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3章 歓びの里 [鳥の妻恋]編

3-13 深夜のおしゃべり会 (前)

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 申し訳ありませんm(__)m
 大変、長らくお待たせしました。
 再開します。
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 眼前に形のいい唇が迫りくる。

 ――もう駄目だ。

 そう思いつつ、なぜか瞳は閉じてくれない。フェイバリットは不器用な自分を呪った――その時。

「やめとけ。子供相手にさすがにそれ以上は目に余る」

 いかにもつまらなそうな声が場に割り込んだ。チャンジだ。それまで静観していたが、ようやく重い腰を上げる気になったらしい。

 どうせならもっと早くに止めて欲しかったが、先ほどの腹いせだと考えれば、それも致し方ないと思える。

 女神のように美しい女人の口から、ちっと乱暴な舌打ちが洩れた。

 ちらりと見えた顔は――うん、これ以上は見るまいとフェイバリットはさり気なく視線をそらす。

「あらぁお兄様。羨ましいんですか?」

 さらりと布が擦れる音がして、すぐそこにあった存在が離れる気配がする。フェイバリットは、心の底からホッと安堵の息を吐いた。

「んなわけねえだろが。やり過ぎだ――この馬鹿姉妹が」
「涙を止めるのに、“目に口づけ”るのが特効薬とおっしゃったのは兄様ですのよ?」
「泣いてる時はな。泣いた後にそれやったら――」

 ちらりと切れ長な目がこちらを一瞥する。

「こいつは…もっと泣くだろ」
「あらあら」
「まあまあ」

 にやりと意味ありげな笑みをたたえて、姉妹は互いにこっそりと目配せを交わす。

「んだよその目は。子供がきがピーピー泣くのは…耳障りだから止めただけだろ」

 眉間に深い皺を刻み、声に凄みを利かせると、もう立派なならず者だ。それほどまでに――ガラが悪い。

(耳障り)

 そっと目を伏せる。
 声を上げて泣いたわけではない。それでもやっぱりウジウジメソメソとした自分は、誰かを不快にさせてしまうのだ。

「…大丈夫よ」

 ひそりと耳に声が落とされた。
 目線を上げれば、そこに優しい眼差しがあった。

「ふふ。お兄様も正直じゃありませんね。泣き声が気に障るだなんて、思ってもいないくせに」
「そうですわよ。素直に、子供が泣くのは見るに忍びないとおっしゃればよいものを」
「――あぁ?」

 チャンジの目つきが一段と険しさを増す。その人相はもはや凶悪以外の何物でもない。フェイバリットは早々に正視に耐えられなくなった。

 コムジたち姉妹は、そんな視線に動じるどころか素知らぬふりで、袖を口に押し当ててコロコロと笑う。

「見た目で損をなさっているのですから、言葉を正しく使わないと、お兄様の人となりは伝わりませんよ?」

 普段はチャンジのひと言に震え上がる二人だ。なのにこの時ばかりは打って変わって悠然と、ゆとりすら感じられた。

 この場でハラハラしているのは、どうやらフェイバリット一人だけらしい。息を詰めて事の成り行きを見守るも――意外にもチャンジは怒鳴りもせず、ぐっと言葉を飲み込むだけだった。

 フェイバリットと目が合うと、気まずそうに体ごとそっぽを向いてしまう。その隙に、これ幸いと姉妹が体を寄せてきて、こっそり耳打ちする。

「妹妹。お兄様はね、こう見えて子猫とか子犬――とか小さくて愛らしいものがお好きなの。もちろん子供もね。でもこの強面こわもてときつい口調でしょ? だから相手からはことごとく怯えられてしまうのよ」

