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3話
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「はぁ」
昼時、自作の弁当箱を手に、思わずため息が出てしまった。しかしそれもしょうがない。だって、つい昨日、俺の日常が突然変わってしまったのだから。
「はあ」
もう一度大きなため息をつくと、向かい合うように座っていた友人の柳瀬が目を丸くさせた。
「具合でも悪いん?」
「え?」
「朝からずっとため息ついてるじゃん」
「……いや、これは」
別に、内緒にしておけと真神に言われた訳ではない。柳瀬のことを信頼していない訳でもない。特に柳瀬は俺の家庭の事情も知っているし、柳瀬には年の離れた妹もいる。相談という手で、話しておく選択肢ももちろんあった。ただ、心配をかけたくないという思いが強く、話すことを躊躇ってしまっていた。
口にすれば俺の気持ちは少しは和らぐかも知れないが、聞かされた柳瀬のことまでは考えが及ばない。よくわからないまま始まってしまった非日常に、『日常』である柳瀬を巻き込みたくなかった。
けれどこのまま不安にさせ続けるのは、俺の望むところではない。適当に、どうでもいいことを理由にしようとして、耳の後ろを撫でながら言葉を探した。
「寝癖が治らなくて」
「なんだそりゃ。少なくとも俺にはわかんないよ」
「……じゃ、いっか。ごめん、なんでもない」
「変なやつ」
柳瀬は訝しみながら紙パックのコーヒー牛乳を吸い上げ、逆の手に握っていた真っ赤なジャムパンを齧った。よくそんな甘いものだけで食事が出来るもんだと感心していた俺の弁当箱の中から、卵焼きを一つだけ素早く奪ったかと思えば、「明日は甘いのにして」と注文までしてきた。それには同意して、明日は双子にも弁当を作ってやるかな、とふと思った。
物心ついた時から両親はまともな職についておらず、家はいつも空っぽで誰もいなかったせいか、人がたくさんいる空間が大好きだった。一人だった俺にとって学校は救いの場所で、皆と同じ日常を味わえることが喜びだった。出来ることなら手放したくない。俺も皆と同じ日常に参加していたい。だから、真神にこの提案をされた時は、心底助かった、と思った。両親に初めて感謝をした。真神金融で借りてくれてありがとう、と。
****
「おかえりきょーくん!」
「おかえり!ね、早くこっちきて!」
扉を開けて「ただいま」を言う前に、リビングの奥から双子に呼ばれる。おざなりに「ただいま」と誰に言うでもなく挨拶をして、声のする方へ急いだ。
リビングの扉を開けると、良い匂いが鼻腔をくすぐった。キッチンのほうを見れば、エプロン姿の双子がいつにも増してニコニコと眩しい笑顔を携えている。なんだろう。二人は、嬉しいというよりは、褒めて欲しい犬のような期待を込めた目をしていた。
「じゃーん」
「じゃーん」
見事に二人の声が重なる。一卵性ではないので全く同じにはならないはずだが、いつもこの二人は同じタイミングで同じことを喋っていた。
双子が掲げた大きな皿に、大きなオムライスが乗っていて、赤いケチャップで書かれた文字は、かろうじて『きょーくん ようこそ』と読めた。おそらく双子が作ったのであろうオムライスは、正直に言えば、卵の柔らかさがバラバラで形はいびつだし、ケチャップ文字もぐちゃぐちゃで見た目が良いとは言えない。
けれど、料理をほとんどしたことのないはずの双子がわざわざ自分のために、見様見真似でも作ってくれたことが何よりも嬉しかった。
