処刑されるはずの悪役令嬢、なぜか敵国の「冷徹皇帝」に拾われる ~「君が必要だ」と言われても、今さら国には戻りません~

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第17話 「今さら国には戻りません」

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 国境都市ベルンでの一日目が終わろうとしていた。  昼間の会談――実質的な「断罪劇」の興奮が冷めやらぬまま、夜は各国の代表を招いてのレセプションパーティーが開催されていた。

 会場となった迎賓館の大広間は、昼間の緊張感とは打って変わり、華やかな社交の場となっていた。  クリスタルのシャンデリアが煌めき、楽団が奏でる優雅なワルツが流れる中、私はシャンパングラスを片手に、次々と訪れる挨拶攻めに対応していた。

「リーゼロッテ様、本日の堂々たるお振る舞い、感服いたしました。……あの愚かな元王子への一喝、胸がすく思いでしたぞ」 「帝国の新しい魔導インフラ計画、ぜひ我が国にも導入をご検討いただきたい。……リーゼロッテ様が主導されるプロジェクトなら、全面的に信頼できますからな」

 口々に称賛を述べるのは、大陸中の有力な外交官や王族たちだ。  かつて王国にいた頃、彼らは私を「王子の後ろに控える地味な付属品」としてしか見ていなかった。挨拶をしても無視されたり、鼻で笑われたりしたことも一度や二度ではない。  それが今や、彼らは私の言葉一つ一つに耳を傾け、媚びるような笑みを浮かべている。

 これが「力」か。  ジークハルトがくれた後ろ盾と、私自身が実力で勝ち取った評価。  その二つが合わさった今、私の言葉は一国の王をも動かす重みを持っていた。

「……疲れていないか?」

 ふと、腰に温かい手が添えられた。  ジークハルトだ。  彼は外交官たちを鋭い眼光で牽制しながら(彼らは蜘蛛の子を散らすように去っていった)、私に冷たいミネラルウォーターを差し出してくれた。

「ありがとうございます、ジーク。……少し、顔の筋肉が引きつりそうです」 「無理もない。狐や狸の相手は骨が折れる。……だが、よくやった。貴様の評価はうなぎ登りだ」

 彼は満足げに会場を見渡した。

「もはや誰も、貴様を『王国の元婚約者』とは呼ばない。皆、『帝国の未来の皇后』として敬意を払っている」 「未来の皇后……。改めて言われると、責任重大ですね」 「何を言う。貴様なら、私の隣で昼寝をしていても務まる」

 彼は冗談めかして言ったが、その瞳は真剣だった。   「そろそろ中座するか? 主役が長居する必要はない」 「いいえ。……もう少しだけ。明日が本番ですから」

 そう。明日は条約の調印式だ。  そこで全てが法的に確定する。  アルフォンスや元国王との因縁も、書類上の署名をもって完全に断ち切られるのだ。

「……アルフォンス様たちは、どうしているでしょうか」

 私がふと漏らすと、ジークハルトは冷ややかに鼻を鳴らした。

「迎賓館の地下室にぶち込んである。……今頃、現実と向き合っている最中だろう」

 ◇

 その頃。  迎賓館の地下にある、窓のない狭い部屋。  そこは本来、倉庫として使われていた場所だが、急ごしらえの牢獄として利用されていた。

「出して! ここから出してよぉ!」

 扉を叩き、金切り声を上げているのはマリアだった。  彼女のドレスは汚れ、自慢の巻き髪も乱れている。  昨日の夜、亡命しようとしたところを帝国兵に捕まり、ここに連れてこられたのだ。

「うるさい! 静かにしろ!」

 部屋の隅で膝を抱えていたアルフォンスが怒鳴った。  彼もまた、昼間の会談から強制退場させられた後、ここに放り込まれていた。

「なによ! アルフォンス様のせいじゃない! 貴方がしっかりしてないから、こんなことになったのよ!」 「なんだと!? お前が『リーゼロッテなんか追い出せ』と唆したんだろうが! お前のせいで私は全てを失ったんだ!」

 狭い部屋で、かつて愛を誓った二人が罵り合う。  愛などという高尚なものは、そこには欠片もなかった。あるのは自己保身と責任転嫁のみ。

「私、知ってるんだから! アルフォンス様が『リーゼロッテの私財を没収して、自分の借金を返済しよう』って企んでたこと!」 「貴様こそ、私の目を盗んで王家の宝石を持ち逃げしようとしていただろう! この泥棒女め!」

 掴み合いの喧嘩が始まりそうになった時、部屋の扉が開いた。  入ってきたのは、冷酷な目をした帝国の監理官だった。   「……元気そうだな、元王子、元男爵令嬢」

 監理官は、汚物を見るような目で二人を見下ろした。

「明日の調印式についての通達だ。……貴様らには、王位継承権の放棄と、帝国への賠償金支払いの連帯保証人として署名してもらう」 「は、払えるわけがないだろう! 私は一文無しだぞ!」 「安心しろ。……体で払ってもらう」

