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1話

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 四十歳を目の前にして、俺、比良坂ひらさか賢治けんじは焦っていた。
 同期や同級生はとっくに家庭を持ち、休みの日は子煩悩であるということを、耳にタコが出来るほど聞かされてきた。部長と名のつく役職を頂いてはいるものの、女性関係については生まれた時からほぼ真っ白のままだ。高校生の時に彼女がいたことはあるが、清い関係のまま卒業式を迎え、気が付いたら自然消滅していた。飲み会や合コンでいい雰囲気になったことも何度かあるが、いつもここぞという時のひと押しが出来ず、個人的に二人になることはなかった。先輩に誘われてエッチなサービスをしてくれる店にも足を運んだが、嬢を黙らせるだけの信頼と金を用意出来ず、結局本番までたどり着くことも出来なかった。

 三十九歳、独身。童貞である。何という悲しい自己紹介だろうか。冗談でも言えない。笑うこともできない。一応周囲の人間には経験がないことを隠している。隠れていると自分では思っているが、誰かに知られたらもう生きていけない。そんな子供みたいに馬鹿なことを考えてしまうほど、俺は切羽詰まっていた。デリヘルでも頼めば良かったのだろうが、こんな歳で「初体験はプロ嬢です♡」なんて、俺自身が発狂してしまう。そしてきっと、嬢には俺が童貞だとすぐバレるだろう。無理だ。そんな目で見られながら事に及ぶなんて無謀過ぎる。

 まともな精神でいられなくなった頃、たまたま見てしまったエロ漫画の広告で、触手に巻き付かれているエルフの女というのがあった。二次元は専門外だったがそういうジャンルがあるのは知っていたし、普通に抜けるな、とも思っていた。好奇心に負けて一度クリックしてしまえば、ブラウザの広告は瞬く間に同じような作品に塗り替えられていった。

 そうして、俺は必然的に、なにかに導かれるように、ある一つの案が浮かんだ。そうだ、人外で卒業すればいいんだ、と。そしてそれは、とても名案のように思えた。



「えーっと、鶏肉と魔法陣……むね肉でいいよな?魔法陣……画用紙に書くか」

 胡散臭いとは思いつつもネットで調べてみると、どうやら動物の肉と魔法陣で呼び出せるらしい。動物の肉は鶏肉でもいいと書いてあった。安価で助かる。ささみにしようと思案したが、むね肉よりちょっと高かったのでやめておいた。魔法陣も簡単なもので、五芒星と呼ばれる星のマークでいいらしい。結構簡単な前準備で助かった。明日も朝から会議なので大掛かりなものは困る。帰りにスーパーに寄って、鶏肉と大きめの画用紙を調達した。あと夕飯も。チョークではないけどボールペンでもいいよな。書ければいい。うん。呼び出すまでに時間がかかる場合もあるらしいので、帰宅してすぐに取り掛かった。

「これってなんか呪文とか要らないんだろうか?失敗したらどうしよう……このむね肉俺が食うのかな」

 家に帰るとくたびれたスーツを着替えもせず、ブツブツと文句を言いながら画用紙を広げて五芒星を描く。真ん中に肉を置いて、なんとなく柏手を打った。ご利益がありそうなので。悪魔を呼び出すのに、ご利益って必要なんだっけ?まあいいか。不思議なもので、だんだんと頭の中が冴えていったかと思えば「俺はいったい何を」と激しい後悔の波が襲ってきた。女とえっちできないから悪魔を呼び出す?頭がおかしいとしか思えない。ほんと馬鹿だな、そういうとこだぞ。

