魔霧の森の魔女~オバサンに純愛や世界の救済も無理です!~

七瀬美織

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第二章 疑雲猜霧のファルザルク王国

第二十話 一発殴る! ②

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 明け方、香澄かすみは何か騒がしい声で目が覚めた。部屋の外が、ガヤガヤしているのだ。
 香澄がどのくらい眠っただろうかと、ぼんやり考えていると、突然、バアーンと扉が開いた。

「香澄ちゃん!」
遊帆ゆうほ殿! お待ち下さい!」
「ここは、女子寮なんですってば!」

 部室の扉をいきなり開けて入ってきたのは、濃紺のローブ姿の遊帆だった。
 遊帆は、無精ひげに赤い目をしていて、止めようとする黒いローブ姿の魔術師達を振り切ってベッドの脇までやってきた。

「……遊帆さん?!」
なおった! 香澄ちゃんのパソコン直った! パスワード教えて!」
「…………は?」

 香澄は、起き抜けの鈍い頭で遊帆の言葉を反芻はんすうしながら起きあがった。ぼんやりと焦点の合わない目で、徹夜明けのハイテンションな遊帆の顔を見つめた。

「俺、頑張ったよ! 直せる確率は低いのに、やっぱ俺って天才魔導師だった! バッテリーは心配要らないよ! 魔力を電気に変換して蓄電する魔方陣は以前に開発済みだから使い放題! データ復旧も、動作確認も、問題ないから普通に使える! だから、教えてパスワード! デリケートな部分だから魔法で強制解除はしたくないんだ。小説のダウンロードデータ! 色々と続きが読めるんだよね? 世界が違っても、微妙な誤差しかないはずだから問題ないよ! だから、香澄ちゃん、パスワード教えて!」
「……………………」

 香澄は、無言でベッドの上掛けの上にあった薄手のガウンを手繰り寄せて素早く羽織った。布団から抜け出し、ベッドから降りて、スリッパをはいて立ち上がった。

 そして、身体を軽くほぐして、右手を握りしめた。香澄は、おもむろに顔の前にこぶしを持ち上げて、ふと何かに気がついた。小さく笑って手を開いて親指を外に握り直した。

「……手を痛めるから、親指は握りこんじゃダメなのよね…………ふふっ。ねえ、遊帆さん?」

 遊帆は、寝乱れた姿で、にっこりと最上級の笑顔をつくる香澄にしばし見惚れていた。だが、すぐに香澄を質問ぜめにした。

「なに? 香澄ちゃん。それ、パスワードのヒント? まさか、忘れてないよね? 思い出せない? 手帳とかにメモしてない? どうなの?」

 香澄は、キッと遊帆を睨みつけると一喝した。

「この、非常識ヤロー!!」

 香澄は素早く半身になって右腕を突き出した!

 ゴッツ!

 遊帆の左あごに、香澄のパンチがきれいに決まった! 遊帆は、膝から崩れ落ちるように倒れていった。香澄のパンチは、女性の力といえ、体重を乗せてしっかり打たれて、かなりの威力があったようだ。

「えええっ?! 遊帆殿!」
「魔導師殿が殴られた!」
「こんな単純な物理攻撃が?!」

 遊帆を止めていた魔術師の人達が、倒れる遊帆を受けとめた。それぞれ、驚愕の表情を浮かべて香澄と遊帆を見ている。

「…………え、マジで?!」

 遊帆は、ブチギレた香澄に殴られて、唖然として呟いた。香澄はそんな遊帆を、害虫でも見ているような視線で貫きながら、怒りを抑えて淡々と告げるのだった。

「遊帆さん。いろいろと話があるから、わたしが着がえるまで、外で待ってなさい……!」

 遊帆のあごは、赤く腫れてきた。魔術師達が、唖然としている遊帆を慌てて抱えて部屋から引きずり出した。



 一人になった香澄は、ジンジンと痛む手をさすりながら思う。殴り慣れでもしない限り、殴った方も相応に痛いのだ。
 海野遊帆は、色々と困ったイタズラを身近な人物に仕掛けている。香澄もその被害者だ。
 メイラビアに『ちゃん』は、淑女に対する敬称だと教えたせいで、現在も香澄を微妙な気持ちにしている。メイラビアは、未だに『香澄ちゃん』呼びなのだ。
 アレクシリスに『さん』は、異世界の女性が、特別な好意を持つ相手に対する敬称だと、嘘情報を提供して揶揄からかったせいで、香澄がアレクシリスの名を呼ぶたびに『あなたが好き』とアピールしていた事になった。

