冤罪で処刑された悪女ですが、死に戻ったらループ前の記憶を持つ王太子殿下が必死に機嫌を取ってきます。もう遅いですが?

六角

文字の大きさ
18 / 22

第18話:断罪

しおりを挟む
 夜明けの光が、破壊された屋敷の惨状を容赦なく照らし出していた。

 吹き飛ばされた正門、穴だらけの庭、泥にまみれた絨毯。  かつて「静寂の聖域」と呼ばれた場所は、台風が通り過ぎた後のような有様だった。

 しかし、その中心にある空気は、奇妙なほど澄み渡っていた。  すべての膿を出し切った後の、清々しさがあった。

「……放せ! 無礼者! 僕は王太子だぞ!」

 その静寂を汚すのは、ただ一人の男の喚き声だけ。

 後ろ手に縛られ、近衛兵二人に両脇を抱えられたアレクサンダー殿下が、屋敷から引きずり出されていくところだった。  かつての煌びやかな軍服は泥と煤で汚れ、自慢の金髪は鳥の巣のように乱れている。  靴は片方が脱げ、引きずった足が地面に空しい線を描いていた。

「父上! 間違っている、これは間違いだ! ヴィオレッタは僕を愛しているんだ! あの女が嘘をついているんだ!」

 殿下は必死に首を巡らせ、国王陛下に訴えかける。  しかし、陛下は冷徹な石像のように背を向け、息子を見ようともしなかった。

「連れて行け。……その声を聞いていると、余の寿命が縮む」

「はっ!」

 兵士たちが歩調を早める。  殿下はズルズルと引きずられながら、なおも抵抗を続けた。

 私は、二階のバルコニーからその様子を見下ろしていた。  シルヴィオ様が用意してくれた、温かい水(極上の癒やし)が入ったグラスを片手に。

「……見苦しいな」

 隣に立つシルヴィオ様が、呆れたように呟いた。

「引き際を知らぬ男は美しくない。死者でさえ、成仏する時はもう少し潔いものだ」

「ええ。本当に」

 私はグラスの縁を指でなぞりながら、眼下の元婚約者を見つめた。  あんなに恐ろしかった「太陽」が、今はただの燃え尽きた残骸に見える。

 その時。  馬車に押し込まれる直前、殿下がふと顔を上げ、バルコニーにいる私と目が合った。

 一瞬、時が止まった。

 彼の目に、狂気の色が揺らいだ。  そこに見えたのは、迷子の子供のような、縋るような弱さだった。

「……ヴィオレッタ」

 叫び声ではなく、掠れた声が風に乗って届いた。

「どうしてだ……? 僕はただ、君と……幸せに……」

 彼は泣いていた。  悔し涙ではない。本当に、心から理解できないのだ。  なぜ自分の「完璧な愛」が拒絶されたのか。  なぜ「やり直した」のに、前回よりも酷い結末になったのか。

 私はグラスを置き、手すりに身を乗り出した。  そして、彼に向かって、音のない言葉を紡いだ。

 ――さようなら。

 口の動きだけで伝えた。  表情は変えなかった。  怒りも、悲しみも、憐れみすらも見せない。  ただの「無」。  死体のような無関心。

 それが、彼に対する最大の断罪だった。  愛の反対は憎しみではない。無関心だ。  貴方はもう、私の人生において何の意味も持たない塵芥(ちりあくた)なのだと。

「あ……あぁ……」

 殿下の顔が崩れた。  彼は膝から崩れ落ちそうになり、兵士たちによって無理やり馬車に押し込まれた。

 バタン!

 扉が閉められる。  その音は、棺の蓋が閉じられる音に似ていた。  鉄格子のはまった護送馬車は、砂利を巻き上げて走り去っていく。  王宮へ――いいえ、その先にある、北の果ての牢獄へと続く道を。

