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第十話:初めての『嫉妬』
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マルティナ辺境伯令嬢の襲撃(と呼ぶには一方的だったが)から、数日が過ぎた。
彼女が再び現れることはなく、私の日常は平穏なままだった。
(考えすぎだったのかもしれないわね)
私は少しだけ安堵し、日々の仕事に集中することにした。
屋台の経営は相変わらず好調で、今では私一人では手が回らなくなり、領民の女性を数人、従業員として雇うまでになっていた。
彼女たちに仕事を教え、共に働く時間は、とても充実していた。
しかし、私の心の中には、まだ小さな棘が残っていた。
マルティナが言い放った、「アレクシス様は、いずれ、わたくしと結ばれるお方」という言葉。
(政略結婚の話が、本当にあったとしたら……?)
アレクシス様は、私と結婚する前、どんな風に考えていたのだろう。
辺境伯家との結びつきは、領地の安定にとって重要だったのかもしれない。
そこへ、王命で私が嫁いできた。
彼は、本当は不本意だったのではないだろうか。
考えれば考えるほど、胸がもやもやする。
これは、ただのビジネスパートナーに対する感情ではない。
明らかに、個人的な……。
……嫉妬、だわ。
自分でその感情を認めてしまうと、急に顔が熱くなる。
いつの間にか、私はアレクシス様のことを、一人の男性として、強く意識してしまっている。
彼の隣に、他の女性が立つことを想像しただけで、胸が苦しくなる。
その日の夕食。
私は、思い切ってアレクシス様に尋ねてみることにした。
「あの、アレクシス様」
「なんだ」
「ゲルラッハ辺境伯家の、マルティナ様をご存知ですか?」
私の口からその名前が出た瞬間、アレクシス様の動きが、ぴたりと止まった。
そして、その眉間に、深い皺が刻まれる。
「……なぜ、その名を知っている」
「先日、街で偶然お会いしましたの。彼女、アレクシス様とご結婚される予定だったと……」
しまった、と思った。
彼の反応は、明らかに、私の言葉を肯定しているように見えた。
やはり、二人の間には、何かがあったのだ。
「……それは、俺の意思ではない」
しばらくの沈黙の後、アレクシス様は、吐き捨てるように言った。
「ゲルラッハ辺境伯が、一方的に縁談を持ち込んできただけだ。あちらは、うちの鉱山利権が目当てだろう。俺は、一度も首を縦に振ったことはない」
「……そう、でしたの」
彼の言葉に、少しだけ、安堵する。
だが、同時に、別の不安が頭をもたげた。
「では、私との結婚は……。王命だったから、仕方なく?」
聞いてしまってから、後悔した。
こんなこと、聞くべきじゃなかった。
彼の答えを聞くのが、怖い。
アレクシス様は、カトラリーを置くと、まっすぐに私を見つめた。
その真剣な青い瞳に、射抜かれる。
「……そうだ。最初は、そうだった」
彼の言葉に、心臓が、きゅうっと縮こまる。
やっぱり、そうだったんだ。
「王都から、面倒な姫君が一人、送りつけられてくる。そうとしか思っていなかった。お前が、こんな……」
彼は、そこで言葉を区切ると、気まずそうに視線を逸らした。
「……こんな、面白い女だとは思わなかった」
「え……?」
「お前のやることは、いつも俺の予想を超える。領民の心を掴み、街に活気を取り戻した。お前を見ていると、退屈しない」
それは、彼なりの、最大の賛辞なのだろう。
私の胸が、じわりと温かくなる。
「だから、今はもう、王命だから、などとは思っていない」
「アレクシス、様……」
「俺は、お前を、俺の妻として……認めている」
耳まで真っ赤にしながら、彼は、そう言ってくれた。
不器用で、遠回しで、でも、心の底からの言葉だと分かった。
嬉しくて、涙が出そうになる。
私が抱えていた不安や嫉妬が、すうっと消えていく。
「ありがとうございます……!」
私がそう言うと、彼は「ふん」と鼻を鳴らして、また食事を再開してしまった。
照れているのが、手に取るように分かる。
(ああ、もう。本当に、可愛い人)
私の心は、すっかり晴れやかになっていた。
マルティナ令嬢のことなど、もうどうでもいい。
アレクシス様が、私を認めてくれている。
それだけで、十分だ。
しかし、この時の私はまだ、知らなかった。
嫉妬に狂った女の執念が、どれほど恐ろしいものか。
そして、その執念が、私だけでなく、アレクシス様が誰よりも大切にしているこの領地そのものに、牙を剥くことになるということを。
平穏な夜。
だが、その水面下では、確実に、悪意に満ちた計画が進行していた。
私たちが築き上げてきたものを、根こそぎ破壊しようとする、恐ろしい計画が。
その足音が、すぐそこまで迫っていることに、私たちはまだ気づかずにいた。
彼女が再び現れることはなく、私の日常は平穏なままだった。
(考えすぎだったのかもしれないわね)
私は少しだけ安堵し、日々の仕事に集中することにした。
屋台の経営は相変わらず好調で、今では私一人では手が回らなくなり、領民の女性を数人、従業員として雇うまでになっていた。
彼女たちに仕事を教え、共に働く時間は、とても充実していた。
しかし、私の心の中には、まだ小さな棘が残っていた。
マルティナが言い放った、「アレクシス様は、いずれ、わたくしと結ばれるお方」という言葉。
(政略結婚の話が、本当にあったとしたら……?)
