処刑されるはずの悪役令嬢、なぜか敵国の「冷徹皇帝」に拾われる ~「君が必要だ」と言われても、今さら国には戻りません~

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第18話 愚者の暴走

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 国境都市ベルンでの歴史的な会談と調印式を終え、私たちは帝国への帰路につこうとしていた。  迎賓館の中庭には、帝国の飛竜(ワイバーン)部隊が整列し、出発の準備を整えている。  朝の空気は冷たく澄んでおり、空は抜けるような青さだった。  全てが順調で、清々しい朝――のはずだった。

 私は、両親と共に馬車に荷物を積み込む様子を見守っていた。  父と母は、これからの新しい生活への期待と、少しの不安が入り混じった表情をしているが、その瞳は明るい。

「リーゼ、本当にいいのかい? お父様たちのために、陛下に無理を言っていないか?」 「大丈夫よ、お父様。ジークは『優秀な研究者は何人いても困らない』って歓迎してくれているわ。……それに、お父様の古代魔導語の知識は、帝国のアーカイブ解析にきっと役立つはずよ」 「そ、そうか……! ならば老骨に鞭打って頑張るとしようか!」

 父が張り切って腕をまくるのを見て、母と顔を見合わせて笑う。  こんな穏やかな時間が、これからも続いていくのだと信じていた。

「……準備はいいか、リーゼロッテ」

 ジークハルトが歩いてきた。  今日は動きやすい軍装だが、その凛々しさは変わらない。彼は自然な動作で私の肩を抱き寄せ、髪にキスを落とした。

「はい。いつでも出発できます」 「うむ。……早く城へ帰ろう。フランツから通信が入っていたが、帝都ではすでに凱旋パレードの準備が進んでいるらしい」 「パレードですか? また大袈裟な……」 「国民が望んでいるのだ。……『女神と皇帝の帰還』をな」

 私たちが微笑み合っていると、不意に、中庭の入り口付近が騒がしくなった。  怒号。悲鳴。そして、金属がぶつかり合う音。

「なんだ?」

 ジークハルトの瞳が鋭くなる。  警備をしていた帝国兵たちが、慌ただしく動き出した。

「陛下! 地下牢の方角から、何者かが……!」 「侵入者か?」 「いえ、それが……内側からです! 看守たちが……様子がおかしいのです!」

 兵士の報告が終わるか終わらないかのうちに、中庭の鉄扉が内側から爆破された。  ドォォォォンッ!!  黒煙と共に、数人の男たちが雪崩れ込んでくる。  それは、迎賓館の警備を担当していたはずの、現地ベルンの衛兵たちだった。  しかし、彼らの様子は明らかに異常だった。  目は虚ろで焦点が合わず、口元からは涎を垂らし、手にした剣や槍をデタラメに振り回している。まるで、操り人形のように。

「ウゥ……アァ……」 「捕ラエロ……女ヲ……」

 ゾンビのような呻き声を上げながら、彼らは私たちに向かってにじり寄ってくる。  帝国兵たちが直ちに盾を構え、壁を作る。

「止まれ! それ以上近づくと攻撃するぞ!」

 警告を発するが、彼らに届いている様子はない。恐怖心すら欠落しているようだ。

「……精神支配(マインド・コントロール)か」

 ジークハルトが低く呟いた。  その声には、冷たい怒りが滲んでいる。

「何者だ。こんな趣味の悪い真似をするのは」

 その問いに答えるように、黒煙の向こうから、一人の男がゆっくりと姿を現した。  ボロボロの正装。乱れ切った髪。  そして、顔中に浮かんだ血管と、血走った瞳。

 アルフォンス・フォン・ラインハルト。  かつての第一王子。  そして、昨日の調印式ですべてを失ったはずの男。

「……リーゼロッテェェェェ……」

 地獄の底から這い上がってきた亡者のような声だった。  彼の右手には、禍々しい紫色の光を放つ、拳大の宝珠が握りしめられていた。

「アルフォンス様……!? どうしてここに……それに、その宝珠は……」

 私は息を呑んだ。  見覚えがある。あれは王家の宝物庫の奥深くに封印されていたはずの禁忌の魔導具、『強制契約の宝珠』。  対象の合意なしに強制的に主従契約を結ばせ、魂ごと支配するという、非人道的なアーティファクトだ。  持ち出すことすら大罪とされるそれを、彼はどこに隠し持っていたのか。

「はは……ははは! 驚いたか? 驚いたろう?」

 アルフォンスは狂ったように笑いながら、ふらふらと歩み寄ってくる。  宝珠の光が脈動するたびに、周囲の衛兵たちが苦悶の表情を浮かべ、より凶暴になっていく。

「これだよ……これさえあれば、世界は私の思い通りになるんだ。看守どもも、衛兵どもも、みんな私の忠実な下僕になったよ……」

 彼はギラギラした目で私を見た。

「リーゼロッテ。……昨日はつれなかったな。あんな大勢の前で私を振るなんて……恥ずかしかったぞ?」 「……アルフォンス様。もうやめてください。これ以上罪を重ねてどうするのですか」

