処刑されるはずの悪役令嬢、なぜか敵国の「冷徹皇帝」に拾われる ~「君が必要だ」と言われても、今さら国には戻りません~

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第4話 冷徹皇帝の意外な素顔

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 ふわり、と雲の上に浮いているような感覚で、私は目を覚ました。  いつもの、わらの匂いがする硬い枕ではない。シルクのように滑らかで、頬に吸い付くような高反発の感触。  目を開けると、高い天井に描かれた美しいフレスコ画と、そこから吊り下げられたシャンデリアが目に入った。

「……あ、そうか。私、帝国に来たんだった」

 寝ぼけた頭で現状を把握するのに、数秒かかった。  窓からは、明るい日差しが差し込んでいる。  遮光カーテンの隙間から漏れる光の粒が、床に敷かれた真紅の絨毯の上で踊っていた。

 体を起こすと、サイドテーブルに置かれた小さな魔導具が、ピピピ、と控えめな電子音を鳴らしていることに気づいた。  昨晩、メイドのリズが教えてくれた『魔導目覚まし時計』だ。  時間をセットしておけば、正確にその時刻に音で知らせてくれる。王国の鐘の音や、鶏の鳴き声に頼る生活とは大違いだ。

「おはようございます、リーゼロッテ様」

 私が起きた気配を察知したのか、音もなく扉が開き、三人のメイドが入ってきた。  先頭にいるのは、昨日私の世話係に任命されたリズだ。栗色の髪を二つに結った、そばかすがチャーミングな少女である。

「おはよう、リズ。……なんだか、すごくよく眠れたわ」 「それは良かったです! 陛下が『彼女には最高の寝具を用意しろ』と仰って、帝国の工房から最高級の『スライム・ウレタン・マットレス』を取り寄せたのですから」 「スライム……ウレタン?」 「はい! どんな体型にもフィットして、体圧を分散してくれる最新素材です」

 帝国の技術力は、寝具にまで及んでいるのか。  感心しながらベッドを降りると、リズたちが手際よく洗面と着替えの準備を始めてくれた。

 洗面所に行って、私はまた驚いた。  蛇口を捻ると、すぐに適温のお湯が出てくるのだ。  王国では、冬場の朝の洗顔といえば、氷のように冷たい水で我慢するか、わざわざ火を起こして湯を沸かすしかなかった。  それがここでは、給湯器に内蔵された火の魔石が瞬時にお湯を作り出し、循環ポンプがそれを蛇口まで送ってくれる。

「なんて……なんて素晴らしいの!」 「え? あ、お湯ですか? 帝都では一般家庭でも普及していますよ」

 リズは不思議そうな顔をしているが、私にとっては魔法のような――いや、文字通りの魔法技術なのだが――感動体験だった。  顔を洗い、鏡を見る。  そこには、昨日の薄汚れた囚人の姿はなかった。  肌には血色が戻り、目の下の隈も薄くなっている。髪もツヤを取り戻し始めていた。  たった一晩、ストレスから解放されて熟睡しただけで、人はこれほど変わるものなのか。

「リーゼロッテ様、本日のドレスはこちらをご用意いたしました」

 リズが差し出したのは、淡いブルーのデイドレスだった。  過度な装飾はないが、生地の質が良く、動きやすそうだ。  私が「魔導技師として働くから、あまり裾が長いのは困る」と伝えておいたのを、きちんと考慮してくれている。

 着替えを終え、朝食をどうしようかと思っていると、廊下の方が何やら騒がしいことに気づいた。  ドタドタという慌ただしい足音。  そして、焦ったような話し声。

「どうしたのかしら?」

 私が扉を開けて顔を出すと、廊下の向こうから宰相のフランツが早足で歩いてくるのが見えた。  いつも冷静沈着な彼が、珍しく血相を変えている。

「あ、リーゼロッテ殿! 起きておられましたか!」 「フランツ様、おはようございます。何かあったのですか?」 「何かあったどころではありません! へ、陛下が……ジークハルト陛下が、起きてこられないのです!」

 私は首を傾げた。  今は朝の八時。皇帝の起床時間としては少し遅いかもしれないが、騒ぐほどのことだろうか。

「ただの寝坊……ではありませんか?」 「とんでもない! 陛下は即位以来、一日たりとも寝坊などされたことがありません。それどころか、魔力過多の激痛のせいで、夜も二時間以上続けて眠ることができないお方なのです。毎朝五時には執務室にいらして、書類仕事を始めているのが常でして……」