 馬車の影が見えなくなるまで、私は見送った。  胸の中にあった黒い澱が、馬車と共に去っていくのを感じた。

「……終わったか」

 背後から、低い声がかかった。  振り返ると、私の父が立っていた。  その顔には、深い疲労と、それ以上の安堵が滲んでいた。

「お父様」

「陛下は王宮へ戻られた。事後処理……アレクサンダー殿下の廃嫡と、幽閉の手続きを急ぐそうだ。今日中に公式な布告が出るだろう」

 父はバルコニーまで歩み寄り、私の隣に立った。  そして、破壊された庭を見下ろして苦笑した。

「とんだ騒ぎになったな。公爵家の娘が、夜逃げをして、墓守の屋敷に立てこもるとは。……お母様が生きていたら、卒倒していたかもしれん」

「ふふ、そうですね。お説教が三日三晩続いたでしょうね」

 私も笑った。  不思議だ。こんな状況なのに、父とこうして笑い合えるなんて。  王宮で着飾っていた頃は、父との会話も形式的なものばかりだったのに。

 父は、私の顔をじっと覗き込んだ。  泥だらけで、化粧も落ちて、髪もボサボサの私を。

「……良い顔をしている」

 父がポツリと言った。

「王宮にいた頃のヴィオレッタは、いつも何かに怯えているような、作り笑顔を張り付かせた人形のようだった。だが今は……瞳に光はないが、確かに『生きている』顔だ」

「お父様……」

「ここが良いのか?」

 父の問いに、私は深く頷いた。

「はい。ここには、私が欲しい静寂があります。無理に笑わなくていい。無理に輝かなくていい。……ただ、静かに息をしていても許される場所なのです」

 父は、私の肩に置いた手に力を込めた。  そして、ゆっくりと頷き返した。

「わかった。……許そう」

 それは、私の勘当の宣告でもあった。  王都の社交界で生きる公爵令嬢としての「ヴィオレッタ」は、今日ここで死ぬのだ。

「お前は病気療養のため、領地の別荘で静養することにする。……表向きはな。世間からは忘れ去られるだろう。二度と、華やかな舞台には立てないぞ」

「望むところです」

「……そうか」

 父は寂しげに、けれど誇らしげに目を細めた。

「幸せにおなり。……いや、この場合は『安らかに』と言うべきかな?」

「はい。最高に安らかに暮らします」

 父は私を一度だけ強く抱きしめると、踵を返した。  別れの言葉は短かった。  それが、私たち親子の流儀だった。

 父が去り、バルコニーには再び私とシルヴィオ様だけが残された。

「さて」

 シルヴィオ様が、わざとらしいほど明るい声(といっても低音だが)を出した。

「感動的な親子の別れも済んだところで、現実的な話をしようか」

 彼は懐から一枚の紙を取り出した。

「これが何かわかるか?」

「……請求書ですか?」

「ご名答。陛下には『不問にする』と言われたが、破壊された玄関、荒らされた庭、使用された死霊術の触媒代……これらは誰が払うと思う?」

 彼は紙をヒラヒラとさせた。

「王家に請求するわけにもいかん。あちらも廃嫡騒ぎでてんてこ舞いだ。となると、我が家の持ち出しになるわけだが……」

 シルヴィオ様は、困ったように肩をすくめた。

「私の財布も、無限ではないのでね。ヴィオレッタ嬢、貴女にはここで働いてもらうことになるぞ」

 それは、遠回しな「ずっとここにいていい」という許可証だった。  労働という対価を払うことで、私は客ではなく、ここの住人になれる。

「もちろんです。私、計算は得意ですわ。それに、死に化粧のセンスにも自信があります」

「ほう? それは頼もしい。では、早速だが仕事を頼もうか」

 シルヴィオ様は、庭にたむろしている墓守たちを指差した。

「彼らへの賄いの準備だ。一晩中暴れ回って、腹を空かせている。死者と違って、生きている部下は飯を食うから金がかかる」

「ふふっ、わかりました。腕によりをかけて、真っ黒なスープでも作りましょうか」

 私たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。  朝日が昇りきる。  廃墟のような庭に、新しい一日が訪れる。

 遠く、王都の鐘が鳴り響くのが聞こえた。  それは、王太子の時代の終わりを告げる弔鐘であり、私の新しい人生の始まりを告げる祝福の鐘でもあった。

 さあ、忙しくなる。  まずはこの泥だらけのドレスを脱ぎ捨てて、エプロンに着替えなくては。  私の「静かなる生」は、ここから始まるのだから。

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【完結】冤罪で殺された王太子の婚約者は100年後に生まれ変わりました。今世では愛し愛される相手を見つけたいと思っています。

