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第16話 黒い軍勢、王城前にて
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その日の朝、魔界の空はどこまでも澄み渡り、二つの太陽(魔界には太陽も二つあるのだ)が祝福するように輝いていた。 魔王城の正門前には、これまで見たこともないほどの大軍勢が集結していた。
漆黒の鎧に身を包んだ重装歩兵団。 空を埋め尽くすワイバーン騎兵隊。 地響きを立てて整列する巨獣ベヒーモスの戦車部隊。 総勢五万。 魔王軍の主力部隊が、完全武装で整列している光景は、圧巻の一言に尽きる。
だが、その雰囲気は「これから戦争に行く」という殺伐としたものではなかった。 兵士たちの鎧はピカピカに磨き上げられ、武器の先にはリボンや花が飾られている。 掲げられた旗印には、魔王軍の紋章と共に、なぜか可愛らしいミツバチの刺繍(アリアを象徴しているらしい)が施されていた。
「……あの、ゼスト様?」
私はその光景を呆然と見上げながら、隣に立つ魔王ゼスト様に問いかけた。
「これは、一体何の騒ぎでしょうか? 今日は王都への『最終視察』に行く予定では?」
私はてっきり、少人数の護衛と共に、お忍びで復興状況を確認しに行くものだと思っていた。 それなのに、この国を挙げてのお祭り騒ぎはどういうことだろう。
「うむ。視察だ」
ゼスト様は平然と答えた。 今日の彼は、いつもの軍服ではなく、王族の式典用と思われる豪奢な礼服を身に纏っている。 黒のベルベットに金の刺繍、肩には真紅のマント。 その姿は、息を呑むほど凛々しく、そして威厳に満ちていた。
「だが、一国の主(実質アリアのことだが、彼女は気づいていない)が他国を訪問するのだ。相応の格式と警備が必要だろう?」
「格式と言いましても……これでは、まるで『侵略』か『凱旋』ではありませんか」
「安心しろ。彼らはあくまで『護衛』兼『パレード要員』だ。アリア、お前の晴れ姿を飾るためのな」
ゼスト様がウィンクする。 その隣で、双子のギルとルウも、おめかしをして待機していた。 二人とも、私の見立てた白いタキシード風の衣装を着ていて、まるで小さな王子様のようだ(実際に皇子様なのだが)。
「先生! 早く行こうよ! みんな待ってるぜ!」 「先生、今日のエスコートは僕たちに任せてね。転ばないように、空間ごと支えるから」
二人は私の両手を引く。 彼らの瞳はキラキラと輝き、これから始まる「イベント」を心待ちにしているようだった。
「はぁ……わかりました。でも、あまり市民の方々を怖がらせないでくださいね」
私は溜息をつきつつも、彼らの手を取った。 私の服装もまた、ゼスト様が用意した特注のドレスだった。 魔界の最高級シルク『月光布』を贅沢に使った、純白のドレス。 頭には、小さなティアラまで載せられている。 どう見ても「視察に行く家庭教師」の格好ではない。 まるで、これから結婚式か戴冠式にでも臨むかのような装いだった。
「全軍、進発!」
ゼスト様の号令が響き渡る。 ドォォォォン! 祝砲のような魔法花火が打ち上がり、黒い軍勢が動き出した。
行き先は、ルーンバルド王国。 かつて私が追放された故郷へ。 まさか、このような形で――魔王軍の最重要人物(VIP)として帰還することになろうとは、一ヶ月前の私には想像もできなかったことだ。
◇
『死の森』を抜けると、眼下に王国の平原が広がった。 私たちは、巨大な空飛ぶ船(魔導戦艦を改装した豪華客船)のデッキから、その景色を見下ろしていた。
かつて私がボロボロの体で歩いた道。 今は、魔王軍によって整備され、美しい街道へと生まれ変わっている。 そして、その街道沿いには、無数の人々が溢れかえっていた。
