいに美しい景色だった。
「ここは天国かしら……」
この世のものとは思えない風景。
思わず頬をつねってみると、ちゃんと痛みはある。
どうやら、湖に飛び込んで死んだのではなさそうだ。ここが、精霊の国なのだ。
無事辿り着けたことへの安堵で、私は力無くその場に座り込んだ。すぐそばには、持ってきたトランクが転がっている。
すると、どこからともなくサリが現れた。サリは私の膝によじ登る。
「サリ、あなた、どうしてここにいるの?畑に帰ったんじゃなかったの?あら、右手も無いじゃない……」
矢継ぎ早に尋ねても、サリは喋らない。いつものように、「うぃー」と鳴くこともしない。右手は千切れてなくなっていた。
(来る途中で無くしちゃったの?それとも、畑に返した時に?)
その痛々しい姿に胸が痛くなるが、どうすることもできなかった。
複雑な気持ちを抱え、サリを肩に乗せてやる。私は遠くを見渡した。蜃気楼の果てには辛うじて大木の輪郭が見えた。
精霊の国の知識の引き出しから、アマン大陸の地図を頭の中に思い浮かべる。
精霊の国は、アマンの東側に位置する。国の中心には、天まで届くマロルンの木が大地に根をはり、その下がティルナノーグ。その周りには三種族の集落が存在するはずだ。見たところ、入江や鉱山の近くではなさそうだから、ここは妖精のなわばりだろうか。
「とりあえず、誰かいないか探してみましょうか」
サリはこっくりと頭を縦にふった。こちらの言うことは聞こえているみたいだ。
(ティルナノーグを目指さなきゃ。アル、待っててね)
私は花畑の中を歩き始めた。
♢♢♢
しばらく歩くと、どこまでも続きそうに思えた花畑にようやく終わりが見えた。
森の入り口には、《フェアリーガーデン》と子どもの落書きみたいな文字で書かれた大きな葉が一枚ぶら下がっていた。
「はあ、疲れたわ……」
森の中に入ると、ちょうど腰掛け椅子ほどのキノコを見つけたので、そこに座る。
「ちょっと!そこに座らないでよ!」
声に驚いて思わず立ち上がる。辺りを見渡せば、緑色の光の玉が木の上からさあっと降りてきた。
「そこ、あたしの寝床なんだから!」
小さな妖精の女の子は、ふわふわの綿毛みたいな髪の毛を振り乱し、きいきいと金切り声をあげて怒り出した。
「あ、ごめんなさいね。少しだけ休ませて欲しかったの」
「分かればいいのよ。あら、人間?珍しいこと……」
サリと私を一瞥すると、彼女の菫色の瞳に怯えと嫌悪の色が浮かんだ。
「やだあ、エルフくさいっ」
あからさまに鼻を摘む仕草をして、空中を後ずさる。
(エルフくさいってどういうこと?)
思わず自分の体を匂ってみるが、人間の私に分かるはずもない。
「ねえ、お願いがあるんだけど、聞いてくれるかしら?」
「お願い聞いたら何をしてくれるの?」
私はトランクを開けて、ガラス瓶からビスケットを取り出した。
「聞いてくれたら、これをあげるわ」
「何よそれ……」
受け取った妖精は、おずおずと一口ビスケットを齧った。メアリーお手製の、チョコチップ入りのビスケットだ。
食べた瞬間、妖精の瞳が輝いたのを、私は見逃さなかった。
「お願い聞いてくれたら、もう一つあなたにあげるわ」
「しょうがないわね、何して欲しいの?」
私は妖精に、花の妖精のブライアを知っていれば教えて欲しいことを話した。彼と会えれば、アルとも連絡が取れるかもしれない。
(アルも私のことを探してくれているはずだし、まずはブライアに会えればいいんだけど)
「ブライア様に会いたいの?彼ならガーデンの奥に住んでるわ。いいものくれたし、案内してあげる!」
妖精がちかちかと光を瞬かせながら森の奥へと飛んでいく。その後に続き、私たちはフェアリーガーデンに入り込んだ。
♢♢♢
森の奥に足を踏み入れると、そこは甘く芳醇な香りが充満していた。
スミレやブルーベル、スノードロップやクロッカスなど、季節に関係なく、でたらめに咲いている。
色とりどりの光の玉が点滅し、そこかしこに漂っている。鈴の音がちりちりん、と鳴り響き、「人間だ」「人間よ」とひそひそ囁き声がした。
「ブライア様、人間が探してるよ」
妖精の女の子が、白い花の前で話しかけている。
(どうして花の前で……?)
