私のかわいそうな王子様

七瀬美織

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第一章 初恋

第十八話 約束の指輪

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『やらかしちゃった!』って、なにを~?! 

 精霊の種の気になる発言のあとに、私はすぐに目が覚めた。やけに眩しく感じる。薄目を開けて見回した。
 あれ? 私の視界情報が、おかしい ………… ここは、小ホールのはずだったよね。現実に戻っているならば …… これは、非常事態だ!

 小ホールの床は、石のタイルが敷き詰められていたのに、びしっしりと野草が生えていた。あちこちに、色鮮やかな美しい花が、咲き乱れている。名前も知らぬ花々は、人々の動きに合わせてサワサワと揺れていた。
 壁に太いつるが、うねうねと這いつくばり、ドーム状の天井の中心まで届いて張り巡らされていた。頭上は、蔓から繁った葉の緑に覆い尽くされている。
 そして、枝葉の間を白い花が、無数に咲いていた。その花びらは、ハラハラと舞いながら降り注いでいる。
 しかも、植物の全てが、光の粒子をまとってキラキラと輝いている。清楚な甘い花の香りが、小ホールの空間いっぱいに満たされていた。

 ふと横に目を向けば、宰相が白目をむいて、大の字に倒れていた。宰相の取り巻き貴族や文官達も、茫然自失の様相で立ち尽くしている。宰相側の護衛騎士達は、折れた剣を手に、それぞれ膝をついたり、うずくまったりしていた。

 本当に、何があったの?! 精霊の種よ、何をした?!

 エルシアが、隣から心配そうに私の顔を覗きこんでいる。あれ? 私を抱き上げていたのは、エルシアだったはずだよ。じゃあ、私を抱きしめているのは?

「マリー! 気がついたの?!」
「 …… は、は、うえ?」

 母上が、真っ青な顔に涙を浮かべ、私を抱きしめて座り込んでいる。母上は、私の意識が戻ったとわかると、ほっとした表情を浮かべて微笑んだ。
 私は、自分の声が思ったより小さく弱々しいのに驚きながら、母上に尋ねた。

「何が、あったのですか?」
「マリーの『精霊の種』が、お怒りになったのよ。『精霊の騎士』が、少し脅かしただけで、宰相は失神してしまったそうよ」
「はい! そうなのです!」

 間髪入れず、エルシアが珍しく口を挟んできた。エルシアは、侍女のお仕事上、主人の前に出ることはないのに、どうしたのだろう?

「宰相の暴言に、姫様が気を失われた瞬間、辺りに膨大な魔力が満ち溢れて、小ホールの天井近くに『精霊の種』様があらわれたのです! この植物も、あっという間に次々と成長して、マジでヤバかったですっ! 『精霊の種』様のお姿は、神々しく輝き眩しくて、良く見えなくて残念でした! そして、宰相の野郎に、姫様と精霊様を侮辱する者には、『禿げろ』と『モゲロ』罰が下されると、素敵な呪いのお言葉を告げられたのです! 宰相が最近急にハゲたのは、バチが当たっていたのですね。『禿げろ』マジで、グッジョブです! 謎なお言葉の『モゲロ』も、即殺そくやっちゃって欲しいです! あ、姫様! なんと、『精霊の騎士』様も、顕れたのですよ! 黒い甲冑の凛々しいお姿は、神聖かつ禍々しくて、まさにブラックナイト降臨キターーーです! そして、黒い騎士様は、宰相の護衛騎士達と、剣を交えて圧勝したのです! 騎士様は、爺くさい、げふん、げふん。えっと、古式ゆかしい表現でお話しをされて、解読が少々難しかったですが、直訳いたしますと、『今後、精霊の姫君に何かしやがったら、精霊の騎士と全精霊がただじゃ済まさねえ、叩き斬ってやる!!』的なことを、仰られていました。ああ、もの凄かったです。もう、こんな超チートな精霊様を、生まれて初めて見ました!!」

 いつもは控え目なエルシアが、大興奮していた。彼女は、天を仰ぎながら、胸の前で両手を祈る様に組んで、頬を上気させながら、早口でしゃべり倒した。
 母上は、黙ってエルシアの茹で玉子のようなおでこを『ペチン』と指で弾いた。エルシアは、母上のデコピンによって、やっと我に返った。

「はっ! 申し訳ございません。ちょっと、暴走いたしました!」
「 …… エルシア、冷静になった? 詳細は後で報告してちょうだい。マリー、身体の具合は大丈夫?」
「はい」

 そうか、エルシアの言葉使いが『異世界』風になるのは、興奮している時なんだね。完全に使いこなせてないのは、お婆様からの聞きかじりだからかな。私も、時々暴走して『異世界』の単語を話すけど、エルシアには負けると思ってしまった。

「それにしても、王女殿下、如何いたしましょうか? 王宮内で、かなりの魔力が動きましたので、隠すことは難しそうです」

 エルシアが困り顔で、辺りを見まわした。

 確かに、精霊の種と精霊の騎士よ、色々とやらかしてしまったのね。後始末、いったいどうするの?