 フランツの声が震えている。   「なのに今日は、八時を過ぎても寝室から応答がない。ノックをしても返事がない。……もしや、就寝中に魔力が暴走して、意識を失っておられるのではと……」 「えっ、それは大変!」

 私は昨日のジークハルトの苦しむ姿を思い出した。  私の調整で痛みは引いたはずだが、効果が切れて再発した可能性もある。

「ご安心ください、すぐに見に行きます! 部屋は隣ですから!」 「お願いします! 我々では魔力の障壁に阻まれて、うかつに近づけないのです!」

 私はスカートの裾を掴んで走り出した。  隣室と言っても、皇城の廊下は長い。  数十メートル先の巨大な黒檀の扉の前には、近衛騎士たちが不安そうに立ち尽くしていた。  私が近づくと、彼らは敬礼をして道を空けてくれた。昨日の今日で、すでに「皇帝が連れ帰った凄腕の魔導師」という噂が広まっているらしい。

 私は扉の前に立ち、深呼吸をしてから、そっと手を触れた。  鍵はかかっているが、魔力認証式だ。  昨日の契約の際、私の魔力波長も登録されているはず。

 カチャリ。  重厚なロックが解除される音がした。  私はノブを回し、部屋の中へと滑り込んだ。

「ジーク様! 大丈夫ですか!?」

 叫びながら寝室に飛び込んだ私は、そこで足を止めた。  予想していた惨状――魔力の暴風が吹き荒れ、家具が壊れ、皇帝が苦悶している光景――は、そこにはなかった。

 代わりにあったのは、静寂。  そして、規則正しい寝息の音だけだった。

 部屋の中央にあるキングサイズの天蓋付きベッド。  そこに、ジークハルトが横たわっていた。  布団を蹴飛ばすこともなく、行儀よく仰向けになり、深い呼吸を繰り返している。

 私は忍び足でベッドに近づき、彼の顔を覗き込んだ。

「……寝てる」

 それも、泥のように深く。  普段の、あの人を射殺すような鋭い眼光は瞼の下に隠されている。  眉間の皺も消え、力の抜けたその表情は、驚くほど幼く見えた。  長い睫毛が頬に影を落とし、少し開いた唇からは、スースーと安らかな寝息が漏れている。

 これが、あの「氷の皇帝」?  世界中を震え上がらせる覇王の寝顔が、こんなに無防備だなんて。

(魔力も、安定しているわ)

 私はそっと彼の手首に触れて診察した。  脈拍は正常。体温も平熱。  体内の魔力循環は、昨日の私の調整がまだ効いているようで、穏やかなせせらぎのようにスムーズに流れていた。  痛みがないから、起きる理由がなかったのだ。  ただ単純に、溜まりに溜まった睡眠負債を返済するように、体が眠りを貪っていただけなのだろう。

 ホッとして、力が抜けた。  私はベッドの脇に膝をつき、彼の寝顔をしばらく眺めていた。

 整った顔立ちだ。  黙っていれば、絵本に出てくる王子様そのものなのに。  起きている時は、その威圧感と不器用な言動のせいで損をしている気がする。

 ふと、いたずら心が芽生えた。  いつも偉そうな彼の頬を、ちょっとだけつついてみたくなる。  私は人差し指を伸ばし、彼の頬をぷに、と押してみた。  意外と柔らかい。

「……ん……」

 ジークハルトが身じろぎした。  私は慌てて手を引っ込める。  彼の瞼がゆっくりと持ち上がった。  焦点が定まらない、とろんとした青い瞳が、私を映す。

「……天使……か?」

 寝ぼけた声で、彼はポツリと呟いた。

「へ?」 「ああ……迎えに来たのか。……いい気分だ。こんなに深く眠れたのは、生まれて初めてだ……」

 彼は夢見心地のまま、私の手を握り、自分の頬に擦り寄せた。  猫が甘えるような仕草。  私は心臓が爆発しそうになった。

「あ、あの、ジーク様!? 私です、リーゼロッテです! 起きてください!」 「……リーゼロッテ?」

 その名を聞いた瞬間、彼の瞳に理性の光が戻った。  彼はハッと目を見開き、自分の状況を確認し、そして私の手を握っている自分の手を見て、最後に私の真っ赤な顔を見た。

「う、わあああああああっ!?」

 ガバッ! と、彼は勢いよく上半身を起こした。  そのあまりの勢いに、ベッドがきしむ。  彼は顔を真っ赤にして、布団を胸まで引き上げ、まるで純潔を奪われそうになった乙女のような反応を見せた。

