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10.想像と違った新婚生活①
しおりを挟む私は王宮内を王太子の執務室に向かって歩いていた。
いつものことながら、彼は仕事をさぼりたくなると私を呼び出す。これは勉強をさぼる口実に遊びに来いと言ってきていた子供の頃と変わらない。
「王太子殿下。クライド・ファルケン、参上いたしました」
私は顔なじみの近衛たちと視線だけで言葉を交わした後に扉の中に通された。
彼らは私がいない時は王太子の剣の鍛錬や打ち合いに付き合わされる側になる。
彼らは私などよりよほど手練れだが、立場上守るべき王太子に対して、おいそれと本気は出せない。しかし相手は本気を出さないと怒る。非常に難しい立場だ。
だから彼らは私が来てどこかほっとしているように見えた。
「遅いぞ。クライド」
「私も職務中ですので」
「そういえば、お前は結婚して以来、仕事が終わると早く帰ってしまうという噂を聞いたな。これまでならば残って仕事をしていたのに、と」
「仕事は持ち帰っていますよ。夕食までに帰っているだけです。妻を待たせてしまいますので」
「ほお……」
彼は実に楽しそうに顎をさすりながらこちらを見てくる。何かおかしなことを言っただろうか。家族と夕食をともにするのは我が家の伝統だ。彼はそれを知っている。
彼の母親である王妃は、昨年死去した私の父親の姉だ。王家にもその習慣があると聞いている。数代前にも姻戚関係になっているから、生活上の習慣に大きな違いはないようだ。
従兄弟であり、年齢を同じくする王太子と私は幼馴染といった間柄だ。
これは馬が合うとか、友情を育むとかいう以前に、王家と公爵家の間で決められた交友だった。
私は生まれた時から彼の理解者や友人や、やがて国王となる彼の手足となるように教育されてきたと言ってもいい。
感情を抑えるのが得意なのも、無駄な口を利かないのも、王族と関わる人間には必須のことだが、私はごく幼い頃からそれを習得していた。
彼と対等に口が利けるのは臣下では私くらいのものだろう。
そんな王太子は意味ありげな笑顔のまま執務机から離れる。
その後ろで秘書官が書類を束ねながらうなだれている。今日も彼はなかなか家に帰れないかもしれない。
鍛練場に近衛二人とともに歩きながら、王太子は楽しそうに聞いてくる。
「クライド。お前、奥方とうまくいっているのだな」
「もちろんです」
反射的にそう答えてしまったが、あながち嘘とは言えない。
妻とは友人関係になった。おそらく。私には友人がいない。だから本当はその関係性がよく分からない。
さすがに他人の耳もある場で、私が初夜を一方的に拒絶し、妻からの家人を巻き込んだ子供のような発想の働きかけに音を上げて一週間遅れで初夜を済ませた上に、友人になろうという提案に乗ったなどとは言えない。
「お前のことだから、仕事にかまけて奥方をないがしろにして、文句の一つも言われていると思ったが」
「…………」
「おい、そうなのか?」
私は仕方なく一部だけ事実を認めることにした。
「初めはそうでした。しかし妻は文句を言うことなく、歩み寄ってくる女性でしたので」
「おお! それは、お前みたいなやつにはうってつけじゃないか。お前を担ぎ上げる奴らも悪くない人選をしたな」
「偶然でしょう」
「知っているか? そういう偶然を、巷に出回っている恋物語の中では運命と言うらしい」
「知りませんね。殿下はよくご存じで」
「ああ。妃がな。そういった本の話をするのだ」
そう言う王太子は、微妙に表情を消した。実のところ、彼の夫婦関係はうまくいっていないと聞いている。本人からも、周囲からも。
彼は、初夜は無事に済ませたものの、あまりに痛がっていた妻を思い出してしまって夫婦の寝室に行けなかったところ、妃殿下の妊娠が発覚した。「たった一度のことで……」と愕然としていた彼を笑ったのはそう前のことではない。
しかし、運はいいのだろう。後継を残さなければならない彼の立場からすれば。
その後、無事に第一子である男児が生まれている。
「きっと私は彼女に嫌われているからな。そもそも話が合わない。私は恋愛小説には興味がないし、彼女は剣にも政にも興味がなさそうだ。毎日花を届けさせてはいるが……。こんな夫は好かれなくても当然だろう?」
「人によるでしょうね。しょせん政略結婚です。割り切っている方もいるのでは?」
私の妻がそうだ。私に愛されなくてもいいと言っている。
「このままでは外国から迎えた妃をないがしろにしていると言われかねない」
それは確かに由々しき問題だが、私はお妃様と直接お会いしても話はしない。その人となりが分からないので、何とも言えない。
考え込む王太子は、目的地に着くと、近衛らによって差し出された模擬刀を受け取る。私も同じ物を受け取った。真剣での打ち合いを私たちは禁じられている。
それを持ちながらも、王太子は下を向いたままだ。
国王と私の伯母である王妃は婚約が決まる前から好き合っていたらしいから、そんな二人を見て育った彼だからこそ妃との関係を疑問に思うのだろう。
私は母がいなかったし、父もいないも同然だったから、彼の気持ちは分からない。人を愛することは知ったが、結局気持ちは伝えられなかった。
そして、私の伴侶となった女性は割り切った間柄で満足しているようだ。
二人で快楽を追及しているだけだなどと言ったら、妻の評判に傷がつくだろうからそれは黙っておく。
少しすると、王太子が気持ちを切り替えるように言った。
「なんにせよ、次の夜会には連れてくるのだろう? 奥方を。会えるのが楽しみだ。お前みたいな面白みのない奴とうまくやれる相手なんて、めったにいないだろうからな。では、始めるぞ! どちらが最後まで立っているか、勝負だ!」
「はい……」
私が家に持ち帰る仕事の量が増えると確信した瞬間だった。思わずため息が漏れそうになる。
しかし、彼女の体を思って閨事を三回だけで我慢している。ここで発散させておくくらいでちょうどいいだろう。
そうして、私たちは二人で床にへたり込むまで、剣を打ち合わせた。
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