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第19話 祖国の崩壊(ざまぁ完結)
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帝国ガルガディアの首都、アイゼンガルド。 鉄と蒸気と魔導の都は今、かつてない熱狂の渦に包まれていた。 空を覆うほどの紙吹雪。 建物の窓という窓から振られる小旗。 そして、地響きのような歓声。
「皇帝陛下万歳!!」 「リーゼロッテ様万歳!!」 「我らが女神のお帰りだぁぁぁッ!!」
国境での会談を終え、帰還した私たちを迎えたのは、帝都市民総出の大凱旋パレードだった。 メインストリートをゆっくりと進むのは、屋根のない特注の魔導リムジン。 私はジークハルトの隣に座り、沿道の人々に手を振り続けていた。
「すごい……。本当に、街中のみんなが出てきているみたい」
私は圧倒され、呟いた。 視界の端から端まで、笑顔、笑顔、笑顔。 老人も、若者も、子供たちも、誰もが目を輝かせてこちらを見ている。 彼らの瞳に映っているのは、恐怖の対象としての支配者ではない。 自分たちの生活を豊かにし、未来を守ってくれる「希望の象徴」としての私たちだった。
「当然だ。……貴様は彼らにとって、冬の寒さを消し去り、夜の闇を照らした英雄なのだからな」
ジークハルトは満足げに頷き、私の腰に回した手に力を込めた。 彼は普段、人前では威厳を崩さない皇帝だが、今日ばかりは表情が緩んでいる。 時折、わざとらしく私に顔を寄せ、耳打ちするふりをして頬にキスをしたりするものだから、そのたびに沿道から「キャーッ!」という黄色い悲鳴が上がる。
「ジ、ジーク! 公衆の面前ですよ!」 「構わん。……見ろ、国民も喜んでいる」 「それはそうですけど……恥ずかしいです」 「慣れろ。……貴様はこれから、この国の『顔』になるのだからな」
彼は悪びれもせず、さらに私を引き寄せた。 もう、この人は。 でも、その強引さが、今は心地よかった。
後ろの車両には、私の両親が乗っている。 父と母もまた、信じられないものを見るような顔で、この光景を眺めていた。 かつて祖国では「罪人の一族」として石を投げられそうになった彼らが、ここでは国賓級の扱いを受け、花束を投げ入れられているのだ。
「夢のようだ……。これが、リーゼが築いた信頼なのか」 「あの子、本当に幸せになったのね……」
母が涙を拭っているのが見え、私も思わず目頭が熱くなった。 私の選択は間違っていなかった。 ここが、私の本当の居場所なのだ。
◇
パレードが終わり、皇城に戻った数日後。 私は王城の温室で、久しぶりにゆったりとしたティータイムを楽しんでいた。 ガラス張りの天井からは柔らかな日差しが降り注ぎ、私が品種改良を手伝った「魔導バラ」が、季節外れの大輪の花を咲かせている。 テーブルには、香り高いアールグレイと、焼きたてのスコーン。 平和そのものの午後だ。
「……失礼いたします、リーゼロッテ様」
静かに現れたのは、フランツ宰相だった。 彼は一礼すると、分厚いファイルをテーブルに置いた。
「ルミナス王国……いえ、『ルミナス準州』に関する、最終報告書がまとまりました」 「ありがとうございます、フランツ様。……座って、一緒にいかがですか?」 「では、お言葉に甘えて」
フランツは席に着き、メイドが淹れた紅茶を一口飲んでから、淡々と報告を始めた。
「まず、旧王国の統治機構についてですが、完全に解体されました。現在は帝国から派遣された総督と、現地で選出された市民代表による評議会が行政を行っています」 「混乱はありませんか?」 「当初はありましたが、帝国の食料支援とインフラ復旧が迅速に行われたため、民衆の支持は圧倒的です。……皮肉なことに、王政時代よりも今のほうが『王都』らしい活気を取り戻していますよ」