 監理官は薄ら笑いを浮かべた。

「帝国の北の果てに、新しい魔石鉱山が見つかってな。万年雪に閉ざされた過酷な環境だが……人手が足りないのだ。死ぬまでそこで働けば、利息分くらいは返せるかもしれん」

 鉱山送り。  それは実質的な終身刑であり、強制労働による緩やかな死刑宣告だった。

「い、いやだ……! 私は王子だぞ! そんなこと許されるか!」 「やだぁ! 爪が割れちゃう! お肌が荒れちゃう!」

 二人は泣き叫んだが、監理官は無視して部屋を出て行った。  再び閉ざされた扉。  絶望的な静寂の中で、アルフォンスの目に、狂気じみた光が戻ってきた。

「……まだだ。まだ終わっていない」

 彼は爪を噛みながらブツブツと呟き始めた。

「リーゼロッテは、まだ私を愛しているはずだ。……昼間あんなことを言ったのは、皇帝に脅されていたからに違いない。そうだ、きっとそうだ」

 彼は自分に都合の良い妄想に逃げ込んだ。  現実があまりに過酷すぎて、精神が崩壊しかけているのだ。

「明日の調印式……。そこで最後のチャンスがある。リーゼロッテと話せれば……彼女の情に訴えれば、きっと助けてくれる。彼女は優しいから……私を見捨てるはずがない……」

 彼はニタリと笑った。  その笑顔は、完全に正気を失った者のそれだった。

 ◇

 翌日。  運命の調印式が始まった。  会場は昨日と同じ大ホールだが、今日は中央に巨大なテーブルが置かれ、その上には分厚い羊皮紙の束――条約書が鎮座している。

 ジークハルトと私、そしてフランツ宰相が帝国側の席に着く。  対面には、ルミナスの元国王フリードリヒと、暫定政府の代表者たち。  そして、その脇に、監視付きでアルフォンスとマリアが立たされていた。

 アルフォンスは一夜にしてさらに老け込んでいたが、私を見る目だけは異様にぎらついていた。  マリアは化粧も落ち、幽鬼のような顔で床を見つめている。

「……これより、ルミナス戦後処理条約の調印を行う」

 フランツの進行で、式は厳粛に進んだ。  フリードリヒ元国王が、震える手で次々と書類にサインをしていく。  国を売り、王冠を売り、プライドを売る作業だ。彼はサインをするたびに小さくなり、最後には抜け殻のようになって椅子に沈んだ。

「次に、アルフォンス・フォン・ラインハルト。……前へ」

 名前を呼ばれ、アルフォンスがよろめきながらテーブルに近づいた。  彼はペンを渡されたが、それを受け取ろうとせず、私の顔をじっと見つめた。

「……リーゼロッテ」

 彼は掠れた声で呼んだ。

「署名をしろ」

 ジークハルトが冷たく命じる。  しかし、アルフォンスは無視した。彼の世界には今、私しか映っていないようだった。

「なぁ、リーゼロッテ。……嘘だろう?」

 彼は懇願するように身を乗り出した。

「君が私を捨てるなんて、嘘だろう? 昨日の言葉は、演技だったんだろう? ……そう言ってくれよ」

 会場がざわめく。  まだ言っているのか。この男はどこまで恥知らずなのか。  しかし、彼の必死さは、ある種の憐れさを誘うほどだった。

「思い出してくれ。……君が初めて王城に来た日、迷子になった君の手を引いたのは私だ。……君が泣いていた時、ハンカチを貸したのも私だ。……私たちは、運命で結ばれていたはずじゃないか」

 確かに、そんなこともあった。  十歳の頃、私が初めて登城した日。彼は確かに優しかった。  でも、それは「新しい玩具」に対する気まぐれな優しさだったことを、私はその後の十年間で嫌というほど思い知らされた。

「……過去の思い出話ですか」

 私は静かに口を開いた。

「ええ、覚えていますよ。……でも、そのハンカチを貸してくれた後、貴方が何と言ったかも覚えていますか?」 「え……?」 「『汚れたから、新しいのを買って返してね』。……そう仰いましたよね」