 ふと、誰かが近づく音がするのに気づいた。王太子殿下が、執務棟につながる廊下から小走りでこちらにやって来きたのだ。

「これは、 …… 大したものだな。小ホールいっぱいに魔力が満ちている。『茨の塔』の上級魔術師が束になっても、これ程の魔法は無理だぞ。なるほど『精霊の種』が、マリシリスティアの魔力を行使したのか …… どうりで、精霊達が騒がしいはずだ」

 王太子殿下は、辺りをざっと見回し状況を分析しながら言った。正解です。
 どうして、解るんだろう? 王太子殿下は、失神している宰相の様子を確認して、深いため息をついた。

 そして、私と一瞬目が合うと、さっと視線を反らして、完全に背中を向けてしまう。

「サンドラ、行け。 この場と宰相は、俺が何とかしておく。一つ、貸しだ!」
「 …… いいえ、兄上。これで、貸し借り無しです!」

 母上は、私を抱き上げて、廊下を歩き出した。私は、母上の肩越しにどんどん遠ざかる、王太子殿下の後ろ姿を見ていた。

 母上の二つ歳上の兄、私の叔父上、アレクトレス=シドニール=ファルザルク。



 母上は、私の部屋に着くと、次々に指示を出していた。そして、私を抱きしめたままソファーに座わった。
 たった二日間だけなのに、懐かしい感覚がする。私は自分の部屋に戻ってきて、ほっとした。

「マリー? 手にけがをしているの?!」

 母上が、私の指輪を握りしめた手から流れた、血の跡を見つけて、悲鳴まじりに叫んだ。

「母上、大丈夫です。これは怪我ではありません」

 私は、現実に戻ってきても、手の中に指輪と鎖があるのに気がついていた。でも、あの大混乱の小ホールで、それを話すわけにはいかなかった。

 母上が、私の手を開いて調べようとするのを、やんわりと制止する。

「母上。本当に、平気です。あの、イトラスはいますか?」
「はっ。姫様、お呼びでございますか?」

 イトラスが私と視線を合わせるために、片膝をついて傍に来てくれた。私は、腕を伸ばして、イトラスによく見えるよう手を開いた。

 ーーーー シャラリと、指輪と鎖があらわれる。

 イトラスの新緑色の瞳が、ついさっき流れた様な赤い血のついた指輪を認識して、驚きに染まっていった。

「姫様。これは …… 」

 イトラスは、それだけ言うと絶句した。

「精霊の種が、私の代わりに持っていてくれたのです」
「なぜ、姫様が …… 」
「私は、『シア』が殺されるのを、 …… 見ていたのです」

 母上が、痛いくらいに、私をぎゅっと抱き寄せた。

「 姫様は、シンシアをご存知だったのですか?」
「ええ、とても、とても優しくしてもらいました。私は、何も出来なかった。 …… ごめ、んなさい!」

 私は、大きなイトラスの手に、そっと指輪と鎖を置いた。

 イトラスは、くしゃりと表情を歪めて俯いた。そっと指輪を握り、胸に抱きしめて肩を震わせていた。立派な騎士が、声を殺して泣いている姿に、胸が締めつけられた。
 そして、エルシアも、指輪の存在を知っていたのだろう。片手で口元を押さえて、嗚咽をこらえていた。

「イトラス、ごめんなさい。私のせいで、シンシアを死なせてしまった。エルシア、ごめんなさい。あなたの妹の死を、ずっと忘れていました」
「マリー、どこまで覚えているの? 辛いのでしょう? なら、無理して思い出さなくてもいいのよ。マリーは、まだ四歳の子供なのよ。あの頃は、もっと幼かったのよ。誰も、あなたを、責めることなんか出来ないわ。責められるべきは、私なのだから …… 」

 母上が、不安そうに、私の涙を拭いながら尋ねてきた。

「忘れない、です。もう、絶対に …… !」

 私は、思い出せる限り『シア』の話をした。私が三歳の頃の記憶は、とぼしくて、あまり多くを語ることは出来なかった。
 精霊の種の世界で見た、シンシアの死ほど鮮明なものは、どんなに頑張っても思い出せなかった。

 私は彼女を二度も忘れた。

 一度目は、シンシアが殺された時、二度目は、エルシアと結婚の話をした時も、思い出したのに忘れてしまった。

 だけど、これからは、どんなに辛い記憶でも、絶対に忘れたりしない。

 母上達は、シンシアがいつ頃殺害されたのかまでは知らなかった。シンシアの潜入後に、連絡役をするはずだった下女が、行方不明になってしまったからだ。おそらく、不審な動きをする者は、あの無表情な護衛騎士の手にかかったのだろう。この時点で、シンシアの潜入は、すでに失敗だったのだ。

 しかし、あの頃の子供部屋は、外部から干渉する事はもちろん出来なかった。しかも、内部からも迂闊うかつに動けない状態になってしまっていた。

 そして、シンシアは私を連れて逃げるという、最終手段を実行して失敗してしまった。 

 だから、乳母達が盗賊に襲われて、放置された馬車の荷物の奥から、遺体が発見されるまで、皆は彼女の無事を信じていた。

「イトラス、エルシア、あまり覚えていなくて、ごめんなさい」

 イトラスは、私に深々と頭を下げた。

「姫様、お辛い記憶を思い出していただき、ありがとうございます。もう、十分でございます」
「姫様のおかげで、妹の最期を知ることが出来ました。きっと、あの子も姫様が元気に成長されるのを願っているはずです」

 母上は、私を抱きしめながら、ずっと背中を撫でていてくれた。









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