「わぁーっ! アリア様ー!」 「魔王軍だ! 黒い軍勢が来たぞ!」 「アリア様万歳! ゼスト陛下万歳!」
地響きのような歓声。 人々は魔王軍の旗を振り、花を投げ、涙を流して私たちを迎えている。 恐怖? 警戒? そんなものは微塵もない。 あるのは、熱狂的な歓迎と、崇拝に近い眼差しだけだ。
「……すごい」
私は手すりを握りしめた。 こんなにたくさんの人が、私を待っていてくれたなんて。
「人気者だな、アリア」
ゼスト様が隣で微笑む。
「お前が撒いた種が、花開いた結果だ。……彼らは知っているのだ。誰が本当に自分たちを愛し、守ってくれたのかを」
「私は……ただ、当たり前のことをしただけです」
「その『当たり前』ができない指導者が多かった、ということだ」
ゼスト様の視線が、遠くに見える王城へと向けられる。 そこには、かつて私を追放した王族たちが住んでいた。 今は主を失い、静まり返っているはずの城。
「……よし、着陸するぞ。王城前広場だ」
船が高度を下げる。 王都の上空を通過すると、市民の興奮は最高潮に達した。 屋根の上まで人が登り、子供たちが手を振っている。
広場に船が降り立つと、そこは既に群衆で埋め尽くされていた。 しかし、混乱はない。 魔王軍の兵士たちが整然と列を作り、赤いカーペットが敷かれた花道を確保していたからだ。
「さあ、行こうか」
タラップが下ろされる。 ゼスト様が手を差し出す。 私は深呼吸をして、その手を取った。
一歩、足を踏み出す。 その瞬間。
ワァァァァァァァッ!!
鼓膜が破れんばかりの大歓声が、王都の空気を震わせた。
「アリア様! おかえりなさい!」 「お美しい! 女神様だ!」 「俺たちの命の恩人!」
視界が滲む。 追放されたあの日、私は罵声を浴びながらこの街を出て行った。 「魔女」「冷血」「可愛げがない」。 そんな言葉を背中に受けて。
でも今は。 「女神」「慈悲深い」「美しい」。 温かい言葉のシャワーが、私の心の古傷を優しく洗い流していく。
「……ただいま、戻りました」
私は小さく呟いた。 誰にともなく。 でも、その言葉は魔力に乗って、広場全体に響き渡った(ルウ君の拡声魔法の仕業だ)。
さらに歓声が大きくなる。 私はゼスト様にエスコートされ、ギルとルウに裾を持たれながら、真っ直ぐなカーペットの上を歩き出した。 その先にあるのは、王城の正門。
かつて私を拒絶した扉が、今は大きく開け放たれ、私を招き入れていた。
◇
王城への道すがら、沿道には見覚えのある顔もちらほら見えた。 かつて私をいじめていた貴族の令嬢たち、私を無視した騎士団員、陰口を叩いていた文官たち。
彼らは一様に顔面蒼白で、地面に額を擦り付けるようにして平伏していた。 震えている。 私の視線が合うと、「ヒィッ!」と小さく悲鳴を上げ、さらに深く頭を下げる。
「……あら? 皆さん、顔色が優れませんね。風邪でも流行っているのかしら」
私が純粋に心配して声をかけると、彼らはビクリと跳ね上がった。
「も、申し訳ございませんアリア様! 生きていて申し訳ございません!」 「二度と逆らいません! 靴の裏をお舐めしますから、命だけは!」 「私の屋敷も財産も全て差し上げます! どうか慈悲を!」
……なぜ、そんなに怯えているのだろう。 私はただ「顔色が悪い」と言っただけなのに。
「先生。気にしなくていいよ」
ギルが私の耳元で囁く。
「あいつら、ちょっと『反省』しすぎちゃったみたいだから。……俺たちが昨日、夢枕に立って『先生に無礼な態度を取ったら、魂ごと消滅させる』ってアドバイスしたのが効きすぎたかな」
アドバイス? 夢枕に立つ? それは精神干渉魔法による脅迫ではないだろうか。
「ギル君、過激なことはダメよと言ったでしょう?」