 私は努めて冷静に呼びかけた。  しかし、彼の耳にはもう正常な言葉は届かないようだった。

「罪? 違うな。これは『愛』のための戦いだ!」

 彼は叫び、宝珠を高く掲げた。

「お前は洗脳されているんだ! あの野蛮な皇帝に、心を縛られているだけなんだ! だから私が……この宝珠の力で、正しい契約(・・・)に書き換えてやる!」

 彼の論理は破綻していた。  洗脳を解くために、さらに強力な洗脳道具を使うというのか。  そこにあるのは愛などではない。ただの支配欲と、傷ついたプライドを取り繕うための暴力だ。

「おい、お前たち! あの女を捕らえろ! 傷つけずに、私の元へ連れてくるんだ!」

 アルフォンスが叫ぶと、操られた数十人の衛兵たちが一斉に私に向かって殺到した。  帝国兵たちが応戦するが、相手は洗脳された一般兵だ。殺すわけにもいかず、対応に苦慮している。

「リーゼ! 危ない!」 「お父様、下がっていて!」

 私は両親を背後に庇い、防御結界を展開しようとした。  しかし、それよりも早く。

 ドンッ!!

 一歩。  ジークハルトが前に踏み出した。  ただの一歩。  それだけで、中庭の空気が凍りつき、重力が倍になったかのような圧力が場を支配した。

「……騒々しい」

 彼が低く呟く。  その声は決して大きくはないのに、戦場の騒音をかき消して全員の鼓膜に届いた。

「私の庭で、羽虫がブンブンと……鬱陶しいぞ」

 ジークハルトがゆっくりと顔を上げる。  その瞳は、深海のような青から、燃えるような蒼白へと変わっていた。  激怒。  しかし、それは感情を爆発させるような熱い怒りではない。  触れるもの全てを死に至らしめる、絶対零度の静かなる憤怒だ。

「ヒッ……!?」

 襲いかかろうとしていた衛兵たちが、ピタリと動きを止めた。  宝珠による強制命令よりも、生物としての根源的な恐怖が勝ったのだ。  彼らはガタガタと震え出し、武器を取り落としてその場にへたり込んだ。

「な、なんだ!? 動け! 命令だぞ! 行けぇ!」

 アルフォンスが焦って宝珠を輝かせる。  紫色の光が衛兵たちを鞭打つが、彼らは恐怖で失禁し、動けない。

「役立たずどもめ! ……なら、私が直接やる!」

 アルフォンスは逆上し、宝珠の矛先を私に向けた。

「リーゼロッテェェェ! 契約しろ! 私を愛すると誓えェェェッ!」

 宝珠から、禍々しい紫色の光線が放たれた。  それは物理的な攻撃ではない。精神に直接干渉し、自我を塗り替える呪いの光だ。  真っ直ぐに私に向かってくる光。  防御結界で防げるか――?

 いや、その必要はなかった。

 パキンッ。

 乾いた音がして、紫色の光線は私の目の前で霧散した。  ジークハルトが、片手を軽く振っただけだった。  まるで、飛んできた小石を払うかのように。

「な……!?」

 アルフォンスが絶句する。

「王家の秘宝だぞ!? 古代魔導文明の遺産だぞ!? なぜ効かない!?」 「……くだらん」

 ジークハルトは退屈そうに言い捨てた。

「その程度の呪いで、私の契約(・・)を上書きできるとでも思ったか?」

 彼は私を振り返り、ニヤリと笑った。

「なあ、リーゼロッテ。私たちが交わした契約は、そんなに安っぽいものか?」 「いいえ、ジーク様。……貴方との契約は、魂の深淵で結ばれた絶対的なものです。古代のガラクタなどで干渉できる余地はありません」

 私が答えると、彼は満足げに頷いた。  そして再びアルフォンスに向き直り、ゆっくりと歩き出した。

 カツ、カツ、カツ。  軍靴の音が、死刑執行のカウントダウンのように響く。

「く、来るな! 来るなぁぁぁッ!」

 アルフォンスは後ずさりしながら、必死に宝珠の光を放ち続ける。  だが、全て無駄だった。  光はジークハルトに届くことすらなく、彼の纏うオーラに触れた瞬間に凍りつき、キラキラとした氷の粒子となって消えていく。