フランツは苦笑した。 王家が消えたことで、無駄な税金や宮廷費がなくなり、その分が民衆に還元されたのだ。 私がかつて必死で帳尻を合わせていた「王子の浪費」というブラックホールが消滅したのだから、財政が健全化するのは当然のことだった。
「そして……旧王族および貴族たちの『その後』についてですが」
フランツの声が、少し低くなった。 私はティーカップを置き、居住まいを正した。
「お願いします。……すべて、聞かせてください」
私がここでのほほんと幸せを噛み締めている間に、彼らがどうなったのか。 それを知ることは、私の最後の義務だと思った。
「まず、フリードリヒ元国王ですが……王位を剥奪され、地方の小さな屋敷に隠居させられました。年金は支給されていますが、平民の平均的な生活費と同額です」 「まあ。……あの贅沢好きのお義父様……いえ、元国王には厳しい生活でしょうね」 「はい。メイドも執事もおりませんので、自分で薪を割り、掃除をしているそうです。……先日は『腰が痛い』と泣き言を言って、近所の農夫に怒鳴られたとか」
想像して、少しおかしくなった。 でも、それが「普通」の暮らしなのだ。彼は今、人生で初めて「生きるための労働」を学んでいるのだろう。
「次に、取り巻きだった貴族たちですが……彼らの領地と財産はすべて没収され、平民の身分に落とされました。彼らは今、かつて自分たちが見下していた職業……道路工事の作業員や、公衆浴場の清掃員として働いています」 「不満分子になって、反乱を起こす恐れは?」 「ありません。……彼らは無能すぎました。剣も握れず、魔法も使えず、ただ家柄に胡座をかいていただけの連中ですから、日々のパンを稼ぐのに精一杯で、反逆を企てる気力など残っていませんよ」
フランツは冷徹に切り捨てた。 そして、ページをめくった。
「最後に……アルフォンス元王子と、マリア元男爵令嬢についてです」
私は無意識に息を止めた。
「アルフォンスは、国境での事件の後、精神に異常をきたし、現在は帝国の北端にある孤島の療養所に収容されています」 「……療養所、ですか」 「聞こえはいいですが、実質的な終身監獄です。……彼は一日中、独房の壁に向かって『私は王だ』『リーゼロッテが迎えに来る』と呟き続けています。時折、発作を起こして暴れますが、強力な魔導拘束具のおかげで、自傷行為もできません」
廃人。 かつて煌びやかな衣装を纏い、次期国王として振る舞っていた彼が、今は冷たい石の壁に囲まれ、自分の妄想の中だけで生きている。 それは、死ぬよりも辛い、終わりのない罰なのかもしれない。
「……マリアは?」 「彼女は、北の魔石鉱山へ送られました。……借金の返済のため、選炭婦として働いています」 「選炭婦……。過酷な重労働ですね」 「はい。氷点下の寒さの中、一日十二時間、泥と煤にまみれて魔石を選別する仕事です。……かつての愛らしい容姿は見る影もなく、手はひび割れ、髪は白髪交じりの老婆のようになったとの報告です」
フランツは一枚の魔導写真を取り出した。 そこには、薄汚れた作業着を着て、うつろな目でカメラを見つめる女性が写っていた。 かつて私を嘲笑い、王子の腕の中で勝ち誇っていたマリアの面影は、そこには微塵もなかった。
「彼女は毎日泣きながら、『ドレスが欲しい』『お菓子が食べたい』と訴えているそうですが……誰も相手にしません。ここでは『働かざる者食うべからず』が鉄則ですから」
報告が終わった。 フランツはファイルを閉じ、私の様子を窺うように見た。
「……いかがなさいましたか、リーゼロッテ様」 「え?」 「同情……されますか?」
私は視線を庭のバラに戻した。 美しく咲き誇る花々。 そして、手元の紅茶。 一口飲むと、ベルガモットの香りが鼻腔をくすぐった。