「えー、何もしてないよ。ただ『挨拶』の仕方を教えただけだって」
ギルが口笛を吹く。 ルウも反対側でクスクスと笑っている。
「そうだよ先生。彼らは自分の意思で、先生への敬意を表しているんだ。……生存本能に従ってね」
生存本能。 穏やかではない単語が聞こえた気がするが、パレードの喧騒にかき消された。
とにかく、王都に残っていた貴族勢力は、完全に魔王軍(というより双子)の支配下に置かれているようだ。 彼らはアリアを崇めることこそが、唯一生き残る道だと悟ったのだ。
◇
王城のエントランスホールに到着した。 そこには、私の元部下であるセシルと、魔王軍の幹部たちが整列して待っていた。
「アリア様、魔王陛下。お待ちしておりました」
セシルが感極まった様子で一礼する。 彼女の目には涙が溢れている。
「セシル、元気そうですね。……城の管理、ご苦労様でした」
「はい……! アリア様が戻られるこの日のために、埃ひとつ残さず清掃いたしました!」
確かに、城内は見違えるほど綺麗になっていた。 かつてカイル王子が散らかしていた装飾品や、趣味の悪い肖像画などは撤去され、代わりにシンプルで洗練された調度品が置かれている。 壁には、なぜか私の肖像画(ルウ君作)が飾られているが……まあ、気にしないことにしよう。
「案内しよう、アリア。……『玉座の間』へ」
ゼスト様が私の背中を押す。 玉座の間。 そこは国の中心であり、かつて私が婚約破棄を言い渡された舞踏会場の奥にある、最も神聖な場所だ。
重厚な扉が開かれる。 ギィィィ……という音と共に、広大な空間が姿を現した。
赤い絨毯。 高くそびえる柱。 そして、一番奥の壇上に鎮座する、黄金の玉座。
かつて国王エドワードが座っていた場所。 しかし、今は空席だ。 いや、よく見ると、玉座のデザインが変わっている。 以前の仰々しい獅子の彫刻ではなく、優美な百合の花とミツバチをあしらった、繊細で美しい意匠の椅子になっていた。
「……これは?」
「お前のための席だ」
ゼスト様がさらりと言った。
「え?」
「この国はもう、お前のものだと言っただろう。王がいなくなった今、ここを治めるのはお前しかいない」
「で、ですが! 私は王族ではありませんし、それに……」
「血筋など関係ない。民が望み、俺が保証する。それが全てだ」
ゼスト様は私を壇上へと導く。 一歩、また一歩。 足音が静寂の中に響く。
壇上に立つと、そこからは王城の前庭、そしてその先に広がる大通りまでが一望できた。 何万という民衆が、固唾を飲んでこちらを見上げている。
私は振り返り、ゼスト様を見た。 彼は優しく頷く。
「座れ、アリア。……そこがお前の定位置だ」
「先生、座って!」 「先生なら似合うよ!」
双子も期待に満ちた目で私を見ている。 断れない。 この空気、絶対に断れない。
私は覚悟を決めて、玉座に腰を下ろした。 座り心地は……驚くほど良かった。 私の体型に合わせて作られたかのように、背中にフィットする。
その瞬間。
ザッ!
ホールにいた魔王軍の幹部たち、セシル、そして窓の外にいる兵士たちが、一斉に跪いた。 「女王アリア陛下に、栄光あれ!!」
ヴァルゴ様が高らかに宣言する。
「「「栄光あれ!!!」」」
城内外から、唱和する声が轟いた。 地響きのように、空まで届くかのような大音量。
「えっ、女王!? 陛下!?」
私は目を白黒させた。 家庭教師から女王へのジョブチェンジなんて聞いていない。
「おめでとう、アリア」
ゼスト様が私の隣に立ち(彼は座らない。あくまでアリアを立てている)、民衆に向かって手を挙げた。
「これより、このルーンバルド王国は、魔王国の同盟国……いや、『自治区』とする。そしてその統治を、アリア・ローズベリーに一任する!」