 圧倒的な格の違い。  人間と神ほどの差。

 ジークハルトはアルフォンスの目の前まで歩み寄り、立ち止まった。  アルフォンスは腰を抜かし、地面を這いずりながら見上げることしかできない。

「ひぃ……助けて……殺さないで……」 「……殺す? 安易な死など与えんよ」

 ジークハルトは冷徹に見下ろした。

「貴様は、越えてはならない一線を越えた」

 彼の周囲で、大気が軋む音がする。  背後に、巨大な氷の狼の幻影が揺らめいた気がした。

「私の愛し子に指一本でも触れてみろと言ったはずだ。……その汚らわしい光を向けただけでも、万死に値する」

 ジークハルトが右手をかざす。

「地図から貴様の国を消すぞと警告したが……貴様という存在そのものを、この世界の理(ことわり)から消去してやる」

 コォォォォォォ……。  彼の手のひらに、青白い極光が収束していく。  それは魔法ではない。純粋な魔力の塊。触れれば魂ごと消滅するほどのエネルギーだ。

「や、やめろぉぉぉぉッ!」

 アルフォンスは最後のあがきとして、宝珠をジークハルトに投げつけた。

「死ねェェェッ!」

 宝珠は空中で爆発的な光を放ち、自爆しようとした。  しかし。

 ガシッ。

 ジークハルトは、飛んできた宝珠を素手で掴み取った。  爆発寸前のエネルギーを、握力と魔力だけで強引に抑え込んだのだ。

「……これが、貴様の頼みの綱か?」

 彼は宝珠を目の前に掲げ、蔑むように言った。  宝珠の中で、紫色の光が恐怖に震えるように明滅している。  そして。

 パリ……パリンッ。

 ジークハルトが指に力を込めると、古代の秘宝はいとも簡単に粉々に砕け散った。  破片がダイヤモンドダストのように舞い散る。

「あ……あぁ……」

 アルフォンスは口を開けたまま、言葉を失った。  自分の全能感の源だったものが、ただのガラス細工のように握りつぶされた。  その事実は、彼の精神を完全に破壊するのに十分だった。

「ひ……ヒヒ……」

 彼は力なく笑い出し、その場に崩れ落ちた。  瞳からは知性の光が消え、完全に虚無となっていた。  宝珠の副作用――強力な魔導具を破壊された反動(バックラッシュ)が、使用者の精神を焼き切ったのだ。

「……終わったな」

 ジークハルトは、汚れた手袋を脱ぎ捨てた。  彼の放っていた威圧感が霧散し、中庭に静寂が戻る。  操られていた衛兵たちも、糸が切れたように気絶していた。

 私は駆け寄り、ジークハルトの手を取った。

「ジーク、怪我は?」 「あるわけがない。……ただ、少し手が汚れた」

 彼は不機嫌そうに言ったが、私を見ると表情を和らげた。

「怖かったか?」 「いいえ。……貴方が守ってくれると信じていましたから」

 私が微笑むと、彼は満足げに頷き、私を強く抱きしめた。  両親や兵士たちが見ている前で。  でも、もう恥ずかしくはなかった。これが私たちの、勝利の形なのだから。

 ◇

 その後、廃人となったアルフォンスは、帝国軍によって厳重に拘束された。  彼は二度と正気に戻ることはなく、一生を閉鎖病棟の中で、壁に向かって何かをブツブツと呟きながら過ごすことになるだろう。  「リーゼロッテ、愛してる……」「私は王だ……」  そんな妄言を繰り返しながら。

 それは死刑よりも残酷な、しかし彼にふさわしい末路だったのかもしれない。  自分の世界に閉じこもり、他人を顧みなかった男が、文字通り自分の世界(独房)に閉じ込められたのだから。

 出発の準備が整い、私たちは再び中庭に集まった。  騒動の後片付けは現地の部隊に任せ、私たちは予定通り帝国へ帰還する。

「……これで、本当に全てが終わりましたね」

 私は飛竜の背に乗り、眼下のベルンの街を見下ろした。  南の方角には、ルミナス王国の山々が霞んで見える。  あそこには、もう私の心を縛るものは何もない。

「ああ。……これからは、新しい物語の始まりだ」

 ジークハルトが私の腰を支え、手綱を握った。  彼の体温が背中から伝わってくる。  その温かさは、過去のどんな寒さも溶かしてくれる気がした。

「行きましょう、ジーク。……私たちの家へ」 「ああ、行こう」

 飛竜が大きく翼を広げ、空へと舞い上がった。  風を切る音と共に、私たちは未来へと加速していく。

 雲を抜け、太陽の光が降り注ぐ。  その光の中で、私は確信した。  私は幸せになれる。  いいえ、もう幸せなのだと。

 隣には最強のパートナー。  背中には守るべき家族と、信頼できる仲間たち。  そして私自身の手には、未来を切り開く技術と自信がある。

 さようなら、悪役令嬢だった私。  こんにちは、新しい私。

 物語のページはめくられた。  ここから先は、誰も知らない、私たちだけの白紙のページだ。  どんな色で描こうか。どんな言葉を紡ごうか。  想像するだけで、胸が高鳴る。

 私はジークハルトの胸に頭を預け、どこまでも広がる青空を見つめ続けた。
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