「……いいえ」
私は静かに首を振った。
「同情はしません。……彼らは、自分たちが撒いた種を刈り取っているだけですもの」
もし私が彼らを助ければ、彼らはまた同じことを繰り返すだろう。 他人に寄生し、搾取し、感謝もせずに当たり前のように振る舞う。 彼らに必要なのは救済ではなく、自分の足で立ち、自分の罪と向き合う時間なのだ。
「そうですか。……やはり、貴女は強い」 「強くなんてありません。……ただ、もう彼らのことで心を乱すのは『もったいない』と思っただけです」
私は微笑んで、スコーンを手に取った。 サクッとした食感と、バターの風味。 美味しい。 この平穏な日常こそが、私が勝ち取った勝利の証だ。 遠い北の地で凍えている彼らのことを思うと、今の温かさがより一層、尊いものに感じられた。
◇
祖国の件が完全に片付いたことで、私は新しいプロジェクトに本腰を入れることができるようになった。 それは、ジークハルトと約束した「技術学校」の設立だ。
数日後、私は帝都の郊外にある建設予定地を訪れていた。 そこはかつて荒れ地だったが、今は基礎工事が進み、校舎の骨組みが見え始めている。
「ここが玄関ホールで、あっちが実習棟になります!」
案内してくれたのは、以前ランプの改良を手伝ってくれた若手技師たちだ。 彼らもまた、私の夢に共感し、ボランティアで設計に参加してくれている。
「リーゼロッテ様!」
遠くから子供たちの声が聞こえた。 難民キャンプから移住してきた子供たちだ。彼らは新しい制服(まだ試作品だが)を着て、目を輝かせて駆け寄ってきた。
「見て見て! 僕、魔導エンジンの模型を組み立てたんだ!」 「私は計算ドリル、全部終わったよ!」
子供たちが口々に成果を報告してくれる。 彼らの多くは魔力を持たないか、あるいは微弱すぎて、これまでは「落ちこぼれ」扱いされてきた子たちだ。 でも、ここでは違う。 魔力がなくても、知識と技術があれば、魔導具を作ることができる。社会の役に立つことができる。 そのことを知った彼らの瞳は、希望に満ち溢れていた。
「すごいわね。……この調子なら、みんな私より優秀な技師になれるわ」 「えへへ、リーゼロッテ様みたいになりたい!」 「僕、将来は皇帝陛下のために戦車を作るんだ!」
無邪気な笑顔。 この子たちの未来を守ること。 それが、私の新しい使命だ。 かつて私がたった一人で背負っていた重荷は、今はこうして多くの仲間や、次世代の希望と分かち合うことができる。
「……いい顔をしているな」
不意に、背後から抱きすくめられた。 ジークハルトだ。 彼は公務の合間を縫って、視察に来てくれたのだ。
「ジーク! 子供たちが見ていますよ」 「構わん。……未来の生徒たちに、夫婦円満な姿を見せるのも教育の一環だ」
彼は平然と言ってのけ、子供たちに向かって手を振った。 子供たちは「ワーッ! 皇帝陛下だ!」「ラブラブだー!」と大はしゃぎだ。 いつの間にか、彼は子供たちにとっても「怖い皇帝」から「頼れるお兄ちゃん(時々お父さん)」のような存在になっていた。
「順調そうだな、学校建設は」 「はい。……来年の春には開校できそうです」 「そうか。……なら、校長は貴様がやれ」 「えっ、私がですか? 名誉校長とかではなく?」 「実務もやれ。……貴様ならできる。それに、私が安心して国の未来を任せられるのは、貴様だけだ」
彼は真剣な目をした。 その信頼が嬉しくて、私は力強く頷いた。
「分かりました。……世界一の技術者を育ててみせます」
風が吹き抜け、建設中の校舎の骨組みを揺らした。 それは、これから築き上げられる未来の音のように聞こえた。
◇
そして、季節は巡り。 いよいよ、その日が近づいてきた。 私の人生における最大のイベント、ジークハルトとの結婚式だ。