「き、貴様、いつからそこにいた!? い、今の……今の私は、何か変なことを口走ってはいなかったか!?」 「ええと、『天使か』とおっしゃっていました」 「わーーーーっ!! 忘れろ! 今すぐ記憶を消去しろ! これは命令だ!」

 ジークハルトは頭を抱えて悶絶した。  昨日の冷徹皇帝はどこへ行ったのか。  私はおかしくて、クスクスと笑ってしまった。

「おはようございます、ジーク様。ぐっすり眠れたようで何よりです」 「……ああ。……おはよう」

 彼はバツが悪そうに咳払いをし、ようやく落ち着きを取り戻した。  そして、窓の外の明るさに気づき、壁掛け時計を見た。

「八時半……!? 馬鹿な、私が八時間以上も眠り続けたというのか?」 「はい。フランツ様たちが心配して大騒ぎしていましたよ。倒れられたのではないかと」 「……信じられん」

 ジークハルトは自分の手のひらを見つめ、握ったり開いたりした。

「痛くない。……朝起きた時に、全身を焼くようなあの気だるさが、全くない。頭もクリアだ」

 彼は感動に震える声で言った。  そして、改めて私に向き直ると、真剣な眼差しを向けた。

「リーゼロッテ。……礼を言う。貴様のおかげだ」 「いえ、それが私の仕事ですから」 「仕事以上の成果だ。……これは、その、詫びと礼だ」

 彼はサイドテーブルの引き出しを開け、小さな包みを取り出した。  綺麗なリボンがかけられた、可愛らしい小箱だ。

「これは?」 「『ル・レーヴ』のマカロンだ。……帝都で一番人気の菓子屋のものらしい。昨晩、フランツに手配させた」 「えっ、あの幻の洋菓子店と言われる『ル・レーヴ』ですか!?」

 私は思わず声を上げた。  『ル・レーヴ』のマカロンといえば、王国の貴族令嬢たちの間でも伝説となっていた逸品だ。完全予約制で、手に入れるには数ヶ月待ちとも言われている。  それを、一晩で?

「貴様ら女子は、甘いものが好きだろう? ……口に合うかわからんが、食べてくれ」

 彼はそっぽを向いて言ったが、その耳はやっぱり赤かった。  私が喜ぶ顔を想像して、わざわざ用意してくれたのだろうか。  胸の奥が温かくなる。

「ありがとうございます! すごく嬉しいです!」 「ふん。……さあ、行くぞ。着替えたら朝食だ。その後、貴様を『職場』へ案内する」

 彼は照れ隠しのように立ち上がり、バスルームへと消えていった。  残された私は、小箱を胸に抱きしめ、しばらくニマニマと笑っていた。

 朝食――それはまた別の驚きだったが、割愛しよう。  とにかく焼きたてのパンと、とろけるようなオムレツが絶品だったことだけは記しておく。

 食後、ジークハルトに連れられて向かったのは、皇城の地下にある『帝国魔導中央制御室』だった。  巨大な鉄の扉が開くと、そこにはSF映画に出てくるような光景が広がっていた。  壁一面に設置された巨大な魔導スクリーン。そこに映し出される無数の数値とグラフ。  部屋の中央には、青白く輝く巨大な魔石『魔導コア』が鎮座し、低い唸りを上げている。  数十人の魔導師たちが、白衣を着て忙しなく動き回っていた。

