処刑されるはずの悪役令嬢、なぜか敵国の「冷徹皇帝」に拾われる ~「君が必要だ」と言われても、今さら国には戻りません~

六角

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第3話 敵国へのフライトと「契約」

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 眼下に広がる光景に、私は言葉を失っていた。  風除けの結界に守られた飛竜(ワイバーン)の背中から見下ろす、軍事帝国ガルガディアの帝都『アイゼンガルド』。  それは、私の知る「都市」の概念を根底から覆すものだった。

 黒鉄と蒸気。そして、幾何学的に張り巡らされた魔導回路の青白い光。  山脈の斜面を削り取るようにして建設されたその巨大都市は、まるで一つの生き物のように脈動していた。  無数の工場から立ち昇る白い蒸気が、夕焼けに染まった空に溶けていく。  地上には網の目のようにレールが敷かれ、魔導列車が長い身体をくねらせながら疾走している。  高層建築物は石造りではなく、鋼鉄の骨組みと強化ガラスで構成されており、その尖塔は天を突くように鋭い。

「……すごい。これが、帝国の技術力……」

 思わず呟いた私の声は、風にかき消されることなくジークハルトの耳に届いたようだ。  背後で手綱を握る彼は、どこか誇らしげに鼻を鳴らした。

「我が国は、魔導と科学を融合させることで発展してきた。貴様らの国のように、古い伝統や血筋に固執して停滞している暇などなかったからな」

 厳しい言葉だが、反論の余地はない。  私の祖国では、魔法は「選ばれた貴族の特権」であり、それを機械技術と組み合わせるなどという発想は「神への冒涜」だと忌避されていた。  けれど、目の前のこの圧倒的な文明の輝きはどうだ。  魔導列車が物資を運び、工場が製品を生み出し、街路にはガス灯ではなく魔導ランプが整然と並んでいる。  そこには、人々の生活を豊かにしようとする「意志」と「合理性」があった。

「私が目指したのは、魔力を持たぬ者でも豊かに暮らせる国だ。……だが、発展の代償としてエネルギー消費量は増大し、常に魔力不足に喘いでいるのが現状だがな」

 ジークハルトの声に、微かな苦悩が混じる。  最強の軍事国家の光と影。  その影の部分を支えるために、私はここに連れて来られたのだ。  そう思うと、不安よりも「やってやるぞ」という技術者としての好奇心と使命感が勝ってくるから不思議だ。

「降りるぞ。皇城へ直行する」

 ジークハルトが合図を送ると、飛竜は大きく翼を傾け、都市の中心にそびえ立つ黒亜の城へと降下を開始した。  皇城『ヴォルフスブルク』。  断崖絶壁の上に築かれたその城は、装飾的な美しさよりも防御機能と威圧感を優先した、まさに要塞そのものだった。  飛竜の発着場となっている広大なテラスには、すでに整列した兵士たちと、数名の文官らしき人影が見える。

 ザザザッ……  飛竜が巨大な鉤爪を石畳に食い込ませ、滑るように着地した。  風圧が収まると同時に、待機していた家臣たちが一斉に跪く。

「皇帝陛下、ご帰還、心よりお慶び申し上げます!」

 地響きのような唱和。  ジークハルトは私を抱えたまま、軽やかに飛竜から飛び降りた。  着地と同時に私を下ろしてくれるかと思ったが、彼はなぜか私を抱きかかえた腕を緩めようとしない。

「あ、あの、陛下? もう降りられますが……」 「……足元が悪い」 「平らな石畳に見えますけれど」 「長旅で疲れているだろう。貧血で倒れられては、私の管理責任が問われる」

 何を言っているのだろう、この皇帝は。  確かに処刑寸前までの疲労はあるが、先ほど彼への魔力調整を行った際に少し自分の魔力も循環させたおかげで、今の私は驚くほど元気だった。  しかし、ジークハルトは有無を言わせぬ様子で、私を抱えたまま歩き出した。

