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第十八話:黄金の国と、小さな皇帝陛下
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月日が流れるのは早いもので、あの雪の日の出産から、5年の歳月が流れた。
帝国は今、かつてない黄金時代を迎えていた。
私が構築した大陸全土を網羅する物流ネットワークは、帝国の血管として脈打ち、富と文化を循環させている。 かつては「野蛮な軍事国家」と恐れられた帝国は、今や「世界で最も豊かで、洗練された文明の中心地」として、諸外国の憧れの的となっていた。
併合された旧王国領も、今では「西方特別州」として完全に復興し、農業と観光の一大拠点として賑わっている。 かつて飢えていた人々は、今は豊かな食卓を囲み、「賢皇后万歳」と口を揃えて称えてくれている。
そして、帝城の執務室。
「……レオン? レオンハルト? どこに隠れたの?」
私は書類の手を止め、机の下を覗き込んだ。 今日は皇子レオンハルトの家庭教師によるレッスンの時間のはずだ。 しかし、侍女からの「殿下が脱走しました」という報告を受け、私は捜索に乗り出していた。
「まったく……あの子ったら。誰に似たのかしら」
ため息をつく。 運動神経が良く、じっとしていられないところは父親譲りだ。 だが、隠れ場所の選び方が巧妙で、大人の死角を突いてくるあたりは、私の血を感じざるを得ない。
私は廊下を歩きながら、衛兵に尋ねた。
「陛下はどちらへ?」
「はっ! 陛下でしたら、南の軍議室にいらっしゃいます!」
「軍議室……。嫌な予感がするわね」
私は足早に向かった。 重厚な扉の向こうから、何やら楽しげな声が聞こえてくる。
そっと扉を開ける。
そこには、巨大な戦略地図を広げたテーブルの上に乗っかっている、銀髪の小さな男の子の姿があった。 5歳になったばかりの我が息子、レオンハルトだ。
そして、その横でデレデレとした顔で見守っているのが、夫であるジークハルト陛下だった。
「パパ! ここ、だめだよ!」
レオンが短い指で地図を指差している。
「ここの街道は、馬車がすれ違えないよ。一方通行にしないと、物流が詰まっちゃうぞ?」
「ほう! なるほど、一方通行か! 素晴らしい着眼点だ!」
ジークハルト様が、目を輝かせて頷いている。
「じゃあ、帰りの馬車はどうするんだ?」
「こっちの山道を使うの! トンネル掘れば早いよ! ママが言ってたもん、『最短距離こそ正義』だって!」
「ぶはははは! さすが私の息子だ! 5歳にしてトンネル工事の必要性を説くとは!」
ジークハルト様はレオンを抱き上げ、高い高いをした。
「天才だ! 間違いなく天才だ! 将来は私を超える名君になるぞ!」
「キャハハ! パパ高いー!」
……完全に、親バカと悪ガキの図だ。 私は呆れつつ、わざと大きな音を立てて咳払いをした。
「ゴホン」
二人の動きがピタリと止まる。 ギギギ……と錆びついた人形のような動きで、二人がこちらを振り向いた。
「あ……ママ……」
「コーデリア……。い、いや、これは違うんだ。軍事教育の一環で……」
言い訳をしようとする世界最強の皇帝と、その胸に隠れようとする次期皇帝。 私は腕を組み、ニッコリと微笑んだ。 目が笑っていない笑顔で。
「レオン。今は歴史の勉強の時間ではありませんでしたか?」
「だ、だってぇ……歴史の本、つまんないんだもん。昔のことより、これからのこと考えたほうが楽しいよ」
なんて生意気な口を利くようになったのかしら。 でも、その通りだと思ってしまう自分もいるのが悔しい。
「ジークハルト様もです。家庭教師の先生が泣いていましたよ? 『殿下が窓からロープで降下して逃亡されました』って」
「なっ、窓からロープで!? ……やるな、我が息子よ。その度胸と身体能力、見事だ」
「褒めないでください」
私はジークハルト様からレオンを引き剥がし、抱き上げた。 ずっしりと重い。 成長を感じる重みだ。
「レオン。パパと遊ぶのは、お勉強が終わってからです。約束を守れない子は、おやつのプリン抜きですよ」
「えーっ! プリンやだ! 勉強する! するからぁ!」
食い意地が張っているところも、父親譲りだ。 私はレオンを侍女に引き渡し、家庭教師の元へ連れて行かせた。