初めて知った。自分のために何かをしてもらえることが、こんなにも胸を満たしていくなんて。こんなに幸せな感情は今まで知らなかった。言葉に出来ない高揚した気持ちと、双子への愛しい思いがぶつかって、なんとも言えない昂りが全身を包み込む。持っていた鞄を無意識に床へ落とすと、小走りで双子に駆け寄り力いっぱい抱き締めた。
「きょーくん?」
「きょーくん、苦しいよぉ」
なにか口にしてしまうと子供のように泣いてしまう気がして、言葉が出てこなかった。不可解な顔をしていた双子が、二人同時に俺の頭を撫でる。ぽかぽかと、かすかな火が灯っていくようだった。
「きょーくんどうして泣いてるの?おなか痛い?」
「ええっ、きょーくん大丈夫?パパ呼ぼうか?」
「……あ」
頬に一筋涙が伝って、悲しくないはずなのに胸の奥に痛みが走る。二人を不安にさせてしまったことに、己の未熟さを呪った。
「ごめん、びっくりしちゃっただけ……ふたりとも、俺のために作ってくれたんだね」
「そうなの!スマホでクックノート見ながらね、質はケーキがいいって言ったんだけどね、昨日食べたし、あたしたちじゃ作れそうにもなかったから」
「えー!マキは自分で作ったって言ってたもん!マキが作れるならおれたちだって作れるじゃん」
「真希緒はおうちがケーキ屋さんだからでしょ!まったく質は思いつきで言うから、苦労するのはあたしなのに……」
俺の腰に巻き付いたまま、双子はきゃんきゃんと口喧嘩をはじめてしまった。それもいつものことらしく、ぷんぷんと口をとがらせた貢は、次の瞬間にはパッと笑顔になって質へ話しかけていた。しばらくそうやってされるがままになっていると、急に二人の会話が途切れた。不思議に思って貢へ「どうかした?」と聞くと、俺の袖を握って「あのね」と語りだした。
「卵、あとふたつ残ってるの」
「うん?」
「……パパにも作りたいんだ」
言いにくそうにしていた貢に変わって質が答えた。普段はあんなに邪険にしているのに、やっぱり父親のことを気にしていたらしい。思わず笑みが漏れると、貢に背中をばしんと叩かれた。
「あたしたちだけでも作れるけど、きょーくんにちゃんと手伝って貰ったほうがいいかなって。……なんかきょーくんを練習台にしたみたいでごめんね。でもあたしたちだけで作ったって言ったら、パパ絶対食べないと思うから」
「そんなことないよ。真神さんも絶対嬉しいよ」
「……ほんと?こんなもん食えるか、とか言わない?」
貢の中で、真神はどういう性格なんだろう。いくらヤの風貌をした彼でも、いい大人なんだから、自分の娘の手料理にケチを付けたりしないはずだ。……たぶん。
「言わないよ」
「……じゃあ作る」
渋々、という体のようでいて、貢は早く父のために作りたくて仕方ないみたいだ。そわそわして目線が泳いでいる。
「うん。教えてあげるから、二人で作ってごらん」
「ありがと、きょーくん。質、頑張ろうね」
「うん!」
二人は腕まくりをして、二度目の作業に取り掛かった。
基本的に対人の仕事をしている真神は、就業時間が決まっておらず、帰ってくる時刻はバラバラだ。夕方の十七時に帰ってくることもあれば、日付を越えても帰ってこないこともよくある。そして、今日は運悪く遅い帰宅のようで、双子は二十三時まで頑張って起きていたものの、そのままソファの上でぱたりと動かなくなってしまった。健やかな寝息を立てて、寝てもなお父親の帰りを待っている。
風邪を引かないようにと薄い毛布を二人に掛けてやると、がちゃりと扉が開いて、待望されていた真神が帰宅した。
「なんだぁ?珍しいな、ここで寝てんのか」
「おかえりなさい……さっきまで待ってたんですよ」
「あん?なんか用があったんなら、連絡すりゃ良かっただろ」
「それはそう、……なんですけど」
質と貢があなたのためにオムライスを作ったから帰ってきて欲しい、なんて、俺が言える訳もない。質も、貢も、驚いた真神の顔が見たかっただろう。