ワァァァァァァァッ!! 再びの大歓声。 民衆たちは抱き合って喜んでいる。 「やったぞ!」「アリア様の国だ!」と。
「……はめられましたね、ゼスト様」
私は小声で恨み言を言った。 顔は引きつった笑顔のままだ。
「人聞きの悪い。俺はただ、お前に相応しい『教壇』を用意しただけだ」
ゼスト様は悪戯っぽく笑った。
「家庭教師として、この国という大きな教室を、好きに導いてみせろ。……俺と子供たちが、全力でサポートするから」
その言葉には、絶対的な安心感があった。 一人ではない。 最強の魔王軍が、私の後ろ盾になってくれる。
「……わかりました。やるからには、徹底的にやらせていただきます」
私は腹を括った。 元々、この国を良くしたいという思いは誰よりも強かったのだ。 手段が少々(かなり)イレギュラーだっただけで、目的は達成できる。
私は立ち上がり、民衆に向かって手を振った。 その姿は、まさに新時代の女王そのものだった。
◇
その夜。 王城で盛大な祝賀パーティーが開かれた。 魔界の料理と人間界の料理が並び、種族を超えた交流が行われている。
私はバルコニーに出て、夜風に当たっていた。 一日中、緊張しっぱなしで疲れてしまった。
「お疲れ様、先生」
背後からギルとルウが現れた。
「ありがとう、二人とも。……今日は本当に、すごい一日だったわ」
「へへっ、先生が喜んでくれてよかったよ」 「僕たちの計画通り……じゃなくて、みんなの願いが叶ってよかったね」
ルウが言い直す。
「ねえ、先生。これで終わりじゃないよね?」
ギルが手すりに乗り出し、夜景を見下ろしながら言った。
「え?」
「まだ、片付けなきゃいけない『ゴミ』が残ってるでしょ?」
ギルの声のトーンが、スッと下がる。 ルウもまた、冷ややかな瞳で王城の地下――深い深い闇の底を見つめていた。
「……そうね。まだ、終わっていないわね」
私は彼らの意図(カイルたちの処遇)とは別に、まだ国内に残る問題や、外交課題のことを考えていた。
「明日は、地下牢の視察に行きましょうか。……捕虜になっている方々(カイルたちとは知らない)とも、対話が必要ですし」
私が言うと、双子は顔を見合わせて、ニヤリと笑った。
「うん、そうだね先生。……きっと彼らも、先生に会いたがってるよ」 「感動の対面だね。……涙なしには見られないだろうな」
双子の邪悪な笑みに、私は気づかない。 彼らが用意した最後のイベント――『断罪返し』の舞台が、地下の特別法廷ですでに完成していることを。
そこでは、精神的にも社会的にも死んだはずのカイルとミナが、最後の審判を受けるために待たされている。 アリアが慈悲を与えるか、それとも双子がトドメを刺すか。 物語はいよいよ、真のエンディングへと向かっていく。
漆黒の鎧に身を包んだ重装歩兵団。 空を埋め尽くすワイバーン騎兵隊。 地響きを立てて整列する巨獣ベヒーモスの戦車部隊。 総勢五万。 魔王軍の主力部隊が、完全武装で整列している光景は、圧巻の一言に尽きる。
だが、その雰囲気は「これから戦争に行く」という殺伐としたものではなかった。 兵士たちの鎧はピカピカに磨き上げられ、武器の先にはリボンや花が飾られている。 掲げられた旗印には、魔王軍の紋章と共に、なぜか可愛らしいミツバチの刺繍(アリアを象徴しているらしい)が施されていた。
「……あの、ゼスト様?」
私はその光景を呆然と見上げながら、隣に立つ魔王ゼスト様に問いかけた。
「これは、一体何の騒ぎでしょうか? 今日は王都への『最終視察』に行く予定では?」
私はてっきり、少人数の護衛と共に、お忍びで復興状況を確認しに行くものだと思っていた。 それなのに、この国を挙げてのお祭り騒ぎはどういうことだろう。
「うむ。視察だ」