 そして反対側から、もう一人。

「それに――ね。ああ見えて、本人は結構そのことを気にしてるみたいなのよ。…ここだけの秘密だけど」

 そこからさらに声を落とす。
 ゴクリと音を立てて、フェイバリットは生唾を飲み込んだ。

 その先を聞くのは危険かも――。頭の片隅で警鐘が鳴ったが、“秘密”という言葉にはどこか抗いがたい魅惑的な響きがあった。

 「あのご面相で、時々影でこっそり笑顔の練習をしてるのよ。実は私一度だけ、その現場をうっかり見ちゃったことがあるの♡ その後、顔を合わせた時の気まずさと言ったらそれはもう――」
「――待て。それは初耳だが?!?」

 そっぽを向いていた顔が、ぐりんと振り返る。
 憤怒か羞恥か、その顔は文字通り真っ赤だった。



「阿保か……アイツチャンジは」

 昼間のことを話して聞かせたフェイバリットは、寝台の上で満足げにググッと手足を伸ばす。

「ん? 今なんて?」
「いや、なんでもない」

 フェイバリットの枕元には、寄り添うように獣が一匹。身体の下に前足と後足をしまい込み、ちょんと箱座りになっている。

 窓から射し込む白い光に照らされて、白い敷布に小さな影が落ちる。こちらを見る淡緑の虹彩は、月の光を受けてきらめき、まるで宝玉のようだった。

 その瞳のあまりの美しさに、フェイバリットはしばし声もなくウットリと見惚れた。

「ぼうっとして。もう疲れたんやろ。はよ寝り」

 慌ててフェイバリットは首を振る。それは嫌だ。

 友達と寝台でお喋りなど、フェイバリットにとって初めての経験だ――このままスンナリと眠るなんて、そんな勿体ないこと出来るわけがない。

 何よりこんな機会は、もう二度とないかもしれない。なぜなら、こんな夜半に黒猫が訪れたのは初めてだったからだ。

「疲れてない。眠くない」

 断固拒否という反応に、黒猫は呆れたように溜め息を吐く。

「そんな目ぇシパシパさせて…眠ないわけないやん。明日、起きるのツラいでぇ? ええか? 睡眠時間には黄金周期ちゅうのがあってやな――この時間帯の睡眠はめっちゃ濃ゆうて、子供の成長には大事なんや。あとお肌にも――て聞いとるか?」