部屋に二人きりになると、ジークハルト様が苦笑いしながら近づいてきた。
「厳しすぎるんじゃないか? まだ5歳だぞ」
「5歳だからこそ、です。あの子は賢すぎます。今のうちに規律を教えないと、将来とんでもない暴君か、マッドサイエンティストになってしまいますわ」
「マッド……それは困るな」
陛下は私の腰に手を回し、引き寄せた。
「だが、あの子を見ていると、貴女に出会った頃を思い出すよ。あの地図を見る鋭い目つき。そっくりだ」
「嫌だわ。あんなに可愛げのない子供でしたか?」
「最高に可愛げがなくて、愛おしかったさ」
彼は自然な動作でキスをしてきた。 結婚して5年経っても、この人の甘さは変わらない。 むしろ、年々増している気がする。 皇帝としての威厳も増したが、私とレオンの前でだけ見せるこの甘い顔は、誰にも見せられない国家機密だ。
「……平和ですね」
私は彼の胸に頭を預けた。
「ああ。貴女が作ってくれた平和だ」
その時、急に扉がノックされた。 宰相が慌てた様子で入ってくる。
「へ、陛下! 皇后陛下! 大変です!」
「どうした? またレオンが逃げ出したか?」
「いえ、違います! 旧王国の北端、例の『開拓地』から緊急報告です!」
開拓地。 その言葉に、私の背筋が少し伸びた。 レイモンドとミナがいる場所だ。
「何があった?」
「大規模な雪崩が発生しました。作業現場が飲み込まれ……多数の行方不明者が出ております」
空気が張り詰めた。 私はジークハルト様と顔を見合わせた。
「被害状況は?」
「現在確認中ですが……囚人たちの宿舎も一部損壊したとの情報が。生存者のリストを確認中ですが、まだ混乱しており……」
「直ちに救援隊を派遣しろ! 物資の手配は私がやる!」
私は即座に指示を出した。 感傷に浸っている暇はない。 たとえ彼らが罪人であろうと、帝国の管理下にある人間だ。 見殺しにはできない。
「コーデリア」
ジークハルト様が私の手を握った。
「私も行く。空輸部隊を使えば、半日で行ける」
「陛下が!? 危険です!」
「現場が混乱している時こそ、トップが顔を見せる必要がある。それに……」
彼は静かに言った。
「彼らとの因縁に、本当の意味で決着をつける時が来たのかもしれん」
私は彼の瞳を見て、覚悟を決めた。
「……わかりました。私も同行します。皇后として、陣頭指揮を執ります」
私たちはレオンを信頼できる侍従長に預け、直ちに北へと飛んだ。
* * *
数時間後。 北の開拓地は、白い地獄と化していた。 山肌が大きく削げ落ち、巨大な雪の塊が作業場を埋め尽くしている。
「急げ! まだ生きている者がいるはずだ!」 「こっちだ! 手を貸せ!」
帝国軍の兵士たちが、必死に救助活動を行っていた。 私たちも到着するなり、現場指揮に入った。
「医療班はテントへ! 温かいスープと毛布を最優先で配給して!」 「魔導師隊は雪の溶解を! 二次災害に警戒しなさい!」
私の指示で、混乱していた現場が徐々に機能し始める。 幸い、迅速な対応のおかげで、多くの作業員が救出された。
だが。
「……報告します」
捜索隊の隊長が、沈痛な面持ちで私たちの前に現れた。
「崩落の中心部にあった第3作業班……生存者は絶望的です」
第3作業班。 それは、最も過酷な最前線であり、レイモンドたちが配置されていた班だ。
「……そうか」
ジークハルト様は短く呟き、雪山を見上げた。
「案内しろ」
私たちは、崩落現場へと向かった。 そこには、巨大な岩と雪が混じり合った残骸の山があった。
「ここです。……遺留品が見つかりました」
兵士が差し出したのは、ひしゃげた錆びたスコップと、泥だらけになったピンク色の布切れだった。
ミナの、ドレスの切れ端だ。 彼女が最後まで執着し、囚人服の下に隠し持っていたものだろうか。
そして、その近くの雪の中から、一本の折れたつるはしが見つかった。 柄の部分に、不器用な字で何かが彫られている。
『C』
一文字だけ。 私のイニシャルだ。
私はそのつるはしを手に取った。 冷たい。 そして、軽い。 こんな粗末な道具で、彼はずっと岩を砕いていたのか。
「……目撃者の証言があります」
隊長が言った。
「雪崩が起きた瞬間、このつるはしの持ち主……元王太子レイモンドは、逃げ遅れた女性囚人を庇(かば)うようにして、岩の下敷きになったそうです」
「……庇った?」
あのレイモンドが? 自分さえ良ければいい、他人は道具だと言っていた彼が?