金峯蓮華
恋愛
どうやら私は階段から突き落とされ落下する間に前世の記憶を思い出していたらしい。 前世は冤罪を着せられて殺害されたのだった。それにしても酷い。その後あの国はどうなったのだろう? 私の願い通り滅びたのだろうか? 前世で冤罪を着せられ殺害された王太子の婚約者だった令嬢が生まれ変わった今世で愛し愛される相手とめぐりあい幸せになるお話。 緩い世界観の緩いお話しです。 ご都合主義です。 *タイトル変更しました。すみません。

身代わりの恋だと思っていました〜記憶を失った私に、元婚約者が泣いて縋る理由〜

恋せよ恋
恋愛
「君を愛している。一目惚れだったんだ」 18歳の伯爵令嬢エリカは、9歳年上のリヒャルト伯爵から 情熱的な求婚を受け、幸せの絶頂にいた。 しかし、親族顔合わせの席で運命が狂い出す。 彼の視線の先にいたのは、エリカの伯母であり、 彼の学生時代の恋人で「初めての女性」だった……ミレイユ。 「あの子は私の身代わりでしょう」「私はあなただけなの」 伯母ミレイユの甘い誘惑と、裏切りの密会。 衝撃の事実を目撃したエリカは、階段から転落し、 彼と過ごした愛しくも残酷な二年間の記憶だけを失ってしまう。 「……あの、どちら様でしょうか?」 無垢な瞳で問いかけるエリカに、絶望し泣き崩れるリヒャルト。 裏切った男と、略奪を企てた伯母。 二人に待ち受けるのは、甘い報復と取り返しのつかない後悔だった。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

婚約破棄されたので昼まで寝ますわ~白い結婚で溺愛なんて聞いてません

鍛高譚
恋愛
「リュシエンヌ・ド・ベルナール、お前との婚約は破棄する!」 突然、王太子フィリップから婚約破棄を告げられた名門公爵家の令嬢リュシエンヌ。しかし、それは義妹マリアンヌと王太子が仕組んだ策略だった。 王太子はリュシエンヌが嘆き悲しむことを期待するが—— 「婚約破棄ですね。かしこまりました。」 あっさり受け入れるリュシエンヌ。むしろ、長年の束縛から解放され、自由な生活を満喫することに! 「これでお昼まで寝られますわ! お菓子を食べて、読書三昧の生活ができますのよ!」 しかし、そんな彼女の前に現れたのは、王太子のライバルであり冷徹な公爵・ヴァレンティン・ド・ルーアン。 「俺と婚約しないか?」 政略的な思惑を持つヴァレンティンの申し出に、リュシエンヌは「白い結婚(愛のない形式的な結婚)」ならと了承。 ところが、自由を満喫するはずだった彼女の心は、次第に彼によって揺さぶられ始め——? 一方、王太子と義妹は社交界で次々と醜態をさらし、評判は地に落ちていく。 そしてついに、王太子は廃嫡宣告——! 「ええ? わたくし、何もしていませんわよ?」 婚約破棄された令嬢が、のんびり自由を謳歌するうちに、 いつの間にか勝手にざまぁ展開が訪れる、痛快ラブストーリー! 「婚約破棄……むしろ最高でしたわ!」 果たして、彼女の悠々自適な生活の行方は——?

【本編,番外編完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る

金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。 ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの? お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。 ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。 少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。 どうしてくれるのよ。 ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ! 腹立つわ〜。 舞台は独自の世界です。 ご都合主義です。 緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。

悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。

ねーさん
恋愛
 あ、私、悪役令嬢だ。  クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。  気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

【完結】愛人の子を育てろと言われた契約結婚の伯爵夫人、幼なじみに溺愛されて成り上がり、夫を追い出します

深山きらら
恋愛
政略結婚でレンフォード伯爵家に嫁いだセシリア。しかし初夜、夫のルパートから「君を愛するつもりはない」と告げられる。さらに義母から残酷な命令が。「愛人ロザリンドの子を、あなたの子として育てなさい」。屈辱に耐える日々の中、偶然再会した幼なじみの商人リオンが、セシリアの才能を信じて事業を支援してくれる。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

処理中です...