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藍中平原の戦い その二
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宋嘉軍は、四万と十三万という数の不利故に、大いに押し込まれていた。多くの梁兵が倒れ、その彼らの散らせた血が、大地を潤していた。
一方の霍軍総大将呂徳も、額に汗をじっとりとかき、渋い表情をしていた。
「まだ敵を撃滅できぬか」
「はっ、目下交戦中であります。敵は未だ退く様子を見せません」
「やはり梁軍の兵は強いか……」
呂徳は焦っていた。突出してきた敵中央軍を自軍の中央軍、右翼軍、左翼軍で三方から押し包んだはいいが、もたついていては敵の左右両翼と接敵し、背後から襲われてしまう。さらに、梁の猛将田積率いる軍二万が北側の街道を塞ぐように回り込んできているのも恐ろしい。故に、四万を撃滅してから、左右両翼の梁軍と、北から来る田積軍をそれぞれ各個撃破する姿勢を作りたかった。故に、速攻でけりをつけねばならない。
一方、前線では、相変わらず、白姚が暴れ回っていた。
「死ね!」
白姚が兄から受け継いだ剣が、太陽の下にその白刃を煌めかせる。戟を掻い潜って懐に入り、敵を仕留める。梁軍の兵士は、一人の少女と、彼女が率いる農民兵からなる軽歩兵部隊に押し込まれていることが信じられなかった。しかし、信じられずとも、それは現実なのである。近くの騎兵を彼女らの部隊に突進させようとしても、霍軍の騎兵がそれを掣肘して上手くいかない。
「行くぞ! 我らも続け!」
白姚が切り開いた傷口を広げるように、味方の歩兵が敵に突進して、敵を大いに打ち破っていた。宋嘉軍の右方は、霍軍の左翼による攻撃で、ほぼ崩壊しかかっていた。
勝てる。白姚がそう確信した時であった。後方の霍兵の耳が、地鳴りを聞いた。
「これは……!」
「梁軍だ!」
味方の兵士たちは、地平線の彼方からやって来る兵隊が、梁の旗をはためかせているのを見た。地鳴りを立てている音の主は、彼らであった。
「梁軍が来るぞ!」
梁の右翼である張章軍と、左翼である趙殷軍は、ほぼ同じ頃、霍軍と会敵した。霍軍は正面の宋嘉軍と背後の張章軍、趙殷軍に挟撃される形となってしまった。
「来てしまったか……左右両翼に迎え撃たせよ!」
呂徳は、右翼軍の馮玄と左翼軍の呉珪を動かし、敵の左右両翼軍を迎え撃たせようと考えた。敵両翼と接敵する前に突出した中央軍を撃滅し、返す刀で両翼を迎撃するのが理想であったが、それをするには中央軍に粘られすぎたし、また敵の足も速かった。
「全軍、攻撃開始!」
張章は、麾下二万に号令を下した。太鼓が打ち鳴らされ、それを合図に長弓部隊が敵軍へ矢弾の驟雨を降らせる。矢は空を覆う鳥の大群のように空中を飛び、そうして霍の左翼軍の頭上に降り注いだ。後方から襲われる形になった霍左翼軍は、俄かに混乱を来し始めた。霍左翼軍も長弓部隊の曲射で応戦したが、その矢数は張章軍に及ばなかった。
霍軍は、後方から襲われたということもあるが、先の戦闘での疲労も、彼らを不利にしていた。ただでさえ山を越えてきた後である霍兵は、中央軍との戦いで、その肉体に更に疲労を蓄積させていた。そこに、まだそれほど疲れていない梁の両翼軍が襲い掛かったのであった。
やがて、弓射を掻い潜った短兵による白兵戦が始まる。ここでも、張章軍は敵を圧倒した。宋嘉軍を押し込んでいた霍の左翼軍を、逆に後方から押し込む形となった。
「山猿どもめ! 死にさらせ!」