「はい。その女性囚人は……元聖女ミナだったと見られています。二人とも、最後まで一緒だったようです」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
彼らは愚かだった。 傲慢で、無知で、私を傷つけた。 でも、最後の最後で。 極限の絶望の中で、彼らは互いを見捨てなかったのだ。 「愛があればなんとかなる」という彼らの軽薄な言葉は、最後の瞬間にだけ、少しだけ真実になったのかもしれません。
「……そうか」
ジークハルト様は、静かに目を閉じた。
「遺体が見つからなければ、墓も作れんが……せめて、ここで祈ろう」
彼は雪の上に膝をつき、黙祷を捧げた。 私も隣に跪き、手を合わせた。
憎しみは、もうなかった。 あるのは、静かな哀れみと、彼らの魂がようやく安らぎを得たことへの安堵だけ。
風が吹き抜け、雪煙が舞い上がる。 それはまるで、二人の魂が天へと昇っていくようだった。
「……行こう、コーデリア」
しばらくして、陛下が立ち上がった。
「私たちには、やるべきことがある。生きている者たちのために」
「はい」
私はつるはしをその場に置いた。 さようなら、レイモンド。 貴方のことは忘れない。 貴方が教えてくれた「無能な権力者が国を滅ぼす」という教訓を、私は一生忘れない。 それが、貴方がこの世に残した唯一の、そして最大の功績よ。
私たちは背を向け、歩き出した。 振り返ることはなかった。
* * *
帝都へ戻る飛空艇の中。 窓の外には、夕日に染まる帝国の国土が広がっていた。 どこまでも続く街道。 整備された農地。 煙を上げる工場群。
すべてが、黄金色に輝いている。
「パパー! ママー!」
帝城の離着陸場に着くと、レオンが走ってきた。 後ろから侍従たちが慌てて追いかけてくる。
「ただいま、レオン」
私は息子を抱き上げた。 温かい。 柔らかい。 生きている命の重み。
北で失われた命と、ここで脈打つ未来の命。 その対比が、私に改めて「生きる責任」を突きつける。
「ママ、泣いてるの?」
レオンが小さな手で私の涙を拭ってくれた。
「ううん、違うの。レオンに会えて嬉しくて」
「僕も! 今日ね、すごいこと考えたんだよ! ロケットを作って、お月様に行くの!」
「お月様? また大きく出たわね」
「だって、お月様にも人が住んでるかもしれないでしょ? そしたら、パパの帝国ともっと仲良くなれるよ!」
子供の発想は無限大だ。 物流を極めた私が、次は宇宙への物流を考えることになるなんて。
「ハハハ! いいぞレオン! 月も帝国の領土にしてしまえ!」
ジークハルト様が豪快に笑う。
「もう、陛下。子供に変な野心を植え付けないでください」
「いいじゃないか。夢は大きい方がいい。……私たちが作った土台の上で、この子たちはもっと高く、もっと遠くへ飛んでいくんだ」
彼は私とレオンをまとめて抱きしめた。
「黄金時代は、まだ始まったばかりだ。これからもっと面白くなるぞ」
「ええ、そうですね」
私は微笑んだ。 かつて「敗戦国の元王子」へ復讐を誓った物語は、雪山の中で静かに幕を閉じた。 そして今、ここからは「黄金の国と小さな皇帝」の物語が始まるのだ。
私は空を見上げた。 一番星が輝いている。 それは、レイモンドたちが最後に見上げた空と同じ空だ。 でも、ここから見える景色は、どこまでも希望に満ちていた。
「さあ、帰りましょう。温かいスープが待っていますわ」
私たちは手を取り合い、光溢れる我が家へと帰っていった。
帝国は今、かつてない黄金時代を迎えていた。
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併合された旧王国領も、今では「西方特別州」として完全に復興し、農業と観光の一大拠点として賑わっている。 かつて飢えていた人々は、今は豊かな食卓を囲み、「賢皇后万歳」と口を揃えて称えてくれている。