式の前夜。 私は皇城のテラスで、一人夜空を見上げていた。 明日には、私は「リーゼロッテ・フォン・エーデル」ではなくなり、「リーゼロッテ・フォン・ドラグーン」となる。 帝国皇后としての新しい人生が始まるのだ。
不安がないと言えば嘘になる。 でも、それ以上に楽しみだった。 この美しい国で、愛する人と共に歩む未来が。
「……眠れないのか?」
ジークハルトがやってきた。 彼もまた、眠れずにいたらしい。手には二つのグラスと、年代物のワインボトルを持っていた。
「少し、飲みたくなってな。……付き合え」 「喜んで」
私たちは月明かりの下で乾杯した。 ルビー色の液体が、グラスの中で揺れる。
「……早いものだな」
ジークハルトが夜景を見ながら呟いた。
「貴様を処刑台から攫(さら)ってから、まだ数ヶ月しか経っていないとは信じられん。……まるで、ずっと昔から貴様とこうしていたような気がする」 「ふふ、私もです。……あの時、貴方が来てくれなかったら、今の私はありませんでした」 「逆だ。……貴様がいなければ、私は今も孤独な氷の王だった」
彼はグラスを置き、私の手を取った。 その指には、明日交換するはずの指輪がまだない。 でも、目に見えない絆の指輪が、確かにそこにあるのを感じた。
「リーゼロッテ」 「はい」 「愛している。……言葉では足りないくらいに」 「私もです、ジーク。……世界中の誰よりも」
私たちはキスをした。 長く、深く、そして優しいキス。 それは恋人としての最後のキスであり、夫婦としての最初の誓いのようなキスだった。
星々が瞬く。 かつて私を見下ろしていた冷たい星空は、今は私たちを祝福するように、温かく輝いていた。
祖国は崩壊し、悪しき者たちは去った。 障害はすべて取り払われた。 あとは、私たちが幸せになるだけだ。
「さあ、もう寝よう。……明日は早いぞ」 「はい。……おやすみなさい、私の旦那様」 「……まだ早い。それは明日言え」
彼は照れ隠しにそっぽを向いたが、その耳が赤いのを私は見逃さなかった。 こんな可愛い人と、一生一緒にいられるなんて。 私は幸せを噛み締めながら、彼の手を引いて部屋へと戻った。
明日は、きっと最高の一日になる。 そして、その先に続く日々も、きっと――。
「皇帝陛下万歳!!」 「リーゼロッテ様万歳!!」 「我らが女神のお帰りだぁぁぁッ!!」
国境での会談を終え、帰還した私たちを迎えたのは、帝都市民総出の大凱旋パレードだった。 メインストリートをゆっくりと進むのは、屋根のない特注の魔導リムジン。 私はジークハルトの隣に座り、沿道の人々に手を振り続けていた。
「すごい……。本当に、街中のみんなが出てきているみたい」
私は圧倒され、呟いた。 視界の端から端まで、笑顔、笑顔、笑顔。 老人も、若者も、子供たちも、誰もが目を輝かせてこちらを見ている。 彼らの瞳に映っているのは、恐怖の対象としての支配者ではない。 自分たちの生活を豊かにし、未来を守ってくれる「希望の象徴」としての私たちだった。
「当然だ。……貴様は彼らにとって、冬の寒さを消し去り、夜の闇を照らした英雄なのだからな」
ジークハルトは満足げに頷き、私の腰に回した手に力を込めた。 彼は普段、人前では威厳を崩さない皇帝だが、今日ばかりは表情が緩んでいる。 時折、わざとらしく私に顔を寄せ、耳打ちするふりをして頬にキスをしたりするものだから、そのたびに沿道から「キャーッ!」という黄色い悲鳴が上がる。
「ジ、ジーク! 公衆の面前ですよ!」 「構わん。……見ろ、国民も喜んでいる」 「それはそうですけど……恥ずかしいです」 「慣れろ。……貴様はこれから、この国の『顔』になるのだからな」
彼は悪びれもせず、さらに私を引き寄せた。 もう、この人は。 でも、その強引さが、今は心地よかった。