梁兵たちは、ほぼほぼ一方的に、霍軍を殺戮した。体勢を整える間もなく、霍兵たちは梁兵の凶刃の前に、鮮血を散らして倒れていった。
「体勢を立て直せ!」
霍左翼軍の大将呉珪は必死に叫ぶが、それがままならぬ内に、霍兵は次々と倒れていく。焦りは更なる焦りを生み、そして将の焦りは兵にもまた伝染してゆく。
この時、魏令率いる騎兵二千も、側面から、霍左翼軍と会敵し、交戦を始めた。霍の騎兵が迎撃に出て、騎射の応酬が、両者の間に行われた。
「な、何だあいつは……」
魏令の部隊と戦った霍の騎兵は、殆どろくに敵を射倒せぬまま、次々と矢に射抜かれていった。味方が一方的に殺戮される様を見て、霍の騎兵は大いに恐れおののいた。
魏令自身も、その麾下の兵たちも、張章軍の中では並ぶもののない程の最精鋭であった。いや、張章軍どころか、梁軍、いや、中原諸国の騎兵隊の中で最強と言っても、決して過ぎた賛辞ではないのかも知れない。魏令麾下の二千は、まるで自分の手足が如くに自由自在に馬を操っては、敵騎兵の騎射の目標を定めさせないように攪乱した。そうして動き回りつつも、魏令側の騎射は、狂いなく霍の騎兵を射抜いて倒していった。夷狄の弓馬技術に、中原の組織力。この二つが上手く組み合わさった魏令隊は、最早誰にも抗しえない強さを誇っていたのである。
「何だあれは……化け物だ……」
恐れおののいた一人の霍騎兵は、敵騎兵の中に、澄んだ碧い眼を見た。その瞳は、宝石にも見紛う程に美麗であった。
「美しい……」
その矢によって胸を貫かれ、皮膚を破られて血管を裂かれる激痛に襲われた兵が最後に心の中で思ったのが、それであった。
魏令の部隊の獅子奮迅の活躍に、霍軍は恐怖のどん底に落とされた。最早、彼らに抗うすべはなかった。霍左翼軍は味方の騎兵を全て集中させてこれに当たらせた。数を恃みに押し流す他に彼らを止める術などなかったが、それでも尚、魏令の勢いは止まらなかった。霍軍にとって、この美しき武人と、それに付き従う騎兵たちは、、まさしく悪鬼羅刹が如き存在であった。中には彼らに対して恐怖ではなく、味方を無残に殺された怒りを胸に抱いて攻撃を仕掛けるものもいたが、結局は虚しく一矢の元に沈黙させられた。
中天に、高らかと昇った太陽の下、血と汗と、それから熱気が、むせ返る程に戦場に充満していた。
一方、白姚の部隊は、すでに敵の奥深くまで食い込んで、尚も攻撃を続けていた。もう、その数は、当初の五十人から半分以上減って、生き残っているのは二十人程であった。それでも、彼らは逃げ出すようなこともせず、ただ統率者たる白姚への信頼のみで戦い続けていた。それもあるが、そもそも彼らの後方に退路は残されていなかった。背後に梁軍が迫っていることは、白姚もその部下も知っている。故に活路は背後になく、ただ正面の敵を打ち倒して、その奥にいる総大将の首を取ることのみにある。
「敵歩兵二十、こちらへ接近してきます!」
宋嘉の元に、伝令が走ってきた。それを聞いた宋嘉は、俄かに驚愕の表情を見せた。
「何、二十だと!?」
「はい、みすぼらしい軽装の歩兵なのですが、物凄い勢いでこちらを切り崩して突進してきています」
宋嘉のみでなく、伝令の方もまた、驚きの色を隠せていなかった。それほどまでに、この白姚の部隊は、梁軍の目には奇っ怪なものに映っていたのである。
「大将軍閣下におかれましては、後方に移られた方がよろしいかと存じます……」
「いや、ならん」
宋嘉は、総大将の身を案じた傍の幕僚の進言を、一言の元に否定した。
「今我が軍が押し込まれている時に全軍の大将が下がってみろ、士気に関わるではないか。それに、たかが二十人、それも軽歩兵など、挟んで圧し潰してしまえばよいではないか」
