敗戦国の元王子へ 〜私を追放したせいで貴国は我が帝国に負けました。私はもう「敵国の皇后」ですので、頭が高いのではないでしょうか?〜

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第十七話:新しい命の誕生と、父の涙

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帝都に、初雪が舞い降りた日だった。

窓の外は、一面の銀世界。 一年前のあの日、私が国を追放され、凍える馬車の中で震えていた日と同じような、深く静かな雪の日。

けれど、今の私は寒くない。 暖炉の火が燃える暖かい寝室で、最高級の羽毛布団に包まれている。

ただ、別の意味で震えていた。

「うっ……くぅ……っ!」

激しい痛みが、波のように押し寄せてくる。 下腹部を万力で締め上げられるような、息もできないほどの痛み。

「頑張ってください、皇后陛下! 頭が見えております!」

「あと少しです! 息を吸って、吐いて!」

数人の産婆たちが、私の周りで声を張り上げている。 額から脂汗が流れ、髪が肌に張り付く。 シーツを握りしめる手は白く変色し、感覚がなかった。

(痛い……。これほどとは……)

計算外だった。 書物で読んだ知識では、「鼻からスイカを出すような痛み」とあったが、そんな生易しいものではない。 腰が砕け、内側から体を食い破られるような感覚だ。

「はぁっ、はぁっ……!」

呼吸が乱れる。 意識が遠のきそうになる。

その時、誰かが私の手を強く握った。 大きく、ゴツゴツとした、温かい手。

「コーデリア! しっかりしろ!」

ジークハルト様だ。 本来、出産は血の穢(けが)れがあるとして、男性、ましてや皇帝が立ち会うことは許されない。 侍従たちが必死に止めたはずだが、彼はそれを振り切って入ってきたのだ。

「陛下……入っては……だめ……」

「黙れ! 妻が命がけで戦っているのに、私が外で待っていられるか!」

彼は私の汗ばんだ前髪を払った。 その顔面は蒼白で、私以上に苦しそうだ。 いつも冷静沈着な氷の皇帝が、今はただのパニックになった夫だった。

「私だ! 私の手を握れ! 骨が砕けても構わん、思い切り握り潰せ!」

「……ふふっ」

痛みの合間に、小さな笑いが漏れた。 皇帝の手を握り潰すなんて、不敬罪で死刑だわ。 でも、その必死さが嬉しかった。

「ううっ……来ますっ……!」

再び、大きな痛みの波が来た。

「いきんでください! せーのっ!」

私は彼の手を、ありったけの力で握りしめた。 奥歯が砕けるほど噛み締め、全身の力を下腹部へ集中させる。 これが最後の仕事。 私と、彼の子供を、この世に送り出すための、命がけのミッション。

(負けない……!)

私は公爵令嬢として、皇后として、数々の修羅場をくぐり抜けてきた。 無能な王太子の尻拭いも、国の借金返済も、戦争の指揮もやってきた。 たかが出産ごときに、負けてたまるものか。

「んんーーーーっ!!」

「そうです! お上手です!」

「コーデリア! 頑張れ! あと少しだ!」

ジークハルト様の声が、命綱のように私を現実に繋ぎ止める。

「うあああああああっ!!」

最後の力を振り絞る。 視界が真っ白に弾けた。

ドゥルン。

何かが、体から抜け出した感覚。 そして、急に訪れた虚脱感。

一瞬の静寂の後。

オギャアアアアアア! オギャアアアアアア!