後ろの車両には、私の両親が乗っている。 父と母もまた、信じられないものを見るような顔で、この光景を眺めていた。 かつて祖国では「罪人の一族」として石を投げられそうになった彼らが、ここでは国賓級の扱いを受け、花束を投げ入れられているのだ。
「夢のようだ……。これが、リーゼが築いた信頼なのか」 「あの子、本当に幸せになったのね……」
母が涙を拭っているのが見え、私も思わず目頭が熱くなった。 私の選択は間違っていなかった。 ここが、私の本当の居場所なのだ。
◇
パレードが終わり、皇城に戻った数日後。 私は王城の温室で、久しぶりにゆったりとしたティータイムを楽しんでいた。 ガラス張りの天井からは柔らかな日差しが降り注ぎ、私が品種改良を手伝った「魔導バラ」が、季節外れの大輪の花を咲かせている。 テーブルには、香り高いアールグレイと、焼きたてのスコーン。 平和そのものの午後だ。
「……失礼いたします、リーゼロッテ様」
静かに現れたのは、フランツ宰相だった。 彼は一礼すると、分厚いファイルをテーブルに置いた。
「ルミナス王国……いえ、『ルミナス準州』に関する、最終報告書がまとまりました」 「ありがとうございます、フランツ様。……座って、一緒にいかがですか?」 「では、お言葉に甘えて」
フランツは席に着き、メイドが淹れた紅茶を一口飲んでから、淡々と報告を始めた。
「まず、旧王国の統治機構についてですが、完全に解体されました。現在は帝国から派遣された総督と、現地で選出された市民代表による評議会が行政を行っています」 「混乱はありませんか?」 「当初はありましたが、帝国の食料支援とインフラ復旧が迅速に行われたため、民衆の支持は圧倒的です。……皮肉なことに、王政時代よりも今のほうが『王都』らしい活気を取り戻していますよ」
フランツは苦笑した。 王家が消えたことで、無駄な税金や宮廷費がなくなり、その分が民衆に還元されたのだ。 私がかつて必死で帳尻を合わせていた「王子の浪費」というブラックホールが消滅したのだから、財政が健全化するのは当然のことだった。
「そして……旧王族および貴族たちの『その後』についてですが」
フランツの声が、少し低くなった。 私はティーカップを置き、居住まいを正した。
「お願いします。……すべて、聞かせてください」
私がここでのほほんと幸せを噛み締めている間に、彼らがどうなったのか。 それを知ることは、私の最後の義務だと思った。
「まず、フリードリヒ元国王ですが……王位を剥奪され、地方の小さな屋敷に隠居させられました。年金は支給されていますが、平民の平均的な生活費と同額です」 「まあ。……あの贅沢好きのお義父様……いえ、元国王には厳しい生活でしょうね」 「はい。メイドも執事もおりませんので、自分で薪を割り、掃除をしているそうです。……先日は『腰が痛い』と泣き言を言って、近所の農夫に怒鳴られたとか」
想像して、少しおかしくなった。 でも、それが「普通」の暮らしなのだ。彼は今、人生で初めて「生きるための労働」を学んでいるのだろう。
「次に、取り巻きだった貴族たちですが……彼らの領地と財産はすべて没収され、平民の身分に落とされました。彼らは今、かつて自分たちが見下していた職業……道路工事の作業員や、公衆浴場の清掃員として働いています」 「不満分子になって、反乱を起こす恐れは?」 「ありません。……彼らは無能すぎました。剣も握れず、魔法も使えず、ただ家柄に胡座をかいていただけの連中ですから、日々のパンを稼ぐのに精一杯で、反逆を企てる気力など残っていませんよ」
フランツは冷徹に切り捨てた。 そして、ページをめくった。
「最後に……アルフォンス元王子と、マリア元男爵令嬢についてです」
私は無意識に息を止めた。