ゼスト様は平然と答えた。 今日の彼は、いつもの軍服ではなく、王族の式典用と思われる豪奢な礼服を身に纏っている。 黒のベルベットに金の刺繍、肩には真紅のマント。 その姿は、息を呑むほど凛々しく、そして威厳に満ちていた。
「だが、一国の主(実質アリアのことだが、彼女は気づいていない)が他国を訪問するのだ。相応の格式と警備が必要だろう?」
「格式と言いましても……これでは、まるで『侵略』か『凱旋』ではありませんか」
「安心しろ。彼らはあくまで『護衛』兼『パレード要員』だ。アリア、お前の晴れ姿を飾るためのな」
ゼスト様がウィンクする。 その隣で、双子のギルとルウも、おめかしをして待機していた。 二人とも、私の見立てた白いタキシード風の衣装を着ていて、まるで小さな王子様のようだ(実際に皇子様なのだが)。
「先生! 早く行こうよ! みんな待ってるぜ!」 「先生、今日のエスコートは僕たちに任せてね。転ばないように、空間ごと支えるから」
二人は私の両手を引く。 彼らの瞳はキラキラと輝き、これから始まる「イベント」を心待ちにしているようだった。
「はぁ……わかりました。でも、あまり市民の方々を怖がらせないでくださいね」
私は溜息をつきつつも、彼らの手を取った。 私の服装もまた、ゼスト様が用意した特注のドレスだった。 魔界の最高級シルク『月光布』を贅沢に使った、純白のドレス。 頭には、小さなティアラまで載せられている。 どう見ても「視察に行く家庭教師」の格好ではない。 まるで、これから結婚式か戴冠式にでも臨むかのような装いだった。
「全軍、進発!」
ゼスト様の号令が響き渡る。 ドォォォォン! 祝砲のような魔法花火が打ち上がり、黒い軍勢が動き出した。
行き先は、ルーンバルド王国。 かつて私が追放された故郷へ。 まさか、このような形で――魔王軍の最重要人物(VIP)として帰還することになろうとは、一ヶ月前の私には想像もできなかったことだ。
◇
『死の森』を抜けると、眼下に王国の平原が広がった。 私たちは、巨大な空飛ぶ船(魔導戦艦を改装した豪華客船)のデッキから、その景色を見下ろしていた。
かつて私がボロボロの体で歩いた道。 今は、魔王軍によって整備され、美しい街道へと生まれ変わっている。 そして、その街道沿いには、無数の人々が溢れかえっていた。
「わぁーっ! アリア様ー!」 「魔王軍だ! 黒い軍勢が来たぞ!」 「アリア様万歳! ゼスト陛下万歳!」
地響きのような歓声。 人々は魔王軍の旗を振り、花を投げ、涙を流して私たちを迎えている。 恐怖? 警戒? そんなものは微塵もない。 あるのは、熱狂的な歓迎と、崇拝に近い眼差しだけだ。
「……すごい」
私は手すりを握りしめた。 こんなにたくさんの人が、私を待っていてくれたなんて。
「人気者だな、アリア」
ゼスト様が隣で微笑む。
「お前が撒いた種が、花開いた結果だ。……彼らは知っているのだ。誰が本当に自分たちを愛し、守ってくれたのかを」
「私は……ただ、当たり前のことをしただけです」
「その『当たり前』ができない指導者が多かった、ということだ」
ゼスト様の視線が、遠くに見える王城へと向けられる。 そこには、かつて私を追放した王族たちが住んでいた。 今は主を失い、静まり返っているはずの城。
「……よし、着陸するぞ。王城前広場だ」
船が高度を下げる。 王都の上空を通過すると、市民の興奮は最高潮に達した。 屋根の上まで人が登り、子供たちが手を振っている。
広場に船が降り立つと、そこは既に群衆で埋め尽くされていた。 しかし、混乱はない。 魔王軍の兵士たちが整然と列を作り、赤いカーペットが敷かれた花道を確保していたからだ。
「さあ、行こうか」
タラップが下ろされる。 ゼスト様が手を差し出す。 私は深呼吸をして、その手を取った。
一歩、足を踏み出す。 その瞬間。
ワァァァァァァァッ!!