この期に及んで尚、宋嘉は自身に迫りくる二十人の軽歩兵を軽んじていた。宋嘉の言うように簡単に挟撃して圧し潰せるような相手であれば、今頃すでにそうしているはずなのである。
そのようなやり取りなど露ほども知らない白姚は、ひたすらに梁兵を斬って斬って斬りまくっていた。気づけば、もう白姚の部隊は、敵陣深くに入り込みすぎて、敵右翼軍を迎え撃った呉珪軍の本隊からは遠く離れてしまっていた。馬栄の軍も敵右翼への対処に向かってしまったが故に、もう白姚の軍は味方の救援など望めない状況となっている。
逃げ場がなくなったことで、却って白姚の部隊は農民兵にあるまじき勇猛果敢さを発揮していた。逆に、宋嘉を守る梁兵たちは殆どが士族であったが、彼らの方が寧ろ、白姚を前にして、我が身惜しさに及び腰にさえなっている。
兵士を斬り伏せたその先に、立派な馬に乗り、一際目立つ豪奢な甲冑に身を包んだ男がいた。あれが、敵の大将に違いない。白姚は、その出で立ちを証拠に、すぐさまそう思った。
「な、何だお前は!」
その男、梁軍総大将の宋嘉は、剣を手に自分に向かってくる少女に向かって、馬上から大声で叫んだ。戦場で、女が男に交じって戦っていること自体が奇異なものである、その上、彼女とその後ろの軽歩兵部隊が、梁軍の分厚い本陣の守りを単独で突破してきたというのも、俄かには信じがたいことであった。
「大将軍をお守りせよ!」
周りの兵士が、総大将を守るように盾を構え戟を突き出し、白姚の前に立ち塞がった。しかし、彼らもまた、白姚の剣の餌食となって、地面に伏すこととなった。
「ここは私にお任せを。大将軍閣下は一旦お引きくだされ」
宋嘉と白姚の間に挟まるように入った騎馬の男が、宋嘉に向けて言った。この男は、趙殷の叔父であり、宋嘉の副官を務める趙葉である。
「貴様、女の身で、なぜ戦場に立つ」
趙葉の問いに、白姚は答えなかった。彼女は黙って、脚をばねのようにして跳躍し、趙葉に斬りかかった。趙葉の剣が、その白刃を受け止めた。
「私とて、剣術の心得はある。梁軍を舐めるなよ」
白姚と趙葉は、二度三度切り結び、火花を散らせた。趙葉の剣技も、白姚を前に一歩も引かない強さがあった。いや、寧ろ、体格で大人の男に大きく劣り、剣技の方も我流で身に付けたに過ぎない野良剣士の白姚が、士族である故に幼少期から体系的に剣術を学んでおり、さらに今は馬上にいる趙葉と互角に戦えていることが、すでに異様極まる光景なのであるが。
趙葉の馬上からの一太刀を、白姚はかわし切れずに剣で受け止めたが、趙葉の膂力で押されて、体がよろめいてしまった。
「これで終わりだ!」
趙葉が、横に薙ぐように剣を振るった。白姚は、咄嗟に身を屈めて刃をかわし、そのまま跳躍して剣を振るう。その刀身は趙葉の首に食い込み、輪切りにして胴から切り離してしまった。趙葉を討ち取ったのだ。
趙葉の首を取って一息ついた白姚は、敵の総大将がすでに後退して遠ざかってしまっているのを見た。流石にあそこまで遠ざかられては、今から追ったとてどうしようもない。そして、敵に囲まれている状況は、以前変わらない。敵総大将の首を取るために、あまりにも敵陣深くに入り込みすぎたのだ。
その白姚の目は、驚くべきものを捉えた。
「なっ……」
白姚と宋嘉が、同時に同じ反応をした。宋嘉の首に、矢が突き刺さっているのである。
白姚が後方を見ると、呂徳率いる霍中央軍が、敢然と梁軍に襲い掛かっているのが見えた。正面突破を成功させた霍中央軍が、白姚のいる場所まで迫って、その中の一人が弓で宋嘉を狙い撃ちしたのだ。