「全員、手を止めろ!」

 ジークハルトの一声で、喧騒がピタリと止む。  全員が直立不動の姿勢を取り、皇帝に敬礼した。

「紹介する。今日からこの制御室のチーフ・アドバイザーに就任する、リーゼロッテ・フォン・エーデルだ」

 ジークハルトが私を前に押し出す。  数十対の視線が、一斉に私に突き刺さった。  その視線には、好奇心よりも、明らかな「疑念」と「反発」の色が混じっていた。

「……陛下。お言葉ですが、彼女は敵国である王国の貴族ではありませんか?」

 進み出てきたのは、神経質そうな顔つきの中年男性だった。  胸に『筆頭魔導技師』を示す金のバッジをつけている。

「それに、見たところ魔力も微弱だ。我々エリートが集うこの制御室で、彼女のような小娘に何ができるというのです?」

 彼の言葉に、周囲の魔導師たちも同調するように頷く。  無理もない反応だ。彼らは帝国の厳しい選抜を勝ち抜いてきたプライドの高い技術者たちなのだから。

 ジークハルトが不機嫌そうに眉をひそめ、何か言い返そうとした時だった。  私は一歩前に出て、筆頭魔導技師の目を真っ直ぐに見つめた。

「自己紹介が遅れました。リーゼロッテです。……あなたが仰る通り、私の魔力は微弱です。攻撃魔法も使えません」 「はっ、ならば即刻お引き取り願いたい。ここは戦場なのだよ、お嬢さん」 「ですが」

 私は言葉を遮り、部屋の中央にある巨大なスクリーンを指差した。  そこに表示されているのは、帝都全体のエネルギー供給グラフだ。

「現在、第三区画の魔力供給ラインに、3%のロスが発生していますね。原因は不明とされていますが……」 「なっ、なぜそれを!? それは今朝発生したばかりのエラーだぞ!」 「グラフの波形を見れば分かります。……そして、その原因は、地下水路の浄化ポンプの魔術式と、街灯の自動点灯システムが干渉し合っているからです。両方の周波数が近似値で同期してしまい、共鳴ノイズが発生しています」

 私は淡々と指摘した。

「解決策は簡単です。街灯システムの周波数を0.5ヘルツずらしてください。それだけでノイズは消え、ロスはゼロになります。ついでに、ポンプの冷却水循環サイクルを今の1.2倍に上げれば、全体の効率は5%向上するはずです」

 シン、と静まり返る室内。  筆頭魔導技師は、半信半疑の顔で部下に指示を出した。

「……おい、やってみろ」 「は、はい! ……周波数を修正……冷却サイクルを変更……」

 部下がコンソールを操作する。  数秒後。  スクリーン上のグラフが、劇的に変化した。  乱れていた波形が一直線に整い、赤く点滅していたエラー表示がすべて緑色の「正常」に変わったのだ。

「う、嘘だろ……? ロスが……完全に消えた?」 「それどころか、供給効率が6%も上がっています! たった数秒の調整で!?」

 ざわめきが驚愕へと変わる。  筆頭魔導技師は、口をパクパクさせながら私とスクリーンを交互に見ていた。

「こ、こんな複雑な干渉を、一目で……? 計算もなしに?」 「頭の中で計算しましたから。……この程度の式なら、暗算で十分です」

 私はにっこりと微笑んだ。  王国で鍛えられた私の脳内計算機は、伊達ではない。予算不足の中、もっと複雑で理不尽なパズルを解き続けてきたのだ。

「す、すごい……」 「女神様だ……いや、魔導の申し子か?」

 先ほどまでの敵意はどこへやら。  魔導師たちの目は、今や尊敬と畏怖の眼差しに変わっていた。

 ジークハルトが、満足げに私の肩を抱いた。

「言っただろう。彼女は私が認めた天才だ、と。……どうだ、まだ文句のある奴はいるか?」

 誰も何も言わなかった。  全員が深々と頭を下げた。それは、新しい上司への、心からの服従の礼だった。

 こうして、私の「魔導技師」としての帝国デビューは、華々しい成功を収めたのだった。    ……その頃。  私が去った後の王国では、静かに、しかし確実に崩壊の足音が近づいていた。

 王城の執務室。  アルフォンス王子は、山積みになった書類の前で頭を抱えていた。

「おい! まだ終わらんのか! この決裁書類は昨日までだと言っただろう!」 「も、申し訳ありません殿下! ですが、計算が合いません! どこをどう計算しても、予算が足りないのです!」

 文官たちが悲鳴を上げている。  部屋の明かりは薄暗く、暖房も効いていないため、室内だというのに吐く息が白い。

「ええい、役立たずどもめ! リーゼロッテなら、これくらい半日で終わらせていたぞ!」

 王子が怒鳴り散らし、書類を投げつける。  その言葉が、ブーメランのように自分に返ってきていることに、彼はまだ気づいていなかった。

「……くそっ、なぜだ。なぜ何もかもうまくいかない……!」

 王子の苛立ちは募るばかり。  そして、窓の外では、王都を護る結界の輝きが、蛍の光のように弱々しく明滅を始めていた。

 破滅へのカウントダウンは、もう始まっている。
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