「アルフォンスは、国境での事件の後、精神に異常をきたし、現在は帝国の北端にある孤島の療養所に収容されています」 「……療養所、ですか」 「聞こえはいいですが、実質的な終身監獄です。……彼は一日中、独房の壁に向かって『私は王だ』『リーゼロッテが迎えに来る』と呟き続けています。時折、発作を起こして暴れますが、強力な魔導拘束具のおかげで、自傷行為もできません」
廃人。 かつて煌びやかな衣装を纏い、次期国王として振る舞っていた彼が、今は冷たい石の壁に囲まれ、自分の妄想の中だけで生きている。 それは、死ぬよりも辛い、終わりのない罰なのかもしれない。
「……マリアは?」 「彼女は、北の魔石鉱山へ送られました。……借金の返済のため、選炭婦として働いています」 「選炭婦……。過酷な重労働ですね」 「はい。氷点下の寒さの中、一日十二時間、泥と煤にまみれて魔石を選別する仕事です。……かつての愛らしい容姿は見る影もなく、手はひび割れ、髪は白髪交じりの老婆のようになったとの報告です」
フランツは一枚の魔導写真を取り出した。 そこには、薄汚れた作業着を着て、うつろな目でカメラを見つめる女性が写っていた。 かつて私を嘲笑い、王子の腕の中で勝ち誇っていたマリアの面影は、そこには微塵もなかった。
「彼女は毎日泣きながら、『ドレスが欲しい』『お菓子が食べたい』と訴えているそうですが……誰も相手にしません。ここでは『働かざる者食うべからず』が鉄則ですから」
報告が終わった。 フランツはファイルを閉じ、私の様子を窺うように見た。
「……いかがなさいましたか、リーゼロッテ様」 「え?」 「同情……されますか?」
私は視線を庭のバラに戻した。 美しく咲き誇る花々。 そして、手元の紅茶。 一口飲むと、ベルガモットの香りが鼻腔をくすぐった。
「……いいえ」
私は静かに首を振った。
「同情はしません。……彼らは、自分たちが撒いた種を刈り取っているだけですもの」
もし私が彼らを助ければ、彼らはまた同じことを繰り返すだろう。 他人に寄生し、搾取し、感謝もせずに当たり前のように振る舞う。 彼らに必要なのは救済ではなく、自分の足で立ち、自分の罪と向き合う時間なのだ。
「そうですか。……やはり、貴女は強い」 「強くなんてありません。……ただ、もう彼らのことで心を乱すのは『もったいない』と思っただけです」
私は微笑んで、スコーンを手に取った。 サクッとした食感と、バターの風味。 美味しい。 この平穏な日常こそが、私が勝ち取った勝利の証だ。 遠い北の地で凍えている彼らのことを思うと、今の温かさがより一層、尊いものに感じられた。
◇
祖国の件が完全に片付いたことで、私は新しいプロジェクトに本腰を入れることができるようになった。 それは、ジークハルトと約束した「技術学校」の設立だ。
数日後、私は帝都の郊外にある建設予定地を訪れていた。 そこはかつて荒れ地だったが、今は基礎工事が進み、校舎の骨組みが見え始めている。
「ここが玄関ホールで、あっちが実習棟になります!」
案内してくれたのは、以前ランプの改良を手伝ってくれた若手技師たちだ。 彼らもまた、私の夢に共感し、ボランティアで設計に参加してくれている。
「リーゼロッテ様!」
遠くから子供たちの声が聞こえた。 難民キャンプから移住してきた子供たちだ。彼らは新しい制服(まだ試作品だが)を着て、目を輝かせて駆け寄ってきた。
「見て見て! 僕、魔導エンジンの模型を組み立てたんだ!」 「私は計算ドリル、全部終わったよ!」
子供たちが口々に成果を報告してくれる。 彼らの多くは魔力を持たないか、あるいは微弱すぎて、これまでは「落ちこぼれ」扱いされてきた子たちだ。 でも、ここでは違う。 魔力がなくても、知識と技術があれば、魔導具を作ることができる。社会の役に立つことができる。 そのことを知った彼らの瞳は、希望に満ち溢れていた。