「かかれ!」
勢いに乗った霍軍は、熾烈な攻撃を梁軍に加えた。大将を失った梁中央軍は、これに抗しきれずに、忽ち崩壊を来してしまった。
一方の霍軍総大将呂徳も、額に汗をじっとりとかき、渋い表情をしていた。
「まだ敵を撃滅できぬか」
「はっ、目下交戦中であります。敵は未だ退く様子を見せません」
「やはり梁軍の兵は強いか……」
呂徳は焦っていた。突出してきた敵中央軍を自軍の中央軍、右翼軍、左翼軍で三方から押し包んだはいいが、もたついていては敵の左右両翼と接敵し、背後から襲われてしまう。さらに、梁の猛将田積率いる軍二万が北側の街道を塞ぐように回り込んできているのも恐ろしい。故に、四万を撃滅してから、左右両翼の梁軍と、北から来る田積軍をそれぞれ各個撃破する姿勢を作りたかった。故に、速攻でけりをつけねばならない。
一方、前線では、相変わらず、白姚が暴れ回っていた。
「死ね!」
白姚が兄から受け継いだ剣が、太陽の下にその白刃を煌めかせる。戟を掻い潜って懐に入り、敵を仕留める。梁軍の兵士は、一人の少女と、彼女が率いる農民兵からなる軽歩兵部隊に押し込まれていることが信じられなかった。しかし、信じられずとも、それは現実なのである。近くの騎兵を彼女らの部隊に突進させようとしても、霍軍の騎兵がそれを掣肘して上手くいかない。
「行くぞ! 我らも続け!」
白姚が切り開いた傷口を広げるように、味方の歩兵が敵に突進して、敵を大いに打ち破っていた。宋嘉軍の右方は、霍軍の左翼による攻撃で、ほぼ崩壊しかかっていた。
勝てる。白姚がそう確信した時であった。後方の霍兵の耳が、地鳴りを聞いた。
「これは……!」
「梁軍だ!」
味方の兵士たちは、地平線の彼方からやって来る兵隊が、梁の旗をはためかせているのを見た。地鳴りを立てている音の主は、彼らであった。
「梁軍が来るぞ!」
梁の右翼である張章軍と、左翼である趙殷軍は、ほぼ同じ頃、霍軍と会敵した。霍軍は正面の宋嘉軍と背後の張章軍、趙殷軍に挟撃される形となってしまった。
「来てしまったか……左右両翼に迎え撃たせよ!」
呂徳は、右翼軍の馮玄と左翼軍の呉珪を動かし、敵の左右両翼軍を迎え撃たせようと考えた。敵両翼と接敵する前に突出した中央軍を撃滅し、返す刀で両翼を迎撃するのが理想であったが、それをするには中央軍に粘られすぎたし、また敵の足も速かった。
「全軍、攻撃開始!」
張章は、麾下二万に号令を下した。太鼓が打ち鳴らされ、それを合図に長弓部隊が敵軍へ矢弾の驟雨を降らせる。矢は空を覆う鳥の大群のように空中を飛び、そうして霍の左翼軍の頭上に降り注いだ。後方から襲われる形になった霍左翼軍は、俄かに混乱を来し始めた。霍左翼軍も長弓部隊の曲射で応戦したが、その矢数は張章軍に及ばなかった。
霍軍は、後方から襲われたということもあるが、先の戦闘での疲労も、彼らを不利にしていた。ただでさえ山を越えてきた後である霍兵は、中央軍との戦いで、その肉体に更に疲労を蓄積させていた。そこに、まだそれほど疲れていない梁の両翼軍が襲い掛かったのであった。
やがて、弓射を掻い潜った短兵による白兵戦が始まる。ここでも、張章軍は敵を圧倒した。宋嘉軍を押し込んでいた霍の左翼軍を、逆に後方から押し込む形となった。
「山猿どもめ! 死にさらせ!」
梁兵たちは、ほぼほぼ一方的に、霍軍を殺戮した。体勢を整える間もなく、霍兵たちは梁兵の凶刃の前に、鮮血を散らして倒れていった。
「体勢を立て直せ!」
霍左翼軍の大将呉珪は必死に叫ぶが、それがままならぬ内に、霍兵は次々と倒れていく。焦りは更なる焦りを生み、そして将の焦りは兵にもまた伝染してゆく。