アレクシス様は、私と結婚する前、どんな風に考えていたのだろう。
辺境伯家との結びつきは、領地の安定にとって重要だったのかもしれない。
そこへ、王命で私が嫁いできた。
彼は、本当は不本意だったのではないだろうか。
考えれば考えるほど、胸がもやもやする。
これは、ただのビジネスパートナーに対する感情ではない。
明らかに、個人的な……。
……嫉妬、だわ。
自分でその感情を認めてしまうと、急に顔が熱くなる。
いつの間にか、私はアレクシス様のことを、一人の男性として、強く意識してしまっている。
彼の隣に、他の女性が立つことを想像しただけで、胸が苦しくなる。
その日の夕食。
私は、思い切ってアレクシス様に尋ねてみることにした。
「あの、アレクシス様」
「なんだ」
「ゲルラッハ辺境伯家の、マルティナ様をご存知ですか?」
私の口からその名前が出た瞬間、アレクシス様の動きが、ぴたりと止まった。
そして、その眉間に、深い皺が刻まれる。
「……なぜ、その名を知っている」
「先日、街で偶然お会いしましたの。彼女、アレクシス様とご結婚される予定だったと……」
しまった、と思った。
彼の反応は、明らかに、私の言葉を肯定しているように見えた。
やはり、二人の間には、何かがあったのだ。
「……それは、俺の意思ではない」
しばらくの沈黙の後、アレクシス様は、吐き捨てるように言った。
「ゲルラッハ辺境伯が、一方的に縁談を持ち込んできただけだ。あちらは、うちの鉱山利権が目当てだろう。俺は、一度も首を縦に振ったことはない」
「……そう、でしたの」
彼の言葉に、少しだけ、安堵する。
だが、同時に、別の不安が頭をもたげた。
「では、私との結婚は……。王命だったから、仕方なく?」
聞いてしまってから、後悔した。
こんなこと、聞くべきじゃなかった。
彼の答えを聞くのが、怖い。
アレクシス様は、カトラリーを置くと、まっすぐに私を見つめた。
その真剣な青い瞳に、射抜かれる。
「……そうだ。最初は、そうだった」
彼の言葉に、心臓が、きゅうっと縮こまる。
やっぱり、そうだったんだ。
「王都から、面倒な姫君が一人、送りつけられてくる。そうとしか思っていなかった。お前が、こんな……」
彼は、そこで言葉を区切ると、気まずそうに視線を逸らした。
「……こんな、面白い女だとは思わなかった」
「え……?」
「お前のやることは、いつも俺の予想を超える。領民の心を掴み、街に活気を取り戻した。お前を見ていると、退屈しない」
それは、彼なりの、最大の賛辞なのだろう。
私の胸が、じわりと温かくなる。
「だから、今はもう、王命だから、などとは思っていない」
「アレクシス、様……」
「俺は、お前を、俺の妻として……認めている」
耳まで真っ赤にしながら、彼は、そう言ってくれた。
不器用で、遠回しで、でも、心の底からの言葉だと分かった。
嬉しくて、涙が出そうになる。
私が抱えていた不安や嫉妬が、すうっと消えていく。
「ありがとうございます……!」
私がそう言うと、彼は「ふん」と鼻を鳴らして、また食事を再開してしまった。
照れているのが、手に取るように分かる。
(ああ、もう。本当に、可愛い人)
私の心は、すっかり晴れやかになっていた。
マルティナ令嬢のことなど、もうどうでもいい。
アレクシス様が、私を認めてくれている。
それだけで、十分だ。
しかし、この時の私はまだ、知らなかった。
嫉妬に狂った女の執念が、どれほど恐ろしいものか。
そして、その執念が、私だけでなく、アレクシス様が誰よりも大切にしているこの領地そのものに、牙を剥くことになるということを。
平穏な夜。
だが、その水面下では、確実に、悪意に満ちた計画が進行していた。
私たちが築き上げてきたものを、根こそぎ破壊しようとする、恐ろしい計画が。
その足音が、すぐそこまで迫っていることに、私たちはまだ気づかずにいた。
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