そして、帝城の執務室。
「……レオン? レオンハルト? どこに隠れたの?」
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「まったく……あの子ったら。誰に似たのかしら」
ため息をつく。 運動神経が良く、じっとしていられないところは父親譲りだ。 だが、隠れ場所の選び方が巧妙で、大人の死角を突いてくるあたりは、私の血を感じざるを得ない。
私は廊下を歩きながら、衛兵に尋ねた。
「陛下はどちらへ?」
「はっ! 陛下でしたら、南の軍議室にいらっしゃいます!」
「軍議室……。嫌な予感がするわね」
私は足早に向かった。 重厚な扉の向こうから、何やら楽しげな声が聞こえてくる。
そっと扉を開ける。
そこには、巨大な戦略地図を広げたテーブルの上に乗っかっている、銀髪の小さな男の子の姿があった。 5歳になったばかりの我が息子、レオンハルトだ。
そして、その横でデレデレとした顔で見守っているのが、夫であるジークハルト陛下だった。
「パパ! ここ、だめだよ!」
レオンが短い指で地図を指差している。
「ここの街道は、馬車がすれ違えないよ。一方通行にしないと、物流が詰まっちゃうぞ?」
「ほう! なるほど、一方通行か! 素晴らしい着眼点だ!」
ジークハルト様が、目を輝かせて頷いている。
「じゃあ、帰りの馬車はどうするんだ?」
「こっちの山道を使うの! トンネル掘れば早いよ! ママが言ってたもん、『最短距離こそ正義』だって!」
「ぶはははは! さすが私の息子だ! 5歳にしてトンネル工事の必要性を説くとは!」
ジークハルト様はレオンを抱き上げ、高い高いをした。
「天才だ! 間違いなく天才だ! 将来は私を超える名君になるぞ!」
「キャハハ! パパ高いー!」
……完全に、親バカと悪ガキの図だ。 私は呆れつつ、わざと大きな音を立てて咳払いをした。
「ゴホン」
二人の動きがピタリと止まる。 ギギギ……と錆びついた人形のような動きで、二人がこちらを振り向いた。
「あ……ママ……」
「コーデリア……。い、いや、これは違うんだ。軍事教育の一環で……」
言い訳をしようとする世界最強の皇帝と、その胸に隠れようとする次期皇帝。 私は腕を組み、ニッコリと微笑んだ。 目が笑っていない笑顔で。
「レオン。今は歴史の勉強の時間ではありませんでしたか?」
「だ、だってぇ……歴史の本、つまんないんだもん。昔のことより、これからのこと考えたほうが楽しいよ」
なんて生意気な口を利くようになったのかしら。 でも、その通りだと思ってしまう自分もいるのが悔しい。
「ジークハルト様もです。家庭教師の先生が泣いていましたよ? 『殿下が窓からロープで降下して逃亡されました』って」
「なっ、窓からロープで!? ……やるな、我が息子よ。その度胸と身体能力、見事だ」
「褒めないでください」
私はジークハルト様からレオンを引き剥がし、抱き上げた。 ずっしりと重い。 成長を感じる重みだ。
「レオン。パパと遊ぶのは、お勉強が終わってからです。約束を守れない子は、おやつのプリン抜きですよ」
「えーっ! プリンやだ! 勉強する! するからぁ!」
食い意地が張っているところも、父親譲りだ。 私はレオンを侍女に引き渡し、家庭教師の元へ連れて行かせた。
部屋に二人きりになると、ジークハルト様が苦笑いしながら近づいてきた。
「厳しすぎるんじゃないか? まだ5歳だぞ」
「5歳だからこそ、です。あの子は賢すぎます。今のうちに規律を教えないと、将来とんでもない暴君か、マッドサイエンティストになってしまいますわ」
「マッド……それは困るな」
陛下は私の腰に手を回し、引き寄せた。
「だが、あの子を見ていると、貴女に出会った頃を思い出すよ。あの地図を見る鋭い目つき。そっくりだ」
「嫌だわ。あんなに可愛げのない子供でしたか?」
「最高に可愛げがなくて、愛おしかったさ」