 跪いていた家臣たちの間を、皇帝がボロボロのドレスを着た女を抱えて歩く。  異様すぎる光景に、伏せられていた顔がいくつか、こっそりと持ち上がるのが見えた。  その中の一人、銀髪をきっちりと撫でつけた、神経質そうな眼鏡の男性が目を見開いて立ち上がった。

「へ、陛下!? その薄汚……失礼、その女性は一体!? 単身で敵国へ乗り込まれたと思ったら、まさかお妃様を略奪してこられたのですか!?」

 彼の悲鳴のような問いかけに、ジークハルトは足を止めた。   「騒がしいぞ、フランツ。……妃ではない。私の『専属魔導技師』だ」 「は? 魔導技師……ですか?」 「ああ。紹介する。リーゼロッテ・フォン・エーデル。今日からこの国の魔力管理(エネルギー・マネジメント)の全権を委ねる」

 ジークハルトの爆弾発言に、フランツと呼ばれた側近だけでなく、周囲の兵士たちも息を呑んだ。  どよめきが広がる。  「魔力管理の全権?」「あの小娘に?」「敵国の公爵令嬢ではないか?」  疑念と困惑の視線が突き刺さる。当然の反応だ。  しかし、ジークハルトはそのすべての雑音を一睨みで黙らせた。

「不満がある者は、後で私の執務室へ来い。……彼女がどれほど優秀か、私が直々に『教育』してやる」

 絶対零度の声音。  それだけで、場の空気は完全に凍りついた。  誰もが口をつぐみ、再び深く頭を下げる。  この国において、皇帝の言葉は法であり、絶対なのだ。

 ジークハルトは満足げに鼻を鳴らすと、再び歩き出した。  私は彼の腕の中で、小さくなりながら周囲を見回した。  冷徹で独裁的。  けれど、その腕は優しく、私を守るように力強い。  このギャップに、私の心臓はまだ慣れそうになかった。

 案内されたのは、皇城の最上階近くにある皇帝の私室……の隣にある、広大な応接室だった。  壁一面がガラス張りになっており、そこからは光の海となった帝都の夜景が一望できる。  床には足首まで埋まるような真紅の絨毯が敷かれ、置かれた調度品はどれも洗練された一級品ばかり。  先ほどまでいた王国の、カビ臭い地下牢とは天国と地獄の差だ。

 ジークハルトはようやく私をソファに下ろすと、自らは向かい側の革張りの椅子に深く腰掛けた。  すぐにメイドたちが現れ、湯気の立つ紅茶と、見たこともないような美しい焼き菓子をテーブルに並べていく。

「まずは腹ごしらえだ。毒など入っていないから安心しろ」 「あ、ありがとうございます……」

 言われるままに紅茶を一口飲む。  素晴らしい香りが鼻腔をくすぐり、温かい液体が冷えた体に染み渡っていく。  お菓子を一口かじると、濃厚なバターと蜂蜜の甘さが口いっぱいに広がった。  美味しい。  こんなに美味しいものを食べたのは、いつ以来だろう。  涙が出そうになるのをこらえて、私は居住まいを正した。

「さて、リーゼロッテ。ここからはビジネスの話だ」

 ジークハルトが指を鳴らすと、控えていたフランツ――彼は宰相らしい――が、うやうやしく一枚の羊皮紙を私の前に差し出した。  そこには、緻密な文字で『雇用契約書』と書かれていた。

「我が帝国は法治国家だ。労働には対価を、契約には遵守を求める。……内容を確認しろ」

 私は恐る恐る書類に目を通した。  そして、数行目で目を疑った。

「……えっ?」

 二度見した。三度見した。  それでも、数字は変わらなかった。

「あの、陛下。ここの『年俸』の桁、間違っていませんか? ゼロが二つほど多いような……」 「間違っていない。金貨十万枚だ。これでも初期提示額だ。成果次第でボーナスも出す」