不思議に思っていると、白く小さな鐘のような花から金色の光が漏れ出てきた。
「何よ、人間……?っ!!」
花の中から出てきたのは、長い金髪を一つに結え、大きな赤い瞳で訝しげな顔をしたブライアだった。
「ブライア!久しぶりね」
声をかけた瞬間、彼は人間の大きさに変化して私の肩を掴んだ。
まるで死人でも見たような顔で私を上から下まで確認し、「ほ、本物……?」と震える声で呟いた。
「もちろん本物よ、私エヴェ……」
話の途中で唐突に私の口は塞がれた。ブライアは厳しい目つきで周囲を警戒している。
「ここでは本当の名前は名乗ってはいけないわ。帰れなくなるからね」
無言で頷くと、ブライアはゆっくりと手を離した。
「……久しぶりね。隊列に混じってきたのね?」
「ええ、そうなの。アルと連絡を取りたいんだけど、どうしたらいいかしら」
明るく尋ねた私とは裏腹に、ブライアは暗い顔をして言い淀んだ。
「どうしたの……?もしかして、アルに何かあったの?」
「……ごめん、私からは言えない。あのね、落ち着いて聞いて。この世界ではマロルンの木に花が咲いてから枯れるまでが人間界での一年間。これは勉強したから知ってるわよね?」
無言で頷き、彼を見る。
とても、嫌な予感がした。
「私たちがこちらに帰ってきてから、花は7回咲いて枯れたわ」
(それって……離れてから7年が経ったってこと……!?)
心臓を撃ち抜かれたみたいな衝撃が全身を貫いた。
7年。エルフから見れば一瞬の月日なのかもしれない。
でも、人間から見れば取り返しのつかないくらい長い年月だ。
私は震える手で口元を覆った。
「ど、どうしよう、そんなに……?どうして……早くアルに会わなくちゃ」
(こちらで7年たったなら、人間界では?向こうでも7年たっているの?)
焦燥感と後悔で埋め尽くされた私は、居ても立っても居られずトランクを抱えて足早にその場から立ち去ろうとした。
その手を、ブライアが引き留める。
「人間界から人がこちら側に来る場合、時間の流れが捻れることがあるの……」
彼は目を伏せて、唇を噛み締めていた。アルを7年もの間一人にしてしまった。その事実がなによりも辛かった。
「ブライア、ティルナノーグに行きたいの。案内してもらえる?」
「途中までは送ってあげる。私は今ここから離れられないの。今日はもうここで休みなさい、疲れてるはずよ」
確かに体は気怠いし、今にも瞼が落ちてきそうなほどに眠たかった。
「でも、早くアルに会わなきゃ……!」
「一休みしたくらいじゃなんにも変わらないわよ。明日からたくさん歩かなくちゃいけないんだから、きちんと休息を取りなさい」
ブライアが手をかざすと、向かい合う木の枝がずずず、と伸び、絡み合ってハンモックのようにぶら下がる。
その上に花びらを敷き詰め、大きな葉を布団代わりにすれば寝床の完成だ。
私はのろのろとその寝台に寝転び、花の香りに包まれて微睡んだ。
「おやすみ。良い夢を」
「ブライア……ありがと……」
精霊の国にたどり着いて一日目。ブライアに再会することができた私は、過ぎ去った年月があまりにも長いことを知った。
早くアルに会いたい。
こんなにも待たせてしまったことを謝らなくちゃ。
鈴の音が徐々に遠ざかっていく。私の意識はふっと途切れた。
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