彼は自然な動作でキスをしてきた。 結婚して5年経っても、この人の甘さは変わらない。 むしろ、年々増している気がする。 皇帝としての威厳も増したが、私とレオンの前でだけ見せるこの甘い顔は、誰にも見せられない国家機密だ。
「……平和ですね」
私は彼の胸に頭を預けた。
「ああ。貴女が作ってくれた平和だ」
その時、急に扉がノックされた。 宰相が慌てた様子で入ってくる。
「へ、陛下! 皇后陛下! 大変です!」
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「いえ、違います! 旧王国の北端、例の『開拓地』から緊急報告です!」
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「何があった?」
「大規模な雪崩が発生しました。作業現場が飲み込まれ……多数の行方不明者が出ております」
空気が張り詰めた。 私はジークハルト様と顔を見合わせた。
「被害状況は?」
「現在確認中ですが……囚人たちの宿舎も一部損壊したとの情報が。生存者のリストを確認中ですが、まだ混乱しており……」
「直ちに救援隊を派遣しろ! 物資の手配は私がやる!」
私は即座に指示を出した。 感傷に浸っている暇はない。 たとえ彼らが罪人であろうと、帝国の管理下にある人間だ。 見殺しにはできない。
「コーデリア」
ジークハルト様が私の手を握った。
「私も行く。空輸部隊を使えば、半日で行ける」
「陛下が!? 危険です!」
「現場が混乱している時こそ、トップが顔を見せる必要がある。それに……」
彼は静かに言った。
「彼らとの因縁に、本当の意味で決着をつける時が来たのかもしれん」
私は彼の瞳を見て、覚悟を決めた。
「……わかりました。私も同行します。皇后として、陣頭指揮を執ります」
私たちはレオンを信頼できる侍従長に預け、直ちに北へと飛んだ。
* * *
数時間後。 北の開拓地は、白い地獄と化していた。 山肌が大きく削げ落ち、巨大な雪の塊が作業場を埋め尽くしている。
「急げ! まだ生きている者がいるはずだ!」 「こっちだ! 手を貸せ!」
帝国軍の兵士たちが、必死に救助活動を行っていた。 私たちも到着するなり、現場指揮に入った。
「医療班はテントへ! 温かいスープと毛布を最優先で配給して!」 「魔導師隊は雪の溶解を! 二次災害に警戒しなさい!」
私の指示で、混乱していた現場が徐々に機能し始める。 幸い、迅速な対応のおかげで、多くの作業員が救出された。
だが。
「……報告します」
捜索隊の隊長が、沈痛な面持ちで私たちの前に現れた。
「崩落の中心部にあった第3作業班……生存者は絶望的です」
第3作業班。 それは、最も過酷な最前線であり、レイモンドたちが配置されていた班だ。
「……そうか」
ジークハルト様は短く呟き、雪山を見上げた。
「案内しろ」
私たちは、崩落現場へと向かった。 そこには、巨大な岩と雪が混じり合った残骸の山があった。
「ここです。……遺留品が見つかりました」
兵士が差し出したのは、ひしゃげた錆びたスコップと、泥だらけになったピンク色の布切れだった。
ミナの、ドレスの切れ端だ。 彼女が最後まで執着し、囚人服の下に隠し持っていたものだろうか。
そして、その近くの雪の中から、一本の折れたつるはしが見つかった。 柄の部分に、不器用な字で何かが彫られている。
『C』
一文字だけ。 私のイニシャルだ。
私はそのつるはしを手に取った。 冷たい。 そして、軽い。 こんな粗末な道具で、彼はずっと岩を砕いていたのか。
「……目撃者の証言があります」
隊長が言った。
「雪崩が起きた瞬間、このつるはしの持ち主……元王太子レイモンドは、逃げ遅れた女性囚人を庇(かば)うようにして、岩の下敷きになったそうです」
「……庇った?」
あのレイモンドが? 自分さえ良ければいい、他人は道具だと言っていた彼が?
