もし、僕が、私が、あの日、あの時、あの場所で

伊能こし餡

文字の大きさ
1 / 26
プロローグ

何もない空間と不思議な男

しおりを挟む
  私は何者だ?
  ここはどこだ?
  一体何がどうなってる?

  暗い暗い闇の中。
  周りに何も物体が無いのか、それとも物体は有るがそれを照らす光源こうげんが無いのか。

  何も感覚がない。何も。

  足の裏が地面に着いているという感覚も、手のひらが空気をつかむ感覚も、髪が風でなびく感覚も、目が渇く感覚も、口や鼻から肺に空気が入っていく感覚も、その全てが今の私には感じられない。

  そもそも私は今呼吸をしているのか? 立っているのか? しゃがんでいるのか? 歩いているのか? 走っているのか?
  上も下も右も左も分からない。記憶にある限りの方法で左右を見渡すが、眼球が動いてるのかどうかさえ分からない。

  何故こんなことになったのか、必死で脳内を検索してみても何も思い出せない。今まで私はどうやって生きてきた? どういう風に生きて、今ここにいる?

「ああ、ようやく見つけました」

  唐突に、妙に耳障みみざわりの良い男の声が響く。

  ・・・・・・誰だ?

  このような状況だ、突然知らない男に声をかけられたからと言って驚いてなどいられない。むしろ、この状況を理解する手がかりだと考えるのが妥当だろう。

「あなたは特殊なのに冷静ですね。こんな人は久しぶりです」

  特殊、とはなんだ?

「そうですね、その前に自分の名前は分かりますか?」

  自分の名前が分かるか、だと? いかにこの状況に混乱していようが分かるに決まっている。
  矢野鷹斗やのたかと、自分の名前を忘れるわけがない。

「なるほどなるほど」

「それでは、そろそろ姿を見せましょうか。流石にこのままではあなたも話しにくいでしょう」

  そう私の頭に男の声が響くとほぼ同時に、私の前に背広姿の男が現れた。驚くことに、男の輪郭りんかくはボンヤリと光をびていて、所謂いわゆる作り話の中の天使のようだ。性別は男のようだが・・・・・・。
  普通ならばありえるはずのないこのような事態に、徐々に徐々に自分の置かれている状況が分かってきた。
  この状況下で最も考えられる可能性・・・・・・。

  できればその可能性は信じたくはないものだ。

「あなたは本当に賢いですね。想像している通りですよ」

  私の期待を打ち砕くように、無感情でつめたい声が私の頭に響く。

  やはりそうか、あまりそうあって欲しくはなかったが・・・・・・。  

  いつまでも否定的な考えでも事態は進まない。嫌々ながら、自分の置かれた状況を少しずつ受け入れていく。そのせいかどういう風に生きてきたのか、断片的だんぺんてきな映像が頭に浮かんできた。

  科学文明の栄えた世に生まれ、世界でもまれにみる道徳心の高い国で一人のサラリーマンとして生きた自分の姿が蘇ってくる。

「交通事故でここに来た人はたまに記憶がありませんからね。そのせいかなかなか受け入れられない方も多い。でもあなたは非常に賢く、聡明ですね。こちらとしても助かりますよ」

  そうか・・・・・・。
  ここに来る直前の映像がまだ思い出せてないが、私は交通事故にったのか・・・・・・。

「さて、本題に入りましょう」

  男がパンッと手を打ち鳴らす仕草をとったが、音は聞こえない。どうやら私の予想通り、ここには音というものは存在せず、この男の声は耳を通してではなく私の頭に直接響いているようだ。

「あなた、自分の人生に後悔はありませんか?」

  後悔?
  今あるだけの記憶を必死に掘り下げてみるが、どこにもそんな強い感情の入った記憶は見当たらない。強いて言うなら、望まぬ会社に入ってその能力の高さからか知らぬ間に中間管理職まで上り詰めたことくらいか。

「・・・・・・まあそれは実際に行ってみないと分かりかねますがね、でもそんなことではないはずですよ。人生を変えてしまうくらい悔いたことが他にあるはずです」

  行く? どこへ?
  いやそもそも『他にもあるはずです』 って言われても思い出せないんだけど。

「それでは、いってらっしゃい」

  突如として視界がまぶしい光にさえぎられた。

  一体どこへ行くと言うのか。私は・・・・・・私はもう・・・・・・。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

思いを込めてあなたに贈る

あんど もあ
ファンタジー
ファナの母が亡くなった二ヶ月後に、父は新しい妻とその妻との間に生まれた赤ん坊を家に連れて来た。義母は、お前はもうこの家の後継者では無いと母から受け継いだ家宝のネックレスを奪うが、そのネックレスは……。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

婚約者の幼馴染?それが何か?

仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた 「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」 目の前にいる私の事はガン無視である 「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」 リカルドにそう言われたマリサは 「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」 ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・ 「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」 「そんな!リカルド酷い!」 マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している  この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」 「まってくれタバサ!誤解なんだ」 リカルドを置いて、タバサは席を立った

処理中です...