鼓膜が破れんばかりの大歓声が、王都の空気を震わせた。
「アリア様! おかえりなさい!」 「お美しい! 女神様だ!」 「俺たちの命の恩人!」
視界が滲む。 追放されたあの日、私は罵声を浴びながらこの街を出て行った。 「魔女」「冷血」「可愛げがない」。 そんな言葉を背中に受けて。
でも今は。 「女神」「慈悲深い」「美しい」。 温かい言葉のシャワーが、私の心の古傷を優しく洗い流していく。
「……ただいま、戻りました」
私は小さく呟いた。 誰にともなく。 でも、その言葉は魔力に乗って、広場全体に響き渡った(ルウ君の拡声魔法の仕業だ)。
さらに歓声が大きくなる。 私はゼスト様にエスコートされ、ギルとルウに裾を持たれながら、真っ直ぐなカーペットの上を歩き出した。 その先にあるのは、王城の正門。
かつて私を拒絶した扉が、今は大きく開け放たれ、私を招き入れていた。
◇
王城への道すがら、沿道には見覚えのある顔もちらほら見えた。 かつて私をいじめていた貴族の令嬢たち、私を無視した騎士団員、陰口を叩いていた文官たち。
彼らは一様に顔面蒼白で、地面に額を擦り付けるようにして平伏していた。 震えている。 私の視線が合うと、「ヒィッ!」と小さく悲鳴を上げ、さらに深く頭を下げる。
「……あら? 皆さん、顔色が優れませんね。風邪でも流行っているのかしら」
私が純粋に心配して声をかけると、彼らはビクリと跳ね上がった。
「も、申し訳ございませんアリア様! 生きていて申し訳ございません!」 「二度と逆らいません! 靴の裏をお舐めしますから、命だけは!」 「私の屋敷も財産も全て差し上げます! どうか慈悲を!」
……なぜ、そんなに怯えているのだろう。 私はただ「顔色が悪い」と言っただけなのに。
「先生。気にしなくていいよ」
ギルが私の耳元で囁く。
「あいつら、ちょっと『反省』しすぎちゃったみたいだから。……俺たちが昨日、夢枕に立って『先生に無礼な態度を取ったら、魂ごと消滅させる』ってアドバイスしたのが効きすぎたかな」
アドバイス? 夢枕に立つ? それは精神干渉魔法による脅迫ではないだろうか。
「ギル君、過激なことはダメよと言ったでしょう?」
「えー、何もしてないよ。ただ『挨拶』の仕方を教えただけだって」
ギルが口笛を吹く。 ルウも反対側でクスクスと笑っている。
「そうだよ先生。彼らは自分の意思で、先生への敬意を表しているんだ。……生存本能に従ってね」
生存本能。 穏やかではない単語が聞こえた気がするが、パレードの喧騒にかき消された。
とにかく、王都に残っていた貴族勢力は、完全に魔王軍(というより双子)の支配下に置かれているようだ。 彼らはアリアを崇めることこそが、唯一生き残る道だと悟ったのだ。
◇
王城のエントランスホールに到着した。 そこには、私の元部下であるセシルと、魔王軍の幹部たちが整列して待っていた。
「アリア様、魔王陛下。お待ちしておりました」
セシルが感極まった様子で一礼する。 彼女の目には涙が溢れている。
「セシル、元気そうですね。……城の管理、ご苦労様でした」
「はい……! アリア様が戻られるこの日のために、埃ひとつ残さず清掃いたしました!」
確かに、城内は見違えるほど綺麗になっていた。 かつてカイル王子が散らかしていた装飾品や、趣味の悪い肖像画などは撤去され、代わりにシンプルで洗練された調度品が置かれている。 壁には、なぜか私の肖像画(ルウ君作)が飾られているが……まあ、気にしないことにしよう。
「案内しよう、アリア。……『玉座の間』へ」
ゼスト様が私の背中を押す。 玉座の間。 そこは国の中心であり、かつて私が婚約破棄を言い渡された舞踏会場の奥にある、最も神聖な場所だ。
重厚な扉が開かれる。 ギィィィ……という音と共に、広大な空間が姿を現した。
赤い絨毯。 高くそびえる柱。 そして、一番奥の壇上に鎮座する、黄金の玉座。
かつて国王エドワードが座っていた場所。 しかし、今は空席だ。 いや、よく見ると、玉座のデザインが変わっている。 以前の仰々しい獅子の彫刻ではなく、優美な百合の花とミツバチをあしらった、繊細で美しい意匠の椅子になっていた。
「……これは?」
「お前のための席だ」
ゼスト様がさらりと言った。
「え?」
「この国はもう、お前のものだと言っただろう。王がいなくなった今、ここを治めるのはお前しかいない」
「で、ですが! 私は王族ではありませんし、それに……」
「血筋など関係ない。民が望み、俺が保証する。それが全てだ」
ゼスト様は私を壇上へと導く。 一歩、また一歩。 足音が静寂の中に響く。
壇上に立つと、そこからは王城の前庭、そしてその先に広がる大通りまでが一望できた。 何万という民衆が、固唾を飲んでこちらを見上げている。
私は振り返り、ゼスト様を見た。 彼は優しく頷く。
「座れ、アリア。……そこがお前の定位置だ」
「先生、座って!」 「先生なら似合うよ!」
双子も期待に満ちた目で私を見ている。 断れない。 この空気、絶対に断れない。
私は覚悟を決めて、玉座に腰を下ろした。 座り心地は……驚くほど良かった。 私の体型に合わせて作られたかのように、背中にフィットする。
その瞬間。
ザッ!