「はい。その女性囚人は……元聖女ミナだったと見られています。二人とも、最後まで一緒だったようです」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
彼らは愚かだった。 傲慢で、無知で、私を傷つけた。 でも、最後の最後で。 極限の絶望の中で、彼らは互いを見捨てなかったのだ。 「愛があればなんとかなる」という彼らの軽薄な言葉は、最後の瞬間にだけ、少しだけ真実になったのかもしれません。
「……そうか」
ジークハルト様は、静かに目を閉じた。
「遺体が見つからなければ、墓も作れんが……せめて、ここで祈ろう」
彼は雪の上に膝をつき、黙祷を捧げた。 私も隣に跪き、手を合わせた。
憎しみは、もうなかった。 あるのは、静かな哀れみと、彼らの魂がようやく安らぎを得たことへの安堵だけ。
風が吹き抜け、雪煙が舞い上がる。 それはまるで、二人の魂が天へと昇っていくようだった。
「……行こう、コーデリア」
しばらくして、陛下が立ち上がった。
「私たちには、やるべきことがある。生きている者たちのために」
「はい」
私はつるはしをその場に置いた。 さようなら、レイモンド。 貴方のことは忘れない。 貴方が教えてくれた「無能な権力者が国を滅ぼす」という教訓を、私は一生忘れない。 それが、貴方がこの世に残した唯一の、そして最大の功績よ。
私たちは背を向け、歩き出した。 振り返ることはなかった。
* * *
帝都へ戻る飛空艇の中。 窓の外には、夕日に染まる帝国の国土が広がっていた。 どこまでも続く街道。 整備された農地。 煙を上げる工場群。
すべてが、黄金色に輝いている。
「パパー! ママー!」
帝城の離着陸場に着くと、レオンが走ってきた。 後ろから侍従たちが慌てて追いかけてくる。
「ただいま、レオン」
私は息子を抱き上げた。 温かい。 柔らかい。 生きている命の重み。
北で失われた命と、ここで脈打つ未来の命。 その対比が、私に改めて「生きる責任」を突きつける。
「ママ、泣いてるの?」
レオンが小さな手で私の涙を拭ってくれた。
「ううん、違うの。レオンに会えて嬉しくて」
「僕も! 今日ね、すごいこと考えたんだよ! ロケットを作って、お月様に行くの!」
「お月様? また大きく出たわね」
「だって、お月様にも人が住んでるかもしれないでしょ? そしたら、パパの帝国ともっと仲良くなれるよ!」
子供の発想は無限大だ。 物流を極めた私が、次は宇宙への物流を考えることになるなんて。
「ハハハ! いいぞレオン! 月も帝国の領土にしてしまえ!」
ジークハルト様が豪快に笑う。
「もう、陛下。子供に変な野心を植え付けないでください」
「いいじゃないか。夢は大きい方がいい。……私たちが作った土台の上で、この子たちはもっと高く、もっと遠くへ飛んでいくんだ」
彼は私とレオンをまとめて抱きしめた。
「黄金時代は、まだ始まったばかりだ。これからもっと面白くなるぞ」
「ええ、そうですね」
私は微笑んだ。 かつて「敗戦国の元王子」へ復讐を誓った物語は、雪山の中で静かに幕を閉じた。 そして今、ここからは「黄金の国と小さな皇帝」の物語が始まるのだ。
私は空を見上げた。 一番星が輝いている。 それは、レイモンドたちが最後に見上げた空と同じ空だ。 でも、ここから見える景色は、どこまでも希望に満ちていた。
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