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第一章 初恋
第二話 マリシリスティアの事情 ①
しおりを挟む「お部屋を出る許可を出したばかりなのに、早速、何かあったの? マリー」
「中庭で『あにうえ』に会いました」
「あら? 今日の予定では、シシィと出会うはずはないのに、どうしてかしら?」
「シシィは、マリーが大好きだからね」
猫舌の父上が、紅茶をふうふうしながら言った。シシィは、アレクシリスの愛称だ。私も、呼んでみたかったけど、舌を噛んじゃった。うむ、幼女には難しい発音であった。
それにしても、『大好き』って、どう言う意味合いなのだろう? 私達は、叔父と姪の関係だけど歳が近いから、一緒に遊ぶ仲良しだったようだ。あまり、覚えていないけど …… 。
「多分、上階の回廊からマリーを見かけて、追ってきたのだろう」
「ふふっ。シシィったら、本当に可愛らしいわ。それがどうしたの? マリーは、また『やらかしちゃった』の?」
母上は、口角を少しだけ上げた笑顔で私を見下ろした。うわぉ、氷の微笑にガクブルしちゃう。父上、助けて! あ、目をそらさないで、エルシアっ!
「今の私に、…… 四歳児の演技は難しいのです!」
「ふふっ。マリーは四歳の女の子って、どんなものだと考えていますの?」
「元気で、無知で、無邪気で、傍若無人な謎生物 …… はっ! 今の私と、そんなに変わらない?!」
「クスクス。考えすぎて不自然になるのね。マリー、以前にもお話ししたけど、高熱を出した後に、口調が変わったり、性格が変わったって周囲に思われるのは、全く気にしなくていいわ。子供の成長は早いのだからと、誤魔化してしまえばいいのよ」
母上は、優しく私の頬を撫でながら話を続けた。その吸い込まれそうな蒼玉の瞳は、真っ直ぐ私の心と向き合う様に、親としての静かな愛と王女としての威厳を伝えてくる。
「ただし、異世界転生者だと疑われる発言だけは、極力してはいけません」
「はい。母上」
この世界は、どういう訳か異世界との垣根が低い。
しかも、一方通行で異世界からこちらの世界に落ちてくる異世界転移者だけでなく、異世界の前世の記憶をそのまま持って生まれる異世界転生者も沢山存在している。
ただし、異世界転移者は、転移場所が様々で、発見されても死亡している確率が高いそうだ。大半の転移者達は、この世界の大気に順応する事が出来なくて、昏倒後に衰弱死してしまう。
生存していた異世界転移者は、各国共通で国が手厚く保護して生活を保障する。もちろん、対価として転移者の異世界の知識や技術を、国に提供するのが条件だ。
反対に、異世界転生者は、保護されない。それは、異世界転生者が幼児期にしか存在しないからだ。ほとんどの転生者の記憶は、短期間で成長と共にあっさりと薄れて消えてしまう。
なので、言葉も拙い幼児期に異世界の記憶があるのは、一過性の病と変わらないと考えられている。
つまり、周りが気付いて、幼い会話も覚束ない転生者から、異世界の知識を得るのは難しく、ある程度の成長を待つうちに、前世の記憶は消えてしまうのだ。
しかし、ファルザルク王国の異世界転生者は違った。ファルザルク王国に生まれた異世界転生者は、成人後も記憶が薄れて消えることがないのだ。
ファルザルク王国は、建国神話で精霊王と古代竜の加護を受けた地と伝えられいる。事実、他国よりも大地に魔力が満ちていて、様々な高位精霊が多く棲んでいる。
なので、転生者の記憶が消えないのも、その影響なのだと考えられている。
例え、王族や貴族でも、異世界転生者に人権は認められず、僻地へ生涯幽閉されてしまう。
これが、生涯幽閉でもかなり温情のある処分で、平民の場合は神殿の審議の末に精霊へ捧げる贄として、公開処刑されてしまうのが一般的だそうだ。
何故、ファルザルク王国は異世界転生者を迫害するのか?