この時、魏令率いる騎兵二千も、側面から、霍左翼軍と会敵し、交戦を始めた。霍の騎兵が迎撃に出て、騎射の応酬が、両者の間に行われた。
「な、何だあいつは……」
魏令の部隊と戦った霍の騎兵は、殆どろくに敵を射倒せぬまま、次々と矢に射抜かれていった。味方が一方的に殺戮される様を見て、霍の騎兵は大いに恐れおののいた。
魏令自身も、その麾下の兵たちも、張章軍の中では並ぶもののない程の最精鋭であった。いや、張章軍どころか、梁軍、いや、中原諸国の騎兵隊の中で最強と言っても、決して過ぎた賛辞ではないのかも知れない。魏令麾下の二千は、まるで自分の手足が如くに自由自在に馬を操っては、敵騎兵の騎射の目標を定めさせないように攪乱した。そうして動き回りつつも、魏令側の騎射は、狂いなく霍の騎兵を射抜いて倒していった。夷狄の弓馬技術に、中原の組織力。この二つが上手く組み合わさった魏令隊は、最早誰にも抗しえない強さを誇っていたのである。
「何だあれは……化け物だ……」
恐れおののいた一人の霍騎兵は、敵騎兵の中に、澄んだ碧い眼を見た。その瞳は、宝石にも見紛う程に美麗であった。
「美しい……」
その矢によって胸を貫かれ、皮膚を破られて血管を裂かれる激痛に襲われた兵が最後に心の中で思ったのが、それであった。
魏令の部隊の獅子奮迅の活躍に、霍軍は恐怖のどん底に落とされた。最早、彼らに抗うすべはなかった。霍左翼軍は味方の騎兵を全て集中させてこれに当たらせた。数を恃みに押し流す他に彼らを止める術などなかったが、それでも尚、魏令の勢いは止まらなかった。霍軍にとって、この美しき武人と、それに付き従う騎兵たちは、、まさしく悪鬼羅刹が如き存在であった。中には彼らに対して恐怖ではなく、味方を無残に殺された怒りを胸に抱いて攻撃を仕掛けるものもいたが、結局は虚しく一矢の元に沈黙させられた。
中天に、高らかと昇った太陽の下、血と汗と、それから熱気が、むせ返る程に戦場に充満していた。
一方、白姚の部隊は、すでに敵の奥深くまで食い込んで、尚も攻撃を続けていた。もう、その数は、当初の五十人から半分以上減って、生き残っているのは二十人程であった。それでも、彼らは逃げ出すようなこともせず、ただ統率者たる白姚への信頼のみで戦い続けていた。それもあるが、そもそも彼らの後方に退路は残されていなかった。背後に梁軍が迫っていることは、白姚もその部下も知っている。故に活路は背後になく、ただ正面の敵を打ち倒して、その奥にいる総大将の首を取ることのみにある。
「敵歩兵二十、こちらへ接近してきます!」
宋嘉の元に、伝令が走ってきた。それを聞いた宋嘉は、俄かに驚愕の表情を見せた。
「何、二十だと!?」
「はい、みすぼらしい軽装の歩兵なのですが、物凄い勢いでこちらを切り崩して突進してきています」
宋嘉のみでなく、伝令の方もまた、驚きの色を隠せていなかった。それほどまでに、この白姚の部隊は、梁軍の目には奇っ怪なものに映っていたのである。
「大将軍閣下におかれましては、後方に移られた方がよろしいかと存じます……」
「いや、ならん」
宋嘉は、総大将の身を案じた傍の幕僚の進言を、一言の元に否定した。
「今我が軍が押し込まれている時に全軍の大将が下がってみろ、士気に関わるではないか。それに、たかが二十人、それも軽歩兵など、挟んで圧し潰してしまえばよいではないか」
この期に及んで尚、宋嘉は自身に迫りくる二十人の軽歩兵を軽んじていた。宋嘉の言うように簡単に挟撃して圧し潰せるような相手であれば、今頃すでにそうしているはずなのである。