ホールにいた魔王軍の幹部たち、セシル、そして窓の外にいる兵士たちが、一斉に跪いた。 「女王アリア陛下に、栄光あれ!!」
ヴァルゴ様が高らかに宣言する。
「「「栄光あれ!!!」」」
城内外から、唱和する声が轟いた。 地響きのように、空まで届くかのような大音量。
「えっ、女王!? 陛下!?」
私は目を白黒させた。 家庭教師から女王へのジョブチェンジなんて聞いていない。
「おめでとう、アリア」
ゼスト様が私の隣に立ち(彼は座らない。あくまでアリアを立てている)、民衆に向かって手を挙げた。
「これより、このルーンバルド王国は、魔王国の同盟国……いや、『自治区』とする。そしてその統治を、アリア・ローズベリーに一任する!」
ワァァァァァァァッ!! 再びの大歓声。 民衆たちは抱き合って喜んでいる。 「やったぞ!」「アリア様の国だ!」と。
「……はめられましたね、ゼスト様」
私は小声で恨み言を言った。 顔は引きつった笑顔のままだ。
「人聞きの悪い。俺はただ、お前に相応しい『教壇』を用意しただけだ」
ゼスト様は悪戯っぽく笑った。
「家庭教師として、この国という大きな教室を、好きに導いてみせろ。……俺と子供たちが、全力でサポートするから」
その言葉には、絶対的な安心感があった。 一人ではない。 最強の魔王軍が、私の後ろ盾になってくれる。
「……わかりました。やるからには、徹底的にやらせていただきます」
私は腹を括った。 元々、この国を良くしたいという思いは誰よりも強かったのだ。 手段が少々(かなり)イレギュラーだっただけで、目的は達成できる。
私は立ち上がり、民衆に向かって手を振った。 その姿は、まさに新時代の女王そのものだった。
◇
その夜。 王城で盛大な祝賀パーティーが開かれた。 魔界の料理と人間界の料理が並び、種族を超えた交流が行われている。
私はバルコニーに出て、夜風に当たっていた。 一日中、緊張しっぱなしで疲れてしまった。
「お疲れ様、先生」
背後からギルとルウが現れた。
「ありがとう、二人とも。……今日は本当に、すごい一日だったわ」
「へへっ、先生が喜んでくれてよかったよ」 「僕たちの計画通り……じゃなくて、みんなの願いが叶ってよかったね」
ルウが言い直す。
「ねえ、先生。これで終わりじゃないよね?」
ギルが手すりに乗り出し、夜景を見下ろしながら言った。
「え?」
「まだ、片付けなきゃいけない『ゴミ』が残ってるでしょ?」
ギルの声のトーンが、スッと下がる。 ルウもまた、冷ややかな瞳で王城の地下――深い深い闇の底を見つめていた。
「……そうね。まだ、終わっていないわね」
私は彼らの意図(カイルたちの処遇)とは別に、まだ国内に残る問題や、外交課題のことを考えていた。
「明日は、地下牢の視察に行きましょうか。……捕虜になっている方々(カイルたちとは知らない)とも、対話が必要ですし」
私が言うと、双子は顔を見合わせて、ニヤリと笑った。
「うん、そうだね先生。……きっと彼らも、先生に会いたがってるよ」 「感動の対面だね。……涙なしには見られないだろうな」
双子の邪悪な笑みに、私は気づかない。 彼らが用意した最後のイベント――『断罪返し』の舞台が、地下の特別法廷ですでに完成していることを。
そこでは、精神的にも社会的にも死んだはずのカイルとミナが、最後の審判を受けるために待たされている。 アリアが慈悲を与えるか、それとも双子がトドメを刺すか。 物語はいよいよ、真のエンディングへと向かっていく。
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妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
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