「起こすか?」
「ぐっすり寝てるので、明日の朝にでも伝えてあげてください」
「……何をだ?」
要領を得ない真神が、通じない言語に苛立つように、少し語尾を強めて聞き返す。これは真神の癖であって、俺を脅そうだとかそんな意図はない。……ないのは分かっているが、怖いものは怖い。まだ慣れていないせいで少しビクッとした俺に「しまった」という顔をして、真神は二度は聞き返さずそのまま俺の言葉を待った。
怒っている訳ではないと理解出来たので、傷まないよう冷蔵庫で冷やしておいた双子特製のオムライスをテーブルの上に置く。なんだ?と顔を近づけて、「オムライスか?」と聞いてきたので「質と貢が作りました」と答えると、一瞬間があって、眼球が飛び出そうなほど目を見開いた真神がこちらを振り返った。
「あいつらが?食えんのか?」
「……俺監修ですから、たぶん大丈夫かと」
貢の心配を、真神がなぞっていく。そこに侮蔑や嘲笑はなく、ただ純粋な疑問でしかない。大きな皿を持ち上げて、その上に盛られたやや大きめのオムライスを凝視する。そして、ラップの上に乗った小さな紙に気付いた。ケチャップで書いた文字はラップに潰されて見えなくなってしまったので、同じ言葉をメモ帳に書き写した。もちろんどちらも双子が考えて書いたものだ。『パパ おつかされま』と。
「――……」
メモを手にしたまま、真神の動きがぴたりと止まってしまった。俺の予想では喜ぶか驚くかの二択だったのだが、そのどれも該当していないおらず思ったより冷静だった。……あれ?目論見が外れてしまったのだろうか?貢に悪いことをしたかな、と思いながら恐る恐る真神の顔を覗き込もうとした時、真神の手がオムライスの上に乗っていたラップをビリビリと破り捨てた。
「ま、真神さん?そのまま食べるんですか?冷たいですよ!」
「……ん?ああ、そうだったな」
手づかみで食べそうな勢いの真神の腕を掴み、皿をひったくって電子レンジで温め直した。冷静だと思っていたのは俺の勘違いで、かなり動揺しているようだ。テーブルとソファを行ったり来たりして、そわそわとして、なんというか、見てて面白い。
「もうすぐ温め終わりますよ」
「おう……」
食卓の椅子を引いてどかりと座り、腕を組んでキョロキョロと辺りを見回している。寝ている時ですらヤの風貌でしかなかった真神が、まるで普通の人のように見えて微笑ましかった。
温め直したオムライスを真神の目の前に置くと、スプーンを持ったまま動かない。何度か促してようやく口を付けたかと思うと、机に突っ伏して「うまい」と呻いた。
「……なんでこんなに美味いんだろうな」
「質と貢が作ったから、ですよね?」
「……俺以外のやつに聞けば、百人が百人とも店で食ったほうが美味いって言うに決まってる。親の欲目なんてもんは、俺にはないと思ってたのにな。……はぁ、うめえわ。なんだこれ」
一口ずつ「なんだこれ」と文句を言いながら、あっという間に平らげてしまった。コップいっぱいの水を一気に流し込んで、深く長いため息を付いた。
「おまえ、なんかあいつらから聞いてんのか」
「なんか、って、なんですか?」
「……だから、あれだよ、裏があるのかってこと」
「いいえ、なにも……」
双子らはきっと真意があって、自分を陥れようとしているのだと、真神は聞いているのだ。少なくともそういう話は聞いてないし、俺の目にはそう映らなかった。真神は頭を抱えたまま、「まじかよ…」とまるで答えのない問題を見つけて絶望するように呟いた。
たしかに双子は、失礼ながら父親を慕っているように見えない。だからこそ逆に、裏のない二人の行動に真神が絶望している理由が分からなかった。喜びこそすれ、なぜ嘆く必要があるのだろうか。さすがに聞くことは出来ないので、そのまま黙るしかなかった。