そのようなやり取りなど露ほども知らない白姚は、ひたすらに梁兵を斬って斬って斬りまくっていた。気づけば、もう白姚の部隊は、敵陣深くに入り込みすぎて、敵右翼軍を迎え撃った呉珪軍の本隊からは遠く離れてしまっていた。馬栄の軍も敵右翼への対処に向かってしまったが故に、もう白姚の軍は味方の救援など望めない状況となっている。
逃げ場がなくなったことで、却って白姚の部隊は農民兵にあるまじき勇猛果敢さを発揮していた。逆に、宋嘉を守る梁兵たちは殆どが士族であったが、彼らの方が寧ろ、白姚を前にして、我が身惜しさに及び腰にさえなっている。
兵士を斬り伏せたその先に、立派な馬に乗り、一際目立つ豪奢な甲冑に身を包んだ男がいた。あれが、敵の大将に違いない。白姚は、その出で立ちを証拠に、すぐさまそう思った。
「な、何だお前は!」
その男、梁軍総大将の宋嘉は、剣を手に自分に向かってくる少女に向かって、馬上から大声で叫んだ。戦場で、女が男に交じって戦っていること自体が奇異なものである、その上、彼女とその後ろの軽歩兵部隊が、梁軍の分厚い本陣の守りを単独で突破してきたというのも、俄かには信じがたいことであった。
「大将軍をお守りせよ!」
周りの兵士が、総大将を守るように盾を構え戟を突き出し、白姚の前に立ち塞がった。しかし、彼らもまた、白姚の剣の餌食となって、地面に伏すこととなった。
「ここは私にお任せを。大将軍閣下は一旦お引きくだされ」
宋嘉と白姚の間に挟まるように入った騎馬の男が、宋嘉に向けて言った。この男は、趙殷の叔父であり、宋嘉の副官を務める趙葉である。
「貴様、女の身で、なぜ戦場に立つ」
趙葉の問いに、白姚は答えなかった。彼女は黙って、脚をばねのようにして跳躍し、趙葉に斬りかかった。趙葉の剣が、その白刃を受け止めた。
「私とて、剣術の心得はある。梁軍を舐めるなよ」
白姚と趙葉は、二度三度切り結び、火花を散らせた。趙葉の剣技も、白姚を前に一歩も引かない強さがあった。いや、寧ろ、体格で大人の男に大きく劣り、剣技の方も我流で身に付けたに過ぎない野良剣士の白姚が、士族である故に幼少期から体系的に剣術を学んでおり、さらに今は馬上にいる趙葉と互角に戦えていることが、すでに異様極まる光景なのであるが。
趙葉の馬上からの一太刀を、白姚はかわし切れずに剣で受け止めたが、趙葉の膂力で押されて、体がよろめいてしまった。
「これで終わりだ!」
趙葉が、横に薙ぐように剣を振るった。白姚は、咄嗟に身を屈めて刃をかわし、そのまま跳躍して剣を振るう。その刀身は趙葉の首に食い込み、輪切りにして胴から切り離してしまった。趙葉を討ち取ったのだ。
趙葉の首を取って一息ついた白姚は、敵の総大将がすでに後退して遠ざかってしまっているのを見た。流石にあそこまで遠ざかられては、今から追ったとてどうしようもない。そして、敵に囲まれている状況は、以前変わらない。敵総大将の首を取るために、あまりにも敵陣深くに入り込みすぎたのだ。
その白姚の目は、驚くべきものを捉えた。
「なっ……」
白姚と宋嘉が、同時に同じ反応をした。宋嘉の首に、矢が突き刺さっているのである。
白姚が後方を見ると、呂徳率いる霍中央軍が、敢然と梁軍に襲い掛かっているのが見えた。正面突破を成功させた霍中央軍が、白姚のいる場所まで迫って、その中の一人が弓で宋嘉を狙い撃ちしたのだ。
「かかれ!」
勢いに乗った霍軍は、熾烈な攻撃を梁軍に加えた。大将を失った梁中央軍は、これに抗しきれずに、忽ち崩壊を来してしまった。
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