処刑されるはずの悪役令嬢、なぜか敵国の「冷徹皇帝」に拾われる ~「君が必要だ」と言われても、今さら国には戻りません~

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第20話 戴冠式と永遠の誓い

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 その日は、ガルガディア帝国の歴史書に、最も輝かしい一日として刻まれることになる日だった。  雲ひとつない蒼穹。  帝都アイゼンガルドの街並みは、朝から祝祭の興奮に沸き立っていた。  街路樹には色とりどりのリボンが飾られ、すべての建物の窓から帝国旗が振られている。  工場の蒸気さえも、今日は特別に色付けされた七色の煙となって空に昇り、まるで虹のアーチを描いているようだった。

 皇城の「白薔薇の間」。  私は大きな姿見の前で、最後のお支度を整えていた。

「……はぁ。緊張で胃が痛くなりそう」

 私が小さく呟くと、専属メイドのリズが笑いながら背中のリボンを結んでくれた。

「何を仰いますか、リーゼロッテ様。昨日の夜は『楽しみで眠れない』って、子供みたいに目を輝かせていらしたのに」 「それはそうだけど……。だって、これほど大掛かりな式典になるなんて聞いていなかったもの」

 私が身に纏っているのは、帝国の威信と技術の粋を集めて作られた、純白のウェディングドレスだ。  素材は、南方の幻獣から採取されたという「月光シルク」。  その名の通り、光を浴びると淡く発光し、動くたびに流れるようなドレープが幻想的な輝きを放つ。  胸元と袖口には、無数のダイヤモンドと真珠が、雪の結晶のような幾何学模様を描いて縫い付けられている。  そして何より特徴的なのは、長いトレーン(裾)だ。  五メートルにも及ぶその布地には、防御結界と浮遊魔法の術式が金糸で刺繍されており、見た目の重厚さとは裏腹に、驚くほど軽く、歩くたびにふわりと宙を舞うように設計されている。

「リーゼロッテ様、メイクも完璧です。……本当に、お綺麗です」

 リズがうっとりとため息をついた。  鏡の中の私は、自分でも見惚れるほど美しく変身していた。  透き通るような肌、紅を差した唇、そして期待と決意に満ちた瞳。  かつて王国の地下牢で薄汚れていた「悪役令嬢」の面影は、もうどこにもない。

 コンコン、と控えめなノックの音がした。

「……リーゼ。入ってもいいかい?」

 父の声だ。  扉が開くと、正装に身を包んだ両親が入ってきた。  父は私を見た瞬間、目を見開き、そしてすぐに手で口元を覆った。

「う……うぅ……っ」 「まあ、あなたったら。まだ式も始まっていないのに」

 母が苦笑しながら、ハンカチを父に渡す。  父は涙ぐみながら、震える声で言った。

「綺麗だ……。本当に綺麗だ、リーゼ。……世界一の花嫁だよ」 「お父様、泣かないでください。メイクが崩れてしまいます」 「だって……お前がこんなに立派になって……。あの国で苦労ばかりかけてしまった分、これからは世界で一番幸せにならなきゃいけないんだぞ……」

 父の不器用な愛情に、私も涙腺が緩みそうになる。  私は深呼吸をして、涙をこらえた。  今日は「嬉し涙以外流させない」という、ジークハルトとの約束の日なのだから。

「ありがとうございます、お父様、お母様。……私、絶対に幸せになります」 「ええ。……ジークハルト陛下なら安心よ。あの方は、あなたのことを誰よりも大切に思ってくださっているもの」

 母が優しく私の頬を撫でてくれた。  その手の温かさを胸に刻み、私は立ち上がった。

「さあ、行きましょう。……私の皇帝陛下が待っています」

 ◇

 式典の会場となるのは、皇城に隣接する「聖ガルガディア大聖堂」。  数千人を収容できる巨大なゴシック様式の建築物だ。  その長いバージンロードを、私は父の腕に支えられて歩き出した。

 パイプオルガンの荘厳な音色が、高い天井に響き渡る。  ステンドグラスからは、極彩色の光が降り注ぎ、堂内を神聖な空気で満たしている。  参列席には、帝国の貴族たち、軍の高官たち、そして周辺諸国の王族や使節たちがずらりと並んでいた。  彼らは一斉に立ち上がり、私に向かって敬意を表して頭を下げる。  その視線には、かつてのような侮蔑や憐れみは微塵もない。  あるのは、帝国の繁栄を支える「叡智の女神」への、純粋な崇敬の念だけだった。