「すごいわね。……この調子なら、みんな私より優秀な技師になれるわ」 「えへへ、リーゼロッテ様みたいになりたい!」 「僕、将来は皇帝陛下のために戦車を作るんだ!」
無邪気な笑顔。 この子たちの未来を守ること。 それが、私の新しい使命だ。 かつて私がたった一人で背負っていた重荷は、今はこうして多くの仲間や、次世代の希望と分かち合うことができる。
「……いい顔をしているな」
不意に、背後から抱きすくめられた。 ジークハルトだ。 彼は公務の合間を縫って、視察に来てくれたのだ。
「ジーク! 子供たちが見ていますよ」 「構わん。……未来の生徒たちに、夫婦円満な姿を見せるのも教育の一環だ」
彼は平然と言ってのけ、子供たちに向かって手を振った。 子供たちは「ワーッ! 皇帝陛下だ!」「ラブラブだー!」と大はしゃぎだ。 いつの間にか、彼は子供たちにとっても「怖い皇帝」から「頼れるお兄ちゃん(時々お父さん)」のような存在になっていた。
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彼は真剣な目をした。 その信頼が嬉しくて、私は力強く頷いた。
「分かりました。……世界一の技術者を育ててみせます」
風が吹き抜け、建設中の校舎の骨組みを揺らした。 それは、これから築き上げられる未来の音のように聞こえた。
◇
そして、季節は巡り。 いよいよ、その日が近づいてきた。 私の人生における最大のイベント、ジークハルトとの結婚式だ。
式の前夜。 私は皇城のテラスで、一人夜空を見上げていた。 明日には、私は「リーゼロッテ・フォン・エーデル」ではなくなり、「リーゼロッテ・フォン・ドラグーン」となる。 帝国皇后としての新しい人生が始まるのだ。
不安がないと言えば嘘になる。 でも、それ以上に楽しみだった。 この美しい国で、愛する人と共に歩む未来が。
「……眠れないのか?」
ジークハルトがやってきた。 彼もまた、眠れずにいたらしい。手には二つのグラスと、年代物のワインボトルを持っていた。
「少し、飲みたくなってな。……付き合え」 「喜んで」
私たちは月明かりの下で乾杯した。 ルビー色の液体が、グラスの中で揺れる。
「……早いものだな」
ジークハルトが夜景を見ながら呟いた。
「貴様を処刑台から攫(さら)ってから、まだ数ヶ月しか経っていないとは信じられん。……まるで、ずっと昔から貴様とこうしていたような気がする」 「ふふ、私もです。……あの時、貴方が来てくれなかったら、今の私はありませんでした」 「逆だ。……貴様がいなければ、私は今も孤独な氷の王だった」
彼はグラスを置き、私の手を取った。 その指には、明日交換するはずの指輪がまだない。 でも、目に見えない絆の指輪が、確かにそこにあるのを感じた。
「リーゼロッテ」 「はい」 「愛している。……言葉では足りないくらいに」 「私もです、ジーク。……世界中の誰よりも」
私たちはキスをした。 長く、深く、そして優しいキス。 それは恋人としての最後のキスであり、夫婦としての最初の誓いのようなキスだった。
星々が瞬く。 かつて私を見下ろしていた冷たい星空は、今は私たちを祝福するように、温かく輝いていた。
祖国は崩壊し、悪しき者たちは去った。 障害はすべて取り払われた。 あとは、私たちが幸せになるだけだ。
「さあ、もう寝よう。……明日は早いぞ」 「はい。……おやすみなさい、私の旦那様」 「……まだ早い。それは明日言え」
彼は照れ隠しにそっぽを向いたが、その耳が赤いのを私は見逃さなかった。 こんな可愛い人と、一生一緒にいられるなんて。 私は幸せを噛み締めながら、彼の手を引いて部屋へと戻った。
明日は、きっと最高の一日になる。 そして、その先に続く日々も、きっと――。
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