 金貨十万枚!?  王国の国家予算に匹敵する額だ。それを個人の年俸として?   「そ、そんな大金、受け取れません! 私はただの……」 「黙って聞け。私の命と、帝国のエネルギー問題を救う対価だ。むしろ安いとさえ思っている」

 ジークハルトは平然と言い放つと、さらに契約書の下部を指差した。

「それだけではない。福利厚生を見ろ」

 ・週休二日制(緊急時を除く)  ・有給休暇 年間二十日  ・皇城内居住区(スイート)の無償提供  ・専属メイド三名、護衛騎士二名の配置  ・被服費、研究費、交際費の全額支給  ・労災保険完備

「……な、なんですか、これは」

 あまりの好待遇に、めまいがした。  王国時代は休みなし、給料は王子の借金返済に消え、住まいは倉庫同然の部屋だった。  ここは天国か? それとも、死ぬ前の夢を見ているのか?

「不服か? ならば休暇を増やそう。週休三日でも構わんが」 「ち、違います! 逆です! 良すぎます! こんな……こんなに大事にされたことなんて、今まで一度もなくて……」

 私の声が震えた。  視界が滲む。  お金が欲しいわけじゃない。楽がしたいわけじゃない。  ただ、自分の存在価値を、労働の価値を、こうして形として認められたことが嬉しかったのだ。  今まで私がやってきたことは、無駄じゃなかった。  それを証明されたようで、胸がいっぱいになった。

「……泣くな」

 不器用な声が聞こえた。  ふわりと、頭に大きな手が乗せられる。  見上げると、ジークハルトが困ったような、でも優しい顔で私の頭を撫でていた。

「貴様は今まで、不当に扱われてきただけだ。……これからは、私が貴様の価値を正しく評価する。誰にも文句は言わせん」

 その手の温かさに、溜め込んでいた涙が決壊した。  私はボロボロと泣いた。  子供のように、声を上げて泣いた。  ジークハルトは何も言わず、私が泣き止むまで、ずっと頭を撫で続けてくれた。

 しばらくして、私が落ち着きを取り戻すと、宰相のフランツが咳払いをした。

「コホン。……陛下、契約内容はともかく、彼女の具体的な業務内容は?」 「うむ。まずは私の『魔力制御』だ。これが最優先事項となる」

 ジークハルトの表情が引き締まる。  彼は上着を脱ぎ、シャツのボタンをいくつか外して胸元を露わにした。  そこには、心臓を中心に広がる、不気味な黒い紋様が浮き出ていた。  魔力過多症の証である『魔刻(スティグマ)』だ。

「さっきのフライトで貴様に調整してもらったおかげで、今は驚くほど楽だ。……だが、これは一時的なものだろう?」 「はい。私のスキルによる調整は、あくまで対症療法です。根本的に魔力の生産量と消費量のバランスを整えるには、定期的なメンテナンスが必要です」

 私は涙を拭い、技術者の顔に戻って答えた。

「おそらく、毎日数分程度の接触による微調整と、週に一度の大規模な循環施術が必要になるかと」 「毎日……接触、か」

 ジークハルトが顎に手を当てて考え込む。  そして、なぜか宰相と顔を見合わせ、ニヤリと笑った。

「なるほど。毎日私に触れる必要がある、ということか。それは……悪くない」 「え?」 「いや、なんでもない。……つまり、貴様は私の側にいなければならないということだ。執務中も、就寝中もな」 「しゅ、就寝中もですか!?」 「魔力暴走は夜間に起きやすい。……寝ずの番をしろとは言わんが、同じ部屋で寝た方が即応性は高いだろう」

 彼は真顔で言っている。  確かに理屈は通っているが、皇帝と同じ寝室? 未婚の男女が?  私が顔を赤くして狼狽えていると、彼は楽しそうに目を細めた。

「冗談だ。隣室を用意してある。壁一枚隔てた隣だ。何かあればすぐに駆けつけられるようにな」

 冗談には聞こえなかったけれど、とりあえずホッとした。   「それともう一つ、貴様に頼みたいことがある」 「なんでしょうか?」 「この皇城、および帝都のエネルギー効率の改善だ。……我が国の魔導師たちは、出力(パワー)を上げることしか知らん。おかげで回路は常にオーバーヒート気味で、燃料である魔石の消費も激しい。貴様の『最適化』スキルで、この無駄を削ぎ落としてほしい」