(……不思議ね)

 私は一歩一歩踏みしめながら、過去を思い出していた。  あの日。王国の処刑台へと向かったあの日。  足元は砂利道で、浴びせられるのは罵声と石ころだった。  隣には誰もいなかった。  絶望と孤独だけが、私の友達だった。

 けれど、今は違う。  足元には真紅の絨毯。浴びせられるのは祝福の拍手と花びら。  隣には頼もしい父がいて、そしてその先には――

 祭壇の前。  光の中に、彼が立っていた。

 ジークハルト・ヴォルフ・ドラグーン。  漆黒ではなく、今日は純白の軍礼装に身を包んでいる。  肩には皇帝の象徴である真紅のマント。腰には国宝の聖剣。  その姿は、この世の誰よりも気高く、美しく、そして強そうだった。

 彼は私を認めると、その氷のような青い瞳を、陽だまりのように細めた。  その表情を見た瞬間、私の緊張はすべて溶けて消えた。  ああ、大丈夫だ。  あの人がいる。  それだけで、世界は完璧なのだから。

 父の足が止まる。  ジークハルトが一歩進み出て、父に向かって深く一礼した。  皇帝が、一介の公爵に頭を下げる。  会場から、小さなどよめきが起きた。  しかし、ジークハルトは意に介さず、父の手から私の手を受け取った。

「……娘を、頼みます」 「我が命に代えても」

 短く、しかし重い誓いが交わされる。  父は涙を堪えて頷き、席へと戻っていった。  私の手は、ジークハルトの大きな手に包み込まれた。  温かい。  魔力過多症の冷たさはもうない。健康で、力強い、人間の体温だ。

「……待たせたな」 「いいえ。……迎えに来てくれて、ありがとうございます」

 私たちは並んで祭壇へと進んだ。  司教が、厳かに聖書を開く。

「汝ら、神と精霊の御前において、永遠の愛を誓うか」

 形式的な問いかけ。  しかし、ジークハルトは司教の言葉を遮るように、私のほうを向いた。

「神になど誓わない」

 彼の声が、大聖堂に朗々と響く。

「私は、私自身の魂にかけて誓う」

 彼は私の両手を握りしめ、真っ直ぐに瞳を覗き込んだ。

「リーゼロッテ。……貴様は私の光だ。凍てついた心を溶かし、暗闇を照らしてくれた唯一の存在だ」

 彼の言葉一つ一つが、魔力となって空気を震わせる。

「私が皇帝である限り……いや、私が私である限り、貴様を愛し、守り、敬うことを誓おう。……貴様が笑えば世界は輝き、貴様が泣けば世界は凍る。それほどまでに、貴様は私の全てだ」

 なんて情熱的で、そして重い愛の言葉だろう。  参列者の中には、感動ですすり泣く貴婦人たちの姿も見えた。  私は胸がいっぱいになりながら、精一杯の愛を込めて答えた。

「私も、誓います。……ジークハルト様」

 私は彼を見つめ返した。

「貴方が寒さに震える夜は、私が暖めます。貴方が道に迷う時は、私が照らします。貴方の背中を守り、貴方の隣で共に歩み続けることを誓います」

 私は少し悪戯っぽく微笑んだ。

「貴方は最強の皇帝ですが、私にとっては、ただ一人の愛する『ジーク』です。……一生、私のメンテナンスを受けてもらいますからね?」 「……望むところだ」

 ジークハルトは破顔し、私を引き寄せた。  司教が慌てて「ち、誓いの口づけを……」と言う前に、私たちの唇は重なっていた。

 その瞬間。  ドォォォォンッ!!

 大聖堂の鐘が一斉に鳴り響いた。  それだけではない。  天窓から差し込む光が、七色のオーロラとなって堂内を満たしたのだ。  それは演出ではない。  ジークハルトの喜びの魔力と、私の幸福の魔力が共鳴し、奇跡のような光景を作り出したのだ。