元気な産声が、部屋中に響き渡った。 それは、世界で一番力強く、美しい音楽だった。

「おお……っ!」 「生まれました! 元気な男の子です!」

産婆が、白い布に包まれた小さな塊を抱き上げた。 私は荒い息をつきながら、首だけでそちらを見た。

「……私の……赤ちゃん……」

「おめでとうございます、陛下」

産婆がきれいに拭いた赤子を、ジークハルト様に手渡した。 彼は恐る恐る、まるで壊れ物を扱うように、その小さな命を受け取った。

「……これが……」

彼は呆然としていた。 腕の中には、まだ赤く皺くちゃで、でも確かに生きている人間がいる。 頭には、彼と同じ銀色の産毛が生えていた。

「私の、息子……」

ジークハルト様の肩が震え始めた。 そして、ポタ、ポタと、雫が赤ちゃんの頬を濡らした。

彼が、泣いていた。 音もなく、ただ溢れるように涙を流していた。

「……陛下?」

「……小さくて、温かい」

彼は絞り出すように言った。

「私は、多くの命を奪ってきた。この手は血で汚れている。……それなのに、こんなに綺麗な命を、抱いていいのだろうか」

彼はずっと恐れていたのだ。 覇王としての業(ごう)が、子供に災いをもたらすのではないかと。 孤独な生い立ちが、家族を持つ資格を奪っているのではないかと。

「……陛下。こちらへ」

私は腕を伸ばした。 彼は赤子を抱いたまま、ベッドの縁に腰掛けた。

「見てください。貴方の指を握っていますよ」

赤ちゃんの小さな手が、ジークハルト様の大きな指をぎゅっと握りしめていた。 本能的な、信頼の証。

「……ああ」

「その子は言っています。『パパ、守ってね』と。……貴方の手は、もう奪うための手ではありません。守るための手です」

私は彼の手と、赤ちゃんの手に、自分の手を重ねた。

「貴方は世界一のパパになれます。私が保証します」

「……コーデリア」

彼は涙に濡れた顔で私を見つめ、そして深く頷いた。

「誓う。……この子の未来に、一点の曇りも残さないと。私が全てを背負い、この子が笑って生きられる世界を作ると」

それは、皇帝としての誓いであり、父親としての最初の約束だった。

「名前は……決めてありますか?」

「ああ」

彼は愛おしそうに息子の額にキスをした。

「『レオンハルト』。……勇敢なる獅子という意味だ。強く、気高く、そして貴女のように賢くあってほしい」

「レオンハルト……。レオン、ですね」

素敵な名前だ。 帝国の未来を背負うに相応しい、力強い響き。

「レオン。ようこそ、私たちのところへ」

私が指で彼の頬をつつくと、レオンはくすぐったそうに顔をしかめ、また元気に泣き出した。 その声は、窓の外の雪を溶かすほどに熱く、生命力に満ちていた。

     * * *

翌日。 帝都の中央広場には、早朝から大群衆が押し寄せていた。 皇子誕生のニュースを聞きつけた市民たちが、お祝いに駆けつけたのだ。

バルコニーにジークハルト様が現れると、地鳴りのような歓声が上がった。 彼の手には、白いおくるみに包まれたレオンが抱かれている。

「帝国臣民よ、聞け!」

ジークハルト様の声が、魔導拡声器を通じて帝都中に響き渡る。

「昨夜、我が家に第一皇子が誕生した! 名はレオンハルト! 次代の皇帝であり、私と皇后の愛の結晶である!」

『ウォーッ!! 万歳!!』 『レオンハルト殿下万歳!!』

帽子が空に舞い、紙吹雪が撒かれる。 誰もが笑顔だった。 かつては「氷の国」と呼ばれ、厳格さと恐怖で支配されていた帝国が、今やこんなにも温かい歓喜に包まれている。

私はベッドの上で、窓から聞こえるその歓声を聞いていた。 体はまだ痛むけれど、心は満たされていた。

(聞こえる? レオン。みんなが貴方を待っていたのよ)

隣で眠る小さな寝顔を見つめる。 この子が大きくなる頃には、この国はもっと豊かで、平和な場所になっているはずだ。 パパとママが、その土台を作っておくからね。

「……さて」

私はサイドテーブルに置いてあったメモ帳を手に取った。

「産休は終わりね。……レオンのための教育プランと、出産祝い金の財源確保、それに託児所建設の最終決裁……やることが山積みだわ」

ペンを握る。 その感触が心地よい。 母親になっても、私は私だ。 「賢皇后」として、この子のために最高の国を用意するのが、私の愛し方だから。

「……おい」

バルコニーから戻ってきたジークハルト様が、メモ帳を持つ私を見て絶句した。

「貴女という人は……産んで半日も経っていないのに、もう仕事か!?」

「あら、頭は元気ですもの。それに、いいアイデアが浮かんだのです」

「駄目だ! 絶対に駄目だ! ペンを置け!」

彼は慌てて私のペンを没収した。 レオンが目を覚まし、キャッキャと笑う。

「ほら、レオンも『ママ、休んで』と言っているぞ」

「『パパ、ママの邪魔をしないで』と言っているように見えますけど?」

「口答えをするな。……はぁ、本当に貴女には敵わんな」

彼は呆れつつも、愛おしそうに私とレオンを抱きしめた。

「ありがとう、コーデリア。……世界で一番、愛している」

「はい。私もです、ジークハルト様」

窓の外では、雪が止み、雲の切れ間から眩しい朝日が差し込んでいた。 それは、私たち家族の未来を照らす、希望の光そのものだった。

     * * *

一方、その頃。 北の開拓地。

極寒の風が吹き荒れる中、レイモンドは震える手で焚き火に当たっていた。 今日の夕食は、具のない薄いスープと、堅い黒パン一つ。

「……寒い」

彼は鼻水をすすった。 手足はあかぎれだらけで、かつての美貌は見る影もない。

「ねえ、聞いた?」

隣で、ボロボロの布を纏ったミナが、うつろな目で呟いた。

「帝都でお祝いがあるんだって。皇子様が生まれたんだって」

「……ああ、聞いたよ。看守たちが酒盛りをして騒いでいたからな」

レイモンドは焚き火を見つめたまま、力なく答えた。

「いいなぁ……。私たちが勝っていれば、その子は私の子供だったかもしれないのに」

「馬鹿を言うな。……俺の子だったら、あんなに歓迎されなかったさ」

レイモンドは自嘲気味に笑った。 彼は知っていた。 帝国の繁栄も、民衆の笑顔も、すべてはコーデリアとジークハルトの「能力」と「努力」の結果であることを。 自分には、何もなかったことを。

「あーあ。ケーキ食べたいなぁ」

ミナが呟き、そのまま横になって眠ってしまった。 聖女の力も、希望もなくした彼女は、ただ食べて寝るだけの生き物になり果てていた。

「……おめでとう、コーデリア」

レイモンドは北の空に向かって、小さく呟いた。 それは初めて彼が抱いた、純粋な祝福の言葉だったかもしれない。 だが、その言葉は吹雪にかき消され、誰にも届くことはなかった。

彼は黒パンをかじった。 その味は、涙のようにしょっぱかった。
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