 それは、私の最も得意とする分野だった。  窓の外の夜景を見る。  一見美しく輝く帝都だが、私の目には、過剰な魔力が漏れ出し、大気中に霧散しているのが見えていた。  配線のノイズ、魔導変換器のロス、結界の歪み。  修正すべき点は山ほどある。

「……やりがいがありそうです」 「だろう? 貴様の好きなようにいじり回していい。予算も人も、好きなだけ使え」

 好きなように、いじり回していい。  その言葉は、技術者魂に火をつけた。  王国では「予算がないから諦めろ」「前例がないからダメだ」と否定され続けてきたアイデアを、ここではすべて試せるのだ。

「やります! 必ず、この国のエネルギー効率を二倍……いえ、三倍にしてみせます!」 「頼もしいな。期待しているぞ、私の魔導技師殿」

 ジークハルトは満足げに頷くと、ペンを取り、契約書に流れるようなサインをした。  そしてペンを私に渡す。  私は震える手でそれを受け取り、自分の名前を書き込んだ。

 『リーゼロッテ・フォン・エーデル』。  最後の文字を書き終えた瞬間、羊皮紙が淡く発光し、契約が成立したことを告げた。

「これで貴様は、正式に私のもの……いや、帝国のものだ」

 彼は立ち上がり、右手を差し出した。  私はその手を握り返す。  大きくて、温かい手。  この手が、私を絶望の淵から救い上げてくれた。  そして今、新しい人生への扉を開いてくれた。

「よろしく頼む、リーゼロッテ」 「はい、よろしくお願いします。ジークハルト陛下……いえ、ジーク様」

 私が少し勇気を出して名前を呼ぶと、彼は一瞬驚いたように目を見開き、それから今日一番の、とびきり柔らかな笑顔を見せた。  氷の皇帝が氷解したような、春の日差しのような笑顔。  それを見た瞬間、私の胸の奥でトクン、と何かが跳ねた。

 その時だった。  お腹が、グゥ~~~と盛大な音を立てたのは。

「あ……」

 静まり返る応接室。  私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。  感動的なシーンが台無しだ。

 ジークハルトは数秒ほど呆気にとられていたが、やがて肩を震わせ、こらえきれないように吹き出した。

「く、くく……はははは! そうか、そうだったな。腹ごしらえがまだだった」 「わ、笑わないでください!」 「すまんすまん。……フランツ、すぐに夕食の用意を。最高級の肉と、新鮮な野菜をたっぷりと。あと、デザートも忘れずにな」 「承知いたしました」

 宰相も口元を綻ばせながら一礼し、退室していく。  ジークハルトは涙を拭いながら、私を見た。

「飾らない女だ。……やはり、貴様を連れてきて正解だったよ」

 彼は本当に嬉しそうだった。  その笑顔を見ていると、恥ずかしさも少しずつ消えていく。

 こうして、私の帝国での最初の一日は、美味しいディナーと、温かいお風呂と、そして何よりも温かい人々の歓迎によって幕を閉じた。  ふかふかのベッドに潜り込んだ時、私は窓の外に見える月を見上げて思った。

 明日は、どんな仕事ができるだろう。  どんな改善案を出そうか。  あそこの魔導回路のバイパス工事は、どう設計しようか。

 明日が来るのが楽しみで仕方がない。  そんな当たり前の幸せを、私はようやく取り戻したのだ。    その頃、遠い王国の王城では、電気がつかない真っ暗な廊下で、アルフォンス王子が柱に小指をぶつけて悲鳴を上げていることなど、知る由もなかった。
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