「おお……なんと美しい……」 「精霊の祝福だ!」

 光の粒子が雪のように舞い散る中、私たちは長い口づけを交わした。  世界が祝福している。  私たちの新しい門出を。

 ◇

 式の後は、皇城のバルコニーでの「お披露目」だ。  私たちが姿を現すと、広場を埋め尽くした十万の民衆から、大地を揺るがすほどの大歓声が上がった。

「皇帝陛下万歳!!」 「皇后陛下万歳!!」 「ガルガディア帝国に栄光あれ!!」

 ジークハルトが手を挙げると、歓声がさらに大きくなる。  彼は私を前に押し出し、肩を抱いて言った。

「見ろ、リーゼロッテ。……これが、私たちが守るべき国だ」

 眼下には、平和で豊かな帝都の風景が広がっている。  かつて私が夢見ていた「誰もが笑って暮らせる国」が、ここにある。

「……はい。とても綺麗です」 「だが、これで完成ではない。……貴様が作る学校から、新しい技術者たちが巣立ち、この国をもっと豊かにしていく。私たちはその礎(いしずえ)を作るのだ」

 彼は未来を見据えていた。  ただ領土を広げるだけの覇王ではなく、国を育てる名君としての顔。  その横顔を見て、私は改めて惚れ直した。

「ジーク。……私、今、すごく幸せです」 「……知っている」

 彼は私を見て、ニヤリと笑った。

「貴様の顔を見れば分かる。……私も同じだ」

 そう言って、彼は民衆の前にもかかわらず、再び私にキスをした。  今度は頬に、軽く、愛おしむように。  広場から、冷やかしと祝福の口笛が嵐のように巻き起こった。

 ◇

 夜。  祝賀パーティも終わり、私たちはようやく二人きりになった。  場所は、皇城の最上階にある皇帝の私室。  窓からは、祝砲の魔法花火が夜空を彩っているのが見える。

 私は重たいドレスを脱ぎ、軽やかなナイトガウンに着替えていた。  ジークハルトもまた、軍服を脱ぎ、リラックスした姿でソファに座り、ワイングラスを傾けている。

「……疲れたか?」 「少しだけ。……でも、心地よい疲れです」

 私は彼の隣に座り、肩に頭を預けた。  彼は自然に私の腰に手を回し、引き寄せる。

「今日は、いい式だったな」 「はい。……お父様ったら、最後はずっと泣きっぱなしでしたけど」 「フランツも泣いていたぞ。……あいつ、意外と涙脆いからな」

 私たちはクスクスと笑い合った。  静かな、満ち足りた時間。  時計の針が、深夜零時を回ろうとしている。

「……リーゼロッテ」

 ジークハルトが真面目な声で私を呼んだ。

「ん?」 「改めて、礼を言う」

 彼はグラスを置き、私の両手を取った。

「貴様を拾ったあの日……処刑台の上で震えていた貴様を見つけたあの日が、私の人生で最高の幸運だった」

 彼の瞳が、花火の光を受けて揺らめく。

「あの時、私はただ便利な道具を手に入れたつもりだった。……だが、貴様は私の予想を遥かに超えて、私に『心』というものを教えてくれた」 「……ジーク」 「貴様がいなければ、私は今もただの『氷の皇帝』だっただろう。……貴様が私を人間に戻してくれたのだ」

 彼の言葉に、胸が熱くなる。  それは私の台詞でもあった。  彼がいなければ、私は今も「都合のいい女」として搾取され、最後には捨てられていただろう。  彼が私を「誇り高い女性」にしてくれたのだ。

「私の方こそ、感謝しています。……私を見つけてくれて、私を必要としてくれて、ありがとう」

 私は彼の手のひらに頬を擦り寄せた。

「『君が必要だ』と言われても、今さら国には戻りません。……だって、私が必要な場所は、ここにあるのですから」

 私がかつての決め台詞を口にすると、彼は満足げに頷いた。

「ああ。……ここが貴様の国であり、貴様の家だ。そして、私の胸の中こそが、貴様の安住の地だ」

 ジークハルトは私を抱き上げ、寝室のベッドへと運んだ。  天蓋のレース越しに、月明かりが差し込んでいる。

「愛している、リーゼロッテ。……これから先、何百年経っても」 「私も愛しています、ジーク。……永遠に」

 私たちは口づけを交わし、互いの温もりの中に溶けていった。  窓の外では、最後の花火が大きく打ち上がり、夜空に大輪の花を咲かせた。  それは、私たちの物語のハッピーエンドを祝うファンファーレであり、これから始まる長い長い幸せな日々の、始まりの合図でもあった。

 処刑されるはずだった悪役令嬢は、敵国の冷徹皇帝に拾われ、そして世界で一番幸せな皇后となった。  その伝説は、ガルガディア帝国の歴史の中で、いつまでも語り継がれていくことになるだろう。

 【完】
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