昼時、自作の弁当箱を手に、思わずため息が出てしまった。しかしそれもしょうがない。だって、つい昨日、俺の日常が突然変わってしまったのだから。
「はあ」
もう一度大きなため息をつくと、向かい合うように座っていた友人の柳瀬が目を丸くさせた。
「具合でも悪いん?」
「え?」
「朝からずっとため息ついてるじゃん」
「……いや、これは」
別に、内緒にしておけと真神に言われた訳ではない。柳瀬のことを信頼していない訳でもない。特に柳瀬は俺の家庭の事情も知っているし、柳瀬には年の離れた妹もいる。相談という手で、話しておく選択肢ももちろんあった。ただ、心配をかけたくないという思いが強く、話すことを躊躇ってしまっていた。
口にすれば俺の気持ちは少しは和らぐかも知れないが、聞かされた柳瀬のことまでは考えが及ばない。よくわからないまま始まってしまった非日常に、『日常』である柳瀬を巻き込みたくなかった。
けれどこのまま不安にさせ続けるのは、俺の望むところではない。適当に、どうでもいいことを理由にしようとして、耳の後ろを撫でながら言葉を探した。
「寝癖が治らなくて」
「なんだそりゃ。少なくとも俺にはわかんないよ」
「……じゃ、いっか。ごめん、なんでもない」
「変なやつ」
柳瀬は訝しみながら紙パックのコーヒー牛乳を吸い上げ、逆の手に握っていた真っ赤なジャムパンを齧った。よくそんな甘いものだけで食事が出来るもんだと感心していた俺の弁当箱の中から、卵焼きを一つだけ素早く奪ったかと思えば、「明日は甘いのにして」と注文までしてきた。それには同意して、明日は双子にも弁当を作ってやるかな、とふと思った。
物心ついた時から両親はまともな職についておらず、家はいつも空っぽで誰もいなかったせいか、人がたくさんいる空間が大好きだった。一人だった俺にとって学校は救いの場所で、皆と同じ日常を味わえることが喜びだった。出来ることなら手放したくない。俺も皆と同じ日常に参加していたい。だから、真神にこの提案をされた時は、心底助かった、と思った。両親に初めて感謝をした。真神金融で借りてくれてありがとう、と。
****
「おかえりきょーくん!」
「おかえり!ね、早くこっちきて!」
扉を開けて「ただいま」を言う前に、リビングの奥から双子に呼ばれる。おざなりに「ただいま」と誰に言うでもなく挨拶をして、声のする方へ急いだ。
リビングの扉を開けると、良い匂いが鼻腔をくすぐった。キッチンのほうを見れば、エプロン姿の双子がいつにも増してニコニコと眩しい笑顔を携えている。なんだろう。二人は、嬉しいというよりは、褒めて欲しい犬のような期待を込めた目をしていた。
「じゃーん」
「じゃーん」
見事に二人の声が重なる。一卵性ではないので全く同じにはならないはずだが、いつもこの二人は同じタイミングで同じことを喋っていた。
双子が掲げた大きな皿に、大きなオムライスが乗っていて、赤いケチャップで書かれた文字は、かろうじて『きょーくん ようこそ』と読めた。おそらく双子が作ったのであろうオムライスは、正直に言えば、卵の柔らかさがバラバラで形はいびつだし、ケチャップ文字もぐちゃぐちゃで見た目が良いとは言えない。
けれど、料理をほとんどしたことのないはずの双子がわざわざ自分のために、見様見真似でも作ってくれたことが何よりも嬉しかった。
初めて知った。自分のために何かをしてもらえることが、こんなにも胸を満たしていくなんて。こんなに幸せな感情は今まで知らなかった。言葉に出来ない高揚した気持ちと、双子への愛しい思いがぶつかって、なんとも言えない昂りが全身を包み込む。持っていた鞄を無意識に床へ落とすと、小走りで双子に駆け寄り力いっぱい抱き締めた。