 しくも、『問答無用で、次は殴ろう!』は、実行できた。
 そして、更なる仕返しに『パスワードを教えない!』も、実行するつもりだ。

 ここは女子寮だ。王子様のレンドグレイルだって男子禁制だからと、きちんと規則を守っていた。
 それを、最高責任者の国家魔導師が、まわりの制止を振りきって、早朝の女子寮に侵入し、保護を依頼されたハイルランデル公爵の婚約者()の部屋に、解錠してまでして突入した。
 それは、こちらの常識を知らない香澄でも、非常識極まりない行為だと、判断できるのだから、後で説教するのは確定だ。

 キプトの大使館から戻ってから、あんなヨレヨレになるまで、遊帆は高度な魔法でパソコンを復元したのだろう。
 しかし、あと数時間で常識的な手順を踏めば、婦女子を訪ねても不都合のない状況になるのだ。それを、我慢出来ないで突破するなんて、同じ異世界人として恥ずかしく思う。

 遊帆が香澄にかけた認識阻害の魔法は、善意の元にかけられたと信じる事が出来きた。
 ただし、『誓約の女神』真幌が言っていた様に、香澄の意思を操れる可能性のある諸刃の剣だ。

 遊帆は、香澄より十五も年下だが、元の世界で医師だったという立派な人物だ。素晴らしい能力を持つ魔術師で、世界は違っても同じ異世界転移者だ。この世界と国に、確固たる居場所を作り上げた、尊敬すべき大先輩だと思っていた。
 しかし、気の合う飲み友達でも、許せない事は許せないのである。



ーーーーやっぱり、もう一発殴る!



 香澄がカーテンを開けると、薄っすら明るい空に太陽が昇り始めていた。空と雲の様子から見て、この『茨の塔』は、城の東側に位置するようだ。

 東側? で、いいのかな?

『香澄様のいた世界と、あまり違いはありません。一日は二十四時間で、一年は三百六十五日です。閏年と閏月も同じです。月の呼名は違いますが、一週間も七日区切りです』
皓輝こうき? その姿で、もう大丈夫なの?」

 サラサラの茶髪に、紅い瞳の美少年の皓輝が、片方だけ頬を膨らませてむくれていた。今日も、我が従者は愛らしいと香澄は思った。黒猫でも少年でも、皓輝の姿を愛でるだけで癒される。ただし、青年の姿は少しも慣れていないのだが……。

『はい。魔力も安定しました。香澄様の寝込みを急襲した、バカ魔導師を排除しようと思い動きましたら、『聖なる茨の精霊』に止められて対処出来ず、申し開きもございません』

 皓輝の隣に、女性かと思うほど美しく、優しい雰囲気の細身の男性が立っていた。顔だけ見れば女性にしか見えなかっただろう。

 男性だと判断出来たのは、見事に割れた胸筋と腹筋の持ち主だからだ。彼は、浅黒い肌に深緑色の長髪を腰まで伸ばしている。裸の上半身に、ベストと薄手のストールを羽織り、タップリとギャザーを寄せたズボンを履いていた。古風なアラビック衣装がよく似合って、妖しい色香を放っていた。

 香澄は、すぐに彼が精霊だと理解したが、美形男性の精霊は、女性の部屋に居てもいいのだろうか? 精霊は、いいらしい……。

『初めまして、香澄。『聖なる茨の精霊』と呼ばれる存在です。ごめん。遊帆は徹夜明けでバカが更にバカになっていたんだ。かわいい香澄、もう一発ぐらい遊帆をお詫びで殴らせてあげるね』
「……ありがとうございます??」

 香澄は、知らなかった。遊帆は『聖なる茨の精霊』の祝福のおかげで、魔法も物理的な攻撃も大きなダメージを受けないのだ。

魔導師が、ハイルランデル公爵の美少女婚約者に、問答無用で殴られた!』

 衝撃は、『茨の塔』の魔術師達の間を駆け抜けた。


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