ファルザルク王国の歴史上には、異世界転生者が前世の記憶を利用して、悪行の限りを尽くした過去の記録が幾つも存在している。
直近では、百年近く前に『エンディライムの悲劇』が起こった。エンディライムは、元侯爵領の領都で、交易で賑わう大都市だった。しかし、一人の異世界転生者の所為で、今は無人の廃都になっていた。私は、事件があまりにも残虐非道な内容なので、詳しく教えてもらえなかった。
つまり、嫌悪されるなりの理由があるという事なのだろうが、私は納得出来なかった。異世界転生者の運命を聞いた時、怖ろしくて両親の前で泣き喚いた。
『そんなに、異世界転生者が悪いの? 普通に生まれた人だって、良い人もいれば、悪い人もいるでしょう? 転生者が悪なら、私も悪だというの? 何もしてないし、悪い事なんかしない! 理不尽にも程があるよ!!』
父上は、震えながら泣き続ける私を、ずっと抱きしめていてくれた。母上は、私が落ち着いて眠るまで、毎晩のように添い寝してくれている。
何故、異世界転生者から大罪人が現れるのかは謎だった。その謎の究明よりも、人々の憎悪の方が上回っているのだ。
だから、ファルザルク王国では、身内に異世界転生者が生まれると、命懸けで隠し通すか、病死した事にして秘密裏に殺してしまうのだという。
私の両親は、隠し通す事を選択した。
実は、私は高熱を出す以前の自分を、あまりよく覚えていない。両親を『ちちうえ』『ははうえ』と呼んでいた事を、おぼろげに覚えていた。多分、あまり沢山覚えてないのは、もともと幼児の記憶なんてこんなものだからだろう。
そして、自分に異世界の記憶が蘇ったことを隠そうという発想も無かった。最初から、両親に話して助けを求めた。きっと、以前の私は無条件に両親を信頼していたのだろう。
始めの頃は、記憶と現実がうまく繋がらなかった。頭の中で前世の知識が溢れて処理しきれなくて混乱した。例えば、一つの事柄に対して、ズルズルと引っ張り出される知識が、現世の情報なのか、前世の記憶なのかまるで区別が出来なかった。自分で自分が、わからない。何もかもがわからない。そんな混乱と不安で、私は体調を崩しやすくなっていた。
主治医のリカルド=ベイルクス先生が、考え過ぎるとまた高熱を出すかもしれないと言っていた。先生は、両親の信頼も厚く、私の事情を知っている心強い協力者だ。
ベイルクス先生は、母上の支援で他国に五年ほど留学して、医学を学んできたそうだ。そして、帰国後に二十代後半の若さにも関わらず近衛騎士団の専属医師の一人になった。一般的に医師になるには、三十代まで高位の医師の助手をしながら学ぶそうだ。だから、ベイルクス先生は、かなり優秀なのだろう。とても礼儀正しくて、上品な優しい口調でお話しするから、貴族の子息だと思っていたら、身分は平民なのだそうだ。
しかも、ガッシリと鍛えられた立派な身体をしていて、白衣を着ていないと近衛騎士団の一員に見間違えてしまう。金髪の短髪と水色の瞳の整った顔に、不似合いな大きな眼鏡をいつもかけている。その眼鏡は、レンズに度が入っていない『伊達メガネ』だと最近になって気が付いた。
ベイルクス先生の診察は、とても丁寧で、伝え下手な私の要領を得ない言葉を、にこにこしながら待っていてくれる。
「でもね、マリー。もし、失敗してしまっても、マリーがどんな振る舞いをしたとしても、私達は貴女を、何としてでも守ります。だから、大丈夫よ。わかったかしら?」
「はい。母上、ありがとうございます」
「マリー、その為の保険にエルシア嬢を専属侍女にしている。だから、安心しなさい」
「そうですわ、姫様。エルシアにお任せ下さい」
「ありがとうございます。父上、エルシアも …… 」
父上が、私の頭を撫でながら笑った。ちょっと力加減が強すぎて痛い。私は、涙を引っ込めて、両親とエルシアに笑顔を見せた。
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