「きょーくん?」
「きょーくん、苦しいよぉ」
なにか口にしてしまうと子供のように泣いてしまう気がして、言葉が出てこなかった。不可解な顔をしていた双子が、二人同時に俺の頭を撫でる。ぽかぽかと、かすかな火が灯っていくようだった。
「きょーくんどうして泣いてるの?おなか痛い?」
「ええっ、きょーくん大丈夫?パパ呼ぼうか?」
「……あ」
頬に一筋涙が伝って、悲しくないはずなのに胸の奥に痛みが走る。二人を不安にさせてしまったことに、己の未熟さを呪った。
「ごめん、びっくりしちゃっただけ……ふたりとも、俺のために作ってくれたんだね」
「そうなの!スマホでクックノート見ながらね、質はケーキがいいって言ったんだけどね、昨日食べたし、あたしたちじゃ作れそうにもなかったから」
「えー!マキは自分で作ったって言ってたもん!マキが作れるならおれたちだって作れるじゃん」
「真希緒はおうちがケーキ屋さんだからでしょ!まったく質は思いつきで言うから、苦労するのはあたしなのに……」
俺の腰に巻き付いたまま、双子はきゃんきゃんと口喧嘩をはじめてしまった。それもいつものことらしく、ぷんぷんと口をとがらせた貢は、次の瞬間にはパッと笑顔になって質へ話しかけていた。しばらくそうやってされるがままになっていると、急に二人の会話が途切れた。不思議に思って貢へ「どうかした?」と聞くと、俺の袖を握って「あのね」と語りだした。
「卵、あとふたつ残ってるの」
「うん?」
「……パパにも作りたいんだ」
言いにくそうにしていた貢に変わって質が答えた。普段はあんなに邪険にしているのに、やっぱり父親のことを気にしていたらしい。思わず笑みが漏れると、貢に背中をばしんと叩かれた。
「あたしたちだけでも作れるけど、きょーくんにちゃんと手伝って貰ったほうがいいかなって。……なんかきょーくんを練習台にしたみたいでごめんね。でもあたしたちだけで作ったって言ったら、パパ絶対食べないと思うから」
「そんなことないよ。真神さんも絶対嬉しいよ」
「……ほんと?こんなもん食えるか、とか言わない?」
貢の中で、真神はどういう性格なんだろう。いくらヤの風貌をした彼でも、いい大人なんだから、自分の娘の手料理にケチを付けたりしないはずだ。……たぶん。
「言わないよ」
「……じゃあ作る」
渋々、という体のようでいて、貢は早く父のために作りたくて仕方ないみたいだ。そわそわして目線が泳いでいる。
「うん。教えてあげるから、二人で作ってごらん」
「ありがと、きょーくん。質、頑張ろうね」
「うん!」
二人は腕まくりをして、二度目の作業に取り掛かった。
基本的に対人の仕事をしている真神は、就業時間が決まっておらず、帰ってくる時刻はバラバラだ。夕方の十七時に帰ってくることもあれば、日付を越えても帰ってこないこともよくある。そして、今日は運悪く遅い帰宅のようで、双子は二十三時まで頑張って起きていたものの、そのままソファの上でぱたりと動かなくなってしまった。健やかな寝息を立てて、寝てもなお父親の帰りを待っている。
風邪を引かないようにと薄い毛布を二人に掛けてやると、がちゃりと扉が開いて、待望されていた真神が帰宅した。
「なんだぁ?珍しいな、ここで寝てんのか」
「おかえりなさい……さっきまで待ってたんですよ」
「あん?なんか用があったんなら、連絡すりゃ良かっただろ」
「それはそう、……なんですけど」
質と貢があなたのためにオムライスを作ったから帰ってきて欲しい、なんて、俺が言える訳もない。質も、貢も、驚いた真神の顔が見たかっただろう。
「起こすか?」
「ぐっすり寝てるので、明日の朝にでも伝えてあげてください」
「……何をだ?」