 急に馬鹿らしくなって、鶏肉が痛む前に冷蔵庫へ仕舞おうと考えた。そういえば、スーパーで小さなこども連れのお母さんと同じ肉に手を伸ばして、同時に引っ込めたもんだから気まずくなって向こうに譲ったのを思い出した。やっぱ、あれを買ったほうが良かったのかな。この鶏肉は俺の中では二番目だもんな。こどもから「ありがとー」ってお礼を頂いたから、その件はもういいんだけどさ。可愛かったな。お母さんと笑い方が似てた。やっぱ子供って良いな。妻子がいるとなんでもできる気がする。いいな。今となってはどうしようもない、いろんなことを思い出しながら手を伸ばすと、なんと、むね肉が掴む直前にふっと消えていった。水面をくぐるように、ぽとん、と。いや、本当なんだって。俺の目がおかしくなったとかじゃない限り、嘘じゃない。でも、どう考えても俺の目がおかしくなったとしか思えない。なんだ、疲れてんのかな?目尻をごしごしと擦って、もう一度五芒星の上にあったはずの肉を探す。ない。どこにもない。テーブルの上には、生の鶏肉が乗っていたであろう、白いトレーが転がっていた。ということは、間違いなくここにあったのだ。激安特売セールの百グラム六十五円の鶏むね肉を買ったはずだ。レシートもある。じゃあどうして、ここにないんだ?
 背筋がぞくりと震えた。ホラーのような展開に恐怖を感じたのかもしれない。いや、ちょっと寒いな。三月だもんな。朝晩はまだ冷え込む。心なしか風も強くて――風?

 エアコンも扇風機も点けてないし、玄関も窓も締め切っているはずなのに、どうして風が吹いているんだ?

「……っ!?」
「ナニコレ?むね肉って、なめてんの?」

 ピンク色をした生の肉を齧る音と、凛とした声が響く。もちろん俺のものではない。猫も犬も飼ってない。そもそも猫も犬も人語は話さない。じゃあこれはいったい誰の声だ?俺はいったい、今、何をしていた?

「なにポカンとしてんの?おじさんが俺を呼び出したんでしょ」
「お、おじ……」

 煙幕のような風が凪ぎ、見慣れたいつもの部屋の風景に戻る。煙が消え去ったあと、五芒星の上に立っていたのは、若い男だった。
 漆黒に濡れた黒髪の、年の頃は二十歳そこそこの姿をしている。目が金色に光って、この世のものではないことが一瞬で分かった。薄く黒いシャツと、同じく真っ黒なカーゴパンツ。そして裸足だ。とても寒そうだ。ああ、生肉なんか食べちゃって、腹壊しても知らないからな。そしてふと、不名誉な呼び方をされたことに気づく。
 ――おじさん?そうか、確かに、……おじさんだな。

「き、君が悪魔なのか?」
「アクマ?ああ、まあそうかもね。悪魔と言えば悪魔だよ。俺は夢魔。インキュバスってやつ」
「いんきゅ……?なんだそれは。横文字はわからん」
「ええ……めんどくさいなァ」

 男は心底めんどくさそうに目を細める。俺が呼び出そうとしていたのは悪魔だ。でもこの若い男は夢魔で、いん、いん……なんとかって言うらしい。自分が何のために悪魔を呼び出そうとしていたのかをようやく思い出し、冷や汗がぶわっと溢れてきた。俺は、童貞を卒業するために呼び出したのに、男じゃ話にならないじゃないか!

「あ、あの~……」
「なに?あ、基本的になんでも大丈夫だけど、痛いのとか苦しいのは駄目だよ」
「……チェンジとか出来る?」
「はぁ!?俺じゃ不満ってこと?何様だよおじさん!」
「いや、えーっと、君じゃ無理っていうか」
「なんでだよ!言っとくけどおじさんの願い通りに呼び出されたんだけど?悪魔召喚のシステムはサモナーの希望が優先って決まってるんだよ」

 ってことはなにか?俺は若い男とセックスしたいと思ったから、この夢魔ってやつが呼び出されたってことになるのか?冗談じゃない!俺は若くて可愛い女の子とイチャラブセックスしたいんだ!