 アルフォンスが言葉に詰まる。

「貴方の優しさは、いつも対価を求めるものでした。……貴方が手を差し伸べるのは、自分がよく見られたい時だけ。貴方が私を呼ぶのは、面倒な仕事を押し付けたい時だけ」

 私は彼から視線を外し、テーブルの上の条約書を見た。

「あの頃の思い出は、私にとっては美しいアルバムではなく、未払いの請求書の山と同じです。……もう、清算は終わりました」

「そ、そんな……。金か? 金が欲しいのか? なら、私が王になればいくらでも……」 「まだ分からないのですか!」

 私は声を荒らげ、机を叩いた。  バン! という音が響き、アルフォンスがビクリと震える。

「貴方はもう王にはなれません! 貴方の国は終わったのです! そして、貴方の信用も、価値も、未来も、すべてゼロになったのです!」

 私は深呼吸をして、冷徹に告げた。

「今の貴方に、私を雇えるだけの『対価』はありません。……金貨一億枚積まれても、私は貴方の元には戻りません」

 拒絶。  完全なる拒絶。  アルフォンスの顔から、最後の希望の色が消え失せた。

「あ……あぁ……」

 彼はガクリと膝をついた。  それでも、まだ諦めきれずに、床を這って私の足元に手を伸ばそうとする。

「た、頼む……。一人にしないでくれ……。寒いんだ……暗いんだ……。君がいないと、何もできないんだ……」

 それは、幼児退行した子供の泣き言だった。  かつて一国の王子だった男の、成れの果て。

「君が必要だ……。君が必要なんだよ、リーゼロッテ……!」

 その言葉は、かつて彼が私を呼び戻そうとして送ってきた手紙と同じ文言だった。  しかし、その響きは天と地ほど違っていた。  かつては傲慢な命令だったが、今はただの、惨めな命乞い。

 私は、彼の伸ばした手を見下ろしながら、最後の言葉を紡いだ。

「『君が必要だ』と言われても、今さら国には戻りません」

 タイトル回収となるその台詞を、私は万感の思いを込めて告げた。

「なぜなら、私はもう『貴方のリーゼロッテ』ではないからです」

 私は隣に座るジークハルトの方を向き、彼の手を取った。  ジークハルトは私の腰を抱き寄せ、皆に見せつけるように私を立たせた。

「彼女は、帝国ガルガディアの未来の皇后、リーゼロッテ・フォン・ドラグーンだ」

 ジークハルトが低い声で宣言した。

「彼女が必要なのは私だ。そして、彼女が必要としているのも私だ。……そこに貴様の入り込む隙間など、原子一つ分も存在しない」

 彼はアルフォンスを一瞥した。

「消えろ、亡霊。……私の太陽に影を落とすな」

 その言葉と共に、強烈な威圧が放たれた。  アルフォンスは「ひぃッ!」と短い悲鳴を上げ、白目を剥いて失神した。  衛兵たちが彼を引きずり出していく。  今度こそ、本当に終わりだ。

 会場からは、静かなどよめきと、そして称賛の拍手が起こった。  それは、過去を断ち切り、新たな未来を選び取った一人の女性への、心からの祝福だった。

 マリアもまた、抵抗する気力を失い、大人しく署名に応じた。  彼女は去り際に、私を睨みつけたが、その目にはかつての敵意よりも、深い後悔の色が滲んでいた。  「……勝ち組ね」  彼女が最後にボソリと呟いた言葉が、耳に残った。

 ◇

 調印式が終わり、私たちはバルコニーに出た。  外には、数万のベルン市民と、難民たちが集まっていた。  彼らは結果を待ちわびていたのだ。

 ジークハルトが手を挙げると、大歓声が上がった。  平和の訪れ。そして、新しい支配者への歓迎。

「……終わったな」

 ジークハルトが言った。  風が彼の黒髪を揺らす。

「はい。……長かったです」 「これからは、忙しくなるぞ。……復興、統治、そして……私たちの結婚式の準備だ」

 彼は私の肩を引き寄せ、耳元で囁いた。

「式は盛大にやるぞ。世界中の王族を呼んで、貴様が誰のものか、骨の髄まで知らしめてやる」 「ふふ、またそんな独占欲を……」

 私は笑った。  でも、それが嬉しい。  誰かの「もの」として扱われることが、こんなに心地よいなんて。  それは、彼が私を「所有物」としてではなく、「唯一無二の伴侶」として大切にしてくれているからだ。

「幸せにします、ジーク様」 「違うだろ。……幸せにするのは私の役目だ」 「じゃあ、二人で幸せになりましょう」

 私たちはバルコニーでキスをした。  民衆の歓声が、祝福の鐘のように鳴り響く。  太陽が雲間から顔を出し、私たちを照らした。  それは、これからの輝かしい未来を約束するような、眩しい光だった。

 しかし。  私たちはまだ気づいていなかった。  引きずり出されたアルフォンスの胸の内に、最後の、そして最悪の「闇」が芽生えていたことを。

 地下牢へ戻される途中、意識を取り戻したアルフォンスは、衛兵の隙を見て、懐に隠し持っていた「あるもの」を握りしめた。  それは、かつて王家の宝物庫から持ち出した、禁断の魔導具。  『強制契約の宝珠』。  対象の魂を強制的に縛り付け、意のままに操るという、古の呪物だ。

(……リーゼロッテ。君は私のものだ。……死んでも渡さない)

 彼の瞳は濁りきり、もはや人間としての理性は残っていなかった。  最後の暴走。  愚者のあがきが、フィナーレに向けて動き出そうとしていた。
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