要領を得ない真神が、通じない言語に苛立つように、少し語尾を強めて聞き返す。これは真神の癖であって、俺を脅そうだとかそんな意図はない。……ないのは分かっているが、怖いものは怖い。まだ慣れていないせいで少しビクッとした俺に「しまった」という顔をして、真神は二度は聞き返さずそのまま俺の言葉を待った。
怒っている訳ではないと理解出来たので、傷まないよう冷蔵庫で冷やしておいた双子特製のオムライスをテーブルの上に置く。なんだ?と顔を近づけて、「オムライスか?」と聞いてきたので「質と貢が作りました」と答えると、一瞬間があって、眼球が飛び出そうなほど目を見開いた真神がこちらを振り返った。
「あいつらが?食えんのか?」
「……俺監修ですから、たぶん大丈夫かと」
貢の心配を、真神がなぞっていく。そこに侮蔑や嘲笑はなく、ただ純粋な疑問でしかない。大きな皿を持ち上げて、その上に盛られたやや大きめのオムライスを凝視する。そして、ラップの上に乗った小さな紙に気付いた。ケチャップで書いた文字はラップに潰されて見えなくなってしまったので、同じ言葉をメモ帳に書き写した。もちろんどちらも双子が考えて書いたものだ。『パパ おつかされま』と。
「――……」
メモを手にしたまま、真神の動きがぴたりと止まってしまった。俺の予想では喜ぶか驚くかの二択だったのだが、そのどれも該当していないおらず思ったより冷静だった。……あれ?目論見が外れてしまったのだろうか?貢に悪いことをしたかな、と思いながら恐る恐る真神の顔を覗き込もうとした時、真神の手がオムライスの上に乗っていたラップをビリビリと破り捨てた。
「ま、真神さん?そのまま食べるんですか?冷たいですよ!」
「……ん?ああ、そうだったな」
手づかみで食べそうな勢いの真神の腕を掴み、皿をひったくって電子レンジで温め直した。冷静だと思っていたのは俺の勘違いで、かなり動揺しているようだ。テーブルとソファを行ったり来たりして、そわそわとして、なんというか、見てて面白い。
「もうすぐ温め終わりますよ」
「おう……」
食卓の椅子を引いてどかりと座り、腕を組んでキョロキョロと辺りを見回している。寝ている時ですらヤの風貌でしかなかった真神が、まるで普通の人のように見えて微笑ましかった。
温め直したオムライスを真神の目の前に置くと、スプーンを持ったまま動かない。何度か促してようやく口を付けたかと思うと、机に突っ伏して「うまい」と呻いた。
「……なんでこんなに美味いんだろうな」
「質と貢が作ったから、ですよね?」
「……俺以外のやつに聞けば、百人が百人とも店で食ったほうが美味いって言うに決まってる。親の欲目なんてもんは、俺にはないと思ってたのにな。……はぁ、うめえわ。なんだこれ」
一口ずつ「なんだこれ」と文句を言いながら、あっという間に平らげてしまった。コップいっぱいの水を一気に流し込んで、深く長いため息を付いた。
「おまえ、なんかあいつらから聞いてんのか」
「なんか、って、なんですか?」
「……だから、あれだよ、裏があるのかってこと」
「いいえ、なにも……」
双子らはきっと真意があって、自分を陥れようとしているのだと、真神は聞いているのだ。少なくともそういう話は聞いてないし、俺の目にはそう映らなかった。真神は頭を抱えたまま、「まじかよ…」とまるで答えのない問題を見つけて絶望するように呟いた。
たしかに双子は、失礼ながら父親を慕っているように見えない。だからこそ逆に、裏のない二人の行動に真神が絶望している理由が分からなかった。喜びこそすれ、なぜ嘆く必要があるのだろうか。さすがに聞くことは出来ないので、そのまま黙るしかなかった。
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