「あんた、夢魔を呼び出したってことは、どうせろくでもないこと考えてるんだろ?それもサキュバスじゃなく、インキュバスってことは、相当な性癖の持ち主だ。俺も本当は若い女のほうが良かったけど、あんたで我慢してやるよ。抱かれるのも嫌いじゃない。それに、俺は今」

 男が俺の襟を引っ張る。顔を近づけて、俺の唇をぺろりと舐めた。

「ものすごーく腹が減ってる」
「……俺を食うのか?」
「面白くない冗談だなァ。夢魔が食うのは精気だよ」

 男の手が俺の股間に伸びてきて、遠慮など一切なく玉をぎゅっと握られた。

「んぎっ」
「うわー、パンパンじゃん。おじさん、年の割に元気だね」
「年の割には余計だ!」

 どっちにしろ、俺は男で童貞を捨てる気はない。さっさと元の世界に帰って頂こう。

「おまえを戻すにはどうしたらいいんだ?」
「あんた、話聞いてた?俺は腹が減ってんの。帰るつもりないよ」
「いやいや、だっておまえは男だろ。俺はそっちの趣味はないんだよ。残念だけど男相手に勃たない」
「勃たない訳ないだろ。あんたが俺を呼び出したんだぞ。それに契約不履行は認められない。俺も困るし、あんたは地獄に落ちる」

 ――なんだかサラッと怖いことを言われたけれど、現実味がなくて冗談にしか聞こえなかった。でも、こうやって夢魔を呼び出している時点で、現実なんてものはとっくに壊れているんだよな。いやいや、でも、俺はやっぱり若い娘とラブラブエッチしたいんだ!

「無理だよ。契約を遂行しないと俺はここから離れられない。そういう風になってるんだ」

 俺の考えてることを読んだのか、小さな願いはバッサリと切り捨てられた。そ、そんなあ。どうしたってこの男とセックスしなければならないらしい。そんなあ。そんなことって。

「ま、いいじゃん。一回やってみよ。もしかしたらめちゃくちゃハマるかもよ」
「ない。絶対にない」
「強情」

 クスクスと笑いながら、男が腕を首に回してきた。悪魔の一種と言うだけあって、顔のつくりが恐ろしく綺麗だ。部下が応援しているアイドルグループのメンバーに顔が似ているな。しかしあれくらいの子らはみんな同じ顔に見えてしまう。いかんな、歳のせいか。そして何故か、下半身が元気になってきた気がした。馬鹿な。顔が良ければ誰でもいいのか、俺は。失望した。見境のない性欲に。

「ん」

 悪魔の男は口を窄め、背伸びをしてキスをせがんできた。こんな風に誰かにキスして、って顔をされたことがないので、思わず顔が赤くなった。うわ。めちゃくちゃ気分いいなこれ。おずおずと唇をちょん、とつけると、男のまぶたが開いて縦に長い瞳孔が見えた。人間のものと違うその目は、鋭い美しさで、思わず息を呑む。

「おじさん、もしかして童貞?」
「おじさんじゃない。比良坂賢治だ」
「ヒラサカさん」
「おまえの名前は」
「オリバー」

 馴染みのない響きのせいで、覚えられるか少し不安になった。ただでさえ最近は物忘れがひどい。年のせいか。そんなことはないはずだ。

「オリバー」
「んふふ」

 クスクス、と耳障りのいい笑い声を上げて、オリバーはさらに唇を貪ってきた。

「んっ……ふ、ん」

 うわ、こいつ舌まで入れやがった。生まれてはじめてのベロチューだ、ちくしょう。悔しくなって、真似するみたいに舌をねじ込んでやった。ちょっと驚いたのか、オリバーは目を丸くしてすぐに目尻を下げて微笑む。うわあ、笑うと余計に顔がいいな。

「……!」
「んふ……♡」

 初めてのベロチューも済ませ、大人の階段をのぼりかけた時、オリバーの手がまた俺の股間にさわさわと触れる。プロのような手際の良さでベルトのバックルを外し、ボクサーパンツごとズボンを引きずりおろされた。キスをしながらなんて器用なやつだ。外界に顔を出した俺の可愛い息子はゆる勃ちしていたが、細くしなやかな指先に絡め取られるとすぐに硬さを持った。なんてゲンキンなやつだ。その指は若い娘じゃないぞ。

「ちんぽのほうが正直だね♡」

 オリバーが一瞬だけ唇を離して、ぽつりと呟く。そしてまた唾液を流し込んできた。若い男がそんな下品な言葉を使うんじゃない。……ん?若いからこそ下品な言葉を使うのか?よくわからなくなってきた。それにしても手コキがうますぎるな。そろそろイクぞ。

「ヒラサカさん、もう限界?ちんぽピクピクしてる♡俺の手の中にぴゅっぴゅする?」

 な、なんだそのプロの嬢のような誘導尋問は。思わず「ピュッピュすりゅ♡」と言いそうになったじゃないか。やめろ。初めてのセックスは俺がリードしてあんあん言わせたかったのに。ちくしょう。若い娘じゃないなら、せめて、せめて俺がリードしたい。したいのに、一回り以上年下に見える男に良いようにされてしまっている。悔しい。

「それとも」

 オリバーが耳元に唇を寄せて、艶かしく囁いた。

「俺のおまんこにびゅーびゅーしたい……?」
「……!」

 卑猥な単語を聞いてしまったせいか、そのままオリバーの手のひらに射精してしまった。恥ずかしい。まるで童貞じゃないか。いや、童貞なんだけども。

「あー……もったいない」
「おっ、おまっ、おまえ!な、なんてことを言うんだ若い子が……!」

 自慢じゃないが、成人向けのいわゆるアダルトビデオは数百本は見たものの、お気に入りの動画をリピートする性格なので、総本数は多くない。その中でも隠語責めはかなり性癖を刺激してくる。特に女教師とか女医とか、そういう、女性優位のジャンルに弱い。まずい。これは非常にまずい。

「童貞みたいな反応するじゃん。あ、童貞か」
「このクソガキ…」
「冗談だって……あ♡すご、もう硬い♡」

 射精の直後フニャフニャになったペニスは、瞬く間に再度勃起した。オリバーとのやり取りが童貞には刺激が強すぎたのもあるが、基本的に俺は復活が早いのだ。
 オリバーは手のひらの精子を拭き取ると、無言でカーゴパンツを脱いでいく。当たり前だが、大きさは違えど俺と同じものが股間についていた。ちくしょう。そういえばこいつパンツ履いてないのか?ノーパンか?すごいな。股がスースーしそうだ。そしてよく見ればパイパンだ。うわエッロ。剃毛したんだろうか。するりと軽やかに上も脱ぐと、淡いピンク色の乳首が目を引いた。なんだその色。絵の具でも塗ってあるのか?熟した桃みたいな色をしている。思わず凝視してしまい、ごくり、と喉が鳴る。オリバーはそれを見て、クスクス、とまた可愛らしい笑みを浮かべた。

「ヒラサカさん可愛い♡これだから童貞を堕とすの、やめられないんだよな~」
「……大人をからかうんじゃない」
「だって分かりやすい目してるからさ。俺のおっぱい食べたい?」

 頭を抱き込まれ、目の前にオリバーの美味しそうな乳首がある。桃色で柔らかそうなそれに魅せられてしまい、何も考えずむしゃぶりついた。

「んっ……♡ヒラサカさんの舌ザラザラして気持ちいい……♡もっと吸って、舌で乳首転がして……♡」

 ソープへ行った時に嬢の乳首を舐めたことがあるが、当時は乳房の弾力に驚いてそれどこじゃなかった。おっぱいやわらけ~、なんて童貞の感想しか出てこなくて、嬢の口の中に出して怒られた記憶が蘇った。
 オリバーの言う通りに、吸ってみたり、舌でつついてみたり、たまに軽く噛んでみた。そうすると腰をくねらせて可愛い声を上げるので、愚息が異常に反応してしまった。人間の肌なんて、口に含んでも噛んでも味がするはずはない。なのに、何故かオリバーの乳首は柔らかくて、甘くて、美味しいと思ってしまう。味はしていない。脳がそう錯覚しているだけなのだ。
 さっきからずっと頭がクラクラしていた。自分はここにいるのに、地に足がついていないような不安定さをずっと感じている。

「もぉ……♡そんなにちゅーちゅーしてもミルクなんか出ないよ♡ミルクが出るのはこっちでしょ……♡」
「んおっ♡お、ぅ……」

 急につま先でペニスの先端をぐりっと押され、情けない声が出た。危なかった。イッたかと思った。ちょっと先走りが出た。童貞は急な刺激に弱いんだから気をつけて欲しい。オリバーが俺の頭をぎゅうっと抱き締める。ベッドにいきたい、と言うので、そのまま抱えて寝室へ向かった。



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