 黒猫がきゅるんと小首をかしげる。
 胸の辺りを押さえて、フェイバリットは身悶える。それが計算かどうかはさておき、いつも安定の愛らしさだ。

「ぐ…可愛い…」
「はぁ――可愛いのは君の方やっちゅうねん。ほんまにもう…顔だけ見て帰るつもりやったのに、君はなんでこんな時間まで起きとんねん」

 そう、フェイバリットは眠らず黒猫を待っていた。

 基本的に黒猫は、部屋の灯りが落とされた後には来ない。寝る前にちょこっと現れて、お休みと言ってそれが一日の最後。いつのまにかそれが日課となっていた。

 だが今日はがなかった。いつものように黒猫が現れるものと思っていた分、フェイバリットは正直かなりへこんだ。

 約束もしていないのに、自分はなんと勝手な思い込みをしていたのだろう。

 それでも諦めきれず、ずっと扉の方を見ていた。だいぶ時間が経って、さすがに諦めて目を瞑った時、扉が開くかすかな音を聞いたのだ。

「…会いたかったから」

 ためらいながら、ポツリと呟く。
 それが身勝手で甘えたものだと自覚している。この小さな友人を困らせるつもりもない――だけど。

「我が儘言ってごめんね? …でも会えたのが嬉しくて――それで」

 眠くなるまでの間、ほんの少しだけでいいから一緒に居て欲しいと、無理を言って引き止めた。いつから自分はこんな我が儘を言うようになってしまったのだろう。

 嫌われやしないかと、本当は気が気じゃない。
 だが意外にも、黒猫は笑って嬉しそうにこう言った。
 
「我が儘――上等や。言うたやろ? 思たこと言えって。ホンマにあかんモンはちゃんとうから安心せい。自分、ちゃんと言えてエライんやで――ええ子やな…フェイバリット」

 褒め言葉が、小さな胸にじんわり染み込む。単純だが嬉しかった。

 目を細めた黒猫の視線が窓の外――そのまま空を仰ぎ見る。おそらく月の傾き具合を確かめているのだろう。

 視線が再びこちらを向いた。何かを言いかけて口もとが動いた時――咄嗟にフェイバリットの口から「あのね!」と飛び出した。

 願わくば、なるべく長く――なんなら朝になるまでずっと、何でもいいからお喋りしていたい。

 だが悲しいかな。その先が続かない。
 気持ちばかりが先走るものの、取り立てて話題になりそうなものは何一つ思い浮かばなかった。

 しどろもどろになるフェイバリットを見て、黒猫がくつくつと忍び笑う。優しい眼差しは、まるっきり駄々っ子を見るソレだ。

「あのね? ほんでその先は? 続き聞かせてぇや。ほれほれはよう。話すことなくなったら、そろそろ仕舞いにするで」

 その口ぶりは楽しげですらある。
 時間を引き延ばそうなどという、小賢しい思惑はすっかりお見通しらしい。

 ばつの悪いフェイバリットは、頬を染めて俯く。この口達者な獣には一生かかっても勝てそうにない。

 不器用、おまけに口下手な自分に、相手を引き止めるすべはない――だから。

 「………帰らないで」
 ぎゅっと、固く目を瞑る。精一杯振り絞った声は、今にも消え入りそうなほど。

 最後は夜気に溶け込み、辺りは夜の静けさに包まれる。忍び笑いももう聞こえない。

 どんな顔をしているのか。気になったが、フェイバリットは怖くてそちらを見れなかった。

 長い沈黙が続く。まだ黒猫はそこにいるのだろうかと不安になった頃。

「ぁ゙―――やばいやばい…マジでやばい」

 低く押し殺した声が聞こえた。

 おずおずとそちらを見ると、敷布の上の黒猫は先ほどと同様、箱座りをしたまま。特に変わった様子はない。

 だが、ようく見るとその瞳孔は開き切り、黒目の部分が大きく丸くなっているのがわかった。

 目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、気持ちが昂ぶっているのは一目瞭然だ。

 美しく澄んだ瞳――そこに先ほどまでなかった熱がじわりと帯びていく。瞳の奥に、陽炎のように熱気が揺らいでいるのが見えた。

「…君なぁ――俺が男っちゅうこと忘れてない?」

 その声はいかにも苦々しい。しかし、どうやら怒っているわけではなさそうだ。

「男…」

 うん。自分のことを「俺」と言ってるしきっとこの猫はなのだろう。

 こっくりと頷きながら、ついつい視線は黒猫の尻尾の辺りを見てしまう。

(実際にこの目で見たわけでもないんだけどな――雄の証)

「コラ…どこ見とんねん。また仕置きされたいんか?」

 チクリと釘を刺されて、慌ててフェイバリットは目を背ける。“仕置き”と聞くと、また胸がザワザワとして落ち着かなくなる。

「ただでさえ寝所に男を招くとか無防備もええとこやのに――挙句の果てにその科白…警戒心なさ過ぎやろ――自分」

 バンと尻尾が敷布を勢いよく叩く。もしやこのまま、お説教時間に突入だろうか。

 何でもいいからお喋りしたいと思ったが、これは想定外だ。鈍いフェイバリットも本能的にこれはまずいと悟る。

 何か別の話題で気をそらさねば。普段からは考えられない速度で脳内がにわかに動き出す。

「あのぅ…あ――そうだ! あのね私『ソジ』って男の子に会ったんだよ」
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 読んでいただき、ありがとうございます。

 次話は来週水曜、更新予定です。
 次回更新も頑張りますので、
